第32話 オマリー伯爵

 翌日、ルシウスは馬車で、クーロン山近くの地方都市へ入る。


 リーリンツ卿から紹介された領は2つ。

 伯爵領であるホノギュラと、その隣の子爵領である。


 広大なクーロン山はどちらに領にも面している。


 先に訪れたのは伯爵領。

 単純に大きな都市のため、行きやすかったというのが理由だ。



「やっと着いた」


 城へと寄せられた馬車から降りようと、ルシウスが立ち上がる。


 前回での失敗を活かし、今回は街の駅ではなく、城の馬車寄せまで運んでもらったのだ。


「坊主も大変だな、1人旅とはな」


 御者を務めてくれた老人が前から声をかけてくる。屋根のない馬車のため、すぐ目の前に御者がいる。


「これも立派な男爵になるためですから」


「そうかい、俺にはよくわからんが頑張っておくれ。だが、気をつけろよ。この領は物騒な噂が絶えない」


 老人の口から不穏な言葉が漏れる。


「ご忠告ありがとうございます。これは心付けです」


 ルシウスは御者へ小銭を渡す。


「ありがとよ」


 馬車の持ち主と御者が違う場合は、料金の1割ほどを御者へ渡すことが習慣である。

 特に渡さなくても怒られはしないのだが、以前、父ローベルと母エミリーが、心付けを渡すは当然と言っていた。


 例え貧乏貴族でも、領民の収入を奪ってはいけないのだろう。



 降り立つと、城の周囲にある街を見る。

 馬車の中から見ていた違和感かがより強く感じられた。


 ――街には活気がない


 東部の州都シャンアークとは似ても似つかない程、都市に血が通っていないのだ。

 あばらが浮き出た物乞ものごいが大通りにまで溢れており、店で働いている者の目は虚ろ。


 道を歩く民もボロをまとって居る者が目に付き、その日の食べ物にも困っているようだ。


 対称的に、城の中心あたりにあり、青く球体のような宮殿に対して強烈な違和感を覚えて仕方ない。

 街の端からでも見えていた巨大な建物だ。


 豪華な宮殿と街を歩く領民の様子が全く一致していないのだ。


 ――飢饉ききんでもあったのか?


 この世界の農業は式の力により、飢饉になるほどの不作には滅多にならない。


 違和感を感じながら、ルシウスは城へと足を踏み入れる。



 そして、領主の部屋。

 王の謁見の間ほどではないが、絢爛豪華けんらんごうかな拝堂のような広間である。


「お初にお目にかかります。ルシウスと申します」


「はあ? 何だお前?」


 最奥の椅子に腰掛ける40代そどの男がいる。

 たが、様子がおかしい。

 真昼だというのに、顔全体を赤らめ、手には酒瓶を掴んでいた。


 ――まさか酔ってるのか?


 すかさず側仕えが耳打ちする。


「あ? エスタ卿の推薦? あのババア、まさか何か勘づいたのか?」


 ひどく訝しんだ顔を浮かべるオマリー。


「おい、そこのルシなんとかって言うガキ」


 ――ずいぶんな対応だな


 エスタ卿ことリーリンツ卿の紹介状には、自分が男爵であることは書いてある。


 オマリー伯爵は目を通してもいなさそうではあるが。


 爵位には序列がある。

 当代王家である公爵家。

 その他の四大貴族である侯爵家。

 侯爵家の傍系である伯爵家。

 そして、下位の貴族である、子爵家、男爵家が続く。


 準貴族階級の騎士や国境を任される高い独立性や裁量権をもつ辺境伯などもいるが、概ね序列はこのように大別される。


 つまりオマリー伯爵は四大貴族に次ぐ上位貴族でありルシウスは最下位の男爵。


 だが、爵位は王により与えられたものであり、どの爵位に対しても、一定程度の敬意は求められるものである。


「……はい」


「式を求めてきるとか書いてあるらしいが、本当の所はどうなのだ? あのババアに何が言われているのではないか?」


 自身の寄親に対してひどいいいようである

 一万歩譲って親近感から来る呼称とも取れなくもないが、少なくとも他州の貴族の前で使うものではない。


 ――なんか、この人おかしい


 そんな違和感を感じたとき怒声が飛ぶ。


「さっさと言え! この愚図が!」


 酒瓶がいきなり投げつけられた。

 とっさに回避する。


 最初は何かを試されているのでは、とも思ったが、そんな次元ではない。

 状況が上手が呑み込めずに、唖然としてしまう。


「間抜け面だな」


 オマリー伯爵が手を叩いて笑う。


「……リーリンツ卿からは、ただクーロン山で式を得るための了承を得ただけです。それよりも戯れがすぎるのでは?」


「は? たかだか男爵程度のガキが、伯爵の俺に口答えするのか?」


 オマリーは心底不快そうな視線を投げつける。


「いえ、そのようなことは」


「まあいい。それより私の世話になりたいならば、渡すものがあるのではないか?」


「渡すもの、ですか?」


「頭が悪いガキはこれだから嫌いだ。金だよ、金。今は何かと入り用でな。男爵家とでも、多少はあるんだろ?」


 ――賄賂か


 もちろん無い。


 もともと王命により来ているのだ。

 正規の公務であり、公務の遂行に協力することは貴族としての責務でもある。

 もちろん感謝として、多少の贈り物ぐらいするかもしれないか、ちょっとした嗜好品程度だろう。


「あいにく手元になく」


 オマリー伯爵が舌打ちをする。


「まあ、その見窄らしい服を見れば分かるか。どうせ田舎の貧乏貴族だろう。金がなければ価値がない」


 その通りなのだが、言われ方である。

 さすがに癇に障る。


「……なぜ、それほどにお金が必要なのですか?」


 オマリー伯爵の表情がみるみるほころんでた。先程までとは別人のように。


「霊廟の為だ」


 オマリー伯爵は窓から覗く青い宮殿へと視線を向けた。


「このホノギュラ領の新たな象徴となる。後の世に皆が霊廟の中にいる存在を忘れられなくなる。だというのに民は税を渋り、賦役に文句を垂れる」


 霊廟れいびょうとは祖霊をまつる建物。平たく言えば大きな墓である。


「オマリー伯爵は【ノアの浸礼】を信仰していないのですか?  霊廟のように長期間、魂を縛るものは基本的に良しとされないはずですが」


 【ノアの浸礼】とは、この世界で最も信仰されている宗教である。

 魂は最終的に4つある偶像のいずれかへ還ると言われており、肉体は還るまでの方舟はこぶねに過ぎないという考えらしい。

 国内でも信仰している人も多いが、ルシウスは転生したという背景を持つため、どこか冷めた目で見てしまう。


「ふっ、神など信じてはおらん。仮に居たとしても、断言する。そいつクソだ」


「なるほど。では、霊廟……ホノギュラの民や貴族は、あそこに入るのでしょうか?」


「いや私が入るのだ。他の者は誰一人、入れさせはしない」


 ――自分のために……


 これ以上何かを尋ねても理解はできないだろう。

 話を終わらせる。


「……ともかくよろしくお願い致します」


「滞在を認めてやる。それだけでも、ありがたいと思え」


「分かりました」


 ルシウスは一礼して、その場をあとにする。


 従者に案内された部屋は、城の外。

 橋門兵の詰め所のような場所だった。


 ――城には入るな、と


 城を嗅ぎ回るなというオマリーの言付けだけ残して、従者は去っていった。



 翌日。

 食事も出されず、朝から街を歩いていた。

 相変わらずや道には貧困に喘いだ民が溢れている。


 ――何とか、できないだろうか


 他領、それも他州の伯爵領

 一介の男爵に過ぎない。何か動こうものなら、シュトラウス卿や父に迷惑をかけることに繋がりかねない。


 また本来の目的も忘れてはならない。


 東部で式を得ることである。


 昨日の話からすれば、おそらくオマリー伯爵は何もしてはくれない。本来、その地の領主が手配してくれるものなのだが。

 東部の式を得るやり方は、北部とは違うやり方だとは父から聞いている。


 ――その手がかりを探さないと


 街へと足を運んだルシウスが、大通りから2本ほど入った路地を歩いていたとき、声がかかる。


「なあ、少しばかり恵んでくれよ」


 歩いていると近くに居た30代後半くらいの男が声を掛けてきた。

 男は、腕を痛めているのか包帯を巻いている。


 背後に居るのは、まだ12、13ほどの娘だろうか。

 2人とも例に漏れず、ぎだらけの服を着ており、唇がひび割れ、頬がコケている。


「いいですよ」


 財布を取り出すため懐に手をいれると同時に、男が小刀を取り出した。

 ルシウスの脇腹へと小刀を向ける。


「全部よこせ。こっちは何日もまともに食べられてないんだ。悪いな」


 男は躊躇ためらいつつも、もう選択肢が残されていないといった様子だ。


 だが、安々やすやすと身銭をがされてやれるわけにはいかない。

 路銀は財政難の両親がなんとか工面してくれたものだ。


 ルシウスは剣の柄で、小刀を弾き飛ばした。

 力も入っていない小刀はいとも簡単に地面へとこぼれ落ちる。

 もはや、強く握り締めるだけの余力すら残されていないのだろう。


「悪いですが、全部はあげれません」


 男が恐怖にひきつる。


「……悪かった。頼む、俺は斬られてもいい。娘だけには手を出さないでくれ」


 ――ワケありみたいだな


「身を守っただけです。もともと斬るつもりはありませんよ」


「……ほ、本当にいいのか」


「ええ。それよりもこれを」


 ルシウスが硬貨を手渡す。

 切り詰めれば親子が10日くらいは飢えをしのげるだけの金である。


 男と娘の目が丸くなった。


「お、俺は、お前から金を奪おうとしたんだぞッ!?」


「それは生きるためですよね?」


「…………」


 男が肩を震わせる。

 そして親子ともども、地面へと手をつけて謝りはじめた。


「申し訳ありませんでした!」


 街の人間達は親子が地に伏して謝る様子など、気にもとめていない。

 皆、他人のことなど、かまっていられないという様相である。


「悪いと思っているのであれば、二度としないことです。本来であれば強盗は重罪。仕方ないでは済まされません。それよりもこの街はどうしたんです? 飢饉でもあったんですか?」


「…………領主です」


 男は憎々しげに地に手をつけたままで答える。


「領主?」


「領主が重税と賦役ふえきを課しており、民が困窮しております。私も、税が払えず畑を奪われました」


 オマリー伯爵のことである。

 領民には田畑の所有権が認められており、本来、納税義務があるだけだ。奪われるなどあり得るのか。


「オマリー伯爵が、畑を奪う?」


 にわかには信じがたい。

 一次産業の安定的な生産と発展は統治の基本。

 民から田畑を奪うどころか、どうやれば田畑を耕してくれるかを考えるべきが為政者である。


「はい。税が払えないなら、あの霊廟れいびょうを建てる為の賦役をせよ、と」


 男が指差した所にあるのは、街のどこからでも見える巨大な青い建物。

 建設中の霊廟である。


「自分の霊廟を建てる為に、税を搾り続けているのです。騎士団も、紛争帰りの連中で好き放題だ」


 本来、貴族は式を持つため、遺体は魔物に喰われる。

 式を持たない人たちであっても墓標は必ず木材など朽ちる素材で作るらしい。

 自らを祀るだけの霊廟を建てる為に、民を苦しめるなど正気とは思えない。


 子供を刃物で脅し、金を奪い取る。

 人として許されないことである。


 だが、この男の言うことが本当であれば、明らかに責任は為政者であるオマリー伯爵にある。

 民に罪を犯させないために必要な生きる術を領主が奪っているようなものだ。


「早く他の領土へ行くことをお勧めします。その硬貨への対価とは言いませんが、他の困っている人たちにも同じように伝えておいてください」


 とは言ったものの、住み慣れた土地から離れ、他の土地で暮らすことは容易でない。

 前世のように、どこにでも似た環境がある社会ではない。

 田畑を変えれば数ヶ月は何も収穫できないのだ。


 ――何かできることはないのか


 ルシウスは親子を残し、その場を去ったが、胸の中で疑問が沸々ふつふつとわき続ける。


 自分が知っている、貴族のあり方は、そんなものではない。

 貴族は民の剣であり、盾である。


 民を押さえつけるなどという事を、この世界の貴族が行うのか。

 不安が頭をよぎる。


 今まで、他の貴族たちも当たり前のように、父のように民に敬われ、領地の発展のために尽力していると考えていた。


 だが、考えてみれば、ルシウスは父ローベルやシュトラウス卿、オリビア以外の貴族をよく知らないのだ。



 そんなことを考えながら街を歩いていると、背後から声をかけられた。


「おい!」


 振り向くと鎧をまとった騎士達がいた。

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