第86話 人とドワーフの距離

 おさの呼びかけにより、迷宮の通路が閉じる。

 

 突如、襲来した死霊の群れ。


 後に残ったのは、傷ついた者たち、街を失った者たち。

 そして家族を失った者たちだった。


 狭い通路にドワーフたちがひしめき合っている。

 うめき声や泣き声、怒声が至る所から上がる。


「……何だったんだ。今のは」


 こぼれ出たルシウスの言葉に、近くにいたドワーフが反応した。


「お前らのせいだろッ!?」


 他のドワーフたちも同調する。


「なんで……あの人が……死ななきゃならないの!?」

「人間が隔壁をぶっ壊したんだッ!」


 今にもルシウスへ掴みかかりそうな空気だ。

 そして、通路の奥の方では、違う者へと視線が向けられていた。

 オルレアンス家のクレインだ。


 ――クレインさんも無事だ、よかった


 通路の入口付近ではルシウスへ、奥ではクレインへと非難の声が上がる。


「やめろッ!!」


 長が声を張り上げる。

 一瞬で静まり返えった。


「今、そんなことを言っても何にもならん。行くぞ」


 長はドワーフたちをかき分け、1人進み始めた。

 付き従うようにバラバラと他のドワーフも進み始める。

 ドワーフの少女ファグラも、何かを言いたげだが、何も言わずに皆へ続いた。


 ルシウスたちも、進むしかなく、薄暗い洞窟を歩いていく。

 気がつけばクレインが横を歩いていた。


「……無事で良かったです」


「ええ、ルシウスさんが引き受けてくれたお陰で、多くのドワーフが救われました」


 力なくクレインが答える。

 周囲を歩くドワーフの目は冷たい。


「……何が救われただ。俺の娘は……」

「人間たちが隔壁を壊さなければ」

「ファグラを裏切った人間が」


 クレインは落ち込んだように、足元へと目を向けた。


「クレインさんは何も悪くありません」


 自分とルーシャルの戦いが隔壁を破壊したのであれば、クレインはその場に居合わせただけの被害者である。


「いえ、いいです。僕はオルレアンスですから」


「でも――」


「父も、オルレアンス家も、誰一人ドワーフ達を理解しようとしなかった。そして、僕はそんなオルレアンス家を変えることを諦めたんです」


 クレインが痛々しい笑みを浮かべた。

 それ以上、何も言わずにうつむいたまま、暗い迷宮の道を進むしか無かった。



 ◆ ◆ ◆


 クレインは、オルレアンス家当主の1人息子として生まれた。


 他のオルレアンスがそうであるように、幼少期から術式を調べる遺物を玩具として与えられ英才教育され、育った。


 幼い頃の、クレインの興味は1つだった。


「あ! いたっ!」


 寂しい荒野の中を、ポツリと立つ大岩のほとり、幼いクレインが岩をめくっていた。

 大岩の周りは、人を襲うような魔物がほとんど居ないため、幼いクレインの遊び場でもあった。


 めくった岩の下に居たのは、小さな蟲の魔物。

 ダンゴムシのような形をしている。


 腐敗した土や大きな魔物の排泄物を食べるという、ありふれた魔物だ。


「不衛生な環境でも生きていけるんだ。きっとすごい免疫機構をもってるに違いない」


 一心不乱に、祖母から貸し与えられた虫眼鏡型の遺物で、虫を観察しているクレイン。


 5つ目の石をめくった時、影が手元を覆った。


「ねえ、何してるの?」


 クレインが顔をあげると、そこには同い年くらいの少女が覗き込んでいた。

 見たことも無い少女だったが、幼いクレインにとっては、顔見知りの方が少ない。


 全く気になどしなかった。

 少女が着る、異常なほど細かい刺繍が施された服にも。


「魔物の観察をしてるんですよ」


「魔物の?」


 少女もクレインの虫眼鏡を覗き込む。


「うえ、気持ち悪い」


「この蟲たちが持つ免疫の術式を調べれば、あらゆる病気を克服できるかもしれないんですよ!?」


「蟲の術式なんて……ヤダ」


 クレインは口をすぼめ、再び観察を始めた。


「これが魔物の術式? 変なの」


 少女が虫眼鏡に映し出された魔法陣を不思議そうに眺める。


「これは由緒ある術式の様式です。平面に3次元立体構造の術式回路を――」


 ムッとなり早口で説明をしようとしたクレインに対して、少女は2重螺旋を地面に指で書いた。

 2本の鎖を繋ぐように、複数の線が書かれている。


「私の知ってる術式の書き方はこう」


「なんです? それは?」


「父さんから習ったの。術式はこういう形をしてるって」


「よくわからないです」


「ふーん。ねえ、なんで蟲なんか調べるの?」


「…………」


 クレインは少女の言葉を最初、無視する。

 だが、ずっと見つめてくる少女の瞳に根負けした。


「……お母さんが、病気なんだ。それも、今まで治った人がない病気」


「病気……治らないの?」


 驚いた少女は、悲しそうな表情を浮かべる。

 だが、クレインは無理やり笑う。


「治ります! この世に不可能はありません。先週だって、不可能と言われていた四重唱の人が現れたんですよ? 鑑定したお祖母様もびっくりだったようです」


 少女は話を理解できないのか、いまいちピンと来ていないようだ。


「でも、治し方がわからないのよね?」


「大丈夫です。お父さんは最高の研究者ですから。病気なんてすぐに治してみせるって、言ってました。だから、僕もこうして、お手伝いをしてるのです」


 再び虫眼鏡へと目をやった。


「研究者? 腕の良い職人ってこと?」


「職人? まあ、確かに、父さんは何でも作れますよ。それに……優しい人です。研究で忙しいのに、僕が寝るときはいつも沢山の本を読んでくれます」


「お前の父さん、すごい人! 私の父さんもすごい職人なの! 一緒だね」


 少女はニカっと笑う。

 クレインは虫眼鏡から目を離し、少女を見つめて笑う。


「お前ではなく、クレインです」


「……私はファグラ」


「よろしく、ファグラ」


「うん」


 その日を境に、クレインとファグラは、ともに時間を過ごすようになった。

 雨と雪が降らない日は、大岩で待ち合わせし、日が暮れるまで遊ぶことが日課となるほどに。


 そんな日々も1年、2年と進むうちに変わり始める。


 人が住まないこの地に、オルレアンスではない者がいることを不思議に思い始めたのだ。


 ファグラは普通の人ではないのかもしれない、と。そんな疑問が芽生えた頃、少女はパタリと姿を見せなくなった。


 それでも誰も居ない大岩へ、10日間ほど通った。


 11日目、雨に打たれながらも1日中、待ち続けたクレインは、少女が子供から卒業したのだと、理解した。


 その日を最後に、クレインも大岩へと足を運ばなくなった。

 11日遅れて、少年も子供を卒業したのだ。




 月日は流れ、クレインは16歳の成人の日を迎えていた。

 金の刺繍が入った、黒いフードを深くまとっている。


 だと言うのに、力なく1人、荒地を歩くクレイン。

 今にも泣きそうな顔を浮かべていた。いや、泣いているが、涙が瞼に辛うじて留まっているだけだ。


 大貴族の跡取りが成人を迎えたのだ。

 本来ならば一族総出で、お祝いが催されているはずだった。


 だが、それも急遽、取りやめとなった。


 アテもなく、ここでは無いどこかへ彷徨さまよう。


 そんなとき、拠点から少し離れたところにある大岩が目についた。

 幼かった頃は、遠く感じた場所は、今、見れば拠点の岩山のすぐ近く。

 そうでなければ魔物が出るこの地で、子供が遊びに出る事を許されるはずがない。


 ただなんとなく、幼き日を過ごした大岩へ足が向いた。


 ――久しぶりに来たな、ここも


 地面に腰を落とす。

 見上げた空はひどく狭く感じた。

 幼少の頃に見た風景はどれも大きかったはずなのに。


 届きそうなほど近い空へと手を伸ばそうと、クレインは再び立ち上がる。


 その時、カラカラと小さな石が崩れる音がした。

 とっさに涙を拭う。


「誰?」


 返事はない。

 オルレアンス家の人間は、皆、同じ拠点で育つのだ。

 姿を隠す必要などない。


 一族ではない人間で、この場にいた者は1人しか知らない。



「…………ファグラ?」



 やはり、返事はない。

 それが確信に近いものを覚えさせる。


 クレインは音が聞こえた岩陰へと進み始める。

 すると、再び何者かが、逃げ去ろうとする足音がした。


「待って!」


 慌てて、岩陰を覗き込み、その場に居た人の腕を掴んだ。


 腕を掴まれた者が振り返る。

 幼き日、共に過ごした少女が居たのだ。


 顔はクレインと同じく成長していたが、身長はクレインが大きく追い越してしまっていた。


「あ、あの……」


 言葉がでない。

 元気だったのか、なぜ何も言わず姿を消したのか、今まで何をしていたのか、聞きたいことは沢山あったはずなのに。


「……離して」


「あ、ご、ごめん」


 すぐに手を離す。

 二人に沈黙が訪れる。


 最初に、口を開いたのはクレイン。


「ねえ、ファグラ。なんで勝手にいなくなったの? 一言くらいあってよかったんじゃない? ひどいよ」


 ファグラはドワーフである。クレインは人間。人はドワーフを忌み嫌い、ドワーフは人との関わりを断った。


 幼いながら、それを理解したのだろうとは思う。

 だが、直接、本人の口から聞きたかった。


 ファグラの瞳の奥、仄暗い何かが揺れ動く。


「ひどい? 酷いのは……あんたたちよ!」


「何? 僕は何もしてないよ」


 ファグラの表情に次第に怒りに歪む。


「ふざけないでッ!! お母さん……お母さんはあんた達、人間に殺されたわッッ!!」


「こ、殺された?」


「そうよ! 何も知らず人間に近寄った私を逃がす為に、人間に捕まったのよ! それでッ! それでッ!」


 一攫千金いっかくせんきんを目指し、鉱脈を掘る者が後を絶たないことは知っていた。

 その中には、ドワーフを魔物と同じように毛嫌いしている人間がいることも事実だ。


「……私がバカだった。何も知らない子供だったのよ。人間は……人間は皆、あんたみたいだと、思い込んでたの」


「ファグラ……」


「お母さんを返してよッ! なんで、優しかったお母さんが、あんな酷いことされなきゃいけないのッッ!!? 何も……何も悪い事なんか……してない……じゃない」 


 ファグラの瞳から涙がほほを伝う。

 そして膝を地面へと落とした。


 どうしようも無い感情があふれ、クレインはファグラを抱きしめた。


「離してッ! 人間が、触れないでよッ!」


「分かるよ、ファグラの気持ち」


「分かるわけないッ!」


 クレインの腕の中で暴れるファグラ。


「僕も……僕も2日前……死んだんだ、母さんが」


「え……」


「長い、本当に長い闘病生活だった……ずっと寝たきりで……、痛いって……体中が痛いって。でも、僕が成人するまでは死ねないからって」


「クレイン?」


「『オルレアンスを信じる』って……最期まで」


 クレインが着たフードの刺繍には、美しいみやこへと向かう青年の姿がある。

 その上に、『オルレアンスを信じる』と文字が刻まれていた。


「あと、たったの……ぐッ、たったの2日……なのに」


 クレインの瞳からこらえきれない涙が溢れでた。


「ううっ……ずっ……わぁああああッ!」


 せきを切ったように、顔をぐしゃぐしゃにする。


「泣か……ううっ……ないでよ……うぐっ」


 ファグラからも再び大粒の涙が落ちる。


 2人はお互いを慰めるよう、慈しむように抱き合いながら、ただただ、泣いた。

 大岩へと、こぼれるしずくが、空いてしまった2人の時間を埋めるように。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る