第87話 別れ
長く迷宮の道を歩いたのち、開けた空洞へと出た。
そこには陽の光に照らされた建物があった。
「……村だ」
「こうやって、いつでも移れるようにいくつか拠点を作ってる。我らはドワーフは元来、戦いが得意な種族ではないからな。だが、造ることはできる」
確かに先程の戦闘を見る限り、強いとは言えない。
陽の光に手をかざしながら見上げる。
――上に森がある
岩肌がむき出しになった壁に囲われた空洞のようだ。
外は木々が生い茂っているのか、岩の
「あれは、人間がシルバーウッドと呼ぶ魔物の森だ」
「ここがシルバーウッド……」
昨日、遠くから見た旧都ブルギアの背後には森が広がっていた。
その森の下に位置しているのだろう。
あれはシルバーウッドの先端だった。
つまり、今いる場所は、ルシウスの生家があるシルバーハート村の森を挟んで反対。
そして。
――家の領地だ
帰ってきた実感はまるで無いが、今いる場所は、ドラグオン家の領地であるシルバーウッドであることに違いない。
「何か、気になることでもあるのか? ええっと――」
声に出さなかったことの意図は察せられた。
まだ自己紹介すらしていなかったのだ。もっとも、聞かれもしなかったが。
「ルシウスと言います」
「……
ファグラの父が右手を差し出した。
「ダムールだ」
ダムールの背丈は胸ほどにしか無い為、少し下に向かって、右手を差し出した。
ルシウスは手を握り返す。
「よろしくお願いします。……このシルバーウッドの森を管理することが、一族の役目ですので、少し驚きました。まさか皆さんが、俺の領地に住んでいるとは」
「今は、だがな。……意外な縁もあったもんだな。んで……」
長が気まずそうに何かを、言い掛けたが、それをルシウスが
「申し訳ありません。あなた方を、巻き込んでしまったようです」
ルシウスは頭を下げる。
「……いや、むしろ、その、人間が助けてくれるとは思わなかった。ルシウスが来てくれなければ、もっと多くの仲間を失っていた……助かった。他の連中は色々言うと思うがな、ドワーフの長として、感謝の言葉もない」
ルシウスは他のドワーフへと目を向ける。
「おーい、誰か手を貸してくれ! ゴーレムが壊れちまってる」
「こっちはもう駄目だ! 他に回れ!」
「ファグラ! 鉄ゴーレムを直すのを手伝ってくれ!」
ドワーフたちが土や岩を、パテのようにゴーレムへと塗り込んでいく様子が目に入る。
時折、その長いゴツゴツした髪の毛を、小さなナイフで切り、混ぜているようだ。
――髪?
そして、髪を練り込んだ材料を、何度も撫でるうちに、ゴーレムの傷が消えていくのだ。
「ゴーレムが直ってる……」
「あんた……えー、ルシウスは、ドワーフの術式を見るのは初めてか? いや、初めてに決まってるか」
長のダムールは少し気まずそうである。どこか、むず痒いのだろう。
「ドワーフ達は、どんな式と契約しているんですか?」
「ドワーフは式とは契約できん。魔核を持っていないからな」
「え? 魔核も式も無いのに術式が使えるのですか?」
「ドワーフは、生まれつき魔力と術式を持つからな。そして、髪に術式を込める。まあ、それが原因で魔物扱いするやつもいるくらいだがな」
「自分の髪を使って、術式を発動させる?」
「髪が鉄のような色をしているだろ? メシと一緒に取り込んだ鉱物が髪に貯まる。そして稀に、俺のようにクリスタルのような赤い髪、そして極稀にファグラのように赤黒い髪の奴が生まれる。そんなやつは大抵大量の魔力を持ってる」
自身の身を削り発動する術式。
あまり安全なものには思えない。
困惑するルシウスに、ドワーフの長ダムールが笑いながら話を続けた。
「言っとくが名誉なことなんだぜ。魔力が多くて、高度な物がつくれる奴が長になるくらいな。それに手先も人間に比べれば圧倒的に器用だ」
ドワーフにとって、多くの道具を生み出すという事は、何にも勝るものなのだろう。
クレインはドワーフにとって鉱物は欠かせないものと言っていた。
話を聞く限り、ドワーフは鉱物も摂取しなくてはいけないのかもしれない。そして、その中には迷宮でしか取れない鉱物もある。
ドラグオン家がシルバーウッドという魔物の森と在るように、ドワーフ達は迷宮という場所と共にある一族なのだ。
「自慢じゃねえが、俺のクリスタルゴーレムは、傑作でな! 相当の腕がなきゃ、上級のゴーレムは作れねえぞ」
豪快に笑いながらダムールが、隣にならぶクリスタルゴーレムを見上げた。
「クリスタルゴーレム、ですか。確かに厄介ですよね」
かつて迷宮で地面が溶けるほどの熱を持ったまま、抱きつかれた。
「ルシウス、お前さん……クリスタルゴーレムとやり合ったことがあるのか!?」
「あっ、ええ……まあ」
ゴーレムは迷宮に住むドワーフ達が作った物のようだ。
それも、文字通り身を削って。
破壊したなどと、造り手の前で言うことは
「気にすることはねぇ。そういうもの持ちつ持たれつだ。人間はゴーレムを破壊するが、同時に偽核も持って帰ってくれるからな」
ルシウスはかつて特級の偽核――もといスライム――を手に入れた。
今でもお尻の少し上、背骨の末端あたりに寄生しており、日夜、魔力を生成し続けてくれている。
「偽核もドワーフが作るのですか?」
「いや、偽核は、魔力を吸いすぎて処理しきれなくなった迷宮核が排出するものだ。いわば迷宮の分身のようなもんだ。偽核がたまりすぎた古い迷宮は、負荷が強すぎて壊れちまうからな。人間が定期的に減らしてくれるのは迷宮にとっても助かる話だ」
迷宮核が何なのかはわからないが、スライムといえば分裂と、相場が決まっている。
ルシウスは、前世のイメージで無理やり飲み込んだ。
「よかった、これ以上嫌われるものかと。あのときは、魔鋼ゴーレムとも戦いになって、ヒヤヒヤしましたよ」
「ま、魔鋼ゴーレム……赤黒髪のドワーフが生み出した奴らじゃねえか!? 1つの到達点だぞ」
ダムールは自身が抱えた鉱石へと目をやる。
思えば、ルシウスが以前戦った魔鋼ゴーレムの色も、こんな色だった。
そしてファグラの髪色も。
ダムールや周囲で聞き耳をたてていたドワーフたちが、これでもかと、顔をひきつらせた。
「壊す力だけあっても、何の意味もないじゃないッ! 門も破られたッ!」
鉄ゴーレムを直しながら、ファグラが声を張り上げる。
途端、ダムールやドワーフたちの表情が暗くなり、うつむいた。
皆、今は考えないようにしていたのだろう。
苛立たしげなファグラをクレインが咎める。
「ファグラ、そんな言い方しなくても」
「事実じゃない!」
言葉だけ残し、他のゴーレムを直すために離れていった。
「許してやってくれ。あれの母、つまり俺の妻はな、人に殺されたからな」
「人に……殺された?」
「このあたりには鉱脈が無数にあってな。人がそれを掘りに来るんだ。その中には、旧都ブルギアを潰したのはドワーフだと信じている者もいてな。妻はそういうやつらに殺された。
ダムールが悔しそうに歯を食いしばる。
「そんな、噂だけで人を殺せるなんて……」
「……そう考えてくれる人間がいることも知ってはいる。あの青年もそうだった」
ダムールはクレインへ目をやる。
「だが、同時にそれが少数だということも分かってる。人間は同族とも戦い合うのだからな。大半の人間にとってはドワーフは魔物と大差ないのさ」
そう言葉にしたダムールの瞳は酷く寂しそうなものだった。
「さて、どうしたもんか」
困り果てているダムール。
周囲には壊れたゴーレムの修理を急ぐドワーフたちで慌ただしい。
「ダムールさん、あの門は何だったんです?」
「あれはな、魔龍を――」
突如、冷たい膨大な魔力が駆け巡った。
反射的に背筋が凍りついた。
――何だ、この魔力は
クレインが絶望したように、呆然と立っていた。
「……間に……合わなかった……」
周囲のドワーフたちも騒然となる。
ダムールは諦めに近い、深いため息を吐き出す。
「やっぱりな」
「な、何です!? これは!」
「死霊どもの親玉の化け物だ。長く、門の奥の迷宮核に封じられていた。死霊共が隔壁を超えてきた時点で、こうなるだろうとは思っちゃいたがな」
「死霊達は、その魔物の封印を解こうとしているのですか!?」
もしかして、自分たちは取り返しの付かない事をしでかしたのかもしれない。
「死霊どもは魔龍が作り出してるからな。やつの傀儡だ」
反射的にルシウスは、もと来た道を駆けようと体を傾ける。
それをダムールが手で止めた。
「やめとけ。死霊どもの群れに突っ込んでも死ぬだけだ。倒してもキリがない」
「ですが、今からでもッ!」
「もともと迷宮核の方が限界が近かった。最近は、迷宮が壊れて崩落が相次いでたからな。あんたらが来なくても、あと5年保ったかも怪しい。シルバーウッドの魔力も上がり調子だった。異変の1つや2つあったろ?」
当然、ある。
――邪竜だ
おそらく漏れ出した魔力を使って進化していたのだろう。
つまり迷宮が壊れれば、邪竜のような魔物が
そうなれば森の反対側にある村にも影響がある。
いや、影響程度で済めばよいか。先程聞いた蝕海という場所になってしまうかもしれない。
そんなことを見過ごせるはずがない。
ルシウスがハッと、クレインを見る。
「クレインさんッ! 死霊をどうにか出来ませんか!? 倒せないまでも動けないようにするとか。このままではきっと良くないことが起こります!」
「……無くは……ありません」
ルシウスとドワーフたちの視線が、クレインへ一斉に集まる。
「ならッ!」
「ですが……僕だけでは出来ません。転移の術式の資料が必要です」
「何だって構いません! このままだとシルバーウッドの森が、いやシルバーハートが危ない!」
クレインは悲壮感が漂う視線でルシウスを見返した。
「ルシウスさんは、強いですね。まだ諦めないなんて、本当に……」
「今はそんなこと――」
「僕には!……弱い僕には、そんなことはできません。家にも、父にも、ファグラにも、全部……全部、中途半端だ」
ファグラが目を背けた。
そんなクレインへ、ルシウスは語りかける。
「俺は、全然、強くありませんよ」
「…………嘘だ」
「いえ、弱いですよ。1人で生きていけないほどに。でも、だからこそ、大切な人の言葉にだけは、目を背けたくない」
「爵位があって、魔力も式も強いから……そんなことが言えるんですッ!」
以前シュトラウス卿の屋敷で見た夢を思い出す。
『貴族になって何がしたいの?』
夢の中で問われた。
自分の深層心理が現れたのかもしれない。
だが、今ならはっきりわかる。
「貴族かどうかなんか、どうでもいい。俺は、家族に、領民に思いを託されたから、ただ真剣に応えたいんです。それは強さと関係がありません」
「そんなのッ!」
クレインは振り向きもせず、言葉を飲み込んだ。
「…………オルレアンスの拠点へ、戻ります」
そういって、クレインは力なく歩き始めた。
背中からダムールが声をかける。
「道は分かるのか?」
「昔ファグラと来たことがありますから」
ダムールは顔をしかめ、
娘がここまでドワーフたちの居住地を案内していると思っていなかったのだろう。
1人立ち去ろうとするクレインへと誰かがかけ寄った。
ファグラだ。
「ねえ、クレイン。私は待ってる」
「…………」
クレインの姿は何も答えずに、消えていった。
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