第88話 魔龍

 2年前。


 クレインとファグラは、背をかがみ、ようやく通れるほどの地下通路にいた。

 死霊都市ブルギアの真下に当たる地下である。


 酷く寒く、吐息が真っ白になる。


「あれよ、クレイン」


 ファグラが下を指差す。


 覗き込むと、通路の先は断崖絶壁となっていた。

 落ちれば命はないだろう。


 そのはるか下に、何かがいる。

 クレインが厳しい目で、それを見つめた。


 はるか下に巨大な白い球体がある。城の大きさほどある。

 そして、その球体に、何かが絡みついていた。


 ――根か?


 更に目を凝らす。


「……龍」


 青白い龍が、球体に絡みついている。


 いや、い付けられていると言った方が正確か。

 何か黒い茨のようなものが、青白い龍と球体を、複雑に縫い留めていた。


 見ているだけで、ゾクゾクとしたものが全身を駆け巡り、心臓が激しく音を立てる。

 体中の細胞が「逃げろ」と脳へ信号を送っている。


 ――何だ……この魔力は


 息をするたびに、肺に薄気味悪く、濃い魔力が入り込む。

 悪寒に近いものを感じて仕方ない。


 鑑定するまでもない。間違いなく特級。

 いや、それ以上の存在だ。


 気味の悪い、青白い龍のまぶたがうっすらと開いた。

 離れていても分かるほどに、生物とは思えない、酷く冷たい目である。


「あれは……いったい」


「魔龍というものらしいわ。はるか東にある蝕海から来たみたい。逃げてきたのか、蝕海を破壊し尽くして来たのかまでは、わからないけど」


「……魔龍……聞いたことがない種だ」


「この時代に存在しないはずの竜種。ドワーフの記録によれば、青の時代より前に出現したようね。半分、伝承だけど」


「青の時代より前って!」


 今からはるか昔。

 人は天上におり、この地に降り立った。そこから始まったのが青の時代。

 その後、戦争に明け暮れた赤の時代を経て、現在の緑の時代が訪れたのだ。


「あれと同種か分からないけど、魔龍が居たから、人は天から逃げてきたらしいわ」


 青の時代は今より遥かに進んだ文明があった。迷宮や塔のように、神の建造物と呼ばれるものが作られた時代でもある。

 それほどの文明を誇った人間が、逃げることしかできなかった魔物。


 ――あれが、全ての元凶


「青の時代の話はともかく、ブルギアを1日で滅ぼした魔物ってことは間違いない。盟約の戦士と竜騎士が命を賭して、迷宮の核に封印した不滅の龍」


「迷宮核に封印って、どういうこと?」


「死霊たちと同じく魔龍も不滅なのよ。だから、迷宮の魔力を絶えず、くさびに変えることで、縛り付けてるの」


「やっぱり、ドワーフが共和国と共謀して、滅ぼしたというのは嘘だったんだ」


「昔、ドワーフと共和国は仲が良かったらしいから、そんな噂がたったのね。魔剣の聖地、共和国へ魔剣を与えたのもドワーフだから」


「でも、人とドワーフは一緒にあの魔龍を封じたんでしょ? なんかヒントくらい残してくれればいいのに」


「戦いに参加した人間は全員、死霊になってるからね。残ったのは、戦いに参加しなかった遠くから見てた人の言葉だけなんでしょ」


 クレインは身を潜めながら、強くうなずく。


「なら、僕がそれを変えるよ。魔龍の術式を解明するんだ」


「クレイン。そんなこと言って大丈夫?」


「問題ないよ。少し前、邪竜と契約した人が出たんだよ! 前、言った4つの魔核を持つ人! 今後、竜の研究は飛躍的に進む!」


「本当に?」


 クレインとファグラが見つめ合う。


「大丈夫だよ、もうドワーフと人間が対立する世界なんて終わりにしよう」


「うん、信じてる」


 そう言って、少しの間見つめ合い、唇を重ねた。


 しばらく抱き合ったのち、2人はおさダム―ルのもとへ向かった。

 今日は、大事な報告があるのだ。


「……はぁ、婚約か」


 大きくため息をついたのはドワーフの長にして、ファグラの父ダムールだ。

 長老たちが声を荒らげる。


「ファグラッ! 何を考えてる!」

「お前は、次の長となる者だ! それが、人間などと!」

「そんなヒゲも生えてない軟弱な男と。もっと、こう……あるだろ?」


 それに対してファグラが毅然きぜんと応えた。


「人間とドワーフが結婚することなんて、昔はよくあることだったんでしょ? 生まれた子供がドワーフならドワーフとして、人間なら人間として、生きていけばいいだけじゃない」


 なっ、という声を出した長老たちは、唖然としたまま固まる。

 ダムールが重い口を開く。


「なんつうか、その、なぁ? もう、あいつの件はいいのか?」


 ダムールの妻にして、ファグラの母の話である。


「母さんを殺した人間は絶対に許さない。でも、それは殺した本人たち。クレインは関係ない」


「……そうか」


 長ダム―ルは、クレインを見る。


「クレイン、っと言ったか。お前は本当にいいのか? 人間側の長となるのだろう」


「人の長は王です。そして、この地は四大貴族であるノリス=ウィンザーの土地。我らオルレアンスは預かっているに過ぎません」


「その辺はよくわからんし、大事なのはそこじゃねえ。本当に覚悟はあるのかって話だ。お前たちの結婚は祝福はされないだろうな、誰にもな」


 ダムールがクレインを睨む。

 ドワーフの長として、妻を人間に殺されたものとして、そして、娘の父として、覚悟を問うた。


「……僕は二度とファグラと離れたくありません。それに、ドワーフとオルレアンスが手を組めば、きっとこの地を呪う元凶、魔龍を打ち倒すことにも繋がります!」


「魔龍を、か。なら、1つ約束しろ」


 クレインは背筋を正す。


「必ずファグラを幸せにしてみせます!」


「早とちりすんな。幸せかどうかは本人が決めることだ。俺が約束してほしいのは、魔龍の件だ。ヤツがこの迷宮にいる限り、ドワーフはこの地を離れられん。迷宮が死んじまう。お前は、本気で魔龍をどうにかするつもりなんだろうな?」


「約束します。必ず、魔龍が持つ不滅の術式を解き明かします」


 ダム―ルは目を閉じた。


「そうか……俺はこれ以上何も言わん。好きにしろ」


 一斉に、長老たちの諫言かんげんがあがるが、聞く耳を持たない。

 クレインとファグラは、お互いの目を見合わせ、部屋を後にしようと振り返った。


 そして、クレインの背中に、小さく声が投げかけられる。


「娘を頼む」


 クレインは息を飲んだ。

 再び振り返り、大きく一礼して、部屋を後にした。


 出るなり、クレインは大きく安堵のため息を着いた。


「よかった」


「まさか、父さんがあっさり認めてくれるなんて」


「よし、次はこっちだね」


 2人は街のドワーフたちにジロジロと見られながら、出口へと向かって歩く。


「クレイン、本当に私は行かなくて良いの?」


「大丈夫。あの大岩で待ってて。必ず説得してみせるから」


「うん」


 ファグラを残して、クレインは、オルレアンス家の拠点に戻る。

 そして、父と祖母に大事な話があると伝え、当主の部屋へ集めた。


 父ラートスの第一声は想像通りのものだった。


「絶対に許さんからなッ!」


「父さん、もう決めたことだから」


「ありえない、オルレアンス家にドワーフの血が混ざるなど! 他の貴族たちにどんな目で見られるのか考えたのかッ!?」


「父さん、非科学的だよ。かつてドワーフと人間の混血は、当たり前に旧都ブルギアにいたんだ。ブルギアにいたオルレアンスの先祖にも、ドワーフの血は元々入ってる」


「遺伝子の話などしてない! 青き血の話をしている! だいたい何だ、その魔龍というのは!? そんなドワーフどもの話など信じられるものか!」


 慌てる父ラートスと対称的に祖母にグフェルは目を朗色ろうしょくに輝かせる。


「落ち着きな、ラートス。本当なら面白いじゃないかい、歴史に消えた魔龍という存在。ドワーフと共になれば、どれだけの知識をオルレアンスへもたらすのかねぇ」


「母上、時代が違うのです! 叡智だの、真理だの、と言っていられる時代ではない。今後、国は大きく動く! 道を誤れば、オルレアンスは全てを失います!」


「知識を探求しないオルレアンスが、王国にとって何の価値があるんだい、まったく」


 父は変わった。研究熱心だった父は、もう居ない。


 父は転移の術式の第一人者だった。

 治癒の術式は怪我には有効だが、病の治療には向かない。

 だから母の病巣や変性物質を人から剥離し、人形へ転移させる研究に没頭していた。


 だが、手を尽くせども、尽くせども、母の病気を治せなかった。

 それでも母は言い続けた。


『オルレアンスを信じてる』、と。


 そして、砕けたのだ。


 母の死で。


 母が死んだ日に、「叡智など何の価値もない」と、父が呟いた言葉が今でも耳に残っている。

 足の踏み場もないほど多くあった研究器具は、すべて捨てられた。


 母が長い闘病生活を送った部屋を執務室に変え、違う仕事に勤しむようになった。

 動けぬ母のために、かき集めらた絵画だけを残して。


 残った父の想いは1つ。


「私はオルレアンス家の当主として、一族を守る義務がある! もう誰も、誰も失わない……」


 元々オルレアンスは北部に属する貴族である。

 没落することが確定している北部ではなく、西部や南部、東部との関係を増やすため、慣れない外交に当主ラートスは奔走ほんそうした。


 もともと偏屈へんくつな研究者肌である。人とのやり取りや交渉は上手くない。

 笑われながら、好きでもない酒を飲まされながら、父は愛想笑いを覚え、世辞に慣れていった。


「……父さんの気持ちは分かる。でも、僕はファグラと結婚したい」


「駄目だ! 絶対にッ!」


 クレインとラートスが睨み合う。


「どうしてもと言うなら、僕は家を出る」


「じ、次期当主の……お前が……?」


 ラートスの抜けた声がする。


「構わないよ。竜の研究なら1人でも続けられるから」


 これ以上、話合うことは無いと、クレインは部屋の出口へと向かう。

 母が最期の日まで過ごした部屋でもある。


「あいつは、お前がオルレアンス家の当主になることを、最期まで信じてたんだぞッッ!? 母親まで裏切るつもりか!?」


 ――母さん……


 視線を逸らした先にあったのは、生前、母が最も大事にしていた絵。

 死霊都市と呼ばれる前、黄金都市と呼ばれていたブルギアの絵だ。


 絵の横には、黒い生地に金の刺繍が入ったローブが掛けられている。

 成人した日に、自身が身にまとっていたものだ。


 母が、病床に伏せる中、刺繍ししゅうを施してくれた。

 刺繍にも、「オルレアンス」の名の由来でもある、いつの日か奪還するべき黄金都市が刻まれている。


 そして、黄金都市へと歩く青年の姿も。


 言葉が出ず、胸が締め付けられる。


「ま、待ってくれ!」


 ラートスが縋り付くように、クレインの足を掴む。


「父さん、放して」


「お前まで、私を……私を置いていくのか!?」


 今にも泣き出しそうな父の顔。

 憧れの存在だった父が、だ。


 ――息が苦しい


 空気を求めるように、すべてから目を背けた。


「出来ることは全部やった! 信じると言ってくれた、タニアの言葉に応えたかった! 毎日毎日、何年もだ! これ以上、何が出来たというのだ!?」


「……そんなの……分からないよ」


 すがる父を突き放す言葉だけ残して、部屋を後にした。




 拠点を出て、大岩へと向かう足は酷く重い。

 振りはらったはずの、父がまだ足に掴まってるのではないか、と疑う程に。


 はにかむファグラ、自信に満ちた父、笑みを浮かべる母。

 ファグラの涙、父の泣き顔、母の苦しむ顔。


 ぐちゃぐちゃに記憶が入り乱れる。


 ――父さん、母さん、ファグラ、父さん、母さん……ファグラ


 大岩まで後わずかというときに、雨が頬を伝う。

 それは、すぐに大雨となった。


 辿り着いたときには、全身の服から水がしたたっていた。

 大岩の裏、いつもの場所に、ファグラが1人立っている。


 ――ずぶぬれだ


「ファグラ」と声をかけようとしたが、声がでない。

 代わりに、大岩を挟んで、反対側にクレインは立った。


 20歩も歩けば、愛する人がいる。

 だが、なぜか足が一歩も動かない。


 雨が降り続く中、時折、ファグラのくしゃみが聞こえた。


 冷たい雨に打たれながらも、クレインを待ち続けているのだ。

 体も冷えているだろう。


 クレインは雨で泥だけになった地面へ、崩れるように座り込んだ。


『お前たちの結婚は祝福はされないだろうな、誰にもな』


 ファグラの父ダム―ルの言葉を噛みしめる。


 1時間だろうか、2時間だろうか。


 全身を伝う雨水が、頭の中を満たし、洪水でも起こっているようだ。

 どうしようもないほど、感情が入り乱れる。


「ファグラ」


 今すぐ抱きしめたい。

 愛していると伝えたい。

 一緒に暮らそうと言いたい。


 そして、オルレアンス家を捨てた、と――


「……………………言えない」


 どうして忘れていたのだろうか。

 大好きだったのだ。父も、母も。


「言えないよッ」


 頬を、熱い雨が、流れ落ちていく。

 日が傾きかけた頃、クレインは1人、立ち上がった。


 そして、大岩を離れた。

 たった1人で。



「……ごめん」



 そうして、クレインはオルレアンス家を取った。

 岩を挟んで反対で、雨に打たれながらも自分を待ち続ける、愛する人を残して。



 その日以降、クレインは竜の研究に打ち込んだ。いや、それだけが生きる意味となったいうべきか。




 魔龍が蘇りかけている。

 その事実に気がついたのは、1年前。


 旧都ブルギア周辺の地下に張り巡らされた迷宮が、崩落し始めたのだ。それが、地を揺らし地震となって現れる。


 焦るように何度も現地へと赴き、観察と実験を繰り返す。現状、亜竜を大量観察できる場所は、皮肉なことに死霊都市ブルギアだからだ。


 そんなある日、割れた地面から飛び出した2体の亡霊に釘付けとなった。

 団長と副団長である。2体は魔剣を携えていた。


 かつて、ファグラから聞いた話では、終わりの1日、果敢に魔龍と戦った竜騎士達は、その多くが迷宮へと足を踏み入れた。

 そして、生きて帰れぬことがわかっていたがゆえ、本人たちの希望により、ドワーフたちが出口をふさいだのだ。


 死霊となった後、守るべき都に刃を向けないために。



 クレインは狂喜した。

 最も魔龍に近しい存在がいるとしたら、それは邪竜である。


 その邪竜の契約者が魔剣を求めていることを、祖母から聞いていた。

 居ても立ってもおれず、自ら志願し、ルシウスを迎えに行った。

 誼を作るために、自ら作戦を考え、自ら引率も申し出た。


 少年は祖母から聞いた通りの人だった。

 身を呈して、ルーシャルの攻撃をかばってくれた。

 不滅の死霊にも立ち向かった。


 ――強い……


 家族とも縁を切れず、愛する人を泣かせてしまうような人間ではなかった。


『俺は、全然、強くありませんよ』


 ――嘘だ!


 ルシウスの言葉は全く信じられなかった。


 強い魔力を持ち、強い式を持つ。

 だから全てに前向きになれるのだ。自分の可能性を信じられるのだ。


 そんな事を考えながら、ゆっくりと拠点へと向かう。

 重い足はなかなか進まない。

 また、ドワーフのための協力など、いつかの二の舞いとなることは分かりきっている。


 ルーシャルに落とされた時は夜中だったが、拠点へ戻ったっときには、もう次の昼下がりとなっていた。


 拠点の門を開き、うつむいたまま、父の執務部屋へとたどり着く。

 母が最期まで過ごした部屋でもある。


「父さん」


 ノックもなしに扉を開けた。

 直後、声が響く。


「クレインッ! お、お前ッ!」


 父ラートスが駆け寄り、抱きしめてきたのだ。


「……父さん?」


「い、生きていたのかッ!? ディオン殿下から、ルシウス殿と亡霊に襲われ、谷に落ちたと!」


 部屋を見回すと、ソファーに深く腰を書けている男が1人。


 西部の王候補ディオンだ。

 ソファーには赤い大剣が立て掛けられていた。


 ディオンが冷めきった目でクレインを見る。

 そして一言だけ。


「ルシウスは?」


「生きて……おります」


「そうか」


 そう言って、ディオンは立ち上がる。

 何かを思案したあと、口を開いた。


「オルレアンス。私はこれから、南部の王候補、ルーシャルを糾弾きゅうするため、王都に戻らねばならない」


 父ラートスは理由わけがわからないと言った様子だ。


「どういう……ことですか?」


「2人を谷に突き落としたのはルーシャルだ。戻らぬ命ならば、無用の混乱をさけるため、私の胸の内に留めておこうと思ったのだ。許せ」


「いったい何を仰っているのか、まったく――」


 だが、ディオンは言葉を無視し、剣を握りしめる。


「馬車を回せ」


「あの――」


 ラートスの言葉を遮るように、周囲に冷たいものが流れ、一気に真冬が訪れたかのような空気となる。


 それが、途轍とてつもなく冷徹な魔力であることに、少し遅れて気がついた。


 絶大な魔力である。

 かつて存在を否定したラートスですら、それが何であるかを、理解させられてしまうほどの。



「魔龍が……目覚め……た」


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 お読みいただき、ありがとうございます。

 やっとSSも原稿を書き終え、連日投稿が開始できそうです。


 本章のクライマックスには間に合いました。

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