第89話 古き盟約

 ルシウスは治療をおえて、夕方に染まるシルバーウッドを、穴の底から見上げていた。

 縦穴に作られた村の中央の広場である。


 周囲は慌ただしく、次の襲来に備えてゴーレムの修復に追われているが、手伝うこともできない。


 必然、できることは上から襲ってくる亡霊や魔物がいないかの監視となる。


 ――まだ帰ってこないのか、クレインさん


 魔龍という存在を封じるくさびを、今この時も、死霊達が破壊しているのだろうと思うと居ても立ってもいられない。


 周囲には、魔力を使い果たし、息も絶え絶えとなっているドワーフ達が多く寝転んでいた。

 修復にはそれほど多くの髪の毛は必要としないのか、皆、長く固い髪の毛をベッド代わりに寝ているようだ。


「ルシウス。お前さんは森が好きなのか? ずっと見上げてるぞ」


 話しかけてきたのは、ドワーフの長ダムール。


「見張りです。魔物が来ないか」


「ありがてぇが、なんで、お前がそこまでする必要があるんだ?」


「それは――」


 ルシウスが声を上げた瞬間、辺りに冷たい物が流れる。

 背中がゾクッとして、反射的にのけぞるほどの威圧と悪寒が駆け巡った。


 先ほど感じたものとは比較にならないほど、絶大な魔力だ。

 とんでもない魔物が、壁を隔てた先に現れた様に感じる。


 ――まさかッ!


 ドワーフ達にも、抑えきれない動揺が走る。

 魔力が尽きて、地面に倒れていた者たちも一斉に飛び上がった。


 間髪をおかず、多くのドワーフが広場に集まってくる。


「ま、魔龍がついに蘇った……」

「ダムール、どうするんじゃッ!?」

「あの人間、やっぱり帰って来なかった! やはり人間など信頼するべきではなかった!」


 戸惑うドワーフ達。

 そして、ファグラは怒りに震えているようにも、泣いているようにも見えた。


「ともかく千里鏡せんりきょうを回せっッ」


 ダムールの叫び声に呼応して、ドワーフたちう巨大な銅板が運び込まれた。

 すぐに像が映し出される。


 ――雪山?


 いや、違う。

 死霊都市ブルギアを、真っ白な雪が覆っていた。

 吹雪が全てを凍りつかせたまま。


 ――城に何か巻き付いている


 骨のような翼を持った青白い龍だ。

 そう思ったとき、ダムールが悲壮を帯び、震える声でつぶやいた。


「…………魔龍」


 周囲には無数の竜騎士の亡霊達が飛び回っていた。

 昨日見た時とは比べ物にならないほど、数が増えている。


「こんなに居たんですか!?」


「地下に閉じ込められてた……死霊達も……全部、蘇ったのか」


 ルシウスが声を上げた直後、洞窟の壁がミシミシと音を立ててたわむ。


 ――今度は何だ!?


 次の瞬間、壁ががれ落ち、なだれ込んできたのは、大量のスライムたちだ。

 黒銀こそ居ないが、青、緑、黄、赤、紫、白などの色とりどりのスライムが無数にいる。


おさ! 偽核たちが……」


 ドワーフの1人が声を上げた。


「分散式核保全機構が発動してるってことは……迷宮核が砕け散ったんだ。守護者のゴーレムたちを探して、ここまでたどり着いたのだろう……」


 なだれ込んだ無数のスライムたちが、村に散在するゴーレムの周りへと集まり、動かなくなった。


 ――死んだのか


「仮死状態だ。迷宮の恒常性機能をゴーレムたちが回復するのを待ってるんだ」


 偽核とゴーレムは、ある種の共生関係にあるのかもしれない。

 正確にはそれらを生み出す迷宮とドワーフか。


「あのスライム……」


 ルシウスがノロノロと動く、白い偽核へと指を差す。


「スラ……? なんだって?」


 ダムールが、ルシウスが指差した方向を確認した。


「偽核に……棒が」


 すぐに駆け寄り、震える手でスライムに、突き刺さった金属製の棒を引き抜いた。


「なんですか? それは」


「…………魔龍を封印していたくさびだ」


 ダムールはしばらく傷だらけの棒を見つめた後、目を瞑った。


 一呼吸置いて、広場に集まったドワーフ達に向かう。



「お前ら……この迷宮はもう駄目だ。直に蝕海しょくかいに沈む」



 一斉にドワーフたちから声が上がる。


「長ッ! ここはまだ若い迷宮です!」

「……鉱石も多くて、住みやすいのにさ」

「そうだ! 計画通りファグラが魔鋼ゴーレムを造れれば、まだ、なんとかなるかもしれねぇ!」


 ダムールは首を振る。


「……諦めろ。もうどうにもならん」


 沈痛な空気のなか、突如、鐘を叩く音が、けたたましく響いた。


おさ! ブルギアから、うじゃうじゃ死霊共が向かって来てる!」


 全員の顔が凍りつく。


「負傷者がいるのにかッ!」

「動けるゴーレムも全然足りん」

「この人数を、担いで行くのか!?」


 ダムールが消え入りそうにつぶやいた。


「逃げることも許さん……か、魔龍め」


 ルシウスは固く拳を握る。


 ドワーフたちは世界のために、迷宮を守り続けてきた。


 だが、人間はファグラの母の命を奪った。きっと、ルシウスが知らない多くの命も。

 恨んでいるのだろう、人間を。


 それでも、意識を失い傷を負った自分を治療してくれた。

 クレインが一緒に居たこともあるのだろうが、心から憎悪しているなら、放置か、殺されていたに違いない。


 クレインとファグラは愛し合っていた。

 そして、人間とドワーフは、かつてのブルギアで共に暮らしていた。


 本当に人間とドワーフは共に歩むことは、もうできないのだろうか。


 ――シルバーウッドに住む、


 ルシウスは魔力を感じる方へと歩き始めた。


「ルシウス……何をするつもりだ」


 問いかけたのはダムール。


「今から、上へ行ってきます」


「聞いてなかったのか。竜騎士の亡霊どもがここへ――」


「だからですよ。言いませんでしたか? 俺はこのシルバーウッドを守る一族です」


 ルシウスは当たり前のように答える。


「意味がわからん。だから何だと言うんだ?」


「今、あなた達はそのシルバーウッドに住んでいる」


「どう……いう、ことだ」


「今、この時は、ドワーフは領民なんですよ。俺にとって」


「……領民」



「領民を守れるのが立派な男爵です」



 ルシウスはさも当たり前の事をするように、淡々と、邪竜を呼び出し、蚩尤をまとった。


 そして、魔龍と無数の死霊が飛び交う寒い空へ、1人、飛び立っていった。



 残されたのはドワーフ達。

 皆、何が何やらわからないといった様子だ。


「あいつは何を言いたかったんだ?」

「だんしゃく、ってなんだ?」


 戸惑うドワーフたちを横目に、ダムールも歩き始めた。

 近くに居たファグラへと声を掛けながら。


「ファグラ」


「何?」


「お前は、一族を連れて、森へ行け。そして、他の迷宮で暮らせ」


 ダムールが目指す先にあるのは、広場の横に設置されたである。


「長、アンタいったい何を……」

「もうすぐあの死霊共がなだれ込んで来るんだぞ!」


 ダムールはナイフを取り出し、長く赤い髪をバサリと切り落とした。


 近くのドワーフが詰め寄る。


「その髪は……ファグラが魔鋼ゴーレムを造る時のために……皆で、ドワーフ一族全員で、伸ばしてきたものだろうがッ! 何のために、髪をできるだけ使わず魔力だけでゴーレムを修復したと思ってるんだッ!」


「古き盟約が……成されたからな。それにルシウスは魔鋼ゴーレムに勝ったらしいじゃねえか。そいつが勝てねえ相手なら、土台無理な話だ」


 他のドワーフも声を上げる。


「あの男は盟約なんかはッ!」


「知らんだろうな。だが、関係がない。我らドワーフは約束を守るのだ」


 ダムールは手にした、びて、ひび割れた棒をみる。


「なんてことはねぇ。人は我らを脅威から守り、我らは人に道具を与える。その盟約に従うだけだ」


 ドワーフは戦いに強い種族ではない。いつの時代も出来ることは1つ、造ることだけだ。


 魔力を吸い集める迷宮の近くには、必ず魔物の生息地ができる。

 ドワーフたちが迷宮を守り続けるためには、己たちを守ってくれる存在がずっとかたわらに在ったのだ。

 400年前までは。


 ダムールが腰を落としたの前には、わざわざ持ち出した魔鋼の塊がある。


 そして、炉の横には、赤いクリスタルである魔結晶が積まれていた。

 クリスタルゴーレムの素材にも使われる浄化された魔力の結晶は、まきでは得られぬほどの火力をもたらす。


 この魔結晶無くして、魔鋼は精錬できない。


 クリスタルを炉へと投げ込むと炎がき起こる。


「……おさ……まさか、それも使うのか? 100年に1度出るかどうかの、高純度の魔鋼だぞッ!? 魔鋼ゴーレムの材料だッ!」


「そうだ。だが、使わせてもらう。400年前、共和国の戦士が古の盟約に応え、戦ってくれた軌跡きせき。長きにわたり、魔龍を封印し続けた……骨影。これを直して、ルシウスへ届けてやるためにな」


「バカな事を言うな! もう壊れてるぞッ! その魔槍!」


「いや、直してみせる。命に代えても。ルシウスが持つ魔剣は最下級のもの。あれではあの化け物には、とても太刀打たちうちできない」


 ドワーフたちは混乱し、動揺していた。

 そんな中、1人だけ長に近づく影がある。


「父さんが残るなら……私も手伝う」


 ファグラは炉の横にある鍛造たんぞう用の台へと座った。


「馬鹿野郎! お前は次の長だろうが!」


「それは他の奴でもできる。でも、を待ってて、あげられるのは私しかいないから。ついでに、よ」


「……そうか、好きにしな」


 炉の燃え盛る炎は、ダムールとファグラの顔を赤く照らした。



 ◆ ◆ ◆



 森の上空を飛ぶルシウス。


 厳しい目で死霊都市ブルギアを見ていた。


 無数の死霊騎士、そして城に巻き付いた青白い巨龍。

 龍は白い骨のような翼をひろげている。


 視線はまっすぐに、こちらを見ている。

 それは威嚇しているのか、それともただの興味か。


 邪竜が笑みを浮かべたように、獰猛どうもううなる。


「……来る」


 200を超えるほどの竜騎士の亡霊たちが、次々と襲い掛かってくる。


 目指す場所は当然この場所、ドワーフたちの村である。


 一瞬だけ下を見たが、退避できている者はほとんど居ない。

 引くわけにはいかない。


 ――やるしかない


 死霊達は、どうやら術式と生命に引き付けられる。


 この地で最も術式と生命にあふれるのはどこか。

 シルバーウッドの森に決まっている。


 魔物は唯でさえ魔力が濃い場所を好む。


 ドワーフの村が襲われた後、魔龍とそれが操る死霊たちが、シルバーウッドに来る可能性は非常に高い。

 そうなれば、遅かれ早かれシルバーハート村にたどり着くだろう。


 父と母が、

 侍女マティルダが、

 幼い頃から共にした村の領民たちが、

 そして、ユウに守ると誓ったローレンがいる。


 ――そんな事は、絶対させない


 近づく、死霊と化した竜騎士へと邪竜が3本のブレスを放つ。


 竜騎士たちが素早く散開する。

 それでもブレスに巻き込まれた30体ほどが消し飛んだ。


 炎のブレスに焼かれ灰となった、竜騎士から白煙が上がる。


 開戦の狼煙のろしである。


 ルシウスは剣を握り直し、竜騎士の大群へと突っ込んだ。

 一瞬で、砂糖に群がる蟻のように、蚩尤と邪竜へ、竜騎士たちが覆いかぶった。


 前後左右、余すところなく至近から槍の突きが放たれる。

 だが、ルシウスは動じない。


 ――やれ


 邪竜が自らを傷つけると、群がった竜騎士たちへ、血飛沫ちしぶきを吹きかける。

 竜騎士たちは、一瞬で血の渦に飲み込まれ、溶け消えた。


 ブラッドワイバーンの群れが一気に200体ほど生まれる。

 そして、それに合わせるように鎧兵も。


 理解している。

 術式で作り出した竜騎士では、本物の竜騎士の亡霊たちには勝てないことを。


 だが、最も効率的に大多数の敵を、相手にできる方法でもあることも事実。


 血に取り込まれたはずの竜騎士たちが、血の渦の中で蘇る。

 生まれたばかりのワイバーンを手にした槍で突き刺しながら、内側から突き破った。


 再び全員が蘇る。

 邪竜のブレスで倒した者たちも、依代よりしろとして血に飲み込まれた者たちも再生している。


 陣形を整え直し、亡霊たちが並ぶ。

 そして、ルシウスを中心とした、術式の竜騎士たちも同じである、


「行けッ!」


 空を無数に舞う亜竜たち、一斉にぶつかった。


 乱戦である

 至る所から剣戟けんげきの音が鳴り響く。

 炎の、水の、雷の、風の、毒のブレスが至る所から吹き出した。


 それは無作為に掴んだ花火を、炎へ放り込んだかのようだ。


 混迷を極めた時、城に巻き付いた青白い龍の口に、魔力が宿る。


 ――何だッ!?


 それは何度も感じたもの。邪竜のブレスに似る。


 放たれたのは、真っ白いブレス。


 回避するため、距離を置こうとしたルシウスたちを、押さえつけようと亡霊たちが群がる。


「邪魔だッ!」


 光刃と邪竜の竜爪で、切り裂くが、数が多い。

 邪竜は群がる亜竜たちを、無理やり引きずるように射線上から退避する。


 直後、白いブレスが通り過ぎた。


 放射される冷気で、すべてが凍り尽きそうだ。

 一瞬で周囲にある地面や大岩が真っ白に染まった。


 そして白いブレスが抜けていった森も同じく。

 緑一色の森に、白いペンキでもぶちまけたように一部が、不自然に白く染まった。


 ――冷気のブレスッ!?


 先程まで乱戦が起きていた場所が、凍りついていた。

 術式で作られた竜騎士も、竜騎士の亡霊も、雪白に染め上げられている。


 そして、空中へ放り投げられた氷が下に落ちるように、落下する。

 地面にあたると氷が砕けるようにバラバラになってしまった。


 一呼吸おいて、凍りついた木々や岩が音を立てて崩れていく。

 バラバラになった断面から白いもやがこぼれ出る。


「両方の竜騎士達が、一撃で……」


 更に薄ら寒いものを感じると、再び、魔力を魔龍が口に集めていた。


 すぐさま、もう一度、ブレスが放たれる。


 先にあるのは、ドワーフたちがいる穴だ。

 ルシウスではなく、ドワーフ達を狙ったのだろう。


「まずいッ!!」


 ルシウスは邪竜から飛び降り、盾を構えて、冷気の渦へと、身を割り込ませる。


 ――熱ッ


 極冷温のはずが、最初に感じたのは冷たさではなく、灼熱に放りこまれたような熱さ。


 次に、凍りつた血肉の冷たさを感じた。


「指が……」


 盾を掴んでるはずの指の感覚を感じない。

 足先も同様だ。


 心臓から離れた場所にあるところが冷え過ぎて、動かないどころか、感覚も定かではない。

 霧がかった粉雪が、風に吹かれ、視界がひらけた。


 まるで真冬。

 周囲は凍りつき、土に含まれている水分が氷と化し、一面が雪に覆われているかのようだ。



「クソッ。う、ごかない」


 感覚が戻らず体が思うように動かない。


 目の前で、冷気から這い上がった氷の粒が形を成していく。

 魔龍に消された竜騎士の亡霊が、再びルシウスの前に現れたのだ。


 竜騎士が一斉に襲い掛かる。


「絶対に負けるわけにはいかないッ!」


 ルシウスは痺れる体で、無理やりに剣を振るうのだった。

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