第90話 決断のとき

 亡霊を斬り伏せながらルシウスは、邪竜へ命じる。


「あの龍を、本体を叩けッ!」


 命じられるがままに邪竜は弾丸のように全速力で飛び出した。

 すぐに邪竜が3本のブレスを纏いながら、一直線へと魔龍へと迫る。

 邪竜は歓喜に震えている。


 ――死霊たちが……


 竜騎士たちが、次々とブレスを帯びた邪竜へと、身を投げていくのだ。

 その度、ブレスの威力が弱まっていく。


「何度死ねばいいんだ……」

「嫌だ、もう殺してくれ」

「ゆるさんぞ、魔龍ッ」


 ルシウスに群がる竜騎士たちから漏れ聞こえる声。

 言葉と相反して、容赦ない攻撃が繰り出され続ける。


 ――体の自由が奪われている……のか


 門を壊す際、団長は抵抗していた。

 かつての州都を守るために、殉職していった竜騎士たちの成れ果てが、これか。


「あんまりだ」


 ルシウスは魔龍を睨みつける。

 冷え切ったはずの体に煮えたぎるものが流れ、体を温めていく。



 ルシウスの攻撃では死霊達を滅する事はできない。

 同時に、竜騎士達の攻撃も、蚩尤にとっては致命傷にはならない。


 拮抗した状態を打ち破るために、流れを変えなくては。


 今、最も強い破壊力を持つ技は、邪竜のブレス。

 魔龍本体に、それを叩き込む。


「邪竜。竜騎士は俺が全部、引きつける。魔龍を討て」


 ルシウスは魔剣から光を放ち、辺りを光で埋め尽くす。


 たちまち広範囲に広がった光の術式に、すべての竜騎士が向かい始める。

 その数は1000を超えていた。


 膨大な数のいなごの群れのように、肉を腐らせた亜竜を従える者たちがルシウスの上空を埋め尽くす。

 皆、呪詛のように怨嗟の言葉を流し続けている。


「あなた達の無念も、きっと」


 空から舞い降りた竜騎士たちのおびただしい群れに、飲み込まれていった。



 ◆ ◆ ◆



「急げッ! ディオン殿下と西部へ行くのだ」


 声を張り上げるのは当主ラートス。


 拠点の岩山のすぐ下に100を超える人影がある。

 皆、腕から零れ落ちそうなほどの資料を抱えていた。


 オルレアンス家の一団である。



「……わたしゃ……ここでいい」


 老婆グフェルが石へと座り込んだ。


「お婆様! 早く逃げなくては!」


 黒いフードを被ったクレインが祖母の手を引いた。


「知識も、かき集めた遺物も全部なくして、どうやって生きていくんだい」


 数人の年老いたオルレアンス家がグフェルに同調する。


「あの龍を見たでしょう! あの魔物がいつ襲ってきてもおかしくないんです!」


「……クレイン。お前はよくやってくれた。もう好きにお生きよ。大事なものがあるんだろう?」


 ファグラのことである。


「こ、こんな状況です。皆、とっくに逃げてます!」


 クレインがそう言った直後、離れた岩山の影から何か、飛び出した。

 無数に、だ。


「ル、ルシウス……さん……」


 術式で作り出した竜騎士と竜騎士の亡霊が戦っている。

 あまりの混戦で、遠目では、どうなっているのかはわからない。


 真っ白い一線が横切り、静寂が訪れる。

 音まで凍りついたように。


 ――あれが……魔龍のブレス


 そして、続けざまに、ブレスが放たれた。


 ブレスの先にあるのは、少し前まで自分が居た場所だ。

 最愛の人がいた場所でもある。


 逃げたはずとは思いながら、思わず叫んでいた。


「ファグラッ!」


 だが、冷気のブレスは掻き消えた。

 ルシウスが、受け止めたからだ。


 宝剣の光に誘われ、蘇った竜騎士の亡霊たちが、一斉に群がる。

 残された邪竜は、それらを引き裂きながら、一直線に魔龍へと向かっていった。


「ファグラ? 誰だ、それは」


 父ラムートの声が聞こえる。


「ドワーフですよ。愛した……愛する人です。ルシウスさんは、きっと彼らを守ってるんだ、今も」



 背後から突然、笑い声が聞こえた。耳を疑い振り向くと馬車に乗った青年がいる。

 ディオンだ。


「はっははっ、傑作だなッ! あの龍の脅威が分からぬほどの愚者とは! その上、薄汚い亜人どもを守るなどと、の貴族としての精神も持ち合わせていないのだな!」


 一頻ひとしきり笑った後、小声でつぶやいた。


「策をろうするまでもなかった。母上も、ただ魔力が多いだけの阿呆を、なぜそこまで警戒なさるのか」


 ディオンは御者へ命じた。

 満面の笑みを浮かべながら、馬車を発進させる。


 ――愚か……モノ?


『いえ、弱いですよ。1人で生きていけないほどに。でも、だからこそ、大切な人の言葉にだけは、目を背けたくない』


 ルシウスの言葉が思い起こされる。


「違う……全部……全部、わかってる」


 強いから立ち上がれるのだと思っていた。

 持っているものが多くあるから、前向きになれるのだと思っていた。



 間違っていた。



 大事にしたいものに、真剣に、本当に心から向き合えるか、どうか。

 それだけでしかないのだ。


 クレインはまとった黒いフードが目に入る。


 黄金都市に向かって歩く少年の刺繍。

 母の『オルレアンスを信じてる』という言葉。

 ルシウスの『託された』という言葉。



 ――母さん……そういうことか


 クレインは走る。


「……父さんッ!」


 父が手にしたものは、2つしかない。

 1枚の絵と1冊の本である。


「どうした、クレイン! 何かあったのか!?」


「これを貸してくださいッ!」


 半ば無理やり父の本をとる。

 父が、母の治療のために注ぎ込んだ研究の全てが、まとめられた本だ。

 転移の術式の専門書で、これ以上の書物はないだろう。


「な、何を言ってる! こんなときに! そっちは北部だ!」


「待ってるんです! 大事な人が!」


 走り出そうとするクレイン。

 その腕を、父が掴んだ。


「あの龍が見えないのか!? あちらに行けば、死ぬのだぞ!?」


「かもしれません」


「なら、なぜ行く!?」


「『待ってる』。それが大切な人の言葉……だからです」


「い、意味がわからない」


 父の手を振り払って、再び走り出そうとした。


「待て! 私を置いていくのか!?」


 かつてファグラのもとに向かうために、父を振り払った。

 己の目と耳を塞ぎ、父を置き去りにした選択は、逃げていただけなのかもしれない。


「なら、父さんも一緒にいきましょう」


 手を差し向けた。


「え……」


 父ラートスが困惑の表情を浮かべる。


「急げ、早く西部に戻らねば」


 離れたところから、馬車に乗ったディオンが声を上げる。

 周囲にいる西部の騎士たちも同じだ。


「ま、待ってください……殿下!」


「私はこんなところで死ぬべき存在ではない」


 ラートスの目は自然と、1枚の絵に向かった。

 妻が最も大事にしていた黄金都市の絵だ。


「それとも、アレが死んだ後、一族全員、あの龍の腹に収まるか? お前は、を設けてくれた。私が王となれば、約束通り、オルレアンスは西部の貴族となれるのだ」


「……話し合い。確かに、そう、お聞きしました。……では、なぜ、クレインは、息子は死にかけたのですか?」


「ルーシャルが勝手にやったことだ。それを裁くためにも早く王都に戻らなくては」


 ラートスの顔には、在り在りと書いてあった。

 一族の行く末を託せる相手と思えない、と。


 その顔を冷たい目でディオンが睨みつける。


「所詮、小利口な学者か。北部と共に破滅の道を選べばよい」


 辟易へきへきしたように、指示する。


「王都に戻るぞ。出せ」


 ディオン達は馬車と馬を走らせて、荒野へ消えていった。

 残されたのは、立ちすくむラートスと、オルレアンス一族たちだけだった。



 クレインが声を上げる。


「行きましょう。この地が我らオルレアンスの居るべき場所です」



 ◆ ◆ ◆



 2人は汗を滝のように流しながら、大槌おおつちを打ち続けている。


「芯材は折れてないわ。さすが最上級の魔槍、これなら形成と術式を整えれば、なんとかなる」


「……だが、魔力が足りない」


 形だけは槍らしくはなっているが、まだ成っていない。


「もともと作り方が違うから。魔槍はドワーフが与えた種を、人が幾星霜いくせいそうかけて磨き上げて出来るもの」


「わかっとる。だが、やらねば」


 もともと赤黒いはずの魔鋼が真っ赤に赫灼する。

 それを伸ばし、魔槍へと打ち付けていく。

 

 一度すべて溶かしてしまえば、魔槍に込められた術式が無へ帰してしまう。

 そのため、魔力を込めた髪と魔鋼を混ぜ、ついで、錬り込んでいくしかない。


 2人の魔力が少なくなり、意識が薄れ始めたとき、慌ただしい空気が漂った。


「何しに来たんだッ!」

「人間だッ!」

「帰ってよ、ここにはドワーフしかいかない!」


 広場へ、人間たちが、なだれ込んできたのだ。


 ダムールは失望に近いため息をついた。


 この急場においても、人間はドワーフを妨げるのか、と。

 さすがのダムールも怫然ふつぜんしそうだ。


「いい加減ッ!!」


 振り向いた先にいたのは、セイレーンに腕を掴まれたクレインと、見慣れぬ人たちが広場へ降り立つ姿。

 クレインに続くように、半人半鳥のセイレーンに掴まれた人間たち、次々に空から舞い降りてくる。


「ファグラ、長。戻って来ました」


「……クレイン!」


 ファグラが、瞳から流れたものを、汗ともにぬぐう。


「お前……戻ってきたのか。だが、もう遅い。出来ることは何もない」


 そして、再び、槌を叩き続ける。

 クレインは真っ赤になった槍を見て、状況を察する。


「まだ、あります。オルレアンスの研究の結晶を、その槍に詰め込んでください」


「無理だ。これはそこらの魔武具じゃねえ、今ある術式を維持するだけでも必死なのに、新しい術式なんか入れられるわけがねえ」


「お願いします。死霊をはらう術式です」


「死霊は魂だけの不滅の存在だ」


「魂のような観測不能なものではありません。死霊は奪われた記憶や人格、身体情報を、魔龍が自身の術式として組み込んでいるものだと思います」


「だったら、死霊じゃなく、あの魔龍をどうにかしねえとッ!」


「できます。魔龍が持つ術式から死霊騎士たちの記憶と人格の情報を剥離し、現世の別の存在へ転移させればいい。そうすれば死霊は蘇りません」


「そんな高度な術式……誰ができる」


「オルレアンスなら、できます。そのために研鑽けんさんを重ねてきた一族ですから」


「……ドワーフには人間が書く術式はわからん」


 クレインとダムールが睨み合った。


「それは私がやる、父さん」


 ファグラは、人の記述を知っている。

 クレインと幼い日に何度も何度もそれで遊び、親しんできたのだから。


 まっすぐファグラを見つめた。



「ファグラ、ごめん。遅れたけど、戻ってきたよ」


「遅いよ。どれだけ待たせるの」



 笑みを浮かべたファグラは、長く美しい赤黒い髪を自ら切り落とした。

 躊躇なく。


「うおぁああ」

「ファグラ……お前……」

「魔鋼ゴーレムが! もう!」


 赤黒の髪。それは、ドワーフ族にとって、これ以上ないほどの術式を組み込む素材である。


「…………好きにしろ」


 ダムールは再び大槌を振るう。


 すぐにクレインは鍛冶場の横にある広場の床に、持ち寄った道具で、魔法陣を書き始めた。

 ドワーフ族が作り出した、少しの隙間も無いほどに敷き詰められ、顔が映るほどに研磨された床である。


 床にかじりつくように、広場いっぱいに魔法陣を書いていく。

 父ラムートがまとめた資料をめくりながら手際良く、そして慎重に。


「……記憶、人格、身体情報をただの魔素情報に書き換えて、記憶と身体情報だけを別の器へ転移と固定する術式。本当に、これは可能なのかい?」


 グフェルが覗き込む。


「おそらく……お祖母ばあ様は、検算をお願いします」


「いいねぇ。わかったよ」


 グフェルが独り言を言いながら、1つ1つ指をさしていく。


 老婆をきっかけに、魔法陣を覗き込んだオルレアンスが1人、また1人と、魔法陣を書くために混ざっていった。


 すぐに、オルレアンス一族が、巨大な魔法陣を描くため、足の踏み場もないほどにひしめいた。


「おい、見えないぞ‼ 第4基底回路の回帰式はどうなってる?」

「誰か、こっちの演算を手伝って」

「間違えてるわよ。呼び出すのは、こっち!」

「だあぁ! もっとわかりやすい名前にしといてくれ! 紛らわしい」


 わけが分からないと呆然とするドワーフたち。


 そしてオルレアンスにあって、1人だけドワーフと同じ様子の男がいる。

 当主ラムートである。


「お、おい。クレイン。何が、どうなってる」


 うろうろと彷徨い、魔法陣の中心辺りで、かじりつくように床に書き込む息子クレインへと声を掛けた。


「黙ってて、父さん」


 今、クレインは構築する術式の核となる場所を、刻んでいる。

 広場一杯を使うほどの巨大な魔法陣にもかかわらず、細く複雑な線を何重にも引いていた。


「だが、これは何をやってる……オルレアンスは……どうしたというのだ?」


 その言葉をクレインは無視した。


 額には汗がにじんでいる。

 淀み無く進んでいたクレインの手が、ハタと止まる。


 ――分からない、どうすれば


 睨みつけるように周囲の回路を確認するが、やはり手は動かない。


「おい、クレイン! 皆も! 早く、逃げなくていいのか!?」


「父さんッ! 見て、わからないのッ!? 今、オルレアンスは、ドワーフは、魔龍をほふるための武器を作ってるんだッ!!」


 その場に居る全員が黙った。


 ドワーフも、オルレアンスも


 ダムールとファグラの魔鋼を叩く音だけが、リズミカルに響く。


 魔龍。人という存在がかなうとは思えない存在である。

 皆わかっているが、それでも何かが、突き動かした。


「お前の母さん……タニアは、そんな事を望んでいない」


 クレインは、立ち上がった。



「そんな事はありません。だって、ずっと蓄積してきた叡智があるじゃないですか。母さんはそれを信じている」


「研究や知識なんてなんの価値もない! 誰も、誰も救いや――」


「母さんはずっと信じてた! 父さんの可能性を」


「わかってるッ!! だがッ!! 私は救えなかった……裏切ったんだよ、私は……」


「違うよ。ルシウスさんに言われて、わかったんだ」


 ラートスがクレインを見る。


『俺は、家族に、領民に思いを託されたから、ただ真剣に応えたいんです』


 そうルシウスは言った。

 家族に思いを託し、託されるのは、何もルシウスだけではない。

 あらゆる貴族が、人が、行ってきたことである。


「母さんは自分の命が助かることじゃなくて、治療の過程で培った知恵が、オルレアンスが作る未来に繋がることを信じてた」


「……違う、そんなはずはない」


「違わない。だから、このローブに刻んだんだよ。いつの日か、遠い子孫の誰かが、故郷に帰れることを託して」


 クレインは自分が着た黒いローブの刺繍を指した。


 そこには『オルレアンスを信じている』という文字が刻まれている。

 黄金都市へと向かう青年と共に。


「タニア」


 ラートスは膝から崩れ落ちる。


「僕はもう大切な人の言葉から逃げない。父さんも、母さんも、ファグラも、オルレアンスも」


「だが、クレイン……もし失敗したら……」


 クレインは首を振る。



「今回のことが失敗しても、積み重ねられた技術は、知識は、経験は、次の世代に繋がっていくよ。託されるように」


 クレインは、怯えるオルレアンスの子供たちを見つめた。

 そして息を吸い込み、己の覚悟と共に宣言する。



「だから、今やるんだ」



 クレインはそう言って再び、魔法陣へと目をやった。



 そんな中、1人のドワーフが歩き始める。

 ナイフを引き抜きながら。


 ただならぬ雰囲気に、隣にいたドワーフが声をかける。


「おい、何するつもりだ?」


「ドワーフが……やらんわけにはいかんだろう」


 伸ばした髪を切った。

 そして、鍛冶場で魔力を使い果たして、なお、朦朧と槍を精錬し続けるダムールへ髪の毛を差し出す。


「長、あんたが賭けるなら、人間たちがすべてを出し切るなら、俺は構わねえ。使ってくれ」


「……いいのか。当分、ゴーレムを作れなくなるぞ」


「かまわねえよ。魔龍を倒すんだろ? あのルシウスって奴が」


 その様子を見ていた他のドワーフたちも一斉に駆け寄った。


「俺のも使えッ!」

「長! 私のも!」

「必ず成功させてくれ、ダムール!」


 次々とダムールの横に積まれていく、大量の髪の毛。

 ドワーフが溜め込んできた大量の魔力が、一族の願いが、込められている。


 ダムールは一礼し、髪の毛を掴む。

 それを真っ赤に赫灼する槍へ、魔鋼とともにべた。

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