第91話 竜騎士団
魔法陣を食い入るように見つめるクレイン。
「わからない」
今、書いている部分こそが、死霊を祓う術式の核に当たる。
記憶や身体情報を別の器へ転移させるための機構である。固定された情報や物を転移させるだけであれば、容易だ。
だが、記憶や身体情報などは一人一人違う。膨大な情報の違いを許容しつつ、一片の漏れも欠けもなく転移させる。その方法がわからないのだ。
「何か、何かを見落としてるはず」
父の専門書のページをめくった時、クレインの顔の横に、誰かが現れた。
「ここは……私が書く。多変量の転移は、これでは駄目だ。このあたりは全部書き直しだ」
当主ラートスだ。
「父さん……」
「転移させる情報が本体で、抜き取られる側を考慮しなくていいのだ。タニアの体から病巣を取り除く術式より、全く容易い」
そう言って、ラートスがインク消しようのアルコールを垂らして、魔法陣を消した。
そしてペンを一気に走らせる。
その顔は、研究に没頭していた、かつての父のまま。
「……なあ、クレイン。私は、やり直せると思うか。オルレアンスの1人として、お前の……父親として」
クレインは笑った。
「当たり前でしょ、父さんがオルレアンス家の当主なんだから」
静寂とは程遠い雑音の中、皆が、目の前の事象のみに集中していく。
丁寧に、慎重に。
そして、その技巧が、知識が、圧倒的なものとして、それぞれの形を成した。
「「できた」」
クレインとダムールの言葉が重なる。
出来上がった、魔法陣は広場を覆い尽くすほどに巨大。
魔法陣は何度も検算し、何度も見直した。
オルレアンス総出で、だ。間違いはない。
そして、魔槍。
近寄るだけで切り刻まれそうな危うさと恐ろしさを持ちながら、同時に吸い込まれそうな妖艶さを放つ。
一級品であることは誰の目にも明らか。
クレインが、目で合図をすると、ファグラが炉から離れる。
そして少女が、巨大な魔法陣の上を歩きはじめた。
何周も何周も。
1つ1つを読み解きながら、
ドワーフが知覚する術式は学問というより形象に近い。
頭の中で無数のパターンを導き出し、再構築し、触れることが出来そうなほどに強固にイメージを形作るまで、何度も刷り込むのだ。
術式が複雑であればある程、ほんの少しの違いが全く別の結果を生む。
故に間違えてはいけない。1つたりとも。
魔法陣を20周ほどしたファグラが、円を外れ、鍛冶場へと歩く。
目を閉じたまま。
頭の中に出来た形を、視覚で壊したくないのだろう。
広場にいる誰もが、ファグラを見守った。
一切の音も出さぬように。
何も見ず、何も聞かず、ファグラも自身が切り落とした髪を掴み、一心不乱に赤熱する槍へ打ち込んでいく。
余す所なくすべての空気には、緊張が張り付いていた。
術式の追加は、上書きに近い行為であり、もし些細な失敗でもしようものならば、もともとあった槍の術式は壊れ、二度と戻らない。
ファグラが
複雑な文様が、槍の表面に一瞬、フッと浮かぶと、溶け込むように消えていく。
「ファグラ」
クレインは思わず名を呼んでいた。
同じ場所に住んでいた2つの一族が、違う場所へ移り住み、各々400年もの間、蓄積してきたものが、形を成した。
そして、今、1つとなった。
ファグラから安堵の声がこぼれる。
「成った……」
一気に歓声が上がる。
同時に、ダムールが立ち上がり、井戸から組んだ水を槍へぶち撒けた。
一気に水蒸気が巻き上がる。
刃の焼入れではない。魔鋼で作られた最上級の魔槍は、精錬された時点で最高の硬度と粘りを合わせ持っている。
ただ温度を下げただけだ。
これから手にするであろうルシウスが、すぐに持てるように。
魔槍は、魔鋼に似た赤黒い鈍色で、刀身だけでも人の胴体を、全体では男数人分ほどに長大だ。
刃には鮫の刃のような大きな返しが付いており、突き刺した刃が抜けぬような形状だ。
その刀身をダムールが持ち、光にかざした。
みるみる目が厳しいものとなっていく。
そして、地面へと叩きつけたのだ。
「くそったれがッッッ!!!!」
皆の顔がひきつった。
「……もしかして……失敗、したのか」
ラートスがつぶやく。
「失敗も何もねえッ!
ダムールが崩れ落ちると同時に、ドワーフたちも力なく座り込んでいく。
「裏返る?」
クレインの言葉に、疲れ切ったファグラが答えた。
「魔武具は、力を引き出し過ぎると術式が暴走して、人を魔に
元の所有者は魔槍の力を引き出しすぎた結果、戻れなくなったのだろう、人へ。
だから、亡霊の中に、魔槍の所有者が居なかった。
ドワーフもオルレアンスも、皆、うつむいた。
武器は完成せず、魔龍は倒せず、ここの居る全員の命も風前の灯火である。
意気消沈する中、クレインは1人だけ、ブツブツと何かを言っている。
「裏返る……術式の暴走……汎用型自己学習回路……もしかして……あぁ、そういうことかッ!」
床に転がった大槍を両手で抱えた。
「何を……するの?」
「当然、ルシウスさんの所へ持っていくんですよ」
「聞いてなかったの!? その武器は呪われてるの! 魔力を流した途端、持ち主へ襲いかかるわッ!」
「何の問題もありません」
クレインは笑う。
「だって、蚩尤は、呪われた魔武具を食べる魔物ですから」
「呪われた武具を……食べる?」
「説明している時間はありません。急がないと」
「クレイン!」
2人の目が合う。
「ファグラ、大丈夫。もう大切な人の言葉は、二度と破らないと決めました」
クレインは全力で走り出した。
◆ ◆ ◆
「はぁはぁはぁ」
ルシウスは死霊たちと終わりのない戦いを繰り広げていた。
辺りは、もはや雪景色となっており、白銀の世界と化している。
斬っても斬っても再び蘇る。
まるで雪でも斬っているかのようだ。
――亡霊たちをなんかとしないと
ルシウスから、やや離れた場所で、爆音が響き渡る。
邪竜と魔龍が、ブレスをぶつけ合っているのだ。
旧都ブルギアから外に出た魔龍と、邪竜の戦いは激しさを増すばかり。
凍りついた岩山が、邪竜の炎のブレスで急速に加熱され、内部から破裂し、凄まじい音がこだまする。
地形すら変えながら戦う2体の竜。
それでも決着はつかない。
「殺してくれッ」
「おのれ、恨むぞ、魔龍」
「痛い、寒い。もう戦いたくない……」
亡霊たちの呪詛を聞きながら戦い続ける中、突如、怨嗟ではない言葉が戦場を駆け抜けた。
「ルシウスさん!」
見知った声である。
振り返るとセイレーンに掴まれた、クレインが飛んできている。
巨大な槍を抱えて。
――クレインさん……
セイレーンは戦闘向きの式ではない。
「来ちゃ駄目だッ!」
ルシウスの声も虚しく、一斉にクレインの周りに竜騎士たちが張り付いた。
それでもクレインとセイレーンは止まらない。
亡霊は、もはや術式に吸い寄せられるだけではなく、蘇った魔龍に害を成すものを、無作為で襲い続ける存在と化していた。
すぐに駆けつけようとしたルシウスへと、竜騎士たちがまとわりつく。
「離せッ!!」
竜騎士達が、クレインへと槍を構えた。
気がついていないわけではない。
だが、それでもクレインは向かい続ける。
その目にはルシウスしか写っていないのだ。
槍が一斉に振るわれクレインを突き刺そうとした時、何かが降り注ぐ。
大粒の氷でも降ってきたかと思った。
だが、違う。
無数の満月が、空から降り沿いだのだ。
だが、それが何であるかは、すぐに理解できた。
前見たときより、かなり威力は弱い。
それでも、月の刃は、クレインへと群がる竜騎士を切り裂いた。
「ルーシャル……殿下……」
周囲を見回したが、人影は見えない。
見回した中で、1つだけ空間の道がある。
ルシウスとクレインをつなぐ線が開いたのだ。
「ルシウスさん、魔槍ですッ! これを受け取ってくださいッ!」
そう言って空からクレインが魔槍を投げた。
「魔槍……」
それが何であるか、ルシウスは知らない。
だが、よく知る存在がここに居た。
一時的に、蚩尤がルシウスから、制御権を強制的に奪う。
棒立ちとなる蚩尤へ槍が、弧を描きながら、向かっていく。
それでも蚩尤は、微動だにしない。
「早く受け取って!」
とは言われても、体は蚩尤の制御下にあるのだ。
そもそも逆らうつもりもない。
蚩尤がここまでするのであれば、行動には意味があるのだと、確信に近いものがある。
一直線に向かってくる魔槍を見据える。
そして、そのまま槍が鉄板を貫いた。
ひし形に似た浮遊する鉄板だ。
6枚あるうちの1枚であり、何の魔武具も宿していない空のもの。
――確か、宝剣のときも
始めて蚩尤と対峙したとき、宝剣で鉄板の一枚を貫いた。
そして、宝剣がコピーされた。
「……これで魔槍も模倣できたのか」
鉄板から魔槍を、抜き取る。
ルシウスの言葉に答えないまま、蚩尤は、槍を軽く、真上へ放り投げた。
蚩尤は右手に持った光る宝剣を構える。
くるくると回りながら降りてくる槍を、縦に一刀両断した。
「「えッ」」
ルシウスとクレインの抜けた声が重なる。
2つとなり、地面へと落ちた魔槍は、急速に崩れ落ち、錆びた鉄くずと土とが混ざった何かになった。
次の瞬間、魔槍から溢れ出た膨大な魔力と術式が蚩尤へと流れ込む。
蚩尤が歓喜し、これ以上無いほどの魔力の充足を感じる。
――力が……
気がつくと、蚩尤の鎧にあったヒビやサビが、ほとんど消えていた。
槍の色が混ざったのか、黒い鎧に緋色が混ざり少し赤黒くなっている。
膨大な魔力と新たな力を内に感じる。
「魔槍」
すぐさま、先ほど貫かれた鉄板を魔槍へと姿を変えた。
長大な刀身には、大きな返しが付いており、稲妻を
その
魔力に似た熱い何かが流れ込んでくるかのようだ。
蚩尤は、
剛弓から放たれた矢のように
――当たる
そう確信した瞬間。
狙いすまされた白刃は、邪竜と戦う魔龍の胸へと、吸い込まれていった。
魔龍が、硬直した後、不自然に体をくねらせた。
間を置いて、魔龍の体のいたるところから、無数の槍が突き出してきたのだ。
魔龍の全身から血が吹き出す。
魔龍の体から数十、数百という槍が生えているようだ。
尚も増え続ける槍が、周囲の岩山や亡霊まで巻き込みながら、すべてを貫いた。
「何だ……あれ……」
あっけに取られるルシウスをよそに、事態は刻一刻と進み続ける。
蚩尤は、すぐに影から鎧兵を呼び出した。
邪竜もそれに呼応するかのように、血を竜騎士たちへと振りまき、ブラッドワイバーンを造る。
「術式の竜騎士が武器を……むしり取っていく」
ワイバーンに乗った鎧兵たちが、魔龍から突き出た槍を、力任せに引き抜いていくのだ。我先に武器を掴み取るように。
そして、投げたはずの槍が突如、蚩尤の右手へと現れた。
生成しなおしたのではない。
――転移で、手元まで戻って来るのか
体中から血を吹き出した魔龍が、雄叫びをあげた。
同時、竜騎士の亡霊たちが蘇り、空を覆うほどの数で襲いかかる。
蚩尤がルシウスへと制御権を返す。
――これからは俺でやれってことか
剣を鉄板へと戻し、槍を強く握る。
「クレインさん、離れてて」
「はい。あとは任せます」
ルシウスは大きく頷くと、槍を手にしたまま、全速力で駆け出した。
今再び、術式で作り出した竜騎士と、竜騎士の亡霊が、対峙する。
そして、当たり前のように激突した。
何度と無く見た光景である。
今までとは、違う点が1つ。
鎧兵たちは皆、魔槍を握っている。
これ以上無い武器を手にしたことで、術式の竜騎士は善戦している。
しかし、それだけではない。
術式の竜騎士が、亡霊へと、その魔槍を突き刺す。
すると騎士の亡霊が一瞬で崩れ去り、刺さった槍に、何かが走り、鎧兵とブラッドワイバーンへと流れ込んでいくのだ。
奇妙なことが起こり始めた。
「亡霊が……復活しない」
代わり、術式で作られた竜騎士たちの冴えが、如実に増していく。
同時、感じるのは少しの痛み。
ルシウス自身のではない。
蚩尤と邪竜の術式が拡張されていくのだ。
全ての細胞、魔石に刻まれた造兵と血脈竜の術式に、何かが、次々と組み込まれていく。
膨大な何かが。
――クレインさん……がやってくれたんだ
死霊の対処をお願いしたのは、ルシウス本人。
そして、クレインが魔槍を持ってきてくれた。
確信する。この槍こそが魔龍と死霊を打ち破るためのものである、と。
亡霊が、半数を下回ったとき、一気に状況が傾いた。
さしたる時間も経たず、すべての亡霊たちが空から消えさったのだ。
固く槍を握りしめる。
「何か来る」
ルシウスが見上げた空に無数の影が目に飛び込んだ。
1000を超える術式で作られた竜騎士たちだ。
竜騎士たちは、隊列を成しており、その動き全てが洗練されている。
それらが次々と、ルシウスの前へと下り立った。
ずらりと鎧兵と亜竜が両脇に整列し、一本の道を作る。
一糸乱れぬ動きである。
またがる亜竜達も先程とは違う。
邪竜が作り出したブラッドワイバーンなのだが、皆、何かが、混じっている。
青が、黄が、緑が、黒が、白が、体色に加わっているのだ。
道の先に、2体の竜騎士が降り立った。
操り人形のようだった鎧兵とは似ても似つかない。
その歩き、身のこなし、威風。
――団長と副団長
2人は赤と青が交ざったブラッドワイバーンを降り、ルシウスの前まで歩いてくると、槍を横へ起き、膝をついて叩頭する。
言葉はない。
それでも、蚩尤を通じて、明確な意識が伝わった。
苦しみから解き放ってくれた感謝。
どういうことかわからないが、亡霊たちが消え、ルシウスの術式である鎧兵と亜竜に宿っている。
ルシウスは鎧兵に宿った竜騎士達へと声を掛けた。
「今、一度」
一団が、カシャッと音をたて、ルシウスへと向く。
「この地を守るため……いや、奪還するために。力を貸してほしい!」
槍の
言葉にならない声が聞こえる気がする。
『『『竜に刃を、人に翼』』』
かつて、この地に
ルシウスの、真上に影が差す。
邪竜だ。
「行くぞ」
3つ首の邪竜が横切る際に、飛び乗った。
続くように、一斉に竜騎士たちが飛翔する。
ルシウスを中心に、竜騎士達が翼の如く布陣する。
それは一体の巨大な竜にも思えた。
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