第92話 魔槍
邪竜に騎乗するルシウスの周囲を、竜騎士たちが小隊を組み、息を合わせて飛んでいる。
視線の先には、威嚇する魔龍。
青白い巨大な龍が、骨のような翼を広げていた。
つい先程、数千の魔槍が内部から全身を貫いたにもかかわらず、すでに傷一つない。
邪竜の超回復と似たような能力を保持しているのだろう。
ルシウスと魔龍がにらみ合い、視線が交わる。
「お前は、ただ存在しただけだ。許されない存在ではない」
魔物は人を襲い、時として命を奪い、肉を食らう。
また人を繁殖の器とする種もいる。
しかし、だからと言って存在そのものが邪悪なわけではない。
この国は魔物を、己の半身とすることで、文明を作り上げた。
奪いもすれば、与えもする。
魔物はある意味で、自然そのものと言って良い。
「俺は、お前の存在も受け入れる。シルバーウッドの奥底で、静かに暮らすのであれば案内する、森の奥へ」
魔槍をかざす。
魔龍が唸り声をあげ、冷気のブレスが放たれる。
邪竜が対抗するように竜炎のブレスを、白いブレスへと衝突させた。
白と赤の暴力の塊が拮抗する。
焦熱より融解した地面が、極冷温に晒され一瞬で凝固する。
また再び熱せられ、急速な膨張に耐えきれず地面が破裂するように爆発した。
「……それが答えか」
ルシウスの判断を待っていた、竜騎士たちが一斉に翔け出す。
最上級の亜竜に、最上級の魔槍を手にした、凄腕の竜騎士たちである。
魔龍のブレスを巧みにかい
その度、魔龍の体中から無数の槍が生える。
たちどころに魔龍の体は、
魔龍が
「ギュイィィッッ!!!!」
魔龍が空気を劈くような咆哮をあげた。
――何だ
冷気が辺りを覆ったかと思うと、猛吹雪が起こる。
ブルギアだけではなく、ドワーフたちの村や荒地全土、そしてシルバーウッドまで及ぶほどの吹雪である。
中心にいるのは魔龍。
舞う雪はただの雪ではないようだ。
自身へと降り積もった雪が、溶けると同時に、生命の熱を奪うように感じる。
――生命力と魔力を吸ってる
見回すと、魔龍へと流れこむ膨大な魔力と生命力のうねりがある。
ルシウスだけではない。ドワーフやオルレアンス、そして、シルバーウッドやこの地に棲む魔物や生物たちから奪い取っているのだろう。
あらゆる生命に敵対する意志の表れか。あるいは
「竜騎士たちが……」
魔力だけの存在である竜騎士たちが、一瞬、
攻撃の手が緩んだ
そして、今までよりも強く激しいを白いブレスを、魔龍の吐き出す。
騎士たちの何割かが吹雪とブレスにより、
茨ごと、辺りが一面が凍りつき、氷細工と化した魔槍の茨がパリパリと音を立てて、崩れ去る。
雪の中、姿を現したのは完全な形をした魔龍。
――奪った魔力を使って、自身を強化したのか
ルシウスも前線へ加わろうとしたとき、2体の竜騎士がそれを止めるように舞い降りた。
団長と副団長だ。
2人を中心に、竜騎士たちが崩れた陣形を再び整え、そして再び竜騎士が魔龍へと一斉に向かう。
まるで、魔龍をここに食い止める、そう言っているかのようだ。
「……分かりました」
竜騎士たちは己の役目を果たそうとしていた。死して、なお。
ならば、ルシウスも己の役目を果たすのみ。
魔龍と違い、こちらの魔力は無尽蔵ではない。
すでに長く戦ったルシウスに残された魔力は少ない。
魔龍の力を抑え、強力な一撃を叩き込む必要がある。
邪竜が一気に空を駆け昇る。
すぐさま空を覆い、吹雪を起こす雲へと突っ込んだ。
日が遮られ、灰色一色の世界の中で、すぐさま命じる。
「邪竜。
ほとんど使ったことのない術式を邪竜に発動させた。
邪竜の
離れた岩山の上からクレインは見ていた。
邪竜が消えていった空と、尚も続く竜騎士たちと魔龍の戦いを。
岩山ごと貫く、竜騎士たちの槍。
無数の、多種多様な亜竜たちのブレス。
そして全てを凍りつかせる魔龍。
だが、それも視界の限界か。
空間を埋め尽くすように、深々と雪が舞い、降り注いでいる。
魔龍の咆哮の後に降り始めた、雪が視界を覆い隠していくのだ。
「クレイン!」
振り返ると、そこにいたのはファグラ。
そして、他のドワーフや若いオルレアンスも一緒だ。
皆、頭や肩に、雪を積もらせていた。
「ファグラ、ここは危ない」
ファグラは、首を振った。
短くなった髪に積もった雪が流れ落ちる。
「地下にいても変わらない。もう安全な場所なんか無いわ」
さきほどから、魔力や、体のうちにある活力を奪われ続けている。
岩山まで這い上がってきたものの、すでに立つ気力もなく、地に座り込んでいる者もいるほどだ。
おそらく屋根がある場所に逃げても変わらないだろう。
もともと生命の少ないこの土地。
その多くが、魔龍の吹雪に死に絶えるだろう。
死の大地と成り果てる。
戦いの結果によらずとも、もはやオルレアンスもドワーフも住める場所ではなくなるかもしれない。
「……悲しいことです」
ファグラの背後にいる、ドワーフやオルレアンスたちへと目をやる。
ここに来ていない人も多そうだ。
「他の人達は?」
「父さんは疲れ切って、広場で倒れてるよ。体が動かない者たちに代わって、見てきてくれって。この戦いは誰かが見届けて、後世に伝えるべきもの、だってさ」
クレインはその通りだと思った。
この戦いが、歴史の転換点であることは、もはや疑う余地がない。
オルレアンスやドワーフたちが、無理をしてここまで来たのも、見届けるためだ。
「そうですね」
クレインが再び視線を前へと向ける。
すると、雪ではない何かが
――雨だ
雪に、温かい、いや熱い雨が混ざり始めた。
雪とは反対に、微かだが活力を与えてくれるように思う。
その雨には心当たりがあった。
かつて東部にいた特級の魔物、應龍が使ったと記録されている術式。
すべてを飲み込む激流でありながら、生命を息吹かせ、花を咲かせ、治癒力を向上させる太古の水でもある。
「命脈水の……雨……ルシウスさんだ」
魔龍の吹雪に対抗するために術式を発動させたのだろう。
ポツリポツリと降り始めた雨が、大雨に、
温かい雨が雪を溶かし流し、一気に草を茂らせた。
荒れた茶色一色だった大地が、青く萌えていく。
逆に、降り積もる雪が草から命を奪い、凍りつかせる。
まるで生と死のせめぎ合いを目にしているかのようだ。
クレインの横に並んだファグラは震えていた。
いつかの大岩での雨と違い、この雨は温かい。寒いわけではないだろう。
クレインはファグラの手を握る。
「大丈夫、今度は一緒にいるから」
「……うん、知ってる」
ファグラが強く握り返した。
その頃、ルシウスは、はるか上空にいた。
「雲の外へ……出る」
ルシウスと邪竜は雲を突き抜けた。
そこは、どこまで水平線が続く、青く美しい世界。
同時に冷たい世界でもある。
ルシウスは見下ろした。
――渦だ
台風の目のように、分厚い雲が渦巻いている。
そして、その中心に、青白い魔龍が居た。
竜騎士たちと激闘を繰り広げながら、ルシウスを睨みつけている。
「……先に行け、邪竜」
雪嵐の中心にいる魔龍の上空で、ルシウスを空に置き去りにしたまま、邪竜が一直線に真下へと急降下する。
翼を折りたたみ、真下へと落下しながら、邪竜は3つの口を、大きく開いた。
そして、真上から3本のブレスを放つ。
流星のように降り注いだ竜炎と圧黒のブレスが、魔龍を貫く。
だが、それも一瞬。
周囲から奪った魔力と生命力を元に、たちどころに戻っていく。
まさに不滅の龍。
邪竜は、愉悦の中、叫び声をあげた。
天にまで届く咆哮が鳴り響く。
すると、魔龍から粒子が飛散し、始めたのだ。
邪竜が大きく開けた口へと、その粒子が次々と吸い込まれていく。
まるで魔龍が奪ってきた生命力を、今度は邪竜が、根こそぎ喰らい尽くすかのように。
生命力を奪いながら再生し続ける魔龍の体を、徐々に蝕んでいく。
邪竜の咆哮には、歓喜と闘争心が入り乱れていた。
同じく、魔龍の闘争心も高まり続けている。
生態系の頂点にある己が、敗北など認めるわけにはいかないとばかりに。
魔龍は、降下してきた邪竜へと喰いかかった。
巨大な竜の牙が、邪竜の腕へ突き刺さる。
邪竜も3つの首で同じく魔龍へと喰らいつく。
2体の巨竜が硬直した。
その時、上空から声が響く。
「終わりだッ!」
はるか上空から豪速で落下する蚩尤が、大身槍を振りかぶっていたのだ。
魔龍はすぐさま牙を離し、ルシウスを迎え撃とうと、冷気のブレスを放つ。
それでもルシウスは止まらない。
はるか空から落下する速度と、力を増した蚩尤の
魔槍の斬撃と、雪白のブレスが上空で激突した。
結果は一瞬で明白となった。
白いブレスが赤黒い槍により、斬り裂かれたのだ。
2本の筋となって分かれるブレスが、急速に短くなっていく。
瞬く間に、ルシウスと魔龍が肉薄した。
そして、そのまま。
魔龍を、縦に切り裂いた。
ルシウスが地面へと激突すると、爆音が鳴り響き、至高の槍が繰り出す斬撃の余波と共に、雪を弾き飛ばす。
後には、真っ二つに分かれた魔龍と、尚も喰らいつく邪竜。
魔龍が、引き裂かれたにもかかわらず、断末魔の叫び声を上げ続ける。
それも次第に小さくなり、最後には粒子となって、邪竜の腹へ収まっていった。
一切を残さず。
◆ ◆ ◆
「た、おした、だと」
ディオンが遠く離れた岩山の上から、消えゆく魔龍の姿を見ていた。
いや、その一連のすべてを見ていた。
「何故だ。あれだけ不利だったはずだ」
得体の知れないものを見てしまったときの不快感と焦燥感を露わにして。
「何が……何が起きたのだ? 誰か説明しろッ!」
家臣の1人が進み出る。
「あの槍が原因かと思われます。おそらくですが、魔槍の一振りかと」
「あの槍が……魔槍……だと」
ディオンは爪が刺さりそうなほど固く拳を握る。
そして、もう一方の手で握りしめた魔剣を睨んだ。
「偶然、手に入れたただの道具が、奴を勝たせたのか! 忌々しいッ!」
団長が所持していた赤い魔剣を地面へと叩きつけた。
「……ディオン様。その魔剣は、権威の象徴として持ち帰らねばなりません。ウェシテ公からのご命令でもあります」
「そんな事は、わかっているッ! これは誰か持てッ!」
ディオンは落ちた剣を睨みつけながら、振り返った。
そして、抑えきれないほどの
◆ ◆ ◆
ダムールは1人、雪と雨が降り注ぐ広場で、仰向けになっていた。
見上げる空は曇天。
先程から魔力と魔力の激しいぶつかり合いが続いていた。
もはや人知が及ぶ戦いではない。
「勝てると思うかい」
話しかけてきたのは人間の老婆だ。名は確かグフェル。
老婆がまだ若い頃に、何度か目にしたことがある。
自分より遥かに歳下だろうが、まったく気後れした様子がない。
「さあな」
「随分と薄情じゃないかい」
力は出し切った。一片も余すこと無く。
そして、それを託した。
「やれることはやった。あんたも、そうだろう」
「まあ、そうさね」
結果がどう出るかは、さほど重要ではないと思う。
おそらく、これが生きるということなのだろう。
そんな時に送る言葉は、いつだってシンプルだ。
「頑張れよ、
直後、地響きが響き渡った。
続いたのは、全てを飲み込みそうな竜の叫び声。
終わった。そう感じた。
叫び声の主は邪竜か、それとも魔龍か。
そして、暖かい風が駆け抜けた。
青々しい若草の香りと共に。
空を覆い尽くしていた薄暗い雲が、突風に吹かれて、一気に消え去る。
村の広場に
ダムールは1人、大笑いする。
その
「ははっ! ずいぶんと光が届くじゃねえか! こんな穴蔵によぉ」
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