第83話 満月

 空の上で、相対するルシウスと竜騎士団。

 邪竜と蚩尤を顕現させたルシウスを、腐り落ちたはずの眼球が、睨みつけている。


 副団長が、離れた所で刺突剣を構える。

 明らかに間合いの外だ。


 副団長が空をつんざくような鋭い突きを繰り出す。


 ――伸びたッ!?


 亜竜にまたがった副団長の刺突剣が、数十メートルほど一気に延びたのだ。

 盾を構える暇もなく、剣で撥除はねのけるしかない。


 距離を埋めるため邪竜を羽ばたかせたが、剣の中程まで詰め寄ったとき、副団長の刺突剣は一瞬で元へ戻る。

 そして、再度、延伸する突きを放たれた。


「そう何度も通じるかッ」


 鋭い突きを盾で受ける。

 弾けるような甲高い音が響いた時、邪竜に乗ったルシウスの右側から、一斉に槍が放たれた。


 5体ほどの竜騎士たちだ。


 ――いつの間に!?


 副団長に気を取られすぎた。既に盾を構える間もなく、避ける事ができない。

 全身を硬直させ、衝撃に備える。身に纏う蚩尤なら耐えられるはず、と


 その時。

 魔力の奔流が、下から立ち昇る。


 直後、赤いウミヘビが、目の前を通りすぎた。

 竜騎士たちが、ディオンの式に貫かれ、消し飛んだ。


「忘れてもらっては困るな」


 ディオンの手には赤い大剣が握られている。

 回収してくれたのだろう。


「また来るよ!」


 ルーシャルの声に、前方を向くと、副団長と竜騎士達の襲いかかる姿が視界に飛び込んだ。

 逆V字型の雁行がんこうを編成しており、最前に副団長が魔剣を構えている。


「ルシウスくん、避けて!」


 ルーシャルの術式が再び展開され、白く光る丸い刃が、辺りを一瞬で埋め尽くす。

 とっさに、ルシウスは邪竜を背後に下がらせる。


 反応が遅れた副団長たちが、浮遊する刃の海へと飛び込む形となり、編成が瓦解した。


 ――なんか……やり易い


 援護射撃や支援弾幕があるだけで、相対する敵の数は減り、接近戦の仕切り直しもやりやすい。


 今まで、ほとんどの戦闘を1人で行ってきた。

 他の式との連携というのが、これほど効率的とは思わなかった。


 機動力のある北部の式、騎獣。

 接近戦を得意とする東部の式、白妖。

 広範囲支援を行える南部の式、詠霊。

 遠距離攻撃に特化した西部の式、砲魔。


 それぞれが長所を活かし、短所を埋め合う。

 本来、式というものは、そういうものなのかもしれない。


「助かりました!」


「今は眼の前に、集中しろ」


 ディオンの言葉通り、1体だけ、丸い刃を避けながら近づいてくる影がある。

 網の目をう、電光石火のように疾く。


 副団長だ。


 時折、青い光が駆け抜ける。

 副団長の騎乗する青い亜竜が稲妻をまとっているのだ。


 雷光が、いやにまぶしい。


 ――日が落ちてたのか


 宵闇から闇夜へと進み、既の丸い月が昇っている。十六夜いざよいのためか、満月が明るく、気が付かなかった。

 しかし、これだけ明るければ、戦いに支障はない。


 再びルシウスは剣を強く握りしめる。


「来いッ!」


 直後、ガキッという金属がぶつかり合う音が響いた。

 ルシウスの剣と、副団長の刺突剣が、再び切り結ぶ。


 切り結んだまま、宝剣へと魔力を流し、光をまとわせる。

 宝剣の刃を捻り、真っ直ぐな刀身の上に、光る刃を疾走はしらせた。


「魔剣は貰い受けますッ」


 光を帯びた剣が副団長を切り裂こうとした時。



 突然、青白い光が駆け抜けた。


 眼の前にいた副団長の亡霊が、何かに引き裂かれたのだ。

 副団長が陽炎のように消え去る。


「何だッ!?」


 振り向く間もなく、痛烈な衝撃が走った。

 背中を巨大な刃で切られたと直感する。


 ――痛ッ


 一瞬の間をおいて、猛烈な痛みが、い上がってくる。


 混乱の中、痛みを頭の隅へと追いやり、無理やり体をねじった。



「何だ……これ」



 無数の満月が空を覆っていたのだ。

 空を埋め尽くすほど、数百、数千の月が、黒い天空に漂っている。


 均質な円のなか、1つだけ混ざった異質があぶり出され、否が応でも目がいく。


 身一つで、空に漂い笑みを浮かべてる少女だ。


「ごめんね。南部の特級魔術師って、私なの」


 ルーシャルである。

 冷たい笑いで、先程までのニヤけた彼女と同一人物だとは思えない。


「ルーシャル、殿下……?」


 状況に頭が追いつかない。


「ねえ、ルシウスくん。南部に絶対の忠誠を誓える? そうしてくれるなら、さっきまでの喜劇を続けてあげる」


 理解しがたい状況であるが、意図だけは如実に伝わった。


 脅しである。


 だが、背後から刃を突きつけるような相手に、忠誠を誓えるわけがない。

 誓いたくもない。


「……お断りします」


「そう……、残念。バイバイ」


 手を小さく振るルーシャル。


 途端、空を覆う、満月の刃が一斉に轟音を立てて、降り注ぎ始めた。


 空が崩れ落ちたかのような、流星の嵐が迫る。


 その1つ1つが、竜騎士を一撃で切り裂くほどの刃でもある。

 周囲にいた竜騎士たちも斬り裂かれ、霧散するように消失していく。


 次に鳴り響いたの耳を覆いたくなるほどの爆音。

 着地した丸い刃が、大地を裂き、岩山を切り崩す。


 ――来るッ!!


 すぐに、蚩尤をまとったルシウスにも馬鹿らしいほどの月の刃が降り注いだ。


 構えた盾で無数の刃を受けると、大粒のひょうに晒された鉄板の様な音が鳴り響く。

 同時、盾で防げなかった鎧へも、数多の刃を受け、斬り裂かれていく蚩尤しゆう


 瞬く間に刃が、騎乗した邪竜へも降り注いだ。


 邪竜も刃大量に浴びて、おびただしい血が流れ出した。


「グオォォオオッッ!!」


 邪竜が叫び声をあげる。


 魔核を通じて、流れ込む感情。

 傷つけられた怒り、無情な戦いに対する悲しみ。

 そして、強者を見つけたことに対する歓喜。


 邪竜は超再生のおかげか、斬り裂かれるそばから傷が塞がっていく。


「満月状態の月刃を受けても、回復しちゃうんだ。……私のラーヴァナも驚いてる」


 更に魔力が膨れ上がる。


「でも……後ろのオルレアンスはどうかしら?」


 冷たい声だ。

 背後には岩陰に隠れたまま、訳がわからず硬直したクレインがいる。


「クレインさんまで巻き込む気ですかッ!?」


 ルシウスは唇を強く噛んだ。考えればわかったことだ。

 四大貴族の後継者が、護衛も連れずに危険な場所へついてくる。たとえ、それが広報活動であったとしても、状況に無理がある。


 つまり、有事でも十分対処できる戦力があると、現当主たちが認めていたということ。


 それが3級と言われれば、疑問を持つべきだった。虚実を混ぜ、様々な話を振ることで完全に煙に巻かれ、考えが及ばなかった。


 膨大な数の満月のように丸い刃が、更に降り注ぐ。


「クソッ! 邪竜ッ!!」


 邪竜は、迎撃するように3本のブレスを吐く。



 特級同士の理外の魔力が、夜空で衝突する。



 行き場を失った力が暴走。

 ブレスに押し切られ、四方へと散らばった刃が、荒れた大地をさらに斬り裂いていく。



 そして、ついに地面が割れる。

 鼓膜が破れそうなほどの爆音を立てて、地面が崩落していくのだ。



 現れたのは巨大な谷である。



 同時、周囲に吹き荒れる魔力と暴風が、クレインを弾き飛ばした。



 ――まずいッ



 クレインが飛ばされた先にあるものは、引き裂かれて現れた谷底である。

 更に追い打ちを掛けるよう、数百の刃が、落下するクレインめがけて、集まっていく。


「クレインさんを狙ってるのかッ!」


 生身のクレインに、刃が1つでも当たろうものなら、命を刈り取られるに決まっている。


 ――間に合えッ!


 迫る満月の刃とクレインの間に、間一髪、自身が乗った邪竜を滑り込ませた。

 ヒビだらけの蚩尤の装甲を突き抜けた刃が、ルシウスの肺と肝臓を駆け抜ける。


「ぐハッッ‼」


 猛烈な痛みが襲い、呼吸がままならない。

 今にも意識が飛びそうだ。


 重力に従い、クレインがぱっくりと空いた大地へと吸い込まれていく。


 痛みのなか、ルシウスは邪竜に追いかけろと命じる。

 一瞬だけ邪竜の抵抗があったが、素直にルシウスへと従い、翼を折り畳み、一直線に急降下した。


 すぐに接近したタイミングで、空中へと放り投げられたクレインの腕を掴んだ。

 今にも蚩尤の顕現が解けそうなほど、力が入らない。


 血を流しすぎた。凍えるほどの寒さを覚える。


 ――追撃……は


 必死に見上げたとき、目に入ったものは、寂しそうな表情を浮かべた少女。

 追いかけてくる様子はない。


 どのみち、この状態では戦えない。

 クレインを逃すため、重力に引きずられるままに下を目指すしかない。


「なん……だ……ここ」


 川があるわけではないが、渓谷といっていいのだろうか、

 崩壊した大地の下には、元々巨大な穴があったようだ。

 おそらく先程の衝撃で、フタとなっていた地表が崩れ落ちたのだろう。


「ルシウスさんッ!」


 クレインが震えながら、空を指差す。

 岩に囲まれた小さな空には、亜竜にまたがった竜騎士たちが、飛翔している。


「…………掴まっ……て」


 先程の戦闘で、旧都ブルギアにいた竜騎士達が集まってきたのだろう。

 数百はくだらない、騎士団が次々と縦穴へとなだれ込んでくる。


 ――竜騎士……まだ、来るのか……


 穴へと飛び込む亜竜は、刻一刻と増え続けている。


 薄れゆく意識の中、ルシウスは邪竜に命じる。

 邪竜はすぐに、ためらうこと無く己の胸を爪でえぐった。


 傷口から空へと放られた血が、追従する1体の竜騎士へと当たる。


 赤い血が、竜騎士を取り込み、一気に膨張する。

 増えた血の球が、触手を伸ばし、周囲の竜騎士たちを飲み込んでいった。


 膨大な質量となった血溜まりから、赤いワイバーンがい出る。

 他者の魔力や血肉をもとに、ブラッドワイバーンを生成する術式である。


 亡霊には、造血竜の術式は通じないのでは、とも思ったが、どうやら魔力をもとに生成出来るようだ。


 同時に、落下していくルシウスと壁に出来た影から、多量の鎧兵が湧き出る。


 血の渦から生れ落ちたワイバーンは、直ちに降下し、鎧兵たちを騎乗させていく。


「行……け……」


 意識を失いかけているルシウスの指示により、百を超える竜騎士たちが、上昇する。


 直後。

 術式の竜騎士と亡霊の竜騎士が衝突した。



 だが、結果は予想通りのものだった。


 ――串刺し……か


 術式の竜騎士1体に対して、連携して取り囲むように、亡霊たちが槍で串刺しにしていくのだ。着実に1体ずつ。


 武器を所持してないのもあるが、如何ともし難い差があった。


 技量が違いすぎるのだ。


 ブラッドワイバーンは1級の亜竜。

 術式で作り出した鎧兵も、それ単体で2級ほどある。


 だが、蚩尤の術式で作り出した鎧兵は、生物というより、あやつり人形に近い。

 痛みも感じず力も強いが、動きは単調で、俊敏さもなければ、器用さもない。


 乗り手の差が、決定的に勝敗を分けているのだ。


 みるみるうちに、術式で作り出した兵たちが減っていく。

 対して、竜騎士団の兵たちはほとんど減っていない。


 もっとも竜騎士の亡霊を倒しても、すぐに復活してしまうのだが、それ以前の問題である。


 それでも時間稼ぎ程度にはなった。

 落下していくルシウス達と、追ってきた亡霊たちの距離は十分に開いた。


 今にも途切れそうな意識のなか、最後に放たれた、邪竜のブレスの熱をわずかに感じる。


 血を流しすぎた。

 頭が朦朧とし、すでに視界はぼやけている


 クレインの腕を握りしめたまま、踏みとどまっていた意識が完全に崩れ落ちた。



 ◆ ◆ ◆



「……終わったか」


 西部の王候補の前にあるのは、崩れ落ちた大地のふち

 ディオンの手には、赤い魔剣が握られている。


 夜空を浮遊していたルーシャルが横へ舞い降りた。

 周囲に浮かぶ丸い光る刃の1つに、何かが引っかかっている。


 副団長が使用していた刺突剣である。


 背負っていた魔法陣が消えると、空間に敷き詰められた光の刃が霧散する。

 同事、落ちる魔剣を、ルーシャルが左手に取った。


 刃が消えたことにより、谷の入口に群がった竜騎士の一部が、すぐさま2人へと襲いかかる。


 2人の顔色は一切変わらない。


 ディオンに右腕に絡みつくウミヘビの口から、赤い霧が立ち昇る。

 その赤い霧に触れた途端、亡霊達が停止したのだ。


「下に落ちた奴らを殺せ」


 ディオンが高圧的に言い放つと、亡霊たちは隙かさず命令に従って、谷へと降りていく。


「相変わらず、エグいよね、魅了の術式。てか、死霊にも有効なんだ」


「流石に人と同じにはいかない。近寄らないと効果がでなかった」


「ふーん、でも効くだけすごいじゃん、流石1級の式」


 ディオンは何も答えない。

 特級の式をもつ者に、本心から褒められていないことなど分かりきっている。


「ヤツは殺したか?」


 2人の視線が交わる。


「分からない。大怪我負って、谷底に落ちたし。死霊もわらわら追いかけてったし。8割方、死んでると思う」


「……2割は生きているということか。不確定だな」


 ディオンは忌々しそうに谷底を睨む。


「魔剣も手に入って、ルシウスくんも消えて、万々歳でしょ?」


「物事には完璧が求められる」


「仕方ないじゃん。邪竜だっけ? 満月が出てる時のラーヴァナと同等って化け物過ぎるでしょ、アレ。特級から進化したって聞いてはいたけど、ヤバすぎ」


 ルーシャルの式、ラーヴァナは時刻と月の満ち欠けに影響を受ける。

 昼より夜に力が強くなり、夜の中でも満月が最も力が引き出せるのだ。

 ディオンが時間を気にしていたのは、背後から最大火力で討つタイミングとなるよう、見計らっていたからだ。


「もう一体の式はたいしたことないのか? 蚩尤だったか」


「多分だけど、存在としては、邪竜と同等かも。でも、なんか今は力がない感じ。それでも、背後からのだまし討ちに、オルレアンスを人質にしてまでやって、やっと8割だけど」


「ならばなおのこと、確実に始末しておかなければ、大過となる。本当に理解しているのか?」


 苛立ちをルーシャルへと向けた。


「うん。だから、私1人でやったんじゃん? 死んでたら亡霊のせいにできるけど、生きてても、ディオンはシラが切れるように。ともかく、私はこのまま身を隠すね。もし生きてたら、大貴族の姫から、英雄暗殺の犯罪者へ大転落」


 ルーシャルが両手をひらひらさせる。


「ああ、そうしろ」


「でも、好きだったなぁ。今どきあんな真っ直ぐな子、いないよ。式と契約してない魔核もまだあるし、【縮魔の鍊】もやってないのに、あれだけの強さでしょ? 王様が気に入る理由もわかるー。だって、帝国に勝てたんじゃない? ルシウスくん、居れば」


「……奇襲の時とは違う。帝国がその気になれば対策され、物量に押し潰されるだけだ。万が一、勝てたとしても、その時は北部の時代。今まで散々と北部へ押し付けてきたものが全部返ってくるぞ」


「南部も西部も、北部には恨まれてそうだしね。オリビア兄も戦争で殺されてるし」


 オリビアは、北部以外を弾圧することなど考えていない。

 すべての州の者が同じ国に生きる人間として、生きられる世界を目指している。


 それでも、人の常か。

 仄暗ほのぐらく後ろめたい影を持つものは、他人にも存在しもしない影を見てしまうものだ。


「我らが栄え続けるためには、ヤツは邪魔でしか無いのだ。政治には、非情な判断も必要。そして、この魔剣、よほど私の方が有効に使える」


 ディオンは手にした魔剣を見る。


「……ねえ、ディオン」


「何だ?」


「一応言っとく。南部の民のためだから、私は一生を捨てた。これでもし……もし南部を裏切ったら――」


 ルーシャルが威圧を込めた視線を向けた。

 肌がチリチリとけるほどの魔力がほとばる。


「ディオン、殺すから」


 真顔でディオンが見返す。


「西部と南部は共にある。今までも、これからも」

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