第78話 北部の課題

『余一、起きて』


 肩を揺さぶられる。

 余一の顔を覗き込むのは2人の子供。


 気がつくと、かつての自分の部屋だった。

 携帯ゲーム機と教科書が置かれたテーブル、ベッドしか無い殺風景な部屋。


『姉ちゃん、兄ちゃん、ごめん。寝ちゃってた』


 小学校5、6年生程の男の子が口をすぼめる。


『余一は仕方ないよな』


 右手を兄へと伸ばす。


 全く鍛えられてない細い腕に、古傷1つない手。

 まるで令嬢のそれのようだ。


 代わりに目立つのは中指にできたペンダコ。

 見覚えがある。


 ――銀条ぎんじょう 余一よういち


 前世の自分だ。

 鼓動が早くなり、息を大きく吸い込んだ。


『まあまあ、余一よういちも疲れてたんでしょ。それより、お父さんとお母さんが下で待ってるわよ』


『お父さんとお母さんが?』


 恐怖と緊張感が、背中を反射的に駆け抜けた。

 心臓がギュッと締め付けられる。


『姉さんも一緒に居てあげるから』


『うん』


 姉に手を引っ張られる形で、重い足取りのまま階段を降りる。

 向かった場所は、畳部屋。


 普段過ごす居間から離れた場所だ。


 ――嫌だ


 この場所が嫌いだった。

 両親が、余一や兄を折檻する場所だからである。


 案の定、ふすまを空けると、両親が机に並んで座していた。 

 床の間には、7枚の銀杏いちょうの葉が折り重なった家紋が書かれた掛け軸。


 壁には歴代の当主たちの遺影が、余一を睨みつけるように掛けらていた。

 そして、遺影のすぐ下には、現当主である父のにらむ目が座れと、言っている。


 ビクビクしながら、余一は座る。

 その横に姉が正座した。


 座るなり父が声を荒らげる。


『これは何だ!?』


 反射的にその声にすくんだ。

 父が机に放りなげたのは、一冊の少女マンガである。


『……借りた……ものです』


 父はワザとらしく大きくため息をついた。


『銀条家に名前を連ねる者が、こんな下劣な物を読みたがるとはなッ』


 母が縮こまった。


『お前のせいだぞッ! だから俺はゲームなんぞ与えるのは反対だったんだッ!』


『すみません、すみません』


 たたみひたいを付けて謝る母。


『で!? 誰に借りたんだッ!?』


『……』


 即答できず、黙りこくる。


 ――痛ッ


 急に、痛みが走った。

 押し黙る余一めがけて、灰皿が飛んできたのだ。


『答えろッ、愚図ッ!』


『向かいの……ヒナちゃんに……』


 父は忌々いまいましそうに、窓の外を睨みつけた。

 外にあるのは高級住宅街。


『これだから成金どもは嫌いなんだ。もともと、ここ一帯は我が銀条家のものだったものを。後から来た分際で――』


 向かいに越してきた幼馴染の少女。

 初めて会ったのは、越してきた5才のときか。


 初恋の相手だった。


 だが、父はさげすんでいた。華族以外の金持ち全てを。

 余一が、近隣の子と遊ぶのはもちろん、子供同士の貸し借りも我慢ならなかった。


 不機嫌そうにいかる父。

 恥ずかしいと涙を流す母。

 そして、2人を他人のように眺める余一。


『ねえ、。本当に貴方がしたいことは何? 立派な男爵になって何がしたいの?』


 急に声をかけてきたのは、隣に座る姉だ。

 意味ありげな、微笑を浮かべている。


 ――本当にしたいこと……


 考えるように目をつむる。

 次に目を見開くと、そこは木とレンガで作られた来賓室らいひんしつだった。


 青葉の間を抜ける朝の日差しが、顔へと降り注いでいる。

 寝起きの重たい頭を持ち上げ、ベッドの端へと腰を掛けた。

 ひどく気分が悪い。


 久々に見た、かつての生活は違和感でしかなかった。


 ――不思議だな、前世に姉なんか居なかったのに


 先程まで見ていた夢を思い起こすが、州都を発つ時間が迫っている。

 日が登りきる前に、魔剣を得るため、オルレアンス家の領地へ向かう必要がある。

 更に、昨日シュトラウス卿から受けた相談に答えなくては。


 ――ともかく今は、産業について考えなきゃ


 顔を洗い、席に座る。


「前世か……」


 あまり考えてこなかったが、産業という意味では、前世はこの世界よりは遥かに多種多様だった。

 何かヒントがあるのではないか、と思案し始める。


 まず頭に浮かんだのは食。


 だが、前世にあった料理に似たものは多い。

 米は見たことは無いが、正直、米文化が根付いていない場所で、米をありがたがる人間は限定的だろう。

 ラーメンやうどんのような麺類もあまりないが、これも同じ理由で却下。


 次はヘアケアや石鹸などの衛生商材。

 界面活性剤に類するものは高級品ではあるが、既にある。

 よって却下。


 後は紙や印刷技術。

 これもある。

 木綿や木を術式の力で破砕して、紙にする。

 更に言えば、活版技術自体もある。

 これも却下。


 多くのものは、既に職人がいる。

 品質は改善点を探せば出てくるかもしれないが、前世での作り方など知らない為、研究開発から必要だ。

 そうなると前世のアドバンテージを、すぐには活かせない。


 その他、機械に類するもの。

 モーターの原理自体は単純である為、作ろうと思えば、それらしいものは作れるだろう。

 だが、致命的なことに電気が無い。

 正確に言えば、電気を作り出すための化石燃料がないのだ。


 この世界では石油はもとより、石炭、天然ガスすら採れない。


 ――前世でもっと調べておけばよかった


 しばし悩んだときに、ふと浮かんだ。

 物を作る産業ばかり考えていたが、それ以外の産業も多くあった。


 ――そういえば……


 ルシウスは、急いでシュトラウス卿がいる執務室へと向かった。

 早歩きで廊下を抜け、ドアをノックすると、シュトラウス卿の返事がある。


「失礼します」


「ルシウス、朝早いな」


 シュトラウス卿はそう答えたものの、既に当人も家臣たちも、執務室で忙しそうに書類をまとめていた。


「ええ、北部の産業について考えてきました」


「ほう、聞こう」


 シュトラウス卿は期待を込めて、ルシウスをソファーへと促した。

 周囲の家臣たちも、作業をしながら、耳をそばだてる。


 席につくなりルシウスは説明を始める。


「ありがとうございます。まず産業の根幹は式である騎獣にあります」


「ふむ」


「騎獣は乗って物を運べるという特性を持っています。しかも下級の式でも馬や牛などとは比べ物にならないほど力が強いです。ですから、これを活かして、戦いにいけない下級の魔術師を雇い、運送業を開始します」


 シュトラウス卿の瞳から、少し期待がせる。


「運送業か。アイデアとしては悪くない。だが、直接運べば、手間賃てまちん程度しか手に入らない。貴重な魔術師をその産業には割けぬ」


「だと思います。なので、全てを買い取ってしまうんですよ」


「それも考えたことがある。南部から北部、東部から西部に物を運ぶ為に、一度北部を経由するのは効率が悪い。食料などは腐ってしまう」


 シュトラウス卿が残念そうにため息をついた。

 家臣たちは、意識を再び仕事へと戻し始める。

 期待がなくなったのだろう。


「直接、産地から消費地へ運べばいいんですよ。一度、所有して差配するということが大事なのですから」


「どういうことだ?」


「輸送は本筋ではないのです。大事なのは、物ではなく権利を買い取ることで、先に買付かいつけができるようにすることですから」


「先に買付? 意味がわからん。麦も茶も収穫量によって、買値が変わるものだぞ」


「それでいいんです。なので、先に買ってもらうときには値を指定しもらうんです」


 シュトラウス卿が困惑の表情を浮かべる。


「……どういう事だ?」


「例えば小麦が豊作の場合、値下がりし、不作なら値上がりします。買う人からしたら、不作だったときに安値で買い付けておけば、その分、利益になります。逆に買い付けた金額より下がれば損をしますが、元々妥当な商売が成り立つラインで買い付けておけば、トータルでは利益が出ます。何より事業の計画が作りやすい」


 シュトラウス卿の目に小さな火が灯る。


「なるほど、買う側はそうだろう。だが、売る方には何のメリットがあるのだ? 高値で売れるなら売りたいだろう?」


「収穫量によって収入が増減するのは、生産者にとっても不安定です。皆、収穫時期だけに生きているわけではありません。秋の収穫が悪く、冬を越せないと、分かっても時間がなくては対処できません。見通しが立つというのは何をするにしても大事です。だからこそ、ノリス=ウィンザーが全ての仲介を推し進めるんです。お互いに証書を渡して」


 いわゆる先物取引である。


 つまりルシウスの提案は北部に金融業を提案したのだ。


 前世で最も栄えた産業の1つ。

 あらゆる産業の地盤となるものでもある。


 1つの材料を使って、1人が物を作って売るだけなら、時価で問題ない。


 だが、多くの産業は複数の原材料を仕入れ、人も雇い生産する。

 1つの材料が高騰し、もし材料や人員を余らせるようなことになれば、丸損である。


 年間あるいは複数年を通しての計画が、収穫期以外にも目処がたつというのは事業としては、とても大事なことだ。


 家臣たちは皆、順番が前後するものの、このアイデアの革新に気がついていく。

 そんな中、シュトラウス卿だけがいぶかしんでいた。


「……まだ何か……裏がありそうだな」


「ええ、この仕組みが出来ると、良いことが1つあります」


「何だ?」


 皆が固唾を飲み、耳を傾ける。


「経済規模が金や銀の採掘量に制限を受けなくなります。この証書自体が貨幣のかわりになりますから。何なら商品を受け取れる証書で、他の物を買っても良いでしょう」


 皆、一瞬、首をかしげる。

 だが、少し遅れ意味を理解し、顔をひきつらせた。


 この国の貨幣は金や銀である。

 理由は溶かして売れば、貴金属として、そのまま売れるからである。


 貨幣は溶かして売った場合よりも、少しだけ高い価値の貨幣として取引される。その上澄うわずみ分が、国への信用と言い換えて良い。

 故に、貨幣の領分は王家の管轄であり、絶対不可侵である。


 だが、これには資産的安全と引き換えにデメリットも存在する。

 経済の大きさは、一言で言えば、貨幣の流通総額に依存する。

 その流通総額が、産業の中身ではなく貴金属の供給量、つまり採掘量に依存してしまっているのが現在の経済。


 それを証書へ置き換える。

 つまりルシウスは北部が国の貨幣経済をコントロールすることを提案したのだ。


 曲がり間違えば、王家へ、いや国家への謀反むほんとも捉えられかねない。


 ここにいる家臣たちは皆、州から集められた秀才たちである。

 ルシウスの提案の肝を理解するまで時間は掛からなかった。


 提案を峻厳しゅんげんな表情で聞き入っていたのは、シュトラウス卿。

 ルシウスを見る目には、確かに恐れが見て取れる。


「どうやって思いついたのだ?」


「……私が考えたものでは有りません。だからこそ、遅かれ早かれ、誰かがやります。この産業はよこしまな人間が行えば、多くの人間を堕落させ、破滅に導きます。ならば、志ある人間が行うべきかと」


 シュトラウス卿の息が荒くなる。

 そして冷や汗に近いものがひたいを伝う。


「ルシウス……森の端で邪竜を初めて目にして以来、2度目の恐怖を感じている。いや、正直に言えば……あのとき以上の恐怖かもしれない」


 領地運営を司る貴族にとっては、武力は力のあり方の1つでしか無い。

 それ以外にも、領民の経済と実生活を豊かにさせるため、多くの能力が求められる。


 ルシウスは膨大な魔力と特級の式を持ち、圧倒的な武力を保持していることは誰の目にも明らか。

 そして更に、破壊だけでなく領主としての資質まで示したのだ。


「産業の発達と発展を考えれば、経済規模を大きくする他ありません」


「……リスクもある。実態経済以上に膨らむ危険をはらんだ方法でもある……。人の欲と不信には際限がないからな」


 シュトラウス卿は押し黙る。

 部屋に沈黙が流れ、家臣たちの視線がシュトラウス卿へと注がれた。


 しばし逡巡しゅんじゅんし、口を開く。


「何より、2つ課題がある」


「課題ですか?」


「1つ。他人へ化ける術式もある。だからこそ、証書の正当性が担保されなければならない。その証書自体が金貨以上の価値を持つとなると、偽造する者が必ず現れる」


「……鑑定のように、本物を見分ける術式はないのですか?」


「素材を調べる術式はあるが、証書の肝は、材料ではなく発行者を特定することだろう。なら偽造防止の仕組みがなければ難しい」


「素材なら特殊な染料を仕えば良いのでは?」


「世の中にいる全ての人間の口を塞げるなら、な」


 インクや紙の配合など1人が漏らせば簡単に流布るふする。


「2つ。北部には信用がない」


「信用……ですか」


「そうだ。証書が通貨以上の価値を持つのであれば、それに見合う信用が求められる。端的に言えば、いざという時に保証となるきんぎんだ」


きんぎん……ですか」


 通貨以上に、取引を流通をさせるのだ。普通の通貨では足りない。となると、換金性が高く、腐らず、持ち運べるもの。

 つまり古来より用いられる資産、きんぎんである。


「金銀の採掘は西部の管轄。増しようがないのだ」


 ルシウスは残念そうに息を吐き出した。


「……そうですかぁ。いいアイデアだと思ったんですけどね。現実は難しいものです」


「金銀はともかく、1つ目の課題はアテが無いわけではない」


 シュトラウス卿は、おもむろに執務席の引き出しを開ける。

 中から一枚の白紙を取り出した。


 それをルシウスへと手渡す。


「それを光にかざしてみるのだ」


 言われた通り光に当てると、湖畔に佇む貴婦人の絵画が出てきた。

 更に違う確度にすると、山岳の風景画となる。


「透かしと潜像、ですか」


「……知っていたのか、さすがだな。だがそれだけではない」


 湖畔にある木の果実だけが少し浮き出ている。


「浮きまで作ってます。これなら偽造防止も出来るのでは?」


「おそらく可能だが、我々には作ることができぬ」


「作れない?」


「ああ、この紙は旅の商人から買い取ったものだ。その商人は、オルレアンスが管理する土地で、ドワーフから手に入れたと言っていた」


「……ドワーフ。それなら、その人達に協力してもらいましょう」


「それが難しいのだ」


「なぜですか?」


 シュトラウス卿が苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。

 あまり言葉にしたくないのかもしれない。


「残念なことに、ドワーフと人は長らく敵対しておる」


「そう……ですか」


 不穏な言葉を反芻しながら、ルシウスは執務室を後にするしかなかった。


 日が高く昇るまえ、シュトラウス卿と騎士団に見送られながら、州都バロンディアを発つルシウスとクレインであった。


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