第72話 閑話 帝国のある男

長めの閑話です。

読み飛ばしても本編に影響はありません。


第2部は年末年始頃にスタートします。


=======


「母さん。カイルスは?」


 12、13歳ほどの少年が、台所に立つ母へと兄のことを尋ねた。

 普段なら先に学校から帰ってくるはずの5つ上の兄が居ない。


 もう日も暮れ、あたりは夜の黒に染まっている。


 家の中は、妙に静まり返り、母親の野菜を切る音だけが家に響いていた。

 包丁を止め、母は振り向きもせず、呟いた。


「……もうあの子カイルスのことは忘れなさい」


「忘れるって? どういうことだ?」


 再び包丁で野菜を切り始めた。


「いいからッ」


「いや、でもさ――」


 少年が再び母へ尋ねた時、ガンッと音が響く。

 包丁をまな板へ、叩きつけたのだ。


「あの子は、落魄らくはくしたの! だから居なかったと同じよ!」


「え……」


 落魄らくはくとは、教育課程において著しく成績が悪かった者や犯罪者たちに与えられる措置である。


 落魄した者達は、人ではない形で国に貢献しなくてはならない。


 市民から奉仕階級に落とされるのだ。


 奉仕階級は中枢神経を抜き取られ、魔導具を動かすための生体部品とされる。


「んだよ、いきなり……」


 兄は優秀な人間ではなかった。


 勉学よりも、戦闘訓練よりも、音楽を愛する人。

 時間があればふえを吹いていた。


 そして、少年はその音が好きだった。

 落ち込んだとき、悲しいとき、兄は自分のために、笛を奏でてくれた。

 飽きもせず、何時間でも。


「ともかく! 忘れなさいッ!」


 母のあまりの剣幕に口をつぐむしかなかった。


 この国――シューヴァル帝国――では、落魄らくはくする者は、社会の落伍者らくごしゃとして、唾棄だきするべきと考えられている。


 たとえ家族であっても、だ。

 いや、身内だからこそ、より一層強くなる。


 身内から落魄らくはくする者を出さないことが、帝国民として義務とすら考えられている社会。

 母もその社会の一員であった。


 兄の居ない家は、静かだ。

 そのくせ、得体のしれない焦燥感しょうそうかんだけが募っていく。


 ――カイルス


 少年は居てもたってもおれず、家を飛び出した。


 家から出ると、周囲には立ち並ぶ高層建築物の数々。

 建物同士が縦に折り重なり、階層を成した街を形作っている。


 栄華を極めたと称される帝都だ。


 もともとは盆地に作られた街であるが、今や地面は見当たらない。


 盆地をすべて覆い、周囲の山すら取り込むほどの広大な都市を成しているからだ。


 舗装され、街灯に灯された路地。

 夜にも関わらず、昼間のように明るい大通りを、帝都市民がひしめき合う。

 

 そんな中、少年は走る。

 向かう場所は決まっていた。


 ――『奉仕工場』


 落魄らくはくの印を押された人間は、帝都の最下層に運ばれる。

 市民が忌み嫌い、誰も近づかいない場所でもある。


 少年は市民ではあるが、下層の貧民街に住んでいる。

 家から『奉仕工場』はそれほど離れていない。


 のどが張り付くほどに走れば、子供の足でもたどり着ける程度の距離だ。


「はぁ はぁ はぁ はぁ はぁ」


 だから、少年は走った。

 道をひたすら下り、階段を駆け下りる。


 途中、肩が当たった人や道路を進む獣車に怒鳴られながらも。


 最下層に着いた頃には、全身が汗まみれで、肩で大きく息をしていた。


「つ……いた」


 綺羅きらびやかな上層とは景色が一変している。

 上層から投げ込まれたゴミが散乱し、異臭が漂い、思わず鼻を押さえたくなる。


 人はほとんど居らず、まばらにいる人もボロをまとい、猜疑心さいぎしんに満ちた瞳だ。


 そんな場所の奥に、場違いなほど、大きな建物が一つだけある。


「これが……奉仕工場……」


 目にするのは初めてである。

 それどころか最下層に降りてきた事自体、今まで無い。


 少年の視線の先に、牛に似た魔物が引いた獣車が見えた。


 獣車は、巨大な黒い箱を運んでいる。

 窓もない、鋼鉄こうてつで、出来た異様な箱だ。


 獣車が奉仕工場の入り口へ近づくと、速度を下げる。

 すぐに工場の中から、2人の兵ができてきた。


「よし。そこで止まれ」


 壁に囲われた奉仕工場の入り口に止まると、ガコンッと音を建てて黒い箱が開く。

 箱から降りてきたのは、鎖で繋がれた人間だ。


「奉仕階級……」


 降りてくる人たちは、無言で機械的に動き、自らの足で奉仕工場へと入っていく。

 落魄らくはくさせられると、魔導具により思考を奪われると聞いたことがある。


 ぞろぞろと虚ろな瞳で降りていく人間たち。


 少年はその姿をただただ見ていた。

 そんな時。


「……カイルス」


 降りていく人のうちに、見慣れた人を見つけてしまった。


 よく微笑む人だった。

 だが、今は目からは精気が抜けおち、人形のようだ。


 思わず、少年はヨロヨロと近寄る。

 あと数歩で兄まで手が届くという時、少年の前で何かがバチッ弾けた。


 ――何だ


 近くにいた兵だ。

 手にした警棒のような魔導具には、電気がほとばしっている。


「止まれ! 市民階級と奉仕階級の接触は、法により禁止されていることを知らないのか」


 知っている。

 それでも何故か足が向いたのだ。


「カイルスが……あ、兄がいる」


 兵の少年を見る目は冷たくなった。

 身内から奉仕階級を出した者たちに対する侮蔑ぶべつの視線である。


 今日から、この視線の中で生きていかなくてはならない。


「だから、何だ?」


「いや……」


 不思議なことに、どうしたいのかが分からない。

 自分でも、なぜ走ってきたのかも理解できなかった。


 ただ、体が動いた。


「何が目的だと聞いている」


 2人の兵が一歩、近づいた。


 少年の視線の先にいる兄は、こちらをチラリとも見ずに、奉仕工場へと向かっていく。


 思わず手を伸ばす。

 当然、届くはずもない距離なのに。


「拘束する」


 2人の兵が一斉に掴みかかり、電撃が内臓を駆け巡る。

 少年の体が、不規則に緊縮し、動かなくなった。


 ――俺は……何をしたかったんだ……


 奉仕階級の存在は、国に不可欠だ。

 より優れた人間たちが、国を作り、豊かにする。


 優れた人間がいるということは、その反対もいるということ。

 その者たちは国を豊かにすることができないどころか、衰退すいたいさせると教えられた。


 故に、魔導具の一部となって、優れた人間たちの力となる。

 これこそが帝国が世界でもっとも豊かな国にした、と。


 学校で習った、それを信じていた。

 だが、今はそれが本当に正しいことなのかは、答えられない。



 ◆ ◆ ◆



 20年後。

 齢は30半ばとなり、血がにじんだ鎧に身を包んでいた。


「お前が帝国の血濡ちぬれのフューリーかッ!?」


「そうだ」


 眼前の牛人型の魔物が、槍で突きを放つ。

 対して、難なく大剣ではねのける。


 牛人は、人である。


 西の隣国アヴァロンティス王国の人間は、魔物と契約し、その力を行使する。


 帝国とは全く違った技術を持ち、理念のもと生きている。


「討ち取るッ」


 牛人は、再び槍の突きを繰り出した。

 それもあっさりとかわす。


「理解できんな。お前の実力では俺に勝つことなどできん。なぜ戦う?」


「民のためだ! 誰かがお前ら帝国の侵略者と戦う必要がある!」


 兵になりたかった訳では無い。


 あの日から、家族から奉仕階級を出したというそしりと侮蔑ぶべつを受け続けてきた。


 社会の批判を、ねのけるため、あらゆる分野で首席を取り続けた。


 その延長線上に、現政権を握る軍部へと進む道があったに過ぎない。


 軍に入った後も、己の実力を見せるため、誰よりも前線で戦い続けていた


 気がつけば、周囲は、奉仕階級を生み出した血縁に言及しなくなった。


 代わりに、”血濡れ将”などという不名誉な二つ名で呼ばれるようになっただけ。


「弱い人間が、貴族に生まれたというだけで、戦うのか。やはり腐ってるな」


「お前らに何が理解できる!」


 牛男が突き出した槍の柄を、フューリーが掴む。

 そのまま引き寄せ、大剣で突き刺した。


 吹き出した血が体に降り注ぐ。


「理解などできん」


 男が絶命し、牛の獣人から人の姿に戻った。


 ――まだ若い


 20歳にも成っていない。

 青年に足が掛かった頃だ。


 フューリーは男から大剣を抜きとると、男の体が地面へと転がった。


 そして、背を向け歩き始める。


「フューリー将軍? そのは持って帰らないのですか? まだ死んで間もないです。精髄せいずいは抜き取れるかと」


 少し離れた所で、隣の部隊の若い兵が声をかけてきた。


 獣兵どもの金切り声があまり聞こえない。

 周囲の戦闘も片付いたようだ。


 元々負けるはずのない戦である。


 フューリーは地面に転がった男へと目をやった。


「欲しければくれてやる。今日は叙任式じょにんしきがあるのでな」


 若い兵の顔がほころんだ。

 集めた精髄は、評価に直結するためだ。


「助かります。今回の査定はギリギリだったんですよね。猿の数が足りなくて」


「……うむ」


 神経を抜き取られた後は、奉仕階級と同じ末路が待っている。


 言葉を飲み込み、前線基地へと帰り始めた。



 ◆ ◆ ◆



「君がフューリーか」


 眼の前の青年はまだ若い。

 年下ではあるが、その落ち着き払った態度は老年を思わせる。


 前線基地の中でも、特に堅牢けんろうな一室である。

 窓もなく、壁際に兵士が立ち並んでいる。


「はっ! 本日を以て、陛下の近衛隊へ配属されました!」


 雄叫びのような大きな声で応え、敬礼をする。

 さきほどまで着ていた血まみれになった鎧ではなく、真新しい軍服に身を包んでいた。


 青年は顔色一つ変えずに話を続ける。


「聞いている。君の兄は、落魄らくはくしたらしいね」


 幾度となく言われ続けてきたことだ。

 本当に、何度も何度も。


 近衛兵とは皇帝の直属兵である。

 当然、身辺調査され、皇帝自身にも報告されているのだろう。


「はっ。その通りです」


 皇帝ベネディクトはわずかに笑う。


 長い帝国史上で初めて、元老院の全会一致により、皇帝に推挙された傑物けつぶつである。


 元老院長が、どこからともなく連れてきた少年は、わずか数年で、目覚ましい成果をあげた。


 当初は、元老院長の後ろ盾があるだけの若造だと侮られた。


 が、それをすべて結果でねじ伏せたのだ。


 赤の時代の魔導兵器の復活や卓越した戦闘教義の発明など多くの功績を次々と残す。

 

 何より敵国の制圧である。

 長く対立していた大国の残党。

 東の隣国クヴツァット公国をわずか2年で瓦解がかいさせたのだ。


 常に前線に立つその姿は、国民に英雄に値するほど輝いて見えた。


 生来のカリスマ性と人心掌握術ともあり、ベネディクトが皇帝の椅子に座ることを、世論が望むまで4年と掛からなかった。


 ついた呼び名は戦帝。

 もはや押しも押されもせぬ絶対君主である。


「……近衛兵には、ふさわしくありませんでしょうか」


 フューリーはまっすぐ前を見ながら、実直に尋ねる。


「なぜ、そう思う?」


「皆、奉仕階級を生んだ血縁を嫌います」


「そうだね。ならば、フューリー。君は兄をどう思っているんだい?」


 実直なフューリーの言葉が詰まる。

 少し間をかけ、やっとはき出した言葉は自分でも意外なものだった。


「………………ご質問の意味がわかりません」


 周囲に居た他の近衛兵たちの顔に怒りが宿る。

 皇帝に向かって、言ってよい言葉ではない。


 誰が聞いても分かる質問に、意味わからないと返答する。

 場合によっては不敬罪で、首が飛ぶ。


 反対に、ベネディクトの瞳がわずかに光る。


「フューリー。嘘偽り無い、本音を聞かせたまえ」


 当然だが、質問の意味は理解できている。

 

 理解できないのは意図だ。

 だが、皇帝から本音を言えと、命令された。

 ならば軍人が取るべき行動は1つ。


「……血を分けた兄として、至極一般的な感情を持ち合わせております」


 皇帝のすぐ背に控えていた1人の老年の兵が、一歩前へ進み出る。

 近衛兵長である。


 その表情は明確な怒りと敵対心が見て取れた。


「貴様! いやしい血でありながら、実績を見込んで、取り立てて下さった陛下のご厚意を踏みにじるつもりかッ!」


 軍人として忠実に答えただけだ。

 返す言葉を分からず押し黙るしかなかった。


「良いじゃないか、そういう人間が居ても。私は嫌いじゃない」


 笑いながらベネディクトはいきり立つ近衛兵達をなだめる。

 するど、近衛兵長は「はっ」と応え、すぐに元いた位置へと戻る。


「そういえば近衛兵には、特注品の魔導具が与えられる。フューリーはどんな術式がいいんだい?」


 支給品ではなく、特注品。

 自分だけの魔導具を、軍の開発部が心血を注ぎ作ってくれる。


 兵たちにとって、ある種の憧れと言っても良い。


 武功を上げた際に下賜される特注品を何するか、という話題は酒の肴として鉄板であるほどだ。


 フューリーは背負った大剣へと意識を向ける。


 魔力により、剪断せんだん力を強化するという時代遅れの支給品。


 他の兵たちに言わせれば、魔導具の価値がないと呼ばれる代物である。


 事実多くの兵たちが、雷撃、火炎、氷結、不可視化、転移など多様な術式を持つ武器を好む。


「今のもので十分です」


「面白いな、フューリーは」


 表情はにこやかなままだが、本心が全くわからない。

 思案していると、皇帝は立ち上がた。


「明日の出陣、私の副官として付き従いたまえ」


 フューリーは深々と頭を下げた。


 ――これが皇帝ベネディクトか


 今まで会ったことのない人種だった。

 張り合うでも、見下すでも、怖がるでもなく、純粋な興味の視線を向けられた。



 翌日。

 2人は少数の護衛を付き従え、戦線に立った。


 軍馬として改良された魔物に乗り、戦線へ行った所までは良かった。

 だが、フューリーは言葉を失っていた。


 ――ここまでとは……


 戦帝1人が突き進み、すべてを払い除けてしまうのだ。


 絶技。陳腐ちんぷだが、それ以上の表現が見つからなかった。


 即位前、強硬な軍上層部が、黙って軍門に下ることしかできなかったのも、うなずけるというもの。


 護衛には「待機」という命令しか降らない。

 これではどちらが守られているのか分かったものではない。


 恐ろしいことに、他の兵は慣れているようで、何ら疑問を覚えていないほどだ。


 子供が砂で作られた泥団子を、握り潰している光景をひたすら見させられているような不思議な感覚だった。

 

 戦帝ベネディクトが、隊への帰還したとき、場違いな声が響いた。


「血濡れ! 出てこいッ!」


 出てきたのは戦場にふさわしくないまだ青年だ。

 12、13才で、まだ少年の面影がある。


 手しているのは小さなナイフだ。


 式と契約したばかりなのか、魚のような尾が生えているが、完全な獣人ではない。


 あまりに兵士に似つかわしくない存在のため、戦帝も見逃したようだ。

 視界に入っていなかったと言うべきか。


「猿の子供か、私がやろう。若い精髄は、今、陛下の国には必要だ」


 護衛たちが一斉に装備を手にする。


 フューリーは手のひらを上げ、護衛達を抑止した。

 そして、威圧を込めた、声を上げる。


「小童、俺に何か用か」


「お前が、フューリーかッ! 兄さんはどこだ!!」


 なるほど、言われてみれば。

 昨日倒した騎士の面影がある。

 だが、まだ子供だ。


「敵討ちか。騎士となって出直せ」


 その言葉に驚いのは護衛たちだ。


 敵国の人間である。

 見つけ次第すべて捕らえ、国のために捧げることが当然だと思っているからだ。


 戦帝ベネディクトは表情を変えないまま、ただ成り行きを見ている。


 少年はナイフを握りしめたまま、動かない。

 視線はフューリーに向けられている。


「死にたいのか」


 フューリーは背負った大剣を握る。


「うわぁああああッ!!」


 少年は意を決したようにナイフを向け、愚直に向かって来た。


 そのまま切り捨てることなど容易い。

 だが、フューリーは大剣の側面で、少年を叩きつけた。


 鈍い音が響きわたり、少年は地面をボールのように転がった。


「次は……斬る。子供でも関係ない」


 フューリーの放つ威圧に、味方であるはずの護衛たちが身震する。


 だが少年は臆せず、立ち上がった。


「兄さんを返せ!!」


「……無意味だ」


「うおぉぁぁぁあああッッ!!」


 少年は立ち上がると再びナイフを構えて向かってきた。


 ――腕の一本でも切り落とすか


 ブンと風切り音を立て、大剣を振り下ろした。

 すぐに少年の左腕へと食い込み、少年の顔が歪む。


 勝負は終わった。

 そう思い、大剣を引き戻そうとした――が。


 少年は止まらなかった。


 腕を切り落とされて、なお、突き進んできたのだ。


 一気に肉薄される。

 もはや大剣の間合いではない。


 少年の握りしめた小刀が、フューリーの脇腹へと突き刺さる。


 大剣を地面へ突き刺し、少年を払い除けようと頭を掴んだ。


 だが動かない。

 それどころか、より深く小刀を突き刺そうとも藻掻もがいている。


 少年とフューリーの視線が交差した。


 凄まじい気迫。

 

 生死を掛けた戦いには慣れていた。

 だが、命を確実に捨ててまで、相手に一矢報いる者との戦いなど経験がなかった。


「うっ」


 無意識に、一歩後ろに下がってしまう。


 子供に気圧けおされたのだ。


 その事実に、フューリー自身が酷く戸惑いを覚えた。



「フューリー将軍!」


 直後、近くに控えていた護衛が少年を蹴り飛ばす。

 地面を這いつくばった、少年はすぐに護衛達に捕らえられた。


 負けるはずがない相手だった。

 腕を切り飛ばしたはずだ。


 それでも、今なお、フューリーに食いかかろうをしている。


 士気と呼ぶには、あまりに強すぎる感情。

 その正体が何なのか全く分からない。


 ――何なんだ


 フューリーを手当しようとする護衛の手を払いのけ、護衛に抑えつけられた少年へと近づいた。


「おまえは……何がしたかったのだ……」


「兄さんを返せッ! お前ら帝国に殺されるなんて納得できるかよッッ!」


 不可能である。

 子ども一人、戦場に飛び出したからと言って、解決するはずがない。


 少年の目に一切の嘘は無い。


 ――本気……か……


 今は戦場であり、周囲は平原である。

 にもかかわらず、なぜか「奉仕工場」での光景が浮かんだ。


 「奉仕工場」に運びこまれる兄のもとへ駆けつけた自分だった。


 あの時、何がしたかったのか、今の今まで、自分でも言葉にできなかった。


 胸の奥底で、かつての自分と眼の前の少年が不思議と重なる。


 すると、唐突に理解した。


 ――俺は……カイルスを……助けたかった


「大人しくしろ!」


 捕まった少年の胸に、護衛の槍が、突き刺さる。

 致命傷である。


 なおも、少年はフューリーを睨みつけたままだ。


「必ず……お前ら帝国兵を……倒す……人が……現れる。その……時……ま……で」


 少年の声が消えた。

 

 何の意味ないことと理解しながら、フューリーは大剣をかまえた。


 だが、そうする義務が自分にはあると思った。


 大剣を振り下ろす。


「分かった。その時を待っている」


 誰に言うでもない。

 己への言葉である。


 後には生気が抜け落ちた少年の亡骸。


 沈黙のなか、皇帝の透き通った声が響いた。



「やはり君は背負いこむタイプだ。フューリーは抱えてるんだな。兄の死も。君が努力し続ける理由は、自分の評価ためではなく兄の尊厳を取り返すため、か」


 否定できない。

 むしろ自分でも奥深くに閉じ込めてきた思いを言い当てられた気すらする。


「そう……思います。許されないことですが」


「別にいいじゃないか。フューリーは、なぜ、帝国民は奉仕階級を忌避し、王国の人間たちを猿と呼ぶか考えたことがあるか?」


「ありません」


 普通に考えれば、赤子に悪辣あくらつな儀式を行い、魔物と契約させる粗野な国民だからだろうか。


「自分たちと同じ人でないと思い込むことで、痛みから目を背けるためだよ」


 人を燃料にすることで、文明を維持している世界。


 燃料にされる側を、自分たちとは違うものと切り離したい、という思いの反動だ。


「……はい」


「人であろうが、なかろうが事実が変わるわけではない。この魔物が跋扈ばっこし、資源の乏しい世界で生きていくためには力が必要というだけなのだがな」


 ベネディクトは笑みを浮かべたままだ。

 ただただ事実を口にしているようだ。


 言われてみれば、皇帝が敵を猿とさげすんでいる所を聞いたことがない。

 例え人であっても、必要ならばまきにくべるという意識の現れか。


「陛下は、何を目指されているのですか」


「私は、人を世界の主にしたいのだよ。そして、国民にもついてきて欲しいのだ、新しい世界に。だから誰よりも前へ、私が行く」


 皇帝が目指している世界は、果たして、楽園か地獄か。


「世界の主に人……」


「今、世界の主は、魔物だ。人は怯え、隠れ、祈りを捧げるだけの存在。だが、人こそが世界の頂点に立つべきだ。私はそのためにはあらゆる犠牲を払う」


 フューリーはベネディクトを見つめる。

 この世の何一つ、信じていない、だが疑ってもいない。そんな表情だ。


 人が人であるために、人を犠牲にし続ける。


 矛盾しているようにも思うが、手に入れるために、差し出せるものを差し出しているのだろう。

 先程の少年と同じように。


 それを世界のスケールで成そうとしているのだ。


 ――恐ろしい


 だが、こんな愚かな自分にすら、それで良いと言ってくれる。

 誰にも、自分にすら理解されなかった感情を。


 この男についていこう。


 そう思えた。

 ならば、ついていく自分は何を差し出すのか。


 ――命と覚悟……か


 あることを思い立ちフューリーは、地面に落ちた鈍色のモノを拾い上げた。


「陛下」


「なんだい?」


「欲しい魔導具が決まりました。私はこれにします」


 フューリーが拾ったのは主が息絶え、今にも魔力に還ろうとしているナイフ。


「ほう」


 皇帝ベネディクトはまゆを吊り上げる。


「私は、私が手にかけたすべての人間の術式を背負いますッ! いつか、私を倒す人間が現れるその時までッ」


 武器や術式を多く所持したからと言って強くなれるわけではない。

 武人であるフューリーにはよく理解していた。


 だが、確信に近いものがある。

 これこそが己らしい術式であると。


「陛下は矢のように突き進まれる。ならば、私は貴方のすぐ後ろを歩みましょう。幾千の刃をもって」


 ベネディクトは満面の笑みを浮かべる。


「本当に面白いね、フューリーは。いいよ。私が切り開く世界を、すぐ側で見ると良い。そのときまで立っていられたら、だがね」


「……御意」


 その日以降、フューリーは帝国以外の人間を猿と呼ぶようになった。


 兄のこともののしった。


 戦帝の背後を、共に歩むために。



 ◆ ◆ ◆



 そして10年ほどの時が過ぎた。


 フューリーはあらゆる国を征服するために尽力し続けた。

 皇帝の直ぐ後で。


 気がつくと、フューリーの二つ名は変わっていた。

 

『血濡れの千刃』征将フューリー。


 奪った数だけ刃が増えたことを意味している。

 皇帝の宿願のため、あらゆる戦場で己を血に染め上げた。


 今回の奇襲作戦も、いつも通り、ベネディクトの書いたシナリオ通りに進むと確信していた。


 しかし、まさかの事態が起きた。


 あの戦帝が敗北したのだ。

 完全無欠と信じて疑わなかった戦帝が。


 今、フューリーの目の前には、その皇帝を打ち破った者が居る。


 三つ首の竜に騎乗した黒い鎧。

 それが4つの目で自身を睨みつけてくる。


 片腕は無くなり、大剣も折られた。

 大小の傷を全身に負い、満身創痍まんしんそういだ。


 いつかの少年の言葉が脳裏をよぎる。


 そして、つぶやいた。


「お前がワシを倒す人間か……」


 チラリと見た飛空艇は、旋回を始めている。

 皇帝を乗せ、帝国へ退却するのだろう。


 ――陛下。私はここまでのようです。


 結局、最後まで後ろに立っていることはできなかった。


「だが、悪くない」


 皇帝は逃がせた。

 それで十分。


 ――あとは己のために戦わせてもらおう


 フューリーはひび割れ、折れた大剣を投げ捨てる。

 そして、残った手に、術式の白刃を作り出した。


 小さなナイフである。


「……戦いを放棄したのか。それなら早く引いてほしい」


 黒い鎧をまとった少年が剣を構えた。

 名前は確かルシウスとか言ったか。


「最期はこの剣と決めていただけのことッ! この精髄を奪い返したいのだろうッ!?」


 フューリーが手にしたナイフの先端で、腰に吊り下げた筒をつつく。

 ルシウスの顔見知りらしい。


「…………そうか」


 つぶやくと同時に、黒い2体の異形が襲いかかる。


 邪竜の黒いブレス。

 ルシウスの光をまとった剣。


 もはや抑えようもない。


 ――分かっていた


 勝負は一瞬のもとに終わる。


 邪竜のブレスが下半身を吹き飛ばし、上半身をルシウスが斬り裂いたのだ。


 地に転がり、仰向けになったフューリー。


「貴方の命、貰い受ける」


 ルシウスが、そう投げかけてきた。

 思わず、フューリーの口角が上がる。


 ――ああ、こいつも背負うタイプか


 心残りはある。


 皇帝ベネディクトが行き着く先を見たかった。

 同時に、ルシウスという人間にも興味が湧いた。


「……ああ、受け取れ」


 まるきり違う人間性の2人の傑物。


 誰よりも野心的で、あらゆる犠牲を払っても、すべてを率いようとする者。

 片や、味方はおろか敵国の人間の命まで抱えこもうとする者。


 衝突するしかない。

 どちらかの命が尽き果てるまで。


 皇帝ベネディクトに勝ってほしいという思いよりも、どちらが勝つのか、という純粋な興味のほうが強かった。


「最期にもう一度聞く。謝罪の言葉はあるか?」


 ルシウスが再び問いかける。


 助けられなかった事も、奪った事も後悔はない。ゆえに謝るつもりなどない。


 ただ事実を背負うことにした。

 終わりの日まで。


 それだけだ。


「無い」


「そうか……貴方の事は忘れない」


 どこからか、笛の音が聞こえてくるような気がする。

 ひどく懐かしい音色だ。


 ――ああ、カイルスの笛だ


 背負われるというのも存外悪くない。

 最期に笑みが溢れた。

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