竜騎士

第73話 青年ルシウス

 真昼の森の中。

 季節は夏である。虫たちの大合唱が、森のあらゆる音を飲み込むほどに鳴り響いている。


 数人が、茂みの中で身を潜めていた。



「ルシウス、本当にいけるのか?」


 すぐ隣にいる父ローベルが、真顔で声かけけてくる。

 ひたいには薄らと汗がにじんでいる。


「問題ないよ、父さん」


 軽く返事をすると、ルシウスはスッと立ち上がる。

 茂みから上半身が出た。


 ルシウスは14歳。

 東部で勃発した、帝国との一戦から半年ほど経っていた。

 わずか半年とはいえ、成長期である。

 身長もかなり伸び、成人まであと2年。


 周囲には所々に茂みがあるが、大半は下草の生えてない薄暗い森だ。


 落葉に埋め尽くされている地表に、パラパラと青い木の葉が舞い落ちる。


 ――来る


 突如、「ギョォォオッ」という金切り声とともに、木の上から落ちてきたのは、4本足の鳥。


 人を乗せて飛べるほどの体躯だ。


 巨大な青銅で出来た爪が、ルシウスの脳天に振り落とされる。


「甘いッ」


 左手に魔力を込める。

 すると、何も無い虚空から盾が現れた。


 魔力で作られた武具だ。

 ルシウスが持つ術式の1つである。


 焦り無く、盾を構える。


 青銅でできた爪と盾が衝突し、金属同士がぶつかった高い音が響いた。

 文字通り、魔物が防魔の盾を鷲掴わしずかみみし、お互いの力がぶつかり合う。


「ルシウス!!」


 父ローベルが、堪らず茂みから飛び出した。表情には焦りが見て取れる。


 それもそのはず。今ルシウスが相対してる巨鳥は3級の魔物エートス。

 通常であれば、手練てだれでも、複数人で対応する必要がある階級だ。


 わずかに盾が傾いたとき、空いた右腕を腰に回し、宝剣を抜刀した。

 鞘から滑り出てくる刀身は、すでに魔力の光をまとっている。


 刃を引き抜くや、否や、巨鳥の首筋に刃を突きつけた。


「ここはお前が居る場所じゃない。森の深層に帰るんだ」


 抗うように鳥が奇声を上げ、翼を大きくバタつかせ始めた。

 ルシウスを連れたまま、空へと舞い上がろうとしているのだろう。


「無駄だ」


 ルシウスの魔力が僅かに漏れ出すと、鳥の下に黒い球体が現れた。


 圧黒。


 重力の塊が、周囲の空気を一気に吸い込み始める。

 同時に、巨鳥の体躯も吸い寄せられる。上昇するどころか、黒い球体がある地面へと吸い寄せられていく。


「最後だ。森の奥に帰れ」


 威圧と殺気を込めた言葉。


 いつまでも手加減する訳にはいかない。生まれ故郷がすぐ近くにあるのだ。

 いざというときには、命を奪う覚悟はある。


 鳥が威嚇いかくを止め、盾から爪を離した。

 先程まで放っていた敵意は消失し、むしろ恐れをはらんでいる。


 ――よかった


 すぐに圧黒を消失させると、風船が弾けるように押し込めた空気が四散する。


 うだるような暑さの中、気持ちの良い風が駆け抜けた。


 突風に乗るように、巨鳥は空へと舞い上がる。鳥は、本来の居場所であるシルバーウッドの深層へ向いている。


 あるべき場所に帰るのだ。


「すげぇ……」

「相変わらず、流石だな」

「いや、逆に呆れるぞ」


 茂みからぞろぞろと出てきたのは、シルバーハートの村に住む者たちだ。


 一人、先に飛び出していた父ローベルが、後頭部がきながら近寄って来る。


「式も顕現させず、3級の魔物エートスを追い払うとはな。しかも仕事熱心ときた。こりゃあ、シルバーハート領も安泰だな」


 父ローベルは白い歯が、すべて見えるほど大口を開けて笑った。


「成人するまでに、父さんの仕事を全部を覚えないといけないからね」


 魔物の対処は自ら願い出て、積極的に対応している。

 仕事を覚えるという意味もあるのだが、一番は父ローベルに、を交渉するためである。


 ルシウスは1人シルバーハート領の将来について考えていた。


 ――今年から着手しよう


 生まれ育った村をどうにか発展させられないか。

 それが目下のルシウスの関心事である。


「おーい、ルシウス」


 声をかけてきたのは幼馴染の双子の弟ポールだ。

 かつて馬車の中で1人泣いていた、少年は縦にも横にも大きく育っている。

 正直に言えば、やや太り気味である。


「ああ、ちょっとね」


「もう大丈夫って連絡していい?」


 一行は森の浅い所に強力な魔物が出てきたため、対処に出張っていたのだ。


「ああ、頼むよ、ポール。エートスが村の近くに出てたから、牛舎から牛を出せなくて皆、困ってただろうから」


「わかった」


 ポールがうなずくと、左手から光の粒子が飛び出した。


 放出された光が、肩の上辺りに集まっていく。

 出てきたのは体全体を深い毛で覆われた羊である。


「クラウドシープ。鳥の魔物は、森の奥に帰ったって、村のアロイさんへ伝えてくれる?」


 ポールが伝えると、プカプカと空中を漂う羊に静電気が走る。

 皆の視線が、羊へと注がれた。


 数秒の沈黙の後、また羊毛に電気が流れる。


「ローベル様。アロイさんからの返信がありました。牛飼い達に伝えておくそうです」


 ローベルが安堵の表情を浮かべた。


「そうか。午後の放牧には間に合いそうだな。キール、アロイを手伝ってやってくれるか?」


「分かりました」


 応えたのは、双子の兄キールである。

 弟と同じ顔で、そばかすも同じだが、対照的にせている。


 弟と同じように左手から粒子が飛び出すと、羽が生えた黒い牡鹿おじかが現れた。

 キールの式、ペリュトンである。

 キールは慣れた手付きで、現れた鹿の角を掴み、背へと飛び乗った。


「領主様、ルシウス。弟を頼みます。目を離すと、また何かしでかすかもしれません」


「わかったよ」


 ルシウスが応えると、ローベルも苦笑いを浮かべながら、うなずいた。


「キール! 僕はそんな事しないってば!」


「ポール。それがいけないんだ。何かやっちゃうかも、って考えながら動かないと。この前もマデリンさんのパンを駄目にしたばっかりでしょ?」


「だ、だけど……」


 反論できず、モジモジし始めたポールの頭上で、式のクラウドシープが、ヘソを天に向けながら眠り始めた。


「行ってきます」


 兄キールは、弟の返事を待たず、ペリュトンの頭をさする。

 直後、足元の影に落ちるように姿が、消えた。


 転移の術式を持つ式であるペリュトンは、村まで一瞬で駆け抜けるのだ。


「さて、俺らも帰るか」


 キールが消えるのを見送った父ローベルが歩き始める。

 ルシウスや村人たちも続いた。


 一時間もしないうちに村へと一行は辿りつく。

 村に着くと、村人たちは、各々解散していき、村の中央につく頃には、ローベルとルシウスだけとなっていた。


 ローベルが村の中央にある、屋敷の門を叩く。


「はい」


 ノックをするとすかさず、返事が返ってくる。

 侍女マティルダである。


「おかえりなさいませ、ローベル様、ルシウス様。お早いおかえりですね」


 マティルダは、軽く会釈をすると、館の主とその息子を迎え入れる。


「魔物の対処は、今回もルシウスが、あっけなく終わらせちまったからな」


「ただいま戻りました。マティルダさん」


 季節は夏。

 コートもなく、2人は少し汚れたシャツのまま領主の館へと入る。


 直後、エントランスホールを小さい影が、走り抜けた。

 続いて、母エミリーの声が追いかける。


「イーリス、待ちなさい!」


 母エミリーの視線の前には、あと少しで3歳になろうという少女がいた。

 ルシウスと同じ赤い髪に、父と同じ赤い瞳である。


「キャハハキャハ、たのしー」


 妹イーリスである。


「イーリスぅ、パパが帰ってきましたよぉ」


 ローベルが気持ちの悪い猫なで声を上げ、両手を大きく広げた。


「パパ!」


 父親の姿を見つけたイーリスが瞳を輝かせる。

 一直線に駆け寄ると、思ったとき。


「あ! お兄ちゃん!」


 イーリスはローベルの胸に飛び込む直前、急に方向転換し、ルシウスへと飛び込んだ。

 ルシウスの隣には、行き場のない愛情を持て余した父の憐れな姿がある。


 ――父さん、どんまい


 ルシウスはまだ小さな妹を抱き上げた。

 イーリスは、ルシウスに抱きかかえられながら無邪気に笑う。


「お兄ちゃん! お兄ちゃん!」


 ルシウスが東部に旅立ってからすぐに、妹イーリスは産まれ、無事に授魔の儀を乗り越えていた。

 北部に帰ってから半年の間に、すっかりルシウスになついてしまった可愛い妹である。


「【元気かい?】」


 ルシウスは日本語で、妹へ話しかけた。

 しかし、イーリスは不思議そうにするばかり。


 ――やっぱり転生者ではないか


 定期的にルシウスは日本語で話しかけている。

 転生者の母国語が、日本語以外という可能性はあるが、反応からして幼児そのもの。

 もしかしたら、同じ家に産まれた妹も、と考えたが、一向にその兆候は見えない。


「また、そのおまじない?」


 ルシウスの横に母エミリーが立った。


「なんでもないよ。母さん、ただいま」


 挨拶の後、再び妹へと視線を戻す。


「イーリス、ちゃんと【増魔の錬】をするんだよ。貴族は民の剣であり盾だから」


 もし言葉が通じたなら、魔核を増やす方法も妹には伝えたかった。

 だが、物心も芽生えていない幼児へ、痛みを伴う修練をさせることなど不可能。

 もっと言えば、生後間もないとき、ルシウスは家に居なかったため、どうすることも出来なかった。


 せめて魔核の等級を上げてほしいと願っている。


 ――あれ、なんか持ってる


 よく見ると妹イーリスは手に何かを握っていた。

 書状だ。


 その用紙を取るため、イーリスを床へと下ろしたと同時に、用紙を誰かが取り上げる。


「おかえりなさい。ルシウスさん」


「やあ、ローレン」


 黒い長い髪に、紫の瞳を輝かせた少女ローレンである。

 東部からルシウスが連れ帰って以来、ずっと屋敷に住んでおり、既に家族の一員となっていた。


 ローレンが取り返した用紙を、母エミリーへと手渡す。


「エミリー様。イーリスさんが、持っていった紙はこちらであっていますか?」


「そうそう、これね。ありがとう、ローレン。本当に目を離すと、すぐ何でも持って行っちゃって」


 ほほに手をあて、困った表情を浮かべる母エミリー。


「奥様、幼子が色んな物を触りたがるのは、よくあることですよ」


 玄関の扉に鍵をかけた侍女マティルダが話しに混ざる。


「そう? ルシウスの時は、全然なかったから……」


 ルシウスは苦笑いを浮かべた。


 ルシウスは転生者である。

 前世の知識を持って、生後1ヶ月の時点で目覚めたため、ある意味で当然だ。

 いくら体に精神が引っ張られたとはいえ、ただの紙を持って駆け回る趣味など無い。


「ルシウスさんは、普通じゃありませんから。東部でも色々ありました」


「ローレン様の言う通りです。オリビア様を追いかけて1人で森に入ったときには――」


 ローレンとマティルダが深くうなずき、過去の話を始めた。

 このまま放っておけば、また長い事、自分の話題が続いてしまう。


「か、母さん! その手紙は何なの?」


 話を逸らすため、母エミリーが妹イーリスから取り返した用紙を指差す。


「あ! そうね! ローベル、ルシウス、早く来てちょうだい」


 要件を思い出したエミリーが、玄関ホールの隣りにある部屋、ダイニングへと急いで向かう。


「ん? なんだ?」


 父ローベルがダイニングへと続いた。

 そして、ルシウスも父の背中を追いかける形で、扉をくぐる。


 普段、家族が座っている大きなダイニングテーブルには、1人の男が腰掛けていた。


 齢は20代中頃か。

 丸メガネを掛け、日焼けのない白い肌をしている。


 青年がアワアワとしながら、椅子から立ち上がる。


「お、お初にお目にかかります! クレイン=オルレアンスと申します!」


 頭を下げると、癖の強いうねった髪が前へと垂れる。

 ローベルは堂々と一歩進み出た。


「ローベル=ノリス=ドラグオンだ。オルレアンス家の者が、どんな用事で?」


 母エミリーがすかさず手にした書状をローベルへと手渡す。

 話は書状を読んでから、ということなのだろう。


 察したローベルがすぐに読み始める。


 この国において、すべての貴族は魔物と契約し、式とする。


 人は魔力を持つが、それを現世へ現すための術式は持たない。

 式の術式を借りることで、人は人外の力を振るうことができるのだ。

 治安から軍事、果てはあらゆる産業まで、魔力と式の力が用いられる。


 オルレアンス家は、その式の研究と記録を、国から義務付けられた一族である。

 その地位は国内でも高く、辺鄙へんぴな片田舎の領主などとは比べるべくもない。


 しばらくダイニングに沈黙が流れる。

 突然、ローベルが、驚嘆したような声を上げた。


「何だと」


「どうしたの、父さん?」


「ルシウス……お前のことだ」


「俺のこと?」


「ずっと魔剣を探してたろ?」


 魔剣とは、術式が組み込まれた武具である。

 製造方法は秘匿されており、国内でも滅多に流通しない、非常に貴重なものだ。

 国内にある一振りは、ルシウスが現王から下賜され、今、ルシウスの腰にいている。


 そして、この魔剣こそが、自身の式、蚩尤しゆうとの条件である。

 契約の際、蚩尤しゆうと交わした誓約は、4つの魔剣または、魔剣に類する術式を持った武具を手に入れること。


 魔物との契約に基づいた誓約は、人と魔物の命とも等価にされるほど、重いものだ。


「見つかったらしいぞ、魔剣が」


「ついに……」


 邪竜に続き、蚩尤を式に降したときから、魔剣を求めてきた。

 東部の騒乱を鎮めたときも、隣国の帝国の侵攻を防いだときも、報奨は魔剣を所望した。


 現王も東部の盟主リーリンツ卿も、必ず見つけて見せると約束してくれた。

 だが、良い知らせは、今日の今日までなかったのだ。


 実感のないルシウスにオルレアンス家のクレインが声をかける。


「ええ、その通りです。ついては、ルシウス卿には、我がオルレアンス家が所管する領土までお越しいいただきたく、お迎えにあがりました。前当主グフェルからも重々申し使っております」


「オルレアンス家の領地……今からですか?」


 通常、貴族を迎えに来るのであれば、事前に書状を送っておくのだが、片田舎の村である。

 手紙と迎え本人が直接来るのに、たいして差がなかったのだろう。

 シルバーハート村ではよくあることだ。


「そうです。場所が場所ゆえ、北部の盟主であるシュトラウス卿にも、ご挨拶はさせていただきますが」


 ――場所が場所? どういうことだ?


 疑問を覚えたが、今は、それ以上に聞きたいことがある。


「あの、クレインさん?」


「何でしょう?」


「もうすぐ式を得る時期です。村の子供達の鑑定はどうなりますか?」


「ああ、そのことならご安心を。代わりの者を来させますゆえ」


 ルシウスの顔が曇った。


 ――それは困る


 今年から村の子供達向けに、をしたかったのだ。

 今から遠くへ旅立っては何も出来ない。


「クレインさんは鑑定できないでしょうか?」


「当然できますが、その……お時間が」


 暗に、今から式を得る為に動くと言っているようなものである。


 式を得る為には、相性の良い魔物と出会う必要がある。

 場合によっては、式を得るまでに数ヶ月かかることもあるのだ。


 突然の迎えとはいえ、出発まで数ヶ月待ってくれ、というのは流石に失礼にあたる。


「そうですが……」


「時間はかけません」


 ルシウスは父ローベルを見る。


「父さん! 1日だけでいいから、式探しの引率を俺にやらせてくれない!?」


 領民たちへ式を与えるのは領主の責務である。

 将来の領主が約束されているルシウスであっても、勝手に式を与える訳にはいかない。


「引率を?」


 ローベルは不可解そうだ。


「ずっと考えてた事なんだ。お願い!」


 今、村は小麦の収穫の真っ最中である。本日、魔物の対処に追われていたこともあり、ローベルは仕事が溜まっていた。どのみち、引率はできない。


「ここん所、気合入ってたからな。そこまで言うなら、1日だけやってみろ」


「よかった」


 安堵とともに決意を込め、拳を固く握るルシウスであった。


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