第71話 閑話 また会う日まで
朝のタクト領にある城。
ルシウスはここ数日、麓町を離れ、領主の居城に泊まり込んでいた。
それも今日まで。
今しがた、少ない荷物をリュックへと詰め込み終えたところだ。
忘れ物がないかと、最後に確認するため振り返る。
――よし、大丈夫だな
部屋を出ようとドアノブへと手を伸ばす。
掴んだ途端、扉を叩く音が聞こえた。
誰かが部屋へ訪ねてきたようだ。
「どうぞ」
扉を開けた先に居たのは、水色の長い髪を垂らした少女だ。
既に正装に身を包んでいる。
「おはよう、オリビア」
「寝坊してなかったみたいね」
「まあ、今日が出発の日だからね」
「……本当に北部に帰るの?」
オリビアの表情に
「昨日の晩も何度も言ったじゃないか。東部でやるべきことは全部やった。東部の式も降したし、邪竜の進化も終わった」
「そう……よね」
「また、手紙を書くよ」
「絶対よ。待ってるから」
オリビアがルシウスの手を強く握る。
「もちろんだよ」
そう。
ルシウスは今日、北部へと戻るために東部を発つ。
「行こうか」
ルシウスとオリビアは館の廊下を歩く。
少し歩いた所で窓を掃除していた侍女と会った。
「おはようございます。オリビア様」
「おはよう、マーレン」
オリビアは当然のように挨拶を返し、通路の真ん中を通り過ぎた。
朝の城は慌ただしい。
一日の始まりを迎えるために、多くの従者が、準備に追われているためだ。
そのため、次々に従者や侍女達とすれ違う。
すれ違うたびに、一礼しながら挨拶がかわされる。
対してオリビアは必ず名前を呼びながら応えていく。
20人ほどとすれ違ったところで、ルシウスがたまらず声を上げた。
「すごいな。全員の名前を覚えてるの?」
「城で働く人の名前なんて全員覚えられるに決まってるじゃない」
当然と言った様子である。
オリビアは先々月、正式に伯爵を
それに伴い、城で働く者は急激に増えている。
既に城内で働く家臣だけで300人は越えるだろう。
城で働くと言っても、洗い物や掃除のように、ほとんどオリビアと接点の無い従者も多い。
全員の名前を覚えるのは大変だろう。
「それが出来るのはオリビアくらいじゃない」
「そういえば、ルシウスは10才で会ったとき、私のことを忘れてたわね」
「はは……」
そんな話をしながら、城門へとたどり着く。
門に
中にはタクト兵長リウエルの姿もある。
ルシウスも何度か会っているため、簡単な挨拶をする。
そのまま城下町へと進む大通りへと足を進めた。
街の大通りを歩く度、領民達が挨拶と敬意の言葉を口にする。
「あ! オリビア様だ」
「おはようございます」
「一層お美しくなられましたね」
中には、地面へ膝を付けて祈りを捧げている者も多い。
「すっかり領主も人気者だ。熱心な信者もいるくらいだし」
「何言ってるの? 祈られてるのは私じゃなくて、ルシウス。守護竜様への祈りを捧げているの」
タクト領を襲った蚩尤の分身たちを邪竜が焼きつくして以来、守護竜と呼ぶ人たちが居る。
「……何回も言ってるけど邪竜だから」
背後へ付き従う兵長リウエルが声が上げる。
「いえ、名実共に
「邪竜が食べただけですから。増えた頭も應龍だって決まったわけじゃないですし」
龍の頭を食べたら、頭が生えた。
はたして、増えた頭の自我は誰のものなのか。
普通に考えれば、関係ないのだが。
だが、どうにも
「それでもです。ルシウス卿は既にタクト領の誇りであり、心の支えなのです」
「そう言われてももう北部に帰りますから……」
心の支えなどと呼ばれても自身がいつか継ぐであろう領地はシルバーハート領である。
「安心して、ルシウス。民たちを不安にさせない様に、すでに手をうってるわ」
オリビアが通りの先にある広場を指差した。
広場の真ん中に建設中の何かが見える。
6段ほどの木で組まれた足場で覆われており、大きな物のようだ。
その下へと近づき、見上げる。
木枠の中に垣間見えるのは、銅像である。
恐ろしい三つ首の邪竜。
更に竜に跨った、
「何……これ……」
呆けたように、口がポカンと開く。
「ルシウスに決まってるじゃない」
オリビアがさも当たり前のようだ。
それに、皆が同調する。
――周りから見たら、こんな感じなのか!? それ以前に銅像って……
英雄というより、魔王の腹心という方が似合っていそうな風貌である。
ルシウスが困惑していると、1人の少女が近づいてきた。
「お待たせしました」
大きなケースを手にしたローレンである。
長い黒い髪と紫色の瞳を輝かせている。
ケースはローレンのものではなく、ユウが所持していたものだ。
「おはよう、ローレン。すごい荷物だね」
「私の荷物は半分くらいです。後、半分はユウさんが大切にしてた本です。どうしても捨てられなくて」
1人の男の静かな笑みが脳裏にちらつき、後向きそうになる。
その心を、無理やり引き止めた。
今は過去を悲しむべきタイミングではない。
「それは大切にしないとね」
ローレンもやや作った笑みを浮かべる。
「はい」
ルシウスがローレンのケースに手をかけた時、騎士団の紋章が刻まれた
騎士団である。
見知った顔の北部の騎士たちも皆来ている。
「間に合ってよかった。シャオリア旅団長の準備がかかり過ぎだよ。なぜ君が髪の支度に手間取るのさ」
ため息を付いたのはカラン師団長。
「それは言わないでください!」
慌ててカランの口を閉じようとするシャオリア旅団長である。
「カラン師団長、シャオリア師団長。それにハミヤさんたちも!」
ルシウスはケースから手を離し、一団へと近づいた。
相対するようにカランが一歩前に出て、手を差し出す。
「君には随分世話になったね。近くまで来たら、是非また、顔を出して欲しい」
ルシウスが手を握り返す。
「ええ、ぜひ寄らせてもらいます」
カランの一歩後ろにいるシャオリアへと視線を移す。
「シャオリア旅団長もお元気で」
シャオリアは素っ気なく返事をする。
「また早めに顔を出しなさい。……次の模擬戦は負けないから」
シャオリア旅団長たちは、このままタクト領へ
他の北部の騎士たちも、一瞬だけ顔が歪む。
驚きと何かが入り混じった、複雑な感情を抱えた表情だ。
「次は私も模擬戦に出ます!」
手を上げたのは北部出身の女騎士ハミヤ。
同調するように次々と手が上がる。
「つ、次は俺もルシウス卿と一緒に戦います」
「ずるいぞ! 俺もだ!」
「私は戦ってみたいです」
皆の表情に少しの希望が見て取れた。
――次……か
今やタクト領は帝国との前線である。
いつ次の戦争が始まるかはわからない。
それでも、再来を約束をするのは、希望であり、自身たちへの
「ええ、約束です。次、会ったらまた模擬戦をやりましょう」
シャオリアが満面の笑みとなった。
「ルシウス殿が東部の前線にとどまってくれれば帝国の対処に困らないんだけどね。何なら、うちの旅団長とかにならないか?」
ニヤけた表情のカラン師団長。
普通であればお世辞のようにも思えるが、目のどこかに本気が見て取れるように思う。
相変わらず何が真意が掴みづらい男である。
「必要があれば、邪竜で飛んできますよ」
「いいね。それを聞けただけでも良かった。色々と戦術に活かせる」
次にカランは建築中のルシウスの像へと視線をやる。
戦争に
敵を確実に討ち倒せる者が、自陣にいると言うだけで兵の士気は上がる。
更に、敵からしても、いつ出てくるかもわからない影を想定した動きを取らなくてはならない。
これまで帝国が戦帝というカードで散々に行ってきた戦術でもある。
今となっては帝国側もルシウスという存在を想定しなくてはならない。
五分とはいかないまでも、それだけでも十分に戦線を維持できるだろう。
ルシウスの横に並んでいた、オリビアがローレンの手を握る
「ローレン。ルシウスをお願いね。ほっておくとまた無茶すると思うから」
「オリビア様……」
ローレンは、なんとも言えない表情で、返す言葉を迷っているようだ。
「お願い」
2人の少女の視線が交差する。
「わかりました」
深々と頭を下げるローレン。
その姿に微笑むオリビア。
挨拶を終えたと思ったルシウスは左手を掲げる。
巨大な三つ首竜が広場に現れた。
建築中の銅像よりも更に巨大な体躯。
力という力が、全身に余すところなく張り巡らされている。
その姿を見た街の民衆たちの声が上がる。
だが、領民たちの反応は恐怖ではない。
街全体を揺らすような大きな歓声だ。
声が声を呼び、次々に広場へと民が集まった。
ルシウスが東部で2年で成したことの現れである。
広場の中央にいるルシウスたちを囲うように、一気に人だかりで、ひしめき合った。
「ルシウス!」
歓声に飲まれないよう、オリビアが大きな声を張りげる。
一歩、ルシウスへと近づいた。
オリビアはいつかのときと同じように、ルシウスの唇に人差し指を当てる。
「またね。それと、むやみに
「うーん、状況次第じゃない?」
オリビアの
思わず漏れたであろう小声が聞こえた。
「ほんとバカ」
笑顔で見送りたかっただろうに、返答を間違えてしまったらしい。
「ごめん、ごめん。でも大丈夫だよ」
「何がよ?」
オリビアは口をすぼめた。
「俺は、オリビアが王になるのを待ってる」
「……ルシウスに言われなくても王になるわよ」
ルシウスは変わらぬオリビアの様子に安心する。
「またね、オリビア」
まるで少しの別れのような軽い挨拶だ。
もしかしたら数年は会えないかもしれないのに。
そうしたいと思った。
なぜ思ったのかは自分でもよくわからない。
オリビアは先ほどと、うって変わり満面の笑みとなった。
「うん」
ルシウスは振り返りながら、ローレンのケースに手を掛ける。
そのまま邪竜の首に、空いた手をかけ、背へと飛び乗った。
すぐに手を差し出し、ローレンを引き上げ、後ろへと乗せる。
ルシウスの掛け声と共に、邪竜の羽ばたきで突風が起こる。
更に2度めの羽ばたきで巨体とは思えぬ黒い塊が、浮かび上がる。
そのまま空へと舞い上がった。
民の歓声が上がる。
皆が手を振る中、空に消えゆくを黒い点を見ながら、オリビアがポツリと呟いた。
「…………行っちゃった」
一瞬だけ寂しそうな顔を浮かべる。
だが、すぐに振り返り、住み慣れた城へ足を向けた。
自分自身が歩むべき道を踏みしめるように。
===========
お読みいただき、ありがとうございます。
更新が、滞り申し訳ありません。
新章を10万文字くらい書いてみたのですが、
正直、あまり面白いと思えず、白紙へ。
一から書き直し中で、時間が経ってしまいました。
年末年始頃には、第2部をスタートできると思います。
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