第70話 童心

「陛下、よろしかったのでしょうか?」


 治療を終えた元女騎士のブリジットが声をかける。

 戦帝ベネディクトの隣には、いつも居たはずのフューリーはいない。


「何がだね?」


 飛空艇の船橋せんきょう


 左腕に義手をはめた戦帝ベネディクトが、窓から外を眺めていた。

 視線は地平線のはるか遠くに置かれている。


「撤退の件です。征将を始めとして、歴戦の将校達の大半が討たれました。それも、たった1人の子供に」


「名に傷が付いた、とでも言いたいのかね?」


「いえ、そのような」


「まあ、そう思われても仕方ない。4年も準備に掛けた奇襲作戦が失敗したのだから。特級魔導具に対する元老院の評価も下がるだろう。予算は削られ、量産化は数年遅れる。更に、あれだけの精髄を失った。国内の反発を考えると頭が痛い」


「でしたら――」


「だが、それ以上の収穫があった」


「……あの特級魔術師でしょうか」


「それもある。だが、特級魔術師という事より、もっと良いモノだ」


「それよりもっと良いもの?」


 戦帝ベネディクトは切り札であった魔導砲を放つとき、ルシウスが行った行動を何度も思い起こしていた。


 皆が、攻城兵器である魔導砲を防いだことばかりに目が行く中、戦帝だけは、その一連の動作に着目したのだ。


 この時代に銃は無い。

 大砲型の魔導兵器も。


 すべては赤の時代とともに、地中深くに埋もれたものだ。


 一部の学者であれば知っているかもしれないが、稼働するものを見たことがある者など帝国の中でも極一部だ。


 だが、ルシウスという少年は発射される前から、盾を顕現させていた。

 強力な遠距離攻撃が来ることを、確信しての行動だ。

 勘がいいというだけで、未知の兵器に対して予知できるなら、誰も困りはしない。


「ルシウスは、大砲という兵器の存在を知っていた」


 何を言っているのか理解しかねたブリジットだが、すぐに目を見開いた。

 皇帝ベネディクトの言わんとする事を察する。


「そんな……まさか」


 戦帝は笑みを浮かべた。


「ああ、あの少年は。それも、おそらく完全復元体だ」



 ◆ ◆ ◆ ◆



此度こたびのことは、感謝してもしきれない」


 リーリンツ卿本人が、タクト領への領主の館――オリビアの居城――へと足を運んだ。


「いえ、私は何も。すべてはルシウスがやった事です」


「そのルシウスを味方に付けたのだ。それはお主の力そのものじゃ」


「偶然です」


 統治者が必ずしも腕が立つ必要はない。

 農作物を作れなくてもよい、治水のノウハウが無くても良い。


 それらができる人から信頼される人間であればよいのだ。

 だが、実際はそれこそが最も難しい。


 一芸秀でる人間たちは、自信があるがゆえ、どうしてもクセが強くなりがちだ。

 また、領域に明るくない人間を軽く見るきらいがある。


 それでも、あらゆる人間の信を集める者が、名君となれる。


「この戦乱で戦果を上げたルシウス。多くの貴族がそれを目の当たりにした。それこそ東部だけではなく、陛下やその他の四大貴族も含めて多くが」


「ええ、偉業です。東部を滅びから救ったと言っても過言ではないかと」


 あれ程の規模の軍に、未知の兵器。

 州都シャンアークが落とされていても、何ら不思議はなかったのだ。


 リーリンツ卿の目が光る。


「……それだけか?」


「他に何か?」


「はぁ、お主もまだ若いの。これで借りは返してやったぞ」


「どういうことでしょうか?」


「ルシウスは以前、北部で邪竜を降し、その存在と力を北部の貴族たちへ広く示した。そして、ここ東部でも蚩尤を降し、帝国の侵略を防いだ。東部の人間は特に武勇を好む。つまり、次の選王戦。ルシウスの票に続く、北部と東部の貴族は多いだろう。そして西部と南部の貴族の一部はそれに同調する」


 オリビアは目を見開いた。


「……まさか」


「そうじゃ。王が崩御する時期にもよるじゃろうが、今、実質的に国の何割かの貴族票をルシウスが握っていると言っても過言ではない。そして、南部と西部の票が割れれば……」


「ルシウスの一票で、選王戦に勝てる、ということですか。……ですが、それを本人に言っても」


「真剣には、取り合わぬだろうな。なぜか自身の評価が、いや自身の価値が低すぎるのだ。まるで、幼い頃に庇護ひご者から愛情を与えられず育った者のようだ。情報を集める限り、あれの父親は北部でも有数の傑士けっし。両親にも領民にも期待され、愛されて育ったはずなのじゃが」


「……私は【魔骸石】の影響と見ております」


「【魔骸石】……あの面妖な石か。うちの蔵にもいくつかあるが、実物が働くところなど見たことはない。ゆえに断定はできんが、可能性はあるだろう」


 リーリンツ卿は思案するが、答えの分からぬものに頭を使うことを止めた。


「話を戻そう。ルシウスの事は、誰よりもソウシ卿とウェシテ卿が理解している。となれば……」


「暗殺、脅迫もしくは懐柔かいじゅう


「じゃろうな。本人の力を考えれば、後者が濃厚。あれは金や地位で、なびく者ではない。だが、人には簡単になびく。あわれな者でも目の前に置けば、すかさずに手を貸しに行くぞ」


「ご助言、ありがとうございます」


 オリビアは深々と頭を下げる。


「して、復興はどうなっておる」


「麓町は壊滅的な被害を受けましたが、他の町には大した問題はありません。麓町へはタクト領として全力の援助を」


「そうか。東部からも援助が必要なら言ってくれ。いつでも出そう」


 リーリンツ卿はこう言ったものの、応えは分かりきっていた。


「心遣い感謝いたします。お気持ちだけで十分です」


 今、ここでエスタ・ウィンザー家の支援を受けてしまえば、借りを作ってしまう。


 断られる事は分かっていた。

 リーリンツ卿は、その事に対して何か言うこともない。


「そうか……。私はエスタ・ウィンザー家の当主である。選王戦でお主に入れるわけにはいかない」


「分かっております。私も父が他の候補へ投票するなら一生、口を聞きませんから」


「それは恐いの。これは選王戦とは全く関係のない話ではあるが――」


 リーリンツ卿は口に茶を含む。

 一呼吸して、本題を投げかけた。


「この地に騎士団を常駐させることが決定した。ついては陛下へ、隣のホノギュラ領を併呑へいどんし、伯爵領とするように進言するつもりだ。当然、その領主も伯爵となる。私は伯爵はお主で良いと考えておる」


 オリビアは息をのむ。

 伯爵と子爵では全く活動の幅が違う。

 当然、周辺諸侯への顔の効き方も。


 それは、オリビアの活動を盟主自らが認めると言っていることに等しい。


「感謝いたします」


 再び、深く頭を下げた。


「よい。これはクラークの思いでもある。そして戦死した元兵長のものでもな」


「そう、ですね」


 前領主クラーク子爵は暴君とそしられても、領民が生き残ることだけを考えていた。

 帝国がクーロン山を超えて侵攻してくるという確信があったからこその行動。


 そして事実、超えてきた。


 だが、そのときには当の本人は最も信頼していた部下に弑逆しいぎゃくされた後だった。


「して、クラークの娘はどうする? 私の所で、宮仕えさせてもよい」 


 クラーク家は断絶されたものとして、国に処理されている。

 今更、ローレンが継承権を申し立てても受理はされないだろう。


 だが、リーリンツ卿もクラーク子爵の言葉を信じきれなかったことに負い目を持っている。


 領は与えられないが、宮廷貴族として取り立てるつもりであった。

 かつて最も信頼していた寄子の1人に対する、せめての手向たむけである。


「何度確認しても、本人は貴族になるつもりはないそうです」


「……そうか。しかし、このタクト領で生きていくこともできんだろう」


 確かに帝国軍は襲来した。

 だが、子供を奪われた領民の恨みまで、完全に消え去ったわけではない。

 人の心は、物事の真偽だけで、変えられるほど単純にはできていないのだ。


「ルシウスが、北部のシルバーハート領で預かると」


 オリビアがやや不満げに言う。


「……まさかめとるのか?」


「そういうつもりではない、と本人は申しております」


「そうか。お主も大変そうだな。恋敵ができるとは。しっかり捕まえて置かないと、いろんな所で粉をかけられるタイプだぞ、あれは」


 オリビアは満面の笑みを浮かべる。


「大丈夫です。私は王となりますから」


 リーリンツ卿は微笑むだけで、返事を言葉にはしない。

 それでも、微笑みは心から笑っているように思えた。


「それで、そのタクト領を、いや東部を救った英雄はどこへ?」


「クーロン山へ」



 その頃、ルシウスは、三つ首の邪竜の背にまたがり、クーロン山の上空を飛んでいた。


 左手に浮き出ていた黒い満月は、綺麗に消えている。


「居た、あそこだ」


 ルシウスは切り立った岩山の中腹を指差した。

 中腹から大きな岩がせり出ている。


 岩の上に、月桂樹げっけいじゅの木が生えており、その木陰に鎧を来た巨大な虎が横たわっていた。


 虎の周囲には、季節外れにも関わらず、紫丁香花ライラックスミレ花菖蒲アイリスの紫の花たちが咲き誇っている。


 巨虎は傷だらけであるが、悠然と前足の毛づくろいをしていた。


 ルシウスは邪竜をその近く寄せ、巨岩へと下りる。

 虎がピクリと耳を動かす。


「傷は治りましたか?」


 虎は横目をルシウスへと向けるだけだ。


「これを持ってきました」


 ルシウスはカバンから発酵した腸詰めを取り出し、皿に乗せる。

 フォークを添えて、陸吾へと近づき、静かに前へ置く。


 ユウの好物だったものだ。


 鼻を二、三度揺らし、陸吾りくごは2本の足でゆくっりと立ち上がる。

 皿へと近寄ると、フォークを使わず、手で腸詰めを口へと運んだ。


「ねえ、ユウさん……」


 呼び掛けても陸吾は何も応えない。

 食事に夢中となっている。


 ユウと同じ姿をした、式であった陸吾が魔物となっていた。

 その肩に乗せてくれたときの暖かさも、心地よさも知っている。


 だが、敵意を示そうものなら、躊躇ちゅうちょもなく、爪と大剣でルシウスを切り裂くだろう。


 もうユウではないという、実感がき起こる。

 同時、初めて瞳から大粒の涙がこぼれた。


 腸詰めを食べていた陸吾が、涙を流すルシウスの顔をまじまじと見つめる。

 何を思ったのか、腸詰めの一本をルシウスへ差し出した。



『ルシウス、食べてみるか? 塩で食べるとうまいぞ』



 そう、ユウに言われた気がした。


「ありがとうございます」


 ルシウスは手で受け取り、口へ運ぶ。


 相変わらず酸味とえぐ味が強い。

 一点違う事があるとすれば、前回より塩味を強く感じる事くらいか。



『大人になれば、この味がわかるようになる』



 再び、ユウの声が聞こえた気がする。

 ルシウスは無理やり口の中にあるものをのどの奥へ流し込んだ。


「……本当だ。大人になると……美味しいんですね」


 ルシウスは涙を拭い、邪竜へと飛び乗った。


 空へと舞い上がりながら、振り返る。


 すると、岩陰に隠れていたのか、2匹の麒麟きりんが、陸吾の横へと座った。


 ほとんどの魔物に雌雄はない。

 たが、2匹の麒麟は仲睦なかむつまじく、つがいのように思えた。


 麒麟のうち1体には、胸に大きな傷跡がある。

 剣で心臓を貫かれたあとのようだ。


 3体の瑞獣ずいじゅうの周りには、風に吹かれ、花が揺れている。


 紫丁香花ライラックスミレ花菖蒲アイリス

 そして、月桂樹。


 なぜか、ルシウスには、小さく揺れる薄黄色の花が、笑っている幼いローレンのように思えた。


「ローレン……ご両親は、きっと君を愛していたよ」


 ルシウスは、再び前へと視線を戻した。


 後ろ髪を惹かれる。

 だが、もう振り返ることはしないと心に決めた。


 童心を虎のもとへ残し、陽光が射す、雲ひとつない空へと羽ばたいていった。


「僕が……がローレンを守ります。だから、ユウさんも安らかに」


 ======================

 ご覧いただき、ありがとうございます。


 以上、

【第一部 誕生〜少年編】完結となります。


 元々キリが良いので、ここで完結にする予定でした。

 ですが、男爵無双をここまで読んでいただけた方への感謝もあり、この世界の真相とルシウスの行きつく先まで書きたいと思います。


 カクヨムの仕様と作品の間口の狭さから、これ以上、書いてもあまりポイントは増えないでしょうが、それは一旦、横へ置いておきます。


 第二部については、おぼろげに見せ場は頭に浮かんでいる状態ですが、詳細のストーリーがまだ白紙状態です。

 残る2つの魔核と契約させる魔物も、候補はあるものの決定しておりません。


 構成を考えるため、再投稿開始まで、しばしお時間を頂きます。


 P.S.

 ああぁ、グフェル婆さん入れたかった。

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