第69話 決戦
ユウは1人、地へ伏していた。
血を流しすぎたのか、痛みを既に感じない。
――クラーク様、あと少しで参ります
主を、自らの手で殺した。
その時に託された願いは、タクト領とローレンを守ること。
麓町の代官に留まったのも、帝国がクーロン山を超えて攻めてくるという、主の言葉に従ったまでだ。
にもかかわらず、ユウ自身、その言葉を信じていなかった。
ユウだけではない。
誰もその言葉を信じなかった。
だが、現実のものとなった。
自国が、軍を揃えてタクト領までやって来るまでに、最短でも一週間は掛かるだろう。
間違いなく、軍が到着したときには、タクト領は地図上から消えている。
それも1人残らず帝国に連れ去られた後だ。
多少でも、軍事を理解している者なら、さっさとタクト領を捨てて、防衛拠点を構築する事に時間を使う。
遅かれ早かれ、タクト領が無くなることは、クーロン山を帝国軍が抜けた時点で、確定していた。
かつての主が言った通りだ。
州都が落とされれば、それこそ東部は終わるのだから。
――この世は絶望ばかりだな
あまりの悲劇に、いや喜劇に思わず笑いが、こみ上げた。
――俺は何の為に生まれてきたのだろう
己の人生の無意味さを、
それでも戦ったのは、1人でも多くの領民を逃がすためだ。
無論、ローレンが逃げる時間を稼ぐためでもある。
今するべきは防衛戦ではなく、撤退戦。
新領主のオリビア卿は
軍略に通じていなくても、家臣たちの言葉を汲み取り、おそらく撤退を決断するだろう。
もう既に動き始めているかもしれない。
だが、軍略の中でも、撤退戦は難しいとされる。
士気が低くなり易いのは当然のことながら、もとより戦力差や勝敗が明確だからこそ撤退するのだ。
しかも、戦えぬ大量の領民を連れて。
クラーク子爵は1人でも多くの領民を生かすために、【授魔の儀】を複数回、施した。
ならば、己も同じことをするまで。
もとより生き残るつもりなどなかった。
――ルシウス
心残り。
できれば逃げて欲しかった。
思えば不思議な子である。
あの齢とは思えぬ思慮深さがあると思えば、子供らしい無鉄砲な時もある。
どこか大人びており、それでいて純真。
まるで2つの人格が共存しているかのように感じていた。
――生きて欲しかった
すでに腕が上がらない。
「クラーク……様、申し訳ござい……ません」
主との約束を守れなかった事を詫びた。
せめて最期まで見届けようと、力を振り絞り、目を見開らく。
視界のすぐ上を、巨大な鳥のようなものが、視界を
見回すまでもなく、空を舞う大量の赤黒いワイバーンが目に飛び込んだ。
「な……んだ」
困惑する。
なぜワイバーンがという疑問が過る。
その時、聞き馴染みのある声が響いた。
「終わりだッ!」
声が聞こえた方へと首をわずかに倒す。
「ルシ……ウス……」
巨大な何かが、輝く宝剣で戦帝を斬りつけている。
3つ首の竜に騎乗した、黒い鎧の騎士。
その声の主がルシウスであることに気がつくまで、少し時間が掛かった。
信じ難いことに、劣勢は戦帝。
戦帝は、斬撃を受けずに逃げるように距離を置いた。
追撃するように左右の首が、息でも吹きかけるように炎のブレスを吐く。
戦帝はそれを、髪一重で交わした。
戦帝の横を通り過ぎた焦熱は、無数に獣兵たちの命を一飲みにし、煮えたぎる
獣兵たちは、自爆すら許されず、静かに崩れ去るのみ。
――威力が上がっている
空間を切り取ったかのような黒い線が
帝国兵や獣兵を吸い込み、
回避できなかった戦帝の左手を飲み込んだ。
――やったのか
戦帝は槍の
鎧自体に止血機能があるのか、たいして血を吹き出さず、圧黒のブレスから全速力で距離を置く。
一呼吸おいて、極限まで圧縮されたものを、自爆の衝撃と共に吐き出し、爆裂の
――凄まじい
怒涛に迫る死地の圧に、回避できる先が絞られる戦帝。
戦帝の顔色が曇る。
初めて焦りを見せていた。
避けた先に待ち構えていたルシウスが、三つ首の竜に騎乗したまま、剣を振り降ろす。
その太刀筋が、ルシウスであることを物語っていた。
見間違うはずがない。この2年、毎日見てきたものだ。
「早くッ!」
ルシウスが叫ぶと、二人の刃が交差する。
そのまま4度の斬り合いの末、勝敗がついに着く。
戦帝の槍が、叩き斬られた。
「貰ったッ!」
ルシウスが光をまとせた剣を振るう。
そのままルシウスが戦帝を斬り伏せると思ったとき、何かが、間に割り込んだ。
治療を放棄した征将である。
大剣を盾のように構えて、体を割りこませてきたのだ。
さらに集まった近衛兵達、数人の盾がルシウスの剣を抑える。
「陛下、ここはお引き下さいッ!!」
それでもルシウスの斬撃は完全には止まらない。
刃が少しずつ前へと押し出されていく。
盾から火花が飛び散り、大剣に亀裂が入る。
3人の親衛隊は盾を捨て、戦帝を取り囲んだ。
その中には負傷したブリジットも含まれている。
同時、戦帝が声を荒らげる。
「手を貸せッ!」
大剣を犠牲にすることで、ルシウスとの
「今はご自愛くださいッ!」
「いや、今こそが好機。時間を置けば置くほど、手がつけられなくなる」
戸惑う近衛兵たちとは、反対に、征将フューリーの瞳に覚悟が宿る。
「御免」
征将フューリーが皇帝の脇腹へ何かを突き刺したのだ。
途端、戦帝の崩れ落ちる。
「何を!?」
負傷したブリジットがすぐに戦帝を支えた。
「ブリジット、お前は皇帝陛下をお連れしろ。今、陛下を失うわけにはいかない」
意を理解した、ブリジットが小さく頷く。
そして、巨竜に乗ったルシウスが近寄った。
「そんなことを許すと思うのか?」
魔力を凝集させた剣先を向ける。
「……ワシが引き受ける。ブリジット、近衛ども、早く陛下を――」
言い終わる前に、邪竜が喰いかかった。
征将フューリーが折れた大剣で竜の牙を受け止めるが、肩の一部が吹き飛んだ。
ブレスを撒き散らす邪竜の攻撃を、文字通り、身を削りながら受け止め続けるフューリー。
近衛兵達が怯えるように、羽のある馬へ戦帝を乗せ、すぐに飛び立った。
「逃……げる……な」
今すぐ追いかけたいが、すでにユウの体は、全く言うことを聞かない。
立ち上がることすら出来ず、ただただ皇帝を乗せた羽馬の背後が小さくなっていく様子を
敵の総大将を取り逃がした。
だが、ユウは同時に、確信する。
――勝利した
かつて、主が追い求めた存在。
いくつもの偶然が重なり合い、本当の
――無駄ではなかった……全て
そう思えた。
死がすぐに己を飲み込むだろう。
それでも救われた気持ちで満たされている。
安堵とともに、かろうじて保っていたユウの意識が途切れた。
◆ ◆ ◆
ルシウスは最後の魔力を振り絞り、邪竜を急がせていた。
黒い鎧はもうまとっていない。
片手にはフューリーから奪い返したジョセフの脳。
背後には、瀕死のユウ。
邪竜と共に帝国兵達を焼き払うと、最後の飛行船に帝国兵が乗り込み、クーロン山の奥へと撤退して行ったのだ。
帝国のトップがすぐそこにいた。
そのまま追って
何より、いち早くユウを助けたかった。
「ユウさんッ! あと少しですッ!!」
先程からいくら声をかけても反応しない。
式を権限させている際の傷は大半を式が受け持ってくれる。
人とは比較にならないほどの回復力をもつ式は、大抵の傷は数日も経てば治癒してしまう。
しかし、その式ですら
ユウの体調が悪化しない速度限界で飛翔する。
領主の街を通り過ぎ、州都へと向かう街道の途中、人の列が目に飛び込んできた。
見つけるなりルシウスはすぐに邪竜を、オリビアが入るであろう最後尾へと向かわせる。
地表へと降りると同時に邪竜は黒い粒子となって消えた。
「オリビアッ!! 治癒の術式が使える人をッ!」
ルシウスは視界にも入っていないオリビアに向かって、大声で叫ぶ。
すぐに人だかりをかき分けて、オリビアが現れる。
後ろからリーリンツ卿とカラン師団長が続いた。
ユウの姿を見るなり、状況を察したのか、すぐに家臣へと手配してくれた。
待っている間に矢継ぎ早に尋ねかけてくる。
「ルシウス、戦況は!? 帝国が撤退していたみたいだけど、何か情報は無い!?」
諸侯や騎士たちも一斉にルシウスへ注目する。
一方、タクト兵たちは、ユウの状態を食い入るように見守っている。
「もう帝国軍は撤退したよ。もう戻ってこないと思う」
どよめきが沸き起こった。
オリビアはすぐに立ち上がり、檄を飛ばす。
「麓町へもっと偵察を送って、状況の確認をッ! 誰か最前へ行って歩みを緩めるように指示を出してッ! 怪我人と病人の治療を優先するようにッ!」
オリビアが的確に指示を与えたとき、壮年の女性が人だかりをかき分けて、現れた。
どうやら治癒の術式が使える人のようだ。
治療を何人もしたのか、すでに顔が青白い。
女性の体に白い鱗が生え、目が細くなり蛇のような目となる。
白蛇の獣人に似た姿の女性が地面に横たわるユウへ手をかざし、魔力がユウへと流れ込んでいく。
「うぐッ」
ユウの目が少しだけ開いた。
「ユウさん! 良かったぁ」
安堵したのも束の間。
白蛇の女性が首を降った。
「私には治療できません。内臓の損傷が酷すぎます」
言葉が頭に入ってこない。
「ねぇ、お願いです……真剣にやってくださいよ…………大事な人なんです」
ルシウスは
「無理なものは、無理です」
「……ローレ……ン……ルシ……ウス」
うわ言のようにユウの口が動く。
「ここです! ユウさん、気をしっかり持ってください! 必ず助かります」
ユウの血色が無い唇が、小さく動くばかりで言葉にならない。
諦めかけた白蛇の女性が、ユウから手を引こうとした。
「待ってください!」
ルシウスはそれを止めた。
――絶対に、今は駄目だ
「ローレン! ローレンッッ!! 僕だ、ルシウスだ! 早くここに来て! 今すぐッ!」
ルシウスはあらん限りの声を張り上げた。
ほどなく、領民の人だかりが、2つに分かれる。
その間を走る少女。
ローレンだ。
「ローレンッ! 急いでッッ!」
すぐに肩で息をする少女が、2人の元へ、たどり着いた。
「ユウさん……ユウさん……ユウさん!」
ローレンがユウの手を握って、声をかける。
「ユウさん! ここに居ます!」
ルシウスも語りかけると、少しだけユウの目が開いた。
視点の定まらない目を浮かべている。
「あ……りが……と……う」
ユウが最後の言葉を振り絞ると、ユウの体が大きくうなだれた。
とても穏やかな表情を浮かべながら。
「……嘘だ」
ユウの額から粒子が立ち上り、
虎姿の
陸吾がまるで大切な赤子を抱えるように、ユウの
虎の瞳に
「お願いです……ユウさんを……うぐッ……連れて行かないでください」
ローレンが顔をぐちゃぐちゃにしながら、陸吾へと抱きついた。
「ローレン!」
陸吾はもう式ではない。
魔物である。
ルシウスがローレンへと駆け寄ろうとしたとき、陸吾が優しい視線で、ローレンの手を静かに外した。
陸吾は最後にルシウスを横目でみると、ユウを抱えたまま、木陰へと消えていった。
跡には何も残らなかった。
「本当に……亡骸すら……残らないんだね」
ぽりつと言葉が漏れた。
それでも、はっきりとを覚えている。
その声も。その暖かさも。
戦勝の歓喜に周囲が喜ぶ中、ルシウスは泣き崩れるローレンの肩を抱き寄せた。
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