第68話 空を覆う魔力

 戦帝から痛烈な槍の一撃が襲いかかる。


 音すら置き去りにする戦帝ベネディクトの槍のえは、すでに剣で受けることもできない。


 再び、視界に何かが混じる。


 赤い竜の首。

 白い龍の首。


 2頭とも、無念に満ちた濁った目を浮かべている。


 そこへ黒銀の鱗に包まれた腕が伸びる。


 ――邪竜の視覚……



 以前、ユウが言っていた。

 式との感覚の共有は可能だと。


 そして、限界を迎えた盾が破壊される。

 戦帝の攻撃は止まない。


 紫電をまとった槍がルシウスの肩を貫いた。

 槍を黒い鎧で覆われた手で掴む。


「無駄だ。5重の金剛こんごうの術式も発動させている。力でも負けるつもりはない」


 力の押し付け合いにより、両者が拮抗きっこうし、2人は硬直した。


 ――どうすれば、勝てる


 そう考えた時。

 左手の魔核を通じて、強い思念が流れ込んでくる。


『力を与えろ』


 邪竜の念。


 力は、もう十分だと思っていた。

 邪竜の力も、蚩尤の力も隔絶したものだと。

 

 だが、足りない。


 ――ああ、与えてやるとも……だけど


 ルシウスの近くには、今にも息絶えそうになっているユウ。


 失われる領土。

 残酷な未来しか訪れない領民達。


 オリビアやローレンの首が並んだ姿が脳裏をかすめる。


「どうすれば……」


 命乞いのちごいだと思ったのか、ベネディクトが嬉しそうに声を上げる。


「安心したまえ。君の命はここでは奪わない。もっとも全員そうするつもりだがね」


「どうすれば……力を与えられる?」


「何を言っているんだ?」


 ルシウスは左手に魔力を込める。


「応えろ……今すぐにッ。今、与えてやるッ! 答えろよッッ!」


錯乱さくらんしたか。まあ、まだ子供だ。しかたない」


 戦帝ベネディクトはランスに更に力を込める。

 肩に食い込む槍にも構わず、ルシウスは邪竜へと問いかける。


「お前が求めたんだろうッ! 邪竜ッ!!」


 邪竜の視界が再び映る。


 赤い竜の首を喰らう。

 白い龍の首を喰らう。



 唐突。


 あまりに唐突に、邪竜が高濃度になり過ぎた、空気中の魔力を一気に吸い上げ始めた。


 魔力は精神に干渉する。

 大気中に漂うのは、戦場にあふれた、数多あまたの人間、数多の魔物の精神に触れた魔力。


 邪竜が苦痛にのたうち回る。


 直接、大量に他者の魔力を吸い上げるには、凄まじい苦痛が伴う。

 人より耐性があるとはいえ、魔物も例外ではない。


 それは邪竜と深く繋がり、同調しているルシウスへも同じだ。


「っがぅッ!!! ぎぐッあああああッッッ!!!」


 あまりの痛みに精神が崩壊しそうだ。

 脳に直接あらゆる懊悩おうのう、苦痛、無念、快楽、恐怖、愉悦ゆえつを叩き込まれていく。


 しかも、それは1人分ではない。

 数百、数千の人と魔物の感情が流れ込んでくる。


 ――頭が割れるッッ


【授魔の儀】と同じ、いや、それ以上の痛みが左手から全身へ、脳へと拡がった。


「……大丈夫かね?」


 状況がわからない皇帝ベネディクトは奇っ怪なものでも見るように、ルシウスを眺める。


「全く状況が分からんよ。ともかく連れて行く」


 戦帝ベネディクトが終わらせる為、ランスへと力を込める。

 しかし、突き上げるような剣の一閃が放たれた。


 戦帝がひらりと後方へ下がる。

 浅いが鎧には剣の切り傷があった。


「……急に鋭くなったね。まさか実力を隠していた?」


 戦帝と相対する黒い甲冑。


 甲冑は何も応えない。


 代わりに、鋭い斬撃を繰り出すのみ。

 先程まで余裕をもってかわしていた戦帝が、ランスで斬撃を受ける。

 いや、受けざるを得なかった。


「太刀筋からして違う。ルシウスじゃない……蚩尤しゆうだね?」


 黒い鎧は切り返し、一瞬の内に3度斬りつける。

 それを戦帝が全てランスで受け止めた。


「不甲斐ない主には任せられない、か」


 そのまま戦帝と蚩尤が幾度となく刃を交える。

 だが、双方の刃が欠けるばかりで、お互いの身には届かない。


 戦帝ベネディクトが切り結びながら、不可解そうに呟く。


「本気ではないな。人間へのあなどり、戦闘の快楽、技の見切り、どれも違う」


 蚩尤しゆうは無機質に、嵐のような斬撃を繰り出し続ける。


「……そうか、ルシウスが正気に戻るのを待ってるのだな。これは、時間稼ぎ。まったく魔物の考えは理解できないな。戻っても何も変わらない」


 一方、ルシウスは意識を失いかけていた。


 蚩尤のからに包まれながら、全身から油汗が吹き出している。


「はッ はッ はッ はッ はッ はッ はッ はッ」


 呼吸が浅く早くなる。

 深く息を吸い込むことすらできない。


『全てを取り込む』


 強烈な邪竜の思念が、頭に鳴り響き続ける。


 理解した。

 魔物の進化に必要なもの。


 ――魔力濃度と意思


 進化はクーロン山で、4年前と10年前に観測された。

 いずれも帝国の魔導具が使われ、魔石の魔力が大量に放出されたのだろう。


 4年前は、オリビアの兄が死んだ大規模戦闘が国境付近であった。

 その魔力がクーロン山へと流れてきたことにより、クーロン山の魔力濃度が局所的に高まった。


 10年前は何があったのかは定かではないが、クーロン山の近くで、大規模な魔導具を使う何かを帝国がしたのだろう。

 その魔力がクーロン山へ流れたのだ。


 魔導具にらずとも、おそらく偶発的な魔力濃度向上でも同様のことが起こるはず。


 今は過去と同じ状況。

 いや、魔力量としては遠隔地での戦闘などとは、比較にならないほどの魔力が漂っている。


 邪竜がルシウスへ、最後通告を突きつけたのは、それを敏感に察知したため。

 帝国軍の動きを邪竜が理解していたかは不明であるが、帝国軍の奇襲作戦に伴い、クーロン山の魔力が濃くなり続けていたのだろう。



 更に、契約者の意思。


 ある木こりの式は、魔物から逃れる為に、足の早い式へと進化した。


 ある猟師の式は、滑落する斜面から逃れる為に、空を飛べる式へと進化した。


 ある兵の式は、負傷した仲間を癒やす為に、治癒の力を持つ式へと進化した。



 そして、ルシウス。


 ――軍を打ち破る力を、戦帝を打ち破る力を……寄越せッ!



 流れ込む莫大な魔力。

 ルシウスの意思。


 今、交わる。



 ――『再誕』――



 先程、飛行船とともに邪竜が落ちた場所から、巨大な何かが飛び上がった。


「なんだ?」


 いち早く気配を察したベネディクトが振り返る。

 だが、その姿を捉えることは出来なかった。


 空に残像だけを残し、消え去ったからだ。


 次の瞬間。

 ルシウスの背後に巨大な何かが舞い降りた。


 それは魔力の塊。

 魔力を帯びた暴力そのものと言っても過言ではない。



 3つ首の邪竜。


 黒銀の鱗。

 羽や鱗の一部に赤い紋様が浮かぶ。

 銀の光沢は輝きを増し、光を反射し純白を思わせる。


 黒銀の邪竜の姿から、2回りは大きくなっている。

 太くなった腕、尾、胴体。


 体の肥大に合わせて倍ほどになったと思われる翼。


 何より3つ首。

 金色の瞳、赤い瞳、翡翠の瞳。

 3つの首、6つの瞳がベネディクトを、獰猛に見据えていた。


 左右の首たちは屈辱くつじょくを返さなければ許せないとばかりに、今にも喰いかかりそうだ。


 中央の首が、それを抑止している。

 あくまでルシウスの命令を待つつもりのようだ。


 蚩尤しゆうがルシウスへ体を返す。


「……思いのまま戦え」


 邪竜は狂喜とともにベネディクトへと襲いかかる。

 鎖を食いちぎった獣の様に。


「多少、図体が大きくなったからと言って、何だと言うのだ」


 戦帝は、槍に振動をまとわせて応戦する。


 襲いかかる3つの首をすり抜け、邪竜の胸元へと突き刺した。

 そして、そのまま槍の雷が爆ぜる。


「全然、硬さは変わってないね、大層な登場の仕方だったけど、結果は変わらない」


 傷から、大量の血が吹き出した。

 その血が、戦場へと降り注ぐ。


 だが、戦帝がランスを手元に引き戻したときには、傷は既に無くなっていた。


「超再生、か」


 一方、降り注いだ血は、赤い水たまりとなった。


 血の水たまりが、原生生物のように赤い触手を、縦横無尽じゅうおうむじんに伸ばし始めたのだ。


「血溜まりが兵を襲っている……」


 触手は、周囲に居る獣兵や帝国兵を掴むと、赤い水たまりに放り投げていく。

 一瞬で、数百の命を飲み込んだ血池の中から、何かがい出て来る。


 馬2頭分ほどの大きさだろうか。


 い出てきたものには赤黒い鱗と翼があった。

 前足と翼が一体となった亜竜。


 それも1つではない。

 血の池の中、無数にうごめいている。


 驚いたベネディクトは、思わず後方へ下がった。


「ワイバーン?」



 ――――――



「サヴィトリ、加護をッ」


 カラン師団長の掛け声と共に、背後の魔法陣から魔力が放たれる。


 前線に立つのは、九尾を宿したリーリンツ卿を始めとした、東部の諸侯、騎士、兵達である。


 後退を始めてから、無数のゴブリン達が断続的に襲い掛かってきていた。


「後ろに下がってッ!」


 オリビアが騎乗したグリフォンの翼から、無数の流星が放たれる。

 光の流星が、襲いかかる獣兵の波をぎ倒す。


 一拍いっぱく置き、一斉に自爆した。

 辺り一帯、血の匂いが混ざった風が吹き荒れる。


「相変わらず凄まじいな」


 何度見ても驚嘆を隠せないリーリンツ卿、諸侯、騎士達。

 それを誇らしげに受けるタクト兵達。


 殿しんがりで戦い続けているのは、四大貴族に名を連ねる者達である。


 否が応でも、貴族や騎士たちの士気は上がる。

 当然、当人たちは、それを見越して戦っているのだが。


 その中でも異彩を放つのはオリビア。

 1級のグリフォンは、既に部隊の主力であり、今や支柱でもあった。


 そのオリビアは冷や汗を流しながらリーリンツ卿の横へ並ぶ。


「襲撃の間隔が短かくなってます」


「ああ、そうじゃな」


 リーリンツ卿が、背後を怯えながら歩く民へと、視線を送る。

 家財も持たずに身一つで逃げている領民たちが、延々と列を成していた。


 襲撃の頻度が増している。

 つまり帝国の手勢が、迫っていることを意味していた。


 今のところ対処はできているが、本隊が来れば、一瞬で飲み込まれるだろう。


 リーリンツ卿が口惜しそうに小声を漏らした。


「着いて来れぬ者を置いていくしか無いのかッ」


 民の歩みは遅い。

 子供、老人、病人、怪我人も居る。


 助かる者だけでも、という考えが浮かぶのは為政者ゆえか、それとも人のさがか。


「次の獣兵と帝国兵が、また現れましたッッ!」


 偵察の声が辺りに響く。


「もう来たのかッ!?」


 皆、息を呑む。

 あまりに短すぎる。

 すでに本隊が到達したのではないか、という疑念が頭をよぎった。


 すぐに、前方のなだらかな斜面からゴブリンやトロール達、そして馬にまたがった帝国兵たちが駆け上がってきた。


「泣き言を言っても、致し方ないの」


 リーリンツ卿が、固唾を飲み込みながら、矛を構える。

 他の諸侯や騎士たちも続く。


 だが、様子がおかしい。

 襲撃というより、逃げ惑っているかのように足並みが揃っていない。


「何だ……あれは……」


 リーリンツ卿がこぼした言葉の通り不可解な光景が広がった。


「……ワイバーンの群れが帝国兵を襲ってる」


 10体ほどの赤黒いワイバーン。

 空を飛ぶ魔物が、背後から帝国兵たちを襲撃していたのだ。


 赤い粒子を吐きつけていることから、ブラッドワイバーンだろう。


 北部の一部に生息する1級の魔物であり、その凶暴性と毒性からグリフォンとは別の意味で危険視されている。


 強い腐蝕毒ふしょくどくを吐く上位の亜竜種で、そのブレスは生物はもとより、金属や岩ですら溶かしてしまう。

 もちろん溶かすだけでなく、強力な劇毒でもある。


 オリビアは訳も分からず、声が漏れる。


「なぜ、東部に」


 ブラッドワイバーンは毒樹木や毒草が生い茂る森から、滅多に出て来ることはない、と聞いていた。


 だが、目の前には群れが居る。

 そして、更に不可解なものが視界に入った。


「……亜竜に騎士が乗ってる。いや、あれはルシウスの鎧兵?」


 空から帝国兵や獣兵に向けて、腐蝕毒のブレスを撒き散らすワイバーン。


 鎧や手にした装備が、一瞬で黒く変色し、錆び過ぎた鉄のように崩れ落ちていく。

 当然、溶け落ちる装備に包まれた肉も同じように。


 さらにブレスの直撃から逃げられた者も、毒により体の自由を奪われる。

 それを感情なく機械的に突き刺していく鎧兵。


 鎧兵の手には帝国の武器が握られているが、術式を使っていない。

 ただの槍や剣として使っているのだろう。


 呆然と眺めている間に、竜騎士たちは、帝国兵や獣兵を溶かし尽くした。


 溶け落ちた帝国兵や獣兵のを、地に舞い降りたブラッドワイバーンたちがすすり、魔力を回復させる。

 その間、鎧兵が、まだ溶けていない武器を回収していく。


「なんじゃ、あれは……竜騎士団が黄泉帰ったとでもいうのか」


 リーリンツ卿が言葉を失う。

 その他、領民も含めて、場にいる全ての人間が、呆然としたまま口を開けている。


 啜り尽くした竜騎士たちは、きびすを返すように、もと来た方角へと飛翔して行った。


逓信ていしん班、返信あり! 今、連絡が取れました!」


 突如、騎士団の1人から報告が上がる。

 リ―リンツ卿の顔が明るくなった。


「……生きておったのか」


 帝国軍の状況を探らせる為、向かわせた部隊からの連絡であった。


「早く、千里眼の術式を繋げ! 帝国軍の状況を!」


 リ―リンツ卿の掛け声に呼応するように、他の騎士が声を上げる。


「外部通信の要請がありますッ!」


「この忙しいときに、外部などどうでも良いッ!」


「で、ですが、これは陛下の署名です」


「陛下?」


「その他、西部、南部、北部の州都からの要請が続きます。いずれも四大貴族の暗号文ですッ!」


 カラン師団長が笑いながらリーリンツ卿の横に立つ。


「この戦いの重大さが分かっているようですね。国の将来が掛かっていますから」


 オリビアが提案する。


「皆、会話が望みではないでしょう。代わりに千里眼の像を、転送して差し上げましょう」


「……そうじゃな」


 リーリンツ卿が指示すると、皆の前に3メートル程の水の鏡が浮き上がる。

 すぐさま水鏡の中に、像が結ばれた。


「何じゃ、これは!?」


 リーリンツ卿が悲鳴に近い声を上げる。


 映し出された像には、百を超える、騎士を乗せたワイバーンが飛び回っているのだ。


 それも、一方的な蹂躙じゅうりんである。


 地上を逃げ惑うのは帝国兵や獣兵。

 先程、目の前で見たように、空からブラッドワイバーンが、赤い粒子である腐蝕毒のブレスを吹き掛けている。


 崩れゆく者達。

 毒にもだえる者達。

 無情に鎧兵に突き刺されていく者達。


 空を飛ぶ帝国の兵器も、空いた甲板から内部へと腐蝕毒のブレスを流しこまれ、次々と墜落していく。


 「訳がわからん」


 全く状況の理解が追いつかない戦場である。

 これを戦場と言って良いのかは定かではないが。


 時折。

 何かから、放たれた3本の線が戦場を切り裂いている。


 2本は赤い線。

 1本は黒い線。


 雲を焼き尽くし、大地をえぐるその力はオリビアも知っている。


 邪竜のブレス。


 思わずため息に近い笑いが出る。


「ルシウスが、また何かしたのね」

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