第104話 もう一人のルーシャル

 数日経った昼頃。

 ルシウスは宿舎の裏庭にいた。


 明朝から逓信ていしんの術式により、領の復興について報告を受け、指示を出す。

 その後、急いで昼食を摂り、式術の訓練に励んでいた。

 

 ずっと続けていた剣術と槍術の他に式術の訓練まで加わる形だ。当然、領主として武芸だけではなく、所々の分野の書物も読み込まなくてはならない。

 とにかくやることだけは多くあるのだった。


 そんなルシウスが大きく深呼吸をする。


 口の奥にある詠口魔核から魔力を集めて、ゆっくりと形にした。



 ――拡狭こうきょうたい


 現れたのは防魔の盾。


 いつもは胴体が隠れるほどの大盾と中盾の間くらいの盾である。

 

 それが僅かに小さくなっている。

 見慣れたルシウスでなければ気が付かない程度ではある。


 盾をすぐさま魔力へと還す。



 ――遠隔のたい


 次に、右手にある砲手魔核から魔力を集め、盾を顕現させる。


 手元ではなく、少し離れた場所にである。

 歩幅にして2歩ほどの距離。


 顕現したばかりの盾が音を立てて、地面へと倒れた。



 ――親疎しんそたい


 次は左手にある騎手魔核から魔力を集め、宝剣を作り出す。

 2歩先で倒れている盾が、宝剣へと吸い寄せられ、半歩分ほど動いた。



 ――鋼衣こういたい


 最後に目の奥にある白眼魔核から魔力を取り出し、首にかけた手ぬぐいに魔力を流した。


 布を張り、宝剣で軽く引く。

 すぐに切れてしまうが僅かに手応えがある。



 ルシウスは一連を終えると、土のうえに腰を投げ出した。


「どこか簡単なんだか」


 4つの魔核を持つルシウスにとっては、難しくないと近衛師団長は言っていたが、思った以上に難しい。


 少なくと年単位での訓練を積まないと実戦に活かせる気がしない。


にいに、何している?」


「やあ、イーリス。ちょっと式術の練習をね」


 裏庭へ通じる扉から出てきたのは妹のイーリスである。


 式を用いる式術には三錬さんれん四能したい一如いちじょという技があり、ルシウスは四能したいを習得しようとしている。


「しきじゅつ?」


 イーリスは不思議そうな顔を浮かべた。


「いや大丈夫だよ。イーリスはどうしたの? 母さんはどこかにお出かけ?」


「あ! 誰か呼んでた!」


「呼んでた?」


 ルシウスは汗を拭きながら、宝剣も防魔の盾も魔力へを還す。

 そして、寄宿舎へのダイニングへと急いだ。


 すると、仕立ての良いメイド服を着た40代の女が訪れていた。


「お初にお目にかかります。ルシウス男爵。私はルーシャル=ソウシ=ウィンザーの使いでございます。お迎えにあがりました」


「ルーシャル殿下……」


 ルシウスの脳裏に顔を焼かれ、鎖に繋がれた女の姿がチラつく。


「はて、何か行き違いでもありましたでしょうか? あらかじめ本日の面会について、書状をお送りしておりましたが」


 王都について早々届いた書状のことを思い返す。


「いえ、迎えが思った以上に早かったので」


「それは失礼をば。王都の道は混みますゆえ」


「いえ、問題ありません」


 ルシウスは誘われるまま馬車へと足を踏み込んだ。


 人が往来する道を低速で進み、着いた場所は王城の一角。

 貴賓きひんが滞在する場所である。


 その中でも最も格式が高い中央の一室へと通された。


「ようこそ、おいでくださいました。ルシウス卿」


 扉を開くと部屋には家臣と屈強な騎士たちが並んでいた。


 中央に立つのは一人の女。

 二十歳前後の顔には覚えがある。


「ルーシャル……殿下」


 女は愛らしく、気品のある礼でルシウスを出迎えた。


「はじめまして。ルーシャルとお呼び下さい」

 

 牢に繋がれた女とは全く違う立ち振舞であった。

 それでも姿形は瓜二つで、声まで同じである。


「ルシウス=ノリス=ドラグオンと申します。この度はお呼びいただき恐悦至極にございます」


 少しの間、あっけに取られていたルシウスも、すぐに一礼をする。


「あら、とても紳士なお方ですね。もっと鬼神のような方だと思っておりましたのに。ともかくこちらへ」


 促されたテーブルには既に紅茶が温められていた。

 ルーシャルが席に座るのを待ち、ルシウスも席へとつく。


「本日はどういったご要件でしょうか?」


「そうお急ぎにならずに。まずはお茶でもいかがですか?」


「……では遠慮なく」


 警戒の中、カップに口をつける。


 まさかただの世間話をしに呼びつけたわけではあるまい。

 領地の周辺諸侯であれば既知を得るため、さしたる話題がなくとも交流はするが、遠く離れた他州の次期盟主が、一介の男爵に対してするはずがない。


「美味しい紅茶ですね」


「お口にあったようで、よかったです。南部で取れた茶葉のうち最高級のものを用意させましたの」


「ええ。これに文句言う者はおりません」


 二人の視線が合った。


 調子が狂う。

 同じ顔をしていたもう一人のルーシャルであれば、冗談の1つでもいいながら本題を切り出しているだろう。


 ――何が狙いだ?


 いぶかしく思いながら、しばらく中身のない世間話ばかり続く。

 そんなとき、ルーシャルが視線を逸らした。


「ルシウス卿、少し恥ずかしいです。先程から顔をそこまで凝視されては」


「し、失礼いたしました。あまりに似ていたもので」


 ――あ、しまった


 思わず牢に繋がれた女の事が口から出てしまった。

 自身の名を騙る偽物と似ていましたよと、本人へ、しかもこの上なく高貴な人間へ告げるものではない。


「そんなに……似ておりましたか?」


 ルーシャルは微笑んだまま、ひどく寂しそうな顔を浮かべる。

 同時、南部の騎士たちの剣呑な雰囲気を醸し出しはじめた。


「似ては……おります」


「そうですか」


 ルーシャルが、冷めた紅茶を口に含む。

 そして、意を決したように本題を切り出した。


「今日お呼び立てしたのは……あの罪人について、お願いがありまして」


「はい。貴方の兄君であるカラン師団長からもお願いをうけました。拷問による取り調べを止め、刑の執行を早めるように働きかけて欲しいと」


 ルーシャルは笑みを絶やさない。


 涙1つ流してないが、彼女の瞳は泣いているように映った。

 なぜなら、もう一人のルーシャルも同じ瞳を、かつてのぞかせていたからだ。

 ルシウスとクレインへと月の刃を降らせる時に。


 ――本物の双子だ


 そう確信する。


「そのことなのですが、あの罪人を許してあげられないでしょうか?」


「許す……」


 笑みを浮かべたままのルーシャル。


「彼女がルシウス卿とオルレアス家の次期当主を殺しかけたことも、多くのドワーフが犠牲になったことも、すべて承知しております。それでも……もし許していただけるなら、私が南部の盟主となった際に、貴方の領であるオーリデルヴへの援助を惜しみません」


 すぐさま家臣の1人がルーシャルへと近づき耳打ちする。

 いさめる言葉であることは疑いようがない。


 ――独断か


 理由こそ口にしなかったが、許しを求める発言自体が、血縁を認めているとも取れる。


 あくまで南部の盟主、つまり実父の決定は、王候補を騙る罪人として処罰すること。

 理屈は不明だが南部の民を生き残らせるために、自身の手を血で染めた挙げ句、失敗により知らぬ存ぜぬで実父にも切り捨てられた女。


 そんな片割れを救いたい一心で、危ない橋を渡ろうとしているのだろう。



「…………構いませんよ」


 ルーシャルの瞳が朗色の染まる。


 ルシウスとて嫌いではない。

 確かに襲われたが、ルシウスもクレインも生きている。


 隔壁が破られたことにより死んだドワーフ達もいるが、意図してやったことではない。人目につかず、誰もいない場所で暗殺を企てた結果、地下に人がいたなどと想像できはしまい。


 きっとドワーフたちもルシウスの判断であれば、認めてはくれるだろう。許しはしないだろうが。


「その代わり、あの人の名を教えてもらえませんか? 偽物としてではなく、あの人自身と向き合って話をしたいのです」


 始めてルーシャルの表情が崩れる。

 ずっと笑みを絶やさずにいた顔が焦りを帯びていた。



「……それは……」


 部屋の扉が突然、開いた。

 ノックも無く、カシャカシャと足音を立てて、部屋へ入る者たちがある。


「ルーシャル。勝手な事をしてもらっては困る」


「ディオン様」


 兵を伴って現れたのは西部の王候補ディオンである。

 その表情は以前見たときより、更に冷たく感じる。


 対して悲壮感を漂わせ、顔を青くするルーシャル。


「君の父、ソウシ卿の承諾は得ているのか?」


「いえ。ですが、説得してみせます」


「それが困ると言っている。卿は知らぬだろうが、今はなのだ」


「お父様も兄様あにさま姉様あねさま達も、皆同じことをおっしゃいます。何が起ころうというのですか? それに、あの子も……急にあんな……」


 まるでルシウスなど視界に入っていないかのように会話を進めるディオンとルーシャル。


「ソウシ卿が教えていないのなら、それまで。だが、切り捨るべきは切り捨てよ。たとえ誰であろうとも、何も選べぬ者に未来はない。」


「切り捨る……」


 ルーシャルが言葉に詰まると、広間に沈黙が流れた。

 家臣も兵たちも一言も発さない。


 そんな中、ルシウスが1人声を上げた。


「ディオン殿下、お久しぶりです」


 立ったまま見下すディオン。


「……座って挨拶か。領主となっただけで随分と偉くなったものだな」


 話の途中に、急に部屋に入ってきたのはディオンである。

 そのため立つ必要などないのだが、ルシウスはスッと椅子から立ち上がり、深く礼をする。


「失礼いたしました。ディオン殿下」


「あれだけの災禍の中、生き残るとは、随分と強い生命力だ。害虫でももう少し可愛げがあるものだ」


「オルレアンス家とドワーフに救われました」


「西部を取らぬとはオルレアンス家には失望したぞ。また、亜人どもを領民とするなどと、ルシウス卿はどこまで我が国の歴史を踏みにじれば気が済むのだ?」


 ものの言いように引っかかりは覚えるが、ルシウスは努めて冷静に返答を続ける。


「かつて王国とドワーフは共に有りました。むしろ原点へ戻ろうと言っているのです」


「ほう。魔物に滅ぼされた時代を目指すというのは随分と酔狂な領主だな」


「次は何があっても私が守り抜きます。それが貴族の責務です」


「責務、か。貴族とは選定者である。何を残し、何を捨てるかを決め、次の時代の規律を作り、世を平定せしめるのだ」


 それはルシウスが知る貴族のあり方ではない。


「いえ、貴族は民の剣であり盾です」


「違う。貴族は民を選ぶ者だ。特級の式を持つがゆえ、増長しているようだが、切り捨てられぬ者の先はくらい。付き従う家臣が哀れよ」


 ルシウスがディオンの瞳をまっすぐと見つめる。


「殿下……私が何かしましたでしょうか? 貴方には死霊の群れに襲われた際、援護していただきました。感謝こそすれ、何か思うことなどありません」


 ディオンが睨みつける。


「なれば、大人しくしていることだ。下がれ」


 面と向かって下がれと言われれば、それまで。

 ルシウスは一礼して部屋を後にする。


 牢屋に繋がれたもう一人のルーシャルのことについては話が有耶無耶になってしまった。おそらく雲の上での話合い次第といったところか。

 

 今できることは無いとルシウスは宿舎へと歩いて戻るのであった。





 ◆ ◆ ◆


 その夜。


 絢爛豪華な大部屋に多くの人が集まっていた。


 アメジストの柱に、各種宝石を埋め込まれた大理石の天井と壁。

 水晶を惜しみなく使われたシャンデリア。

 そして、それらを彩る国中から集められた絵画たち。


 北部や東部の盟主でも、これほどのぜいを凝らした大部屋は持たないだろう。


 その部屋の中心に置かれたソファーには、2人の男女が相対するように座っていた。


 腰を預ける女はウェシテ=ウィンザー公爵ことアデライード卿。


 名実ともに王国のNo.2である。

 西部での影響力としては、王をしのぐと言っても過言ではない。


 対面に座っている男はヴァンサン=ウェシテ=ジラルド。

 塔の管理を任された貴族である。


 2人の背後には、西部の貴族や家臣、従者たちが直立不動で控えている。

 その数は50を超えるほど。


 後、1人座っているものがいる。

 ディオンである。


 ただソファーではない。母が座るソファーの前で、床に直接座り込み、母の膝へ頭を預けていた。


 ジラルド子爵がまず口を開く。


「アデル。知っていると思うが、あのルシウスが今日、塔へ着たぞ」


 アデライード卿はひざの上にある息子の頭を撫でる。

 時折、右の首筋を押さえるように手を深く押し付けながら。


「もちろん知っておる」


「対処は本当にあれで良いのか?」


 ジラルド子爵は少し納得が言っていないようだ。


「もちろんじゃ。齢が近く、最もあわれなものをあてがったのだろう? あれは俗物ゆえに下賤げせんな者とはいえ、憐れなものに手を貸そうとするだろう」


「ああ、親を早くに亡くし、幼い弟を抱え、自身も呪われている者を」


「ならば、首輪をかけたも同然。ことは順調に運んでおる。しばらく塔を登らせて於けば良い。我が生家の庭へと足を運ばせた甲斐もあったというもの」


 アデライード卿はディオンのほほに指を添わせた。


「母上。十全に事は運ぶのでしょうか」


 ディオンがつぶやいた。


「万障を廃しておる。もはやルシウスにできることは何も無い」


「……ルシウス……」


 仄暗い炎が瞳に宿るディオン。


「奴に死を……この私から魔剣と尊厳を奪った奴に……」


「塔の人形遣いどもでは無理よの。だが罪は与えられる。そうであろう? セクタス」


 ジラルド子爵の背後から1人の青年が進み出た。


 セクタス=ノリス=ゲーデン。

 ルシウスと同郷の北部の貴族の息子である。


「お任せ下さい。人形遣いどもを潰すだけのこと」


 深く頭を垂れたセクタス。


「……母上」


 自信を見せるセクタスとは反対に、母の膝のうえディオンは疑り深い視線を送る。


「心配せずともよい。ディオンこそ王の器。母はお前を次の王にしてみせる。どれほどのものを切り捨てようともな」


 ジラルド子爵が堪らず声を上げた。

 悪戯の真相が知りたくてしかたがない子どものように。


「な、なあ! アデル姉様! そろそろ教えていただきたい。特級魔術師をどうやって討つのですか!?」


「ルシウスを討つがある。だが、ただ死んでもらっては意味がない。ディオンの為に死んでもらわねば」


「奥の手?」


 アデライード卿が殊更、強い笑みを浮かべた。




「転生者を屠る【狩人】」




「狩人? 誰なのですか、それは?」


「古くからある存在らしい。戦帝殿より教えていただいた。のう、そうであろう?【狩人】殿?」


 部屋の片隅の暗がりから現れたのは、使い古された革鎧と擦り切れたマントを身に着けた大男。


「何者!?」


 ジルドラ子爵や兵達が、咄嗟に右手を突き出した。

 いつでも砲魔を放てる型である。


「ヴァン。落ち着くのだ。【狩人】殿よ」


 無精髭を生やしてる。

 黒い伸びた髪で顔が隠れ、目も何も見ない。


「女……早く転生者に会わせろ」


 ただ睨んだだけで、凄まじい威圧が放たれる。

 大広間に居たすべての人間たちの背筋が凍るように伸びた。


 ただ1人を除いて。


「まあ、待たれよ、【狩人】殿。こちらにも機というものがある」


「知らぬ」


 狩人が大きく踏み出る。

 皆、怒気が部屋を満たし、焼け付くかのような気配に居場所を奪われるかのようだ。


 アデライード卿はソファーに腰掛けたまま、大男から目を離さない。


「ならば、こちらが持つ転生者の情報を渡すわけにはいかぬ。しかるべきに時を待て。あの場所で待っておるだけでよいのだ。必ずや転生者をそこに向かわせる」


 2人の視線が交差する。


「長い間、ずっと待ち続けてきた。いまさらだ。転生者は必ずや滅する」


「して、勝てるのだな? 特級魔術師ぞ?」


 大男は一切の表情を変えず、深い絶望を持つ瞳でアデライード卿を見据える。


「この国の人間は皆、弱く拙い」



「我が国最強の近衛師団長を、一方的に打ちのめしたその力。期待しておるぞ」


 アデライード卿は口元を扇で隠しながら、ほくそ笑んだ。

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