第103話 砲魔との契約
3人は森の中に居た。
第2層の一番下にあった魔法陣からは随分と上がった場所である。
壁に張り付いた迫り出した岩盤から岩盤へと
もはや正確な道順はキルギス族でなければわからないものとなっているようだ。
そして、ルシウスたちの前には、泥水で出来たアナグマがいた。
砲魔である。
そのアナグマは鎧兵たちへと抑えつけられている。
「今だよ」
「はい」
ローレンが少し進み出て、腕輪についた鎖を少し揺らして当てる。
砲魔と契約するための遺物【砲魔の手枷】である。
だが、何も起こらない。
「駄目そうです」
ローレンが申し訳無さそうにうつむいた
「これも、だめか」
かれこれ30体ほど試したが、一向に契約できる気配がない。
「砲魔は執念深くて攻撃的なのが多いから、どうしてもローレンの性格と相性が悪いんだと思います」
周囲を警戒していたメラニアが近寄ってきた。
傀儡のノクトは立哨したままだ。
「なかなかいませんね。私の式になってくれる砲魔」
「大人しい性格の砲魔もたまには居るから。大丈夫! 元気出して!」
メラニアが翼をバタバタとして慰める。
「はい、がんばります」
額に汗を浮かべるローレン。
「ねえ、メラニア。いろんな砲魔を試すのなら、わざわざ上に登らなくていいじゃない? ローレンが大変そうだし」
メラニアが首を振る。
「ローレンはともかくルシウス様はもっと上に行かないといけません。できるだけ上層を目指したほうがいいです。その方が次回来た時に早く上に行けますから」
「早く行ける? どういう意味」
「先ほど第1層から第2層まで移動するときに魔法陣を使いましたよね。次にルシウス様が来られたとき、今日登った近くまでは一気に転移できるのです」
「もしかして、登った塔の高さに応じて転移先が変えられる?」
メラニアがうなずた。
「そうです。私だけであれば、第4層まで魔法陣でいけます。行ったことがありますから。でも1級を求めるルシウス様は、さらにその上の第5層まで自力で昇る必要があります」
「第5層か。結構時間が掛かりそうだな。塔自体、何層まであるの?」
ルシウスは空を見上げる。
疑似太陽というのだろうか。
複数の強烈な閃光を放つ天井の先は見えない。
「第6層まである、と言われております。第6層から生きて帰ったものはおりませんが」
上へ行けば行くほど強力な魔物がでるのであれば、第6層は特級の砲魔だらけなのかも知れない。
そんな場所に足を踏み入れれば、大半の者は帰ってこれないだろう。
「あ、それなら第5層まで騎獣に乗って飛んで行こうか。多分すぐだよ」
メラニアが首が取れそうなほど激しく振る。
「塔の中を騎獣で飛び回ろうものなら、砲魔たちの警戒度が上がって、最悪の場合、階層全ての砲魔と敵対してしまいます! 砲魔たちは序列社会を形成していて、情報が一瞬で拡散しますから」
「へぇ。魔物同士に上下関係があるっていうのも面白いな」
執念深く、攻撃的。そして序列に
西部の貴族のようだ。
「なら歩くか。ローレン、辛かったら背負うから言って」
「はい。もしものときはお願いするかもしれません」
3人は森の中を再び歩き始めた。
2つほどの岩盤を登りきり、滝へと続く水流を沿って歩いていたとき。
メラニアが森の奥を指さす。
「ローレン、あれはどう?」
目を凝らすと、川から少し外れた泉の上に、何かが飛んでいる。
――本?
水でできた本だ。
「あれはどんな砲魔のなのですか?」
「ダンタリオンという砲魔で、攻撃的ではないけど、少し厄介なやつ」
ダンタリオンと呼ばれた水の本は、ひとりでにページをめくっている。
「……試してみます」
ローレンは草を分け、ダンタリオンへ向かって歩き始めた。
「よし。なら手伝おう――おぁ」
ルシウスも進もうとしたのをメラニアが翼で止める。
「ルシウス様は他の砲魔が近寄らないか見張ってて下さい」
「ローレンに危険は?」
「直接的なものはありません。何より本人が聞かれたくないと思いますので」
メラニアの表情は真剣そのもの。
おそらく何か意図があるのだろう。
「……わかった」
ルシウスは1人泉へと進んでいくローレンを見守ることにした。
ローレンはすぐに泉の
右手には手枷とそれに繋がった鎖。
泉は深くはないようで、水底がはっきり見える。
その小さな泉の上に浮き上がった、水の本。
十分に近づくと、ローレンは鎖を構えた。
契約できるかを試すため、鎖を当てる必要があるためだ。
その時、声が響く。
聞いたことのある声。
『……私だって一番になりたい』
「え?」
本が自分を見ている。
目も鼻も口もないが、ローレンはそう感じた。
無作為に後ろへ、あるいは前へと送られ続けるページ。
薄い水の膜のような紙には何かが書かれている。
――人の顔
水でできた本というのに、各ページには、はっきりと人の顔が書かれていることがわかる。
まるで画集のようだ。
そして、あるページでハタと止まった。
見開かれた本に浮き上がっていたのは、ローレンの顔である。
『私だってルシウスさんの一番になりたい。でも、オリビア様には勝てないの』
はっとしてローレンは後ろを振り向き、ルシウスを確認した。
ルシウスは不思議そうな顔を浮かべているだけ。
おそらく声は聞こえていないのだろう。
再び本へと視線を戻すローレン。
『だって……見合わないもの』
「…………」
『ルシウスさんは凄いことを成し遂げていく。いつか四大貴族と結婚するの。それが良いのはわかっています。でも、見たくない。認めたくない。それは嫌……なの』
ローレンの鼓動が早くなっていく。
『ルシウスさんを独り占めしたい。私の恋人になってほしい、伴侶となってほしい。田舎でもいいの、お金が無くていいの。2人で幸せな家庭を』
自分と同じ顔をしたモノが放ち続ける言葉に耳を塞ぎ、逃げたくなる。
なぜなら。
「あなたは、私の気持ちがわかるのですね」
本に映し出されたもう一人の自分が頷く。
『だから。知ってるの、貴方の本当の姿を』
本の中の顔が酷く冷たく、醜く歪んでいく。
『どうせ全てが叶わないなら、いっそ、あの人を私の手で――』
「それはありません」
はっきりと言い切ったローレンが鎖を投げる。
鎖が、水の本へと当たると波紋が広がり、
水の本を貫いた鎖が、氷に閉じ込められる様に空中で停止する。
そして感じる。
鎖を通して、ローレンとダンタリオンが繋がった感覚。
『本当に? 本当にそう言い切れるのですか?』
顔は消えても、自分の声はなり止まない。
「はい。あの人には幸せになって欲しい。私を救ってくれた人ですから」
鎖を通じて魔力が流れ込んでくるのだ。
魔力だけではない。本の水が鎖に絡みつき
右手に冷たい水が触れた感覚と同時にローレンの魔力と絡みつくダンタリオンの魔力。
『ならば、貴女の半身となって見届けましょう。その言葉の虚実を』
ローレンの右手に、水でできた本が吸い込まれていった。
自らの砲手魔核に新しい存在が宿った感触がある。
「ええ、見ていて下さい」
ローレンは振り返り、泉をあとにする。
その表情はどこか吹っ切れたようだ。
すぐにルシウスが駆け寄ってきた。
「おめでとう。契約できたみたいだね」
「はい」
「何か話してたようだけど、何話してたの?」
「秘密です」
ローレンは人差し指を口に当てた。
「なら聞かない。それで、どんな術式?」
ローレンはメラニアを見る。
「ダンタリオンの術式は、2つ。幻影を見せて惑わせること。もう1つは、やったほうが早いです」
幻影は先程ローレンも経験したものだろう。
「ローレン、やってみて」
「……はい」
ローレンが右腕を前へと突き出す。
「来て下さい、ダンタリオン」
すると掌に水の本が現れた。
「本……だね」
「そうですね」
水でできた本を覗き込む3人。
その本はローレンが軽く念じると勝手にページがめくれていく。
全て人の顔が書かれていた。
「皆、私の知っている人ばかり載ってますね」
その中の1人で止まる。
ルシウスだ。
ローレンが、撫でるようにルシウスの絵に触れた。
「うわっ」
突然、ルシウスが驚きの声を上げた。
「どうしたんです!?」
「俺が見える」
「どういう意味ですか?」
「そのままの意味。眼の前に俺が立ってる」
メラニアが羽をパタパタと振りながら説明し始めた。
「ダンタリオンは契約者の知人に、視覚情報を送る術式です」
「なるほど視覚だけか。音とかは届いていないな。でも……ちょっと……酔ってきたかも」
「あわっ、解除しますね」
ローレンが水の本を畳むと、すうっと消えていった。
「面白い術式だね。これなら、どこにいてもローレンを迎えに行ける」
「……はい」
ローレンは、はにかみながら笑みを浮かべる。
「俺も砲魔は情報伝達系や感知系の術式にしようかな」
ルシウスが思案したとき。
赤い線が二人の間を通り過ぎた。
――赤い妖精だ
塔の入口付近でも見たものだ。
赤く光る力場のような体を持つ小人。
周囲には数体の普通の妖精を連れている。妖精たちは酔いしれるように恍惚とした表情を浮かべた。
妖精の羽は通常、トンボのような羽をしているのだが、赤い妖精は鳥のような白い翼を持っていた。
この世のものとは思えぬほど美しい容姿をしている。
「珍しいですね。妖精王が現れるなんて」
驚くメラニア。
「妖精王?」
「私も初めて見ましたが、極稀に人前に現れる赤い妖精です。吉凶の両方を喚ぶ悪魔、なんて言う人もいます。妖精自体が最下級の砲魔なので、珍しいだけで強い砲魔ではありませんが」
確かに、大した魔力は感じない。
「吉凶の両方、か」
「さて今日は戻りましょう。ちょうど近くに魔法陣があります」
「そうだな。一日でローレンの式が得られたしキリがいいか。俺も早く1級の式を手に入れないとな」
「そうですね」
嬉しそうに笑うローレン。
対照的に、メラニアはどこか悲しそうな憂いを含む表情だ。
わずかに口を開いたが、それを押し込め、首を振った。
「……いきましょう」
再び歩き始めた一行。
少し進んだところに来た時に見た正方形の建物があった。
深い木々に半分ほどを隠され、ツタが絡みついているが間違いない。
おそらく、あそこにも転移用の魔法陣があるのだろう。
もう少し近づこうとしたとき、ルシウスの足が突然止まる。
――結構、強い魔物が居る
目を凝らすと建物の入口あたりに、一体の魔物がいた。
角がある馬である。
だが、全身が葉でできており若草色だ。
「あれは?」
「第2層の番人アムドゥシアスです」
メラニアの表情が固くなる。
「番人?」
「塔の層と層の狭間には番人がいます。下の階層に戻る為には番人に認めてもらう必要があるのです」
――上がる方にじゃなくて、下りる方を防ぐのか。変なの
ルシウスは迷いなく剣の柄を持つ。
「力ずくで、退いてもらう?」
慌ててメラニアがルシウスを制止した。
「絶対、止めてください! 番人は強力ですし、攻撃すると周囲の砲魔たちが襲いかかってきます!」
「ルシウスさん……どんどん悪い方に思い切りが良くなってますよ」
ローレンが諌めるに対して、苦笑いを浮かべるルシウス。
言われてみれば、最近、力技で済むことならむしろ簡単だと思い始めている。
だが、あの程度の魔物であればどうとでもなるのは事実。
メラニアが大きく深呼吸した。
「こういうときのために私がいます」
「どうするの?」
「見てて下さい」
メラニアは進み出る。
「深緑の山番のアムドゥシアスよ。”代償”は払います。通して下さい」
葉っぱで出来たユニコーンがゆっくりとメラニアが近づく。
そして目の前で立ち止まるメラニア。
緊張はしているが、恐怖はなさそうだ。
翼を広げるように前へ差し出した。
番人のアムドゥシアスが、メラニアの羽へ鼻先を当てる。
――魔力を吸ってるのか
「ふう」
メラニアの安堵の息と共に、魔物は木の葉を撒き散らすように消えていった。
急激に魔力を失ったのか、メラニアの顔が少しやつれたように思う。
立っているのも辛いのだろう。
ルシウスがふらつくメラニアの体を支えた。
「申し訳ありません」
「気にしなくていい。大分魔力を吸われたみたいだな」
「ええ、【塔】では初めてその層へ足を踏み入れる者が帰るとき、番人に代償を差し出すのが決まりなのです。さっきは8割ほど魔力を持っていかれました」
体内の魔力を一気に8割を持っていかれれば、ふらつきもする。
――メラニアが魔力を差し出す必要はないだろうに
おそらく誰か1人で良かった。
だが、キルギスの民であるメラニアは、さもそれが当然かのように自らを差し出したのだ。
そのことがルシウスには酷く歪に映る。
「無理せずに帰ろう」
ルシウスは空を見上げた。
太陽も無い室内のはずが、
壁の至る所から岩盤が迫り出し、幻想的な滝が流れる空間。
その木々に隠れるように悪魔が息を潜めている。
見かけは壮大で美しいこの場所は、どこか西部に、王都に、似ている気がしてならなかった。
――【塔】には色々あることはわかった
次回、陛下謁見時、考えを伺おうと心に決めたルシウスであった。
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