第61話 夜の空

 沈黙のまま、ルシウスたちは地上へと、続く道を進んだ。


 道中、何度も振りかえる。


 今ならジョセフを救い出せるのではないか。

 罠があっても蚩尤であれば、何とかなるのではないか。


 ――ダメだ


 ルシウスは何も知らなかった。

 帝国の技術も、騎士団の置かれた窮状きゅうじょうも。

 動いた結果、何が起こるのか、今のルシウスには予想もできない。


 迷宮の薄暗い穴を抜け、松明が焚かれた地下のホールへと出る。

 明るい光に手をかざすと、人だかりが出来ていた。


 中心に居るのはカラン師団長。


 その横に、白い服を来た牧師、更にその横に同じく白い修道着しゅうどうぎの少女がいた。


「どうやら、大変なことが起きたようだね」


 カランが、ルシウスたちを迎え入れる。

 いつものように笑ってはいないが、気落ちした様子もない。


「カラン師団長。先に逓信ていしんの術式で、お伝えした通りです。迷宮に帝国兵4名が現れ、1名が逃亡。騎士団およびタクト兵の両者に負傷者あり。……


 シャオリアは事務的に報告する。


「こんな前線から遠く離れた、しかも、迷宮の中でも、連中の影を意識しなきゃいけないなんてね。勘弁して欲しいよ。ともかく想定外の事態を、最小限の被害で収めてくれて、ありがとう」


「ほとんどルシウス殿が成したことです」


「そうか。とりあえず状況は理解した。今後について、急ぎ話を進めよう」


 カランとシャオリアの会話に、強烈な違和感を覚えた。


 ジョセフがさらわれたのだ。

 今まさに、人道を外れた所業の犠牲となろうとしている。


 それなのに一言二言、片付けられるのか。

 しかも先程の報告では、既に死んだことになっている。


「皆もよく頑張ってくれた。負傷者を医務室へ運んでほしい。その後はゆっくり静養してくれ」


 その掛け声に応えるように、騎士やタクト兵が足取り重く進んでいく。


 ルシウスは、横を通り過ぎる北部の騎士団へ、思わず声をかけた。


「……その、ジョセフさんのこと、すみませんでした」


 ハミヤが不思議そうな顔を浮かべる。


「なんでルシウス殿が謝るんですか」


 他の騎士たちも同調した。


「もしかしたら僕なら、あの時――」


 ルシウスの言葉を待たず、ハミヤが言葉を重ねる。


「よくあることですから」


「よく……ある」


「今は特務で迷宮探索に来てますが、もともとは東部の前線に居ましたから。本当に、前線では、よくあることなんです」


「でも……」


「”同期を救えず半人前、上官を救えて一人前、部下を救って古兵ふるつわもの”。なんていうジョークもあるくらいなんですよ」


 乾いた笑いを浮かべる騎士たち。

 その笑いが痛々しい。


 ――救うって、連れ去られる仲間を殺すってことじゃないか


 ルシウスは、歯を食いしばる。


 震える姿を見た、オリビアが申し訳無さそうに、ルシウスへ話しかけた。


「ルシウス、ごめんなさい。貴方の為に捕まえた1級の偽核、私が取り込んでしまって」


「気にしないで。あそこで帝国兵が襲ってくるなんて、誰も想像できないし。それに、前に見た黒い偽核もまだ居る」


 口には出さないが、むしろ獣兵が待ち構えていたあの場で、グリフォンが最初の一撃を受けてくれたことは幸いだった。


 もし、戦闘に長けていない支援班が奇襲にあっていたならば、初手で半壊していた可能性すらある。


 オリビアがルシウスの左手をとり、祈るように自らのひたいに当てる。


「私が出来ることは全部するから、お願い。死なないで」


 そして、オリビアとタクト兵、北部の騎士団たちはホールを後にした。


 後に残ったのは、カラン師団長、牧師、修道女、弔いに足を運んだ騎士たち。

 少し離れたところで、ユウが静かにルシウスを待っている。


 ルシウスはカランの前から動かない。


「どうしたんだい? ルシウス卿」


「……帝国の武器。あんなもの、本では読んだことがありません」


 ルシウスの声にはわずかに非難が込められている。

 知っていれば、対処の方法は変わったはずだ、と。


「ああ、そうか。まだ12才で、教えてもらっていなかったのか。普通、成人後に親や騎士訓練所で習うことだしね。帝国の武器はどう思った?」


「醜悪です。式があれば、あんなモノ必要ありません」


「そうだね、もっともだ。だけど、この国の大半の人は魔核も式も持っていない」


「それが何の関係があるのですか」


「あるさ。武器に限らず、帝国の魔導具は魔力を扱うリスクを、他者へ押し付けることができるものだ。本来、【授魔の儀】で命を賭して得られる力をだ。つまり、我が国でも、知れば欲しがる者が多くいるってことだね」


「……情報統制ということですか」


 当然、すべての口は塞げない。それでも積極的に開示していないのだろう。


「平たく言えばそう。魔力と術式は国の根幹、いわば社会思想そのものと密接に関わる。貴族と言えども、まだ思春期で、歪んだモノサシしか持たない子供には教えないわけだ。それに、帝国以外にも我々とは違う形態の術式を使う人たちはいるからね」


 貴族の特権。

 この国では、つまる所、式を使った術式に依拠いきょする。


 前世の知識でも、社会思想の違いは国家間の対立をはらみやすい。

 それも交戦中なのだ。

 国内で、他国へ同調する勢力まで、抱え込みたくないという為政者の思惑が透けて見える。


 更に思想だけではなく、実生活に直結するエネルギー問題に絡み、その燃料は自国民ともなれば、妥当な判断なのかもしれない。


「……わかりました。では、率直に聞きます。さらわれた団員達を救う方法はありますか」


「無いね。式も術式を封じられて、すぐに帝国軍のど真ん中へ運ばれるからね。多少の傷も無理やり治療され、自決のしようもない。まあ、最終的になる姿がアレだから、本当に死なない程度だけど」


「でも、まだ生きてます」


「まだ若い君には受け入れ難いかもしれないけど、攫われた時点で騎士団では死亡者として扱う。刀剣だろうが、術式だろうが、脳を穿ほじくり返されようが、死んだ理由を分析するのは参謀の仕事。現場の我々にできることは、本人の苦しみを取り除き、敵に塩を送らないように仲間を手にかける事くらい」


 カランは乾いた笑いを浮かべる。


 ――わかってる


 初めて経験したばかりのルシウスよりも、ずっと帝国と戦ってきた騎士団のほうが無念を、怒りを、後悔を飲み込んで来たに違いない。


「あと1つするとしたら、祈ってあげることかな。魂が式と共に大地に還れるように。神祭司、お願いします」


「わかりました」


 カランの促しを受けて、牧師が祈りをささげ始めた。

【ノアの浸礼】の司祭であり、死と隣り合わせの騎士団には常駐していることも多い。


 だが、ルシウスは拳を握りしめた。


 ――まだ死んでもいないのに、祈りなんて……


 桃色の髪を流した少女が、牧師と共に、弔う騎士たち一人一人へ挨拶していく。

 ほどなく、ルシウスの前に立つ。


「クアドラ神のご加護を」


 そう言って、右手の掌の下へ、浅く握った左手を当てる。

【ノアの浸礼】の礼拝方法であり、この国の人間であれば、皆知っている。


 ルシウスはやや冷めた言葉で、挨拶を返す。


「クアドラ神のご加護を」


「……あなたは神を信じておられませんね」


 突然、修道着の少女に話しかけられた。


「……そんなことはありません」


「それでも良いのです。クアドラ神は信じる者、信じない者の全てに恵みを与えてくださいます」


「そうですか」


 ルシウスはそっけなく応えた。


 ――勧誘なら、今じゃない


 挨拶だけを済ませ、ホールを後にしようとしたルシウスへ、カランが話しかけてくる。


「ルシウス卿。2、3日は迷宮には入れないと思う。帝国兵が出てきた以上、騎士団の管轄から外れるから」


「そんな……今すぐにでも、偽核が必要です!」


「分かってる。なんとか上に掛け合ってみる。多少の無理なら押し通すつもりだよ」


「ぜひお願いします」


 ルシウスは深く頭を下げ、ユウと共に仮庁舎へと戻った。



 ―――――――



 その夜。

 

 邪竜に食い殺される夢に、はたと目が冷めた。

 真冬だというのに酷い寝汗だ。


 ――大丈夫、まだ大丈夫


 左手の模様を見ながら、そう、自分へ言い聞かせる。


 しばらくベッドの上で横になるが、気分が晴れない。


 気持ち悪い汗を飛ばすため、上着を羽織り、外へと出た。

 今はだれにも会いたくない。1人屋根に上がった。


 呆然と雲に隠れる月を眺め始める。

 いくつかの雲を見送ったとき、誰かの気配を感じた。


「寝れないか、ルシウス」


 振り向くとユウが屋根の上にいた。


「ユウさん。少し目が覚めただけです」


 少し目が覚めたからといって、普通、屋根に上がるはずがない。

 それを理解してか、ユウは何も触れない。


「そうか、北部ほどではないだろうが、真冬の夜は冷えるな」


「ええ、寒いですね」


 ルシウスは視線を、暗闇が浮かぶ空へと戻した。

 ユウは何も言わず、陸五を顕現させる。


「乗れ」


 ユウが虎姿のまま声をかける。


「え?」


「いいから乗れ」


 ユウが強くルシウスを促す。

 訳も分からず、立ち上がりユウへ近寄ると、太く毛皮で覆われた腕で抱きかかえられ、肩へと乗せられた。


「しっかりつかまれ」


 突如、ユウが走り出し、屋根を飛び降りた。


「どこへ行くんですか?」


「……ちょっとな」


 2人とも言葉をかわさず、真っ暗な夜を駆ける。


 すぐに雲を貫くほどの黒い塊が見えてきた。

 真夜中のクーロン山である。


 ユウは、当然のように切立きりたった崖へと手を掛けた。

 そのまま大地を掛けるように、クーロン山の崖を垂直に登っていく。


「覚えてるか、ルシウス。最初に来た時にも、こうやって山を登った」


「覚えてますよ。あの時は、ユウさんと長く住むことになるとは思ってませんでした」


 白い吐息が、下へと流されていく。


「俺もだ……たった2年で、重くなったな」


 ユウの声がどこか嬉しそうだ。


「2年も経ちましたから」


 そして、2人は切立つクーロン山の一角。

 麓町から最も近い山の山頂へと降り立った。


 巨大な山にもかかわらず、山頂は狭い。

 いただききは、4人がけのダイニングテーブル程度の広さしかなく、すぐ下が崖となっている。


 山頂へ着くなり、ユウはルシウスを降ろす。


 ほほを刺す空気が、さらに冷たい。


 眼前には、夜の暗闇に染まった黒い雲海うんかいと、きらめく星々。

 何より全てを飲み込みそうな、満月が2人を照らす。


「ここに何かあるんですか?」


「以前、言っていただろう。嫌なことがあったら空を見せてもらった、と。俺の式には羽が無いが、空に近いところまでなら、連れて行ってやれる」


 かつてルシウス自身が、ローレンへ言った言葉だ。


 不器用な男である。口数も少ない。

 だが、優しいのだ。


 思わず笑みがこぼれた。


「ありがとうございます」


「ルシウス、心配するな。いざとなったら俺と2人で迷宮へ潜ればいい。そうして1級の偽核を捕まえる。それで解決する」


「それ下手したら、罪に問われますよ」


「騎士団には貸しがあるのだろう。黙って見逃してくれるかもしれない。それに、ローレンと一緒に北部へ移り住むという手もある」


 生真面目なユウの言葉とは思えない。


 そう思ったが、すぐにそれが間違いだと気がついた。

 生真面目なのだ、生きづらいほどに。


「ええ、どうしても駄目だと思ったら、お願いするかもしれません」


「ああ」


 2人で満月が浮かぶ空を眺める。


「ユウさん」


「何だ?」


 いつか聞こうと思っていた言葉を口にした。


「ユウさんは……なぜ前のタクト領主を討ったのですか」


 ユウが目をつむる。

 何かを思い出しているのかもしれない。


「……見たくなかったからだ」


「見たくなかった?」


「世間で言われるように義憤ぎふんにかられ、討ったわけではない。ただ、見たくなかった。クラーク様が、これ以上、ちる姿を」


「……そうですか」


 ユウは多くは語らない。

 それでも、どれだけの覚悟を背負ったかは、十分に伝わった。


「ルシウス」


「何ですか?」


「いつか北部を案内して欲しい」


「全然いいですよ。両親も手紙で、ユウさんとローレンに会いたいって言ってますし」


「そうか。俺は北部の人間を間違った目で見ていた。現実は自身の目で見ないとわからないことが多いものだ」


「僕も同じです。物事の本当の姿を知るって、難しいですね」


「ああ、だから生きないとな」


 満月に向かってユウが微笑む。

 その横顔を見たルシウスも、胸につっかえていたものが、急に軽くなったように感じた。

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