第62話 弑虐の夜

 10年前の夜。


「お願いします。兵長様、もう耐えられません……」


 ユウは、少し若くまだ25歳頃だろうか。

 月が照らす中、やつれた民衆がユウの私邸に押しかけていた。


 ユウは椅子に座りながら、鬼気迫る民たちの声に耳を傾ける。


「……私の娘はあの獣に……命をうばわれました」

「あ、あんなに小さく可愛かった子が、泣き叫びながらッ!」

「俺の息子もだッ!! もう我慢できねえッ! あの悪魔を殺してください!」


 ユウは民の言葉に耐えた。

 その苦しみが、痛いほど伝わり、眉間へ深いしわが刻まれていく。


 ここ数日、領内にある村や町では庁舎への放火が、立て続けに起きている。

 このままではタクト領主クラーク子爵の屋敷へ、民衆が流れ込むのも時間の問題である。


「……わかった。クラーク様に会いに行く」


 ユウは領民を家に残したまま、外へと出た。


 辺りは静まり返っている。

 夜とはいえ、以前であれば酒場くらいは賑わっていた大通りである。


 笑い声の代わりに、街の至る所から子を奪われた親のすすり泣く音が聞こえ、小さなひつぎが頻繁に目につく。


「…………」


 ユウが領主の館まで到着すると、若い衛兵が声をかけてきた。

 リウエルというまだ若い青年。青年の目の下にはクマができている。


「ユウ兵長ッ!」


 門や庭を巡回していた兵達も、一斉に敬礼をする。


 兵達の顔には、疲れと焦燥感がこびり付いていた。

 中には、酒臭い者も居るが、それでも表情は暗い。


 ――すまない


 無理もない。

 いくら領主に命じられたからと言って、すぐに幼い子供を差し渡す親ばかりではない。

 抵抗する親から無理やり子供を奪うのは彼らの仕事である。そして、複数回の【授魔の儀】により、命を落とした子の亡骸を家に連れ帰るのも。


 最初こそいきどおりを口にしていたが、最近では感情を殺し、淡々と職務を遂行している。だが、心労が限界を超えているのか、皆、顔色が悪い。


 扉を開け、屋敷の中を一歩一歩と進んでいく。


 無数の照明に照らされているはずの廊下は、まるで墓場のような不気味さである。

 すれ違う家臣や従者達が、沈痛の面持ちを浮かべているためだろう。


 広い廊下を歩き、一際大きな扉の前で止まった。

 ユウがノックをすると、毅然きぜんとした声で返答がある。


「入れ」


 扉を開き、一礼した後、ユウは部屋へと足を踏み入れた。


 中には覇気に満ち溢れた30代前半の男がいる。

 夜分にもかかわらず職務に当たっており、書類を確認していた。


 タクト領の領主、クラーク子爵である。


 執務室の奥には、フードを深く被った男と、眠そうな1、2歳の女の子が座っていた。

 女の子の髪は漆黒を思わせるほどに黒く、目は藤色のような美しい色をしている。


 部屋の壁に、まだ幼いユウとクラーク子爵が並んだ肖像画か飾られている。


 二人は兄弟のように育った幼馴染でもある。兵長だったユウの父が殉職して以来、前クラーク子爵が扶養してくれた為だ。


「ユウ、珍しいな。こんな時間に尋ねてくるのは」


「夜分に申し訳ありません」


「気にするな。お前と俺の仲だ、いつでも訪ねてくるといい」


「お願いがあり、参りました」


「何だ?」


「もうお止め下さい。民は限界です。これ以上、子供の命を奪えば、必ず暴動が起きます」


 クラーク子爵は手元にある資料を手から離す。


「……またその話か」


「今日も街の者達が家を訪ねてきました。あなたを殺して欲しいと。ここ最近、連日、民が参ります」


 クラーク子爵は自嘲気味に笑みをこぼす。


「ユウに嘆願せずとも、殺すなら、自ら来ればいいものを。わたしは逃げも隠れもしない。民に殺されるのであれば本望だ。それくらいの覚悟はできている」


「これ以上、続けるのは無理です。先日もリーリンツ卿からも止めるように指令が届いたではありませんか。このままではもっと……」


 ユウは言葉を言いよどむ。あるじへ放ってよい言葉か、思いとどまった。


「今日、陛下からも通達があった」


 目を見開いたユウを無視して、クラーク子爵が話を進める。


「これ以上、民を犠牲にするのであれば、領地を没収し、罪に問うとな」


「今なら、まだ私の首で収まるかもしれません。兵長の私が独断でやった事とし、賜死ししを受けさせてください。そうすればクラーク家を守れます」


「ユウ。我が子を犠牲にした時から、全ての責任は自ら負うと決めている」


「ですが!」


 領主がユウの言葉を遮る。


「何度も言っているだろう。私は引けぬ。リーリンツ卿も今では本気で取り合ってくれぬが、私は見たのだ。帝国は、赤の時代の兵器を、再びこの世に蘇らせようとしている」


「帝国とタクト領の間には、クーロン山があります。少数の精鋭ならともかく、あの魔物の領域を軍が通ることはできません」


 戦争を行うために、必要なものは補給路の確保である。

 前線を孤立させない為に、撤退ルートは当然として、薬、武器、食料、日常品などを搬入する兵站へいたんが必要だ。


 少数の先鋭が魔物の森を抜けたとしても、戦いにはならない。


 だからこそ、クーロン山は王国と帝国を分け隔てる領域として、永く不可侵だったのだ。


「いや、あの兵器なら可能だろう。もともと外道な魔導具を使う者達だったが、あれはを超えている。一兵卒が巨岩を砕き、巨大な船が空を飛んでいた。あれなら軍でクーロン山を抜けられる」


「例え、そうだとしても……我々が勝ってみせます」


「不可能だ。事実、この領で最も優れていた精鋭達は死んだではないか。あの兵器から私を逃がすためにな。その亡骸は……形すら残らなかった」


 数ヶ月前、クラーク子爵は帝国の動向を探るため、少数でクーロン山を超えた。

 6人の手練てだれを伴って向かったにもかかわらず、帰ってきたのは領主だけだった。


 帝国との紛争は定期的に起きている。


 当初、リーリンツ卿もないがしろにはしなかった。

 新たな兵器を見たというクラーク子爵の言葉を信じ、偵察ていさつを幾度となく送ったが、その影も形も見つからなかったのだ。


 領主しか見たという者がいない兵器。


 ユウとしても信じたいところではあるが、疑問は残る。

 本当にそんな兵器が実在するのだろうか、と。


 国としても真偽もわからぬものの為に、騎士団を配置するような真似はできない。


 魔術師は貴重な存在であり、騎士はただ居るだけで金を食うのだ。

 そして、それを負担するのは結果的には民である。


「リーリンツ卿が騎士団を派遣してくれぬのであれば、自らやるしかない。アレに対抗するには、重唱が必要なのだ。それも二重唱ではなく、三重唱、いや四重唱が」


「……不可能です」


 三重唱の子供を2人生み出すだけで、1000人以上の子供を犠牲にしたという史実があるほどである。もっともその2人も4回目の【授魔の儀】には絶えられなかった。


「ユウ。重唱の戦力が、なぜ貴重か知っているだろう?」


「……膨大な魔力を持ち、複数の式を宿すことで、あらゆる戦況に対応できるからです」


「そうだ。数が揃えられぬなら、質を高めるしかあるまい。重唱という希望が、光が、この領には必要だ」


 ユウの固く握った拳が震える。


 本当に帝国が軍で来たとして、数名の重唱が居たところで戦いになどならない。


 戦争は個の力より、数と物資が物を言う。

 民を逃がすための足止め程度にしかならないだろう。


「その為に領から全ての子供が居なくなってもですかッ!」


「もとより時間の勝負。帝国が攻めてくるのが先か、四重奏カルテットが生まれるのが先か。だが、後者であれば、より多く民のが救われる。領主として1人でも多くの領民が生き残る方法をとるのみ」


 主の決意は固い。


「もうお止めください」


 平伏しながら、懇願した。


 だが、ユウも諦めるわけにはいかない。

 王からの書状まで届いたのだ。これ以上続ければ、クラーク子爵に待つのは、不名誉で凄惨せいさんな未来しかない。


「始めよ。今から三重唱トリオを作り出す。我が娘よ、生き残れ」


 クラーク子爵は、娘の【授魔の儀】開始の号令を掛けた。


 フードを、深く被った男がまだ赤子の手を握る。

 魔力を掌に込めていることが伝わる。


「おやめ下さいッ!」


 ユウの怒声により、儀式を取り行う男の手が一瞬、止まる。


「続けよ」


 困惑しながらもフードの男が再び魔力を込め始める。


「お願いしますッ! どうか、どうかッ! おやめ下さいッ!!」


 その声をクラーク子爵は無視した。

 ユウが手に剣を顕現させる。


「……あなたは変わられた。妄執もうしゅうに取りかれている! あれほど民を愛し、家族を愛していたのに! 奥方の忘れ形見、4人おられたお子たちも、もうローレン様1人だけではないですかッ!」


「何も変わってなどいない。最善を尽くしているだけだ。四重唱という希望を降誕させる他、この地に未来はない」


 魔力を込められた赤子の鳴き声がより一層強く響く。


 ユウの切れた唇から血が垂れる。


 ユウが目の前で、大剣を顕現させても、領主の表情は変わらない。

 真っ直ぐに泣き叫ぶローレンを見据えている。


 ――この人はもう止まらない……ならば……


 ユウはすべての迷いを振り切るように、足に力を込める。

 間合いを詰め、領主へ迫った。


 そして、右手に剣を握りしめたまま、左手で強く領主を抱き寄せる。


「もう止やめましょう……。殺してしまった赤子達へ、俺も一緒に謝りに逝きます」


「私は止まらん。もう自分でも止められないのだ。どうしても、押し通すというのなら、その剣を使うといい」


 主を掴んだ左手に力を込め、爪がクラーク子爵の背中へと食い込む。


「申し訳ありませんッ!!」


 領主の背中へ剣を突き刺した。


「ひっい」


【授魔の儀】を施していたオルレアンス家の男が部屋から逃げ出した。

 赤子の泣き声だけが部屋に響き渡る。


 ユウは力をグッと込め、刃を主へと埋めていく。

 右手が、温かい血潮に染まる。


 主を貫通した剣で、そのまま自身の胸も貫こうと更に力を強める。


 だが、急に刃が動かなくなる。


「……なぜ……です?」


 ユウは放心しながら、つぶやいた。

 領主が己の胸から突き出る刃を、ユウへ届かぬように両手で抑え込んでいる。


「責任は……己で負う……」


 ユウは発するべき言葉が見つからない。


「タ……クト領と……娘を……頼む、ユウ」


 領主の体から、命と共にすべての力が抜け落ちた。


 主と共に歩み、このタクト領が発展していく事を信じて疑わなかった。

 だからこそ騎士を辞め、故郷に戻ったのだ。


 尊敬していた。

 慕っていた。

 兄のように思っていた。


 その領主の冷たい体が、ユウにもたれかかっている。

 いつもなら軽々とかつげたはずが、今は、重すぎる体を支えられない。

 ユウは主の体と共に、膝から崩れ落ちた。


 10秒か1時間か。

 どれほど、そうして居ただろう。


 主の顔を見れない。

 どんな表情を浮かべているのか、想像もしたくなかった。


 だが、はっきりと聞こえた最後の言葉。

 その言葉が呪いの様にユウへと巻き付いた。



「…………御意」



 主の亡骸へ、希望と共に、血と涙が混ざった何かがこぼれ落ちた。


 そして、ユウはローレンと共に、クーロン山の麓町へと移り住む。

 起こるはずもない事態に備えるために。


 生活は順調とは言い難かった。

 成長するローレンの顔を見る度、自ら手にかけた主の面影が浮かぶ。


 どう接していいのかもわからない。


 そんな時、1人の少年がやってきた。


 生前、主が命を賭して、待ち望んだ四重唱の少年。

 しかも、特級の魔物を式として従えて。


 その姿は、かつて主が語ったような英雄とは程遠い。

 心根は優しいが、傷つきやすい。

 固い芯を持っているが、それ故に、砕けやすい。


 蚩尤を降したときを目の当たりにしても、印象は変わらなかった。


 もしあの時、奇跡的に四重唱が生まれていたら、主はその子を、惜しみなく支えただろう。ユウに命じ、精一杯に鍛えさせただろう。


 ユウは使命感に似た何かを感じていた。


 ――俺が思いを引き継がなければ


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