第63話 奥底

 帝国兵の出現から3日。

 ルシウスは迷宮へ入れぬまま、オリビアの居城へと招かれていた。


「オリビア、選王の準備は順調?」


 豪華な執務室に居るのは、ルシウス、オリビアだけである。

 二人は正装に身を包み、向かい合うように座っていた。


 別室で進められている準備を待っているのだ。


「正直、あまり旗色はたいろは良くないわ。西部と南部の候補が、周辺貴族の票を次々と集めてる」


「え? この前は自信ありげだったけど」


「当たり前でしょ? 自信がない人間へ誰も票なんか入れないわ。どれだけ不利な状況でも、自分は王になれると振る舞う必要があるの。そうでなければ私を担ぎ上げてくれる人に失礼よ」


「そうか……力になれることがあれば、言って」


 とは言うものの、ルシウスは政治力も発言力もない、未成年の男爵に過ぎない。

 大した力になれない事は、本人が一番理解していた。


「今、あなたは自分の心配だけしていればいいの!」


 ルシウスの左手に刻まれた刻印は、ほぼ円となっている。

 今日、邪竜に喰われてもおかしくない。


「でも、迷宮に入れないからな」


「だから今日、交渉に臨むのよ」


 オリビアが繊細な指を、ルシウスの指へと絡ませる。


「……私だけ王になっても、あなたが横に居ないのは寂しいもの」


「オリビア?」


 蒼い瞳がまっすぐと見つめる。

 ほほを少し赤らめた顔が、ルシウスへとゆっくりと近づいてくる。


 ルシウスの鼓動が早まる。

 紅の差した唇が、一段となまめかしい。


 邪竜による余命宣告の期限も迫っている。

 本来は、色恋など二の次、三の次である。


 だからこそ、当たり前のようにかたわらにあったものの大切さが、明確になるように思う。


 選王戦の準備に加え、領の運営。

 今も目の回るような忙しさであろう。


 それでも、邪竜を式とした日から、ずっとオリビアは気をかけてくれる。


 お互いの目を閉じたまま、顔を近づけ合っていく。


「準備が整いました!」


 ドアの前で、兵長リウエルが声を張り上げた。

 2人は驚いたように肩を浮かせ、サッと離れる。


「わ、わかったわ。すぐに向かいます」


 オリビアが裏返りそうな声を上げた。


 2人共、顔を真赤にしたまま、急いで執務室を後にする。

 廊下を歩く姿もよそよそしい。


 そして、城でも最も大きな広間へと向かった。


 本来は社交会などがもよおされる広間であるが、浮いた場とは真反対の雰囲気である事が扉越しにも伝わってくる。


「タクト領主オリビア子爵およびルシウス男爵、ご入場いたします」


 衛兵の声が響き、重厚な扉が開かれた。


 足を踏み入れた瞬間、一斉に視線が2人へ注がれる。


 広間の中央には巨大な円卓。

 円卓には、険しい顔の貴族たちが、浅く腰をかけている。

 皆、前かがみで押し黙っていた。


 例外は1人、赤褐色の髪をなびかせたカラン師団長である。

 ルシウスたちがホールへと入った瞬間に、手をひらひらさせながら、笑顔を向ける。


 ――相変わらず、緩いな


 円卓の周囲には、騎士団や各貴族たちに随伴した兵達が整然と並んでいる。

 

 そして、円卓の最奥には薄緑色の髪を巻き上げた女性が、険しい表情で鎮座していた。

 東部の盟主リーリンツ・エスタ・ウィンザーその人である。


 オリビアが立ったまま優雅に挨拶を述べる。


「ご無沙汰しております、エスタ卿。そして、諸侯の皆様方。本日は我が城へお越しいただき、ありがとうございます」


 リーリンツ卿が言葉を返す。


「挨拶はよい。それより時間が惜しい。本題へ移ろう」


「はい」


 空いていた2つの椅子にオリビアとルシウスが隣あって腰掛ける。


 座るなり、リーリンツ卿が言葉を発した。


「……集まってもらったのは、すでに承知の通りじゃ。迷宮に帝国の尖兵が現れた。ホノギュラからは帝国との関係を示すものがいくつか出てきていたが、これで確定した。あの迷宮は帝国と繋がっており、帝国兵はかねてより行き来しておる」


 本来、協議はホノギュラ領主の城でやるべきなのだが、2年前ルシウスが粉々に破壊したままである。

 その後の領主の赴任ふにんも決まっていない中、城の建設は進んでいない。


 そのため隣接するタクト領の城で協議が行われる事となったのだ。


 せきを切ったように、諸侯たち口々に意見を投げる。


「即刻、出入り口を塞ぐべきですッ! 可能なら破壊するべきかと」


「ですが、迷宮は現状復帰機能があります。すぐにもとに戻りましょう」


「ルーヨウ砦があるではないか。ここへ騎士の一団を常駐させれば」


「国境の警備はどうなる。もともと騎士の数は足りていないんだ」


「然り。いくら帝国と繋がっていたとしても、あの迷宮は軍が超えて来れるような広さはない。来れたとして、せいぜい中隊。師団を常駐させるほどでもでない」


「だが、ここから州都まで馬で1日ほどしかないのだぞ? 少数でも抜けられれば、それはそれで脅威」


 一気に議論が紛糾ふんきゅうする。

 それをリーリンツ卿は静かに見つめていた。


 おもむろにオリビアが手を上げる。


「まずは少数精鋭で迷宮の内部を調べるべきです」


 諸侯たちが一斉に反論する。

 外様とざまが出過ぎた真似をするなと言わんばかりだ。


「そんな悠長な事を言っている場合ではないッ!」


「そうです。ときは一刻を争います。調査など後からすればいいのです」


「何より、危険すぎる。ただ人員を減らすだけの愚行だ」


 オリビアは視線をずらさす応えた。


「ですが、迷宮には複数の出入り口があることがあります。事実、帝国側にも出入り口があるから、行き来されているわけです。封じたつもりが、知らぬ所で災いがき出るやもしれません」


 諸侯たちが口をつぐむ。


「すでに第9師団があらかた調べ終わっております。残すは帝国側に通じていた、幻影により隠蔽いんぺいされていた通路のみで、時間もそれほどかかりません」


 ずっと口を閉じていたリーリンツ卿が声を上げる。


「ふむ、一理ある」


 諸侯たちが反論しようとしたとき、リーリンツ卿は手で制止し、言葉を繋げた。


「分かっておる。何も調査中、ただ待つというわけではあるまい。砦に人員を配置しつつ、期限を定めればよい。……それで、誰が調べるのだ」


 オリビアは表情を崩さず、淡々と応えた。


「先日の状況からして、敵も多くはありません。通路の幅には限界があります。ならば、上級の白妖を宿す者が向かうべきです。それ以外はあの閉塞空間では、足手まとい」


 リーリンツ卿が頷きながら、カランへと視線を送る。


「どう思う?」


「第9師団からはシャオリア旅団長が最適です。それと……」


「それと?」


「タクト兵たちも対処に当たっておりました。現場を知るタクト兵からも選出するべきかと」


 オリビアが笑みを浮かべた。


「もちろんです。これはタクト領の治安にも多大な影響を与える事案。最大限の助力を」


「して、その選定は?」


 オリビアは隣へ座るルシウスを見る。


「我が領に滞在する賓客ひんかく、ルシウス男爵にお願いしたく」


 皆の視線が、最上級の白妖である蚩尤しゆうを身に宿した少年へと注がれる。


「良いのか、ルシウス。そなたに義務はない。いくら出身州の盟主の娘に言われたからとて、従う必要はないのだぞ」


 ルシウスは一連の流れを冷静に見ていた。


 ――なんだかんだ言いながら、迷宮に入る理由を作ってくれたのか


 上に立つ人間には節制が求められる。


 当代限りで終わらせても良いのであれば、傍若無人ぼうじゃくぶじんでも構わないが、維持、発展させるのであれば、周囲の理解と支持は不可欠。


 ゆえにリーリンツ卿も、道理を捻じ曲げない方法を取ったのだろう。


「生まれの州は違えど、同じ国の貴族。責務を果たさせていただきます」


 リーリンツ卿の口角があがる。


「決まった。期限は2日とする。早速、調査を進めよ。時間が惜しいであろう、2人は退出して構わん。我らは議論を続けよう」


 ルシウスは感謝の念を持ち、立ち上がって一礼する。

 そのままカランの背後へ控えていたシャオリアと共にホールを後にした。


 広間を出るなり、シャオリアが足早に急かす。


「ルシウス殿、急ぐわよ。わかってると思うけど、探索は後回し。まずは一級の偽核の確保を最優先に、という指示を受けている」


 走るように廊下を駆け抜け、裏口から外へ出ると、既に馬車が用意してあった。


 オリビアの采配だろう。


 馬車に飛び乗り、砦へと急いで向かう。

 車中、シャオリアの非難の目に耐えながら、正装から普段着へと着替えた。


 2人は砦へ着くなり馬車を飛び出し、地下の迷宮入口へ駆け下りた。


「お待ちしておりました」


 そこに居たのはハミヤと北部の騎士たちである。


「準備は終えています」


 ハミヤは、2人へポーチを手渡す。

 第9師団による血の結晶である地図、非常食、それと薬が入っていた。

 この薬は当然、いざというときの毒薬である。


「何から何まで、すみません」


「いいんです。竜に刃を、人に翼を」


 ハミヤが祈るように、ルシウスへと言葉を送った。

 周囲に居た北部の騎士も、皆、同じ言葉を口にする。


「なんですか? それ」


「竜騎士へ健闘を祈る言葉です。知る者は多くありませんが、ジョセフ小隊長が大好きだった言葉です」


「竜騎士……」


 シャオリアが横から口を挟む。


「100年以上前、北部を守護したといわれる当時、最強の騎士団よ。皆、強力なワイバーンに騎乗し、空を翔けたらしいわ」


 おそらく北部の騎士たちにとっては、今なお、特別な存在なのだろう。


「ありがとうございます」


 ルシウスがポーチを腰に付けた所で、シャオリアが呼びかける。


「行くわよ」


「はい」


 時を置かず早々、2人は迷宮へと足を踏み入れた


 30分ほど歩き、数日前に見つけた幻影の壁の前に立つ。

 壁の奥へと続くのは、先日、帝国兵と遭遇した通路である。


「他の領域はほとんど探索済み。それでも黒い偽核、初日以降、報告がない。この先が一番怪しい」


 幻の壁をくぐり、少し前に戦闘があった場所へと、足を進めた。


「ここで戦いがあったのに……」


 あれほど激しい戦闘があったにもかかわらず、壁や床は元通りになっている。


「ゴーレムが修復して、偽核が不要なものを吸収するのよ。ともかく、奥へ急ぎましょう」


 二人は戦闘があった場所を横切り、前へ進む。

 道中、土ゴーレムや岩ゴーレムはいくらでも湧いてくるが、対処は一瞬で済む戦いばかり。

 特に気にすることもない。


 気になることがあるとすれば、ひたすらに一本道であることだ。

 普通、迷宮は網の目のように入り組んでいるはずが、この場所は曲がり角1つ無い。


 そして、ルシウスたちをいざなうように、奥へ奥へと、魔力が流れている。


 薄っすらと額に汗がちらつき始めた頃、シャオリアがつぶやいた。


「どんどん下に降りてる」


「そうですね。帝国兵は地下から来たんでしょうか」


「……多分だけど、もう1つ幻影の壁があるんでしょう」


「一旦、戻って探します?」


「いや、さっきも言ったけど帝国兵の探索は後回し。まずは1級の偽核が最優先。すべての問題を片付けたら、明日を探索に回すわ」


「わかりました」


 更に1時間ほど歩いたとき、突然、通路の先から光が差した。


 ――光がこぼれてる?


 ゆっくりと、慎重に、その光の中へと2人は足を踏み入れる。


 突如、迷宮とは思えぬひらけた場所へと出た。

 目の間には、迷宮に似つかわしくないものが広がっている。


「花畑……」

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