第60話 精髄

 言葉が通じると思い、ルシウスは名乗りを上げる。


「私はルシウス=ノリス=ドラグオン! 貴公らと、戦闘の意思はない!」


 途端、ゴブリンたちが停止する。

 丸で人形のように脱力したまま、その場に棒立ちとなった。


 ――通じた


 帝国兵も奥から声を張り上げ返す。


「我らが、下賤げせんな者たちの言葉を聞いてやる必要などない!」


「待ってください! 非戦闘員が居るんです!」


 3人の帝国兵から笑いが起こる。


「だからなんだ?」

「頭にうじでも湧いてるんじゃないのか、あいつ」

「やはりこの国の人間は、道理を理解する知能を持ち合わせていないな」


 まるで愚人をあざけるかのような視線をルシウスへと注ぐ。

 そして、唯一、嘲笑に交わらなかった帝国兵が、苛立いらだちを込めた声を上げる。


「つけあがるな! 野蛮な猿の言葉に耳を傾けてやっただけでも、ありがたく思え! 獣兵ども、さっさとやれッ! 目障りだ」


 男の掛け声と共に、停止していたゴブリン達が再び動き始める。


 雷をまとった通路を埋め尽くすほどのゴブリンたち。


 次々と、それら斬り伏せる。


 ――キリがない


 足を斬ったとはいえ、生きているのだ。

 手でいながら、足もとから攻撃を仕掛けてくる。


 東部の式、とくに上級の白妖を身に宿す者であれば、直撃しなければ自爆に巻き込まれても致命にはならない。


 だが、他の式であれば最悪、一撃で戦闘不能となるだろう。


 事実、波を押し留めているのはルシウス、ユウ、シャオリアである。


 ――覚悟を決めろッ


 ルシウスは右手に握ったつかに力を込める。

 僅かにうずきを覚えた。


「シャオリア旅団長、ユウさん。ここを任せます。帝国兵を


 ユウは静かにうなずいた。


「待て! 帝国兵は少数精鋭主義! 尖兵とはいえ、単身は危険だ!」


 叫ぶシャオリアの声を置き去りにし、目の前のゴブリンの足を斬り伏せると、跳躍する。


 巨大な鎧と思えぬほどの身軽さ。

 それも蚩尤の蛮力があってなせる技である。


 3度ほど、ゴブリンを踏み潰し、爆音とともに宙を舞う。


 それを冷ややかに見る帝国兵たち。


「1人で来るのか、やっぱり低能だな」

「気にするな、精髄にしてやればいい」

「そうだな。あいつらには、それしか価値がない」


 一気に、ゴブリン集団を飛び越え、帝国兵へと斬りかかった。

 相手は、さきほど悪態をついた騎士である。


 帝国兵は馬に騎乗したまま、ルシウスの斬撃を盾で受けた。

 避けずに受けたのはルシウスの力を軽く見たからであろう。


 だが、それが間違いであることに、すぐに気がつく。


「なんだと!?」


 蚩尤の重い斬撃に耐えられなかったのか、盾に亀裂が入り、馬ごと騎士が後方へと吹き飛ばされたのだ。


「猿ごときが、この俺を後ろに引かせるとは……許さんッ」


 間近に迫ったことで、帝国兵の姿があらわとなった。


 片手には盾。

 もう片方には杖を持っている。

 

 蚩尤の斬撃を受けとめた盾自体も業物だが、驚くのはそこではない。


 ――杖に脳が……


 杖の先端にガラスのようなケースに入れらたがついているのだ。

 質感から言ってである。


 脳から伸びる脊椎と神経が、杖に絡みついていた。


 帝国兵がおぞましい杖を構えると、通路全体の気温が一気に下がる。


 そして、杖をルシウスへと振りかぶると、白いもやをまとった冷気の塊が襲いかかった。


 すぐに盾を構え、冷気に備える。


 地面は凍りつき、黒い鎧はしもで真っ白に染め上げられる。


 ――蚩尤じゃなかったら、肺から凍りついてる


 帝国兵は、なかば怒りに身を任せたかのように、がむしゃらに冷気を放ち続ける。次々と冷気が放たれ、壁や床にも白い霜が降りる。


 直接、冷気の塊を受け取るルシウスは、一気に下がりすぎた気温により、白いかすみに包まれた。


 帝国兵たちからは既にルシウスは見えていないだろう。


「死ねッ! 猿風情さるふぜいがッ!」


 だが、ルシウスははっきりと帝国兵の姿を捉えている。


 帝国兵が、杖を振るう度、先端についた脳の一部がちぎれ飛ぶ。


 ――悪趣味が過ぎる


「その辺にしておけ。死体が砕けると、精髄が使えなくなる。今は上も精髄を欲している時期だ」


 周囲の帝国兵が抑止する。


「ああ、わかった。あまりに猿が不快で気が立っちまった。何、あそこにまだたくさん居る」


 騎士はクイと首を、ゴブリンと戦う騎士たちへと向ける。


 だが、上げたあごは、二度と下を向くことはなかった。

 首が、空を舞ったからだ。


「へ?」


 その様子を見ていた帝国兵から抜けた声が漏れ出る。


 白い冷気を漂わせた漆黒の甲冑が、光る剣をて、一刀両断したことにすぐに気がついた様子だ。


「なぜ冷気の術式を受けて生きてる!?」


 ルシウスは何も応えない。


 会話は、既に終わった。後は刃だけで語るのみ。


 瞬時に、杖を構えかけた帝国兵を袈裟斬りにし、返す刃で隣りにいたもう一人の兵を、切り捨てた。


 寸刻置いて、馬の上に乗っていた2人が、不揃いに4つの音を立てて、崩れ落ちる。


 最後に残った帝国兵も斬り捨てようと、足を踏み込んだとき、杖が振るわれた。


「ひぃ」


 次の瞬間、騎士の撤退を助けるようにゴブリン達がルシウスへ飛びかかる。


 死を恐ていないのか、群がる蟻のように次々に飛び乗ってきた。

 瞳には生気を感じない。まるで死体のようだ。


「邪魔をするな!」


 数体を斬り伏せ、周囲へ目を配ると、北部の騎士たちの多くのは退避が完了している。

 シャオリアの部隊も半数ほどが後方へと下がり始めていた。


 そして、馬で逃げる帝国兵の背中はすでに小さくなっている。


 ――引き際か


 途端、ゴブリンたちが、四方へと逃げはじめた。


 ルシウスにより使役していた帝国兵がやぶれ、敗走。ゴブリン数も当初の3分の1ほどになっている。


 その時、シャオリアが叫んだ。


「ルシウス殿! できるだけゴブリン共をやってッ! 多少の犠牲は構わない!」


 相手が撤退を始めている状況で、追撃した所で、限定的な被害を与えられるだけだ。


 むしろ一体一体が爆弾のようなゴブリンが撤退してくれるのだ。

 静観した方がいいはず。


「なぜです?」


 判断に迷っていたルシウスの耳に突如、悲鳴が響いた。

 見回すとゴブリン達が武器を捨て、負傷した騎士たちを抱えている。


 ――えっ?


 野生のゴブリンなら、このような状況では絶対にしない行為である。


 彼らも生き物。


 群れために死をいとわず戦うこともあるが、勝敗が決した後は一目散で逃げる。

 それが生存のために、合理的だ。


 だが、目の前のゴブリンたちは違う。


 逃げ遅れるのも構わず、負傷した騎士たちを必要に連れ去ろうとしてる。しかも男女問わず。


「助けます!」


 ルシウスは影から鎧兵たちを大量に生成し、人を連れ去ろうとするゴブリンたちへと襲いかかる。


 四散するゴブリンを殺さず、かつ、引きられる騎士へと当たらないように攻撃するため、はかどりはしない。


 それでも大半はルシウスと鎧兵たちにより、救出できた。


 しかし、10人ほどの騎士は、手の届かないゴブリンたちの群れの奥へと追いやられる。


 彼らの表情に刻まれた絶望は深い。


 その1人には見知った顔が含まれていた。

 ジョセフである。


「ジョセフさんッ!」


 すぐさまルシウスが追いかけようとした時、シャオリアが水球を周囲に展開させた。

 

 瞳をうるませたまま、奥歯を強く噛みしめている。


 水の球が、徐々に伸びていき、水の槍を作り出す。


 矛先は捕まった騎士隊員を抱えるゴブリンへと向けられている。


「シャオリア旅団長……今、そんなのを放てば、最悪味方へ当た――」


 顔を歪めたシャオリアが、ルシウスの声を無視し、水槍が放つ。


「……え」


 ルシウスから困惑の声が漏れ出た。


 想定された通り、数人の隊員の胸や頭へと水槍が突き刺さり、団員達から生気が抜け落ちる。


 一拍いっぱく遅れ、水槍に貫かれたゴブリンたちが爆散した。

 それにも数名の団員たちが巻き込まれる。


「い、いったい何を?」


 眼の前で起きたことが理解できない。

 シャオリアが部下を殺したようにしか思えなかった。


 ルシウスの呆けた声に被さるように、幸運にも水槍が外れた隊員たちの叫びがこだまする。


「ああああっ………終わりだ………」

「嫌だ! 帝国に連れて行かれるだけは!」

「旅団長、殺してくださいィッ! お願いしますィッ!」


 隊員たちの惨憺さんたんな叫び声とともに、ゴブリンたちが消えていった。

 余りの悲痛な叫びにルシウスは、思わず後を追いかけそうになる。


 シャオリアがそれを意気消沈した声で制止する。


「……もう遅い」


「今なら生きてます!」


「今、追えば、罠にめられる。やつらの常套じょうとう手段よ。それに負傷者や非戦闘員がいる状況で追跡などできないわ。ルシウス殿は、私とともに、生き残った隊員を地上まで届けるのよ」


「ですが!」


「救えるだけは救った……」


「救うって……殺したじゃないですか!」


 シャオリアが悔しそうに吐き捨てる。


「帝国兵は、魔物から奪い取った魔石と術式を魔導具に込めて戦う。だけど、ただ鉄くずに魔力を込めても発動しない。魔力を操るには精神が必要」


 ルシウスは脳を付けられた杖を思い出す。


「だから、帝国の連中は、生きた脳と脊髄の精神を使って、術式や獣兵を操る。もっと言えば、大量の獣兵を揃える為に、それを産む者達が必要」


「まさか」


 シャオリアが唾棄するように言葉を続けた。


「そう。男は魔導具を操るために、生きたまま脳と脊椎せきついだけにされ、死ぬそのときまで魔石の魔力を操る媒体にされるの。それも魔石の魔力を常時流し込まれる苦痛は【縮魔の錬】の比ではない」


 先程、冷気の術式を使う帝国兵が、振るうたびに脳がちぎれ飛んでいたのは、神経が術式の負荷に耐えられなかったのだろう。


 それも、乱雑に使っていたことから、ただの使い捨て。


「女は、四肢を切断され、獣兵の素体を生産するために、ゴブリンやトロールに凌辱りょうじょくされ、死ぬまで子を産ませられる」


「……そんな」


 先程、死を懇願こんがんする兵たちの顔が脳裏によぎる。


「帝国の戦いでは、討ち倒した帝国兵よりも、自らの手にかけた仲間の方が圧倒的に多くなるのよ」


 言葉を失う。


 帝国の騎士が使っていた生きている脳がついた杖。

 その姿にされるジョセフの姿を想像するだけ吐き気を覚えた。


「……ジョセフ小隊長、ご、ごめんなさい。その時は、わ、私が殺してあげるって約束したのに……、何も……何もできなかった……」


 振りかえるとハミヤが泣き崩れていた。

 他の騎士たちも同様だ。


「これが騎士たちが心を壊しやすい理由よ。連帯感が強くなる理由でもある」


 昨日まで語り合い、笑い合い、研鑽けんさんしあった仲間。

 それを救うために自らの手にかける。

 何人も何人も。


 同時に、信頼し、期待し合う。

 自分がを迎えたときに、信頼した仲間が殺してくれる事を願って、戦いに身を投じていくのだ。


「なんで……そんな事を……」


「帝国の人間は魔核も式も持たない。だけど、術式がなければ、人は生きていけない」


 軍事、農業、医療、あらゆるものが魔力に依存する世界。

 その中、術式を使わないということは、原始的な生活に戻るということである。


 だからといって、他人の脳をもてあそんでまで、術式を利用する事が信じられない。


「でも、ブルーセンさんは、貴女のお兄さんはそんな物を使ってませんでした!」


 シャオリアが悲しそうな目を浮かべた。

 ブルーセンが帝国の武器を使って戦っていた事は、判明していることである。


「兄さんは他人の精神ではなく、自分の脳を媒介にしたのよ。兄さんは、自分の術式を使わなかったんじゃない?」


「……確かに、弓の術式は使いませんでした」


「魔物の魔力を体に流して、魔導具の術式を発動する。式の術式なんてぐちゃぐちゃで使えるわけがないわ。使うだけでも相当苦しかったはずよ。本来、帝国の武器は魔核や式を持つ人用に作られていないから」


「なんでそんな事を……」


「単純に強力……だからだと思うわ。魔石に秘められた魔力量は大抵の魔核よりもずっと多い。それを強制的に引き出して戦う帝国の武器は、高出力なものが多いの」


「だからって……」


 ルシウスは、手を強く握りしめた。

 ユウが震える肩に手を乗せる。


「……大丈夫です」


 握りしめた左手の甲には、膨らんだ半円が浮かんでいた。


 先程、さらわれ死ねない捕虜たちにと相反あいはんし、ルシウスには死が刻一刻と近づいていた。


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