第76話 密約

 ルシウスが居る北部から遠く離れた西部。

 地下通路を歩く20人ほどの人だかりがある。


 先頭を歩くのは50歳ほどの2人の男女。


 白髪交じりの髭を蓄えた男は焦っていた。


「なぜ帝国が攻めてくる!? しかも、戦帝自ら侵攻してきたとは,

 どういうことだ!? 密約があるのではないかッ!!?」


 白に近いブロンドの髪を揺らし、浅黒い肌。

 本来は精悍な顔つきではあろうが、今は怯える卑小な男のように思える。


 隣を歩く、同年代の女が毅然と答えた。

 女は肌は病的なほど白く、赤茶色の髪に白髪が混じる。


「密約は破棄された、と考えるのが順当よな」


「何を落ち着きはらっておられるのだ! ウェシテ卿!」


「焦った所で起きたことは代わりはせん。ゆえに会談に望むのであろう、ソウシ卿」


 2人は王国において、中枢を司る者たちである。

 この国は東西南北4つの地域に分かれており、それぞれの地方を治める大貴族がある。


 四大貴族である。


 女は西部の四大貴族、アデライード=ウェシテ=ウィンザー。

 男は南部の四大貴族、テルグ=ソウシ=ウィンザー。


 王を輩出し、隆盛を極める西部の盟主と、前回の選王戦にて、西部に恭順した南部の盟主。


 名実とも王国のナンバー2、3である。


 一行が、行き着いた場所は、薄暗い空洞。

 洞窟の中央にあるのは、小さな泉である。


 従者の手にした、ロウソクの火が水面に写っている。

 その従者が前へ出て、泉に手を漬け、魔力を流す。


 魔力が溶け込むと、次第に泉自体が淡く光を帯び始めた。


 泉全体に魔力が行き渡り、水面のさざ波が収まると、像を結んだ。


 映し出されたのは、2人の男。

 2人はシミ一つ無い真っ白い部屋に椅子掛けている。


「お久しぶりでございます。、レジスティア元老長」


 戦帝。

 ベネディクト皇帝は、戦を司る異名を持つカリスマである。

 金色の髪に、金色の瞳。

 まるで絵画から出てきた英雄のように光り輝いてる。


 戦帝と同列に座すのは一見場違いな少年。

 まだ10代後半のような姿であり、戦帝と同じく、人とは思えぬほど整った顔立ちだ。


 大きく、尖った耳が、ただの人ではない事を物語っていた。


 泉越しに、戦帝ベネディクトが見下ろすような視線を向けた。

 その表情は柔らかく、笑みを浮かべている。


「久しぶりだね。アデライード。テルグも」


 南部の盟主テルグ卿が冷や汗を流している。


「ご、ご無沙汰しております! 前回は、4年前の紛争調のとき以来――」


 テルグ卿が言葉を続けようとしたとき、戦帝が手を上げ言葉をさえぎった。

 挨拶は不要ということだろう。


 すぐに察知したアデライード卿が口を開く。


「此度の東部奇襲の件、何か行き違いもでありましたでしょうか。我に事前情報が全く入っておりません」


 ルシウスが戦った一件だ。ユウが死した戦いでもある。


「いや無い」


 戦帝ベネディクトは笑顔を浮かべたままだ。


 明らかに故意である。

 テルグ卿が堪らず言葉を挟む。


「なぜです!? 我々はうまくやってきたはずです! 国境の人員を削り、北部と東部の人間を定期的に。代わりに我が国を存続させてもらう。長く続いた関係を、今になって、なぜ!?」


 王国と帝国の間にある国境では、定期的に紛争が起きている。

 大半は東部と北部の人間たちが戦争に駆り出されるが、西部と南部は政治的発言力を駆使し、人員を絞り続けてきた。


 帝国との密約があったため。


 同じ四大貴族である、北部の盟主シュトラウス卿も東部の盟主リーリンツ卿も知らぬ事。


 黙って聞いていたレジスティア元老長が口を開く。

 まだ少年の様な外見から想像出来なほど、冷たい声で。


「我らの行手をはばむ大河に、橋がかかりつつある。もはや、そなたらの存在意義はなくなった」


 困惑の表情を浮かべたのは南部の盟主テルグ卿。


「い、意味が分かりかねます」


 少年姿のレジスティア元老長は何も答えない。

 伝えるべき事はすべて伝えたと押し黙る。


 対照的に笑みを絶やさないのは戦帝。


義父上ちちうえ、それだけでは酷というもの」


「……ベネディクト。お前も蛍火ごときに敗北している場合ではない。目的はもう目前だ。お前を皇帝にえた理由を忘れたわけではあるまい」


「相変わらず義父上はお厳しい」


 いとぐちを掴んだとばかりに微笑む西部の盟主アデライード卿。


「その目障りな。帝国へ差し上げましょう。ただの田舎貴族の小倅など、どうとでもできます。はりつけにするなり、引き裂くなり、民衆にさらすなり、好きになさればよい」


 選王戦が近いなか、蛍火――ルシウス――は邪魔な存在である。

 アデライード卿にとっては消えてもらった方がよい。


 政敵が消え、国の、引いては己の立場が守られるのでれば一石二鳥である。

 

 戦帝の瞳が冷たく光る。


「ただの小倅、か」


 何かを言いかけたが、言葉をさえぎったのは人ならざる存在であるレジスティア元老長である。


「要らぬ。話を聞く限り、その転生者はまだいたっておらん。そんな状態で帝国にこられても見世物程度にしかなりはせん」


 戦帝と元老院長以外に、転生者の本当の意味は理解できていない。

 アデライード卿、テルグ卿たちにとっては、奇跡の石、魔骸石を使われた者という程度の認識である。


「義父上。お言葉ですが、あれは逸材です」


「あり方の問題よ。そのルシウスという者、転生者にもかかわらず、貴族という特権階級に執着しておるのだろう」


「はい。……ですが、このまま放置しておけば、に狩られてしまいます」


「構わん。狩られるのなら、その程度の存在ということ。捨て置け」


「ですが」


「話は終わりだ」


 少年が腕を振るうと、急に、泉がさざなみ立ち、像がかき消える。

 後には、蝋燭の光が反射するだけのただの水面があった。


「ど、どうするのですか!?」


 テルグ卿がアデライード卿へとすがりついた。


「ソウシ卿はどうしたいのだ?」


「分からぬから、聞いておるッ!」


 南部の盟主ソウシ卿こと、テルグは凡夫である。

 そして、当人が、誰よりもその事を理解していた。


 ゆえに担ぐべき相手を間違えない。

 そうすることが唯一、生き残ることだと知っているからだ。


 西部の盟主アデライード卿がため息をついた。

 

「ディオン」


 アデライードの背後に控えた青年が、一歩前に進み出る。


「お母様、ここに」


「選択のときが来た。準備を急がせよ」


「はっ」


 何かを察したソウシ卿もつづく。


「ルーシャル! お前もだ! 来る時が来たッ!」


 背後から進み出た出てきたの若い女。

 父親テルグと同じ浅黒い肌をしている。


「えー、お父様のお願いでも、面倒なのは嫌でーす」


「ルーシャル!」


「はい、はーい。わかりましたー」


 間延びした声で、いい加減に応える女がディオンの隣へと並ぶ。

 2人は一行から、いち早く暗がりへと消えていった。


 その姿を見届けたアデライード卿が呟いた。


「我が子ディオンこそが、王の器。何人たりとも邪魔はさせはしない」


 ◆ ◆ ◆


 翌日。


 ルシウスは、オルレアンス家のクレインとともに、邪竜の背に乗り、上空を揺られていた。


 クレインは恍惚こうこつの表情で、背の広背筋を撫でている。

 3つある邪竜の首のうち、左側の首が不快そうにまぶたをピクピクと震わせていた。


 何度か注意したのだが、聞く耳を持ってくれない。


 本人曰く、邪竜に食い殺されるなら本望だそうだ。


 竜を愛撫した結果、食い殺されることが、満足できる人生とは、常人の理解の範疇を3段ほど飛び越えてしまっている。


「見えてきましたよ。北部の州都バロンディアです」


「へっ……まだ、まだ飛びましょう!」


「ダメです。急いでるんですよね?」


「でも! こんな機会は滅多に無いのに!」


 竜に食い殺される機会なら、滅多にないだろう。

 むしろ頻繁ひんぱんにあっては困る。

 邪竜の悪名が更に轟いてしまう。そのためにもクレインに生きてもらわなければ。


「ダメです」


 残念そうにうなだれる青年を放っておいて、再び前方へと視点を向けた。

 城壁におおわれた巨大な城下町が眼下に広がっている。


 北部の四大貴族であるシュトラウス卿の居城である。


 前方よく見ると、城の上空に何か、が浮いている。


 ――ワイバーンに女の人が乗っている


 目を凝らすと亜竜にまたがった人である。

 赤色の鱗を持つワイバーンに騎乗した女だ。


 相手も気がついたか、ワイバーンがゆっくりと邪竜へと近づいて来る。


 はっきりと相手の姿を捉えると、本能的に邪竜に近づく事を嫌がるワイバーンを女が必死になだめた。


 大人と赤子ほど違う体躯の竜と亜竜。

 お互いが上空で近づいた所で、ルシウスは邪竜を停空させる。


「わ、私は第13師団 連隊長リラ=ノリス=ケラーと申しますッ! お迎えにあがりました!」


 どうやらルシウスを待っていたらしい。


 連隊長リラは騎乗したワイバーンを更に近づけ、邪竜の横へと並ぶ。

 邪竜の右の首が、不機嫌そうににらみつける。


 どうも邪竜の首の中にも性格があるようで、右は怒りっぽい。

 真ん中は好戦的だが、格下には興味がない。左は温厚で、自愛のような視線を送ることすらある。


 右の首に睨まれたワイバーンが怯えた声を上げ、翼をばたつかせる。


「落ち着け、仲間だ」


 リラは優しく喉元のどもとを撫でた。


「わざわざ迎えに来てもらって、ありがとうございます」


「いえ、騎士団が同行しなければ、城下が混乱します」


 目を下へと落とすと、騒然とする領民たちが見える。

 皆、指を空へと指していた。

 更に泣き出す子供までいる。


「……なんか、すみません」


「いえ、お構いなく。シュトラウス卿がお待ちです」


 シュトラウス卿の城を訪れることは、初めから決まっていた事とはいえ、邪竜をひと目に晒すのはやはり気が引ける。

 どうしても恐怖を与えてしまうからだ。


 リラに誘導されるまま城へと向かう。

 降り立った。場所は城の中庭。


 丁寧にられた青い芝生へと邪竜を降ろし、ルシウスは背中から飛び降りる。


「見事な竜だな」


 腹に響く声に振り返ると、家臣や近衛兵を連れた壮年の男が1人。

 ここ北部を束ねる盟主シュトラウス侯爵、その人である。


 青い御髪おぐしに白髪が交じることで、水色に見えた。

 目の下に出来たシワが齢を感じさせるが、鋭い眼光は3歳に初めて会ったときのままだ。


 一時は牙を折られたとささやかれた北部の盟主であるが、今は娘オリビアの為、再び政争に明け暮れていると聞く。


 更に近づこうとするシュトラウス卿を側近たちが諫めた。


「あまり近づくのは危険です」

「ご自愛下さい」

「万が一の際、お守り出来ません」


 シュトラウス卿はそれらの声を全てが拒否する。


「構わん。近づきたくないと言うなら、そこで待っておれ」


 ルシウスはひざを着いた。

 すぐ目の前にシュトラウス卿がやってくる。


「ご無沙汰しております、閣下」


「ルシウス、よく戻ったな」


 シュトラウス卿は頭を下げたルシウスの肩に手を当て、立つように促す。

 そして顔を上げたルシウスの顔をまじまじと見つめる。


「良い顔だ。東部で男をあげたの。話は聞いておる」


「いえ、まだまだです」


「まだまだ、か。初めて会った3才のときは、右も左も分からず戸惑っていたあの子が……もう私には決して手が届かぬ高みまで行こうとしている。もはやこの国になくてはならぬ存在よ」


 シュトラウス卿の瞳は哀愁と期待が帯びている。


「あの……」


「さあ、行こう」


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