第48話 夜明け

「はッはッはッ」


 森の中を、1人の男が走っている。


 男の顔色は悪く、ここ20年以上、自堕落じだらくな生活を続けたため、少し走るだけで身体中の血管が弾けそうだ。


「なんなのだッ! あの竜はッ!」


 オマリー伯爵である。

 街に溢れた蚩尤しゆうの分身達と、邪竜の戦いが始まると同時に、他の家臣たちと同じように、館から逃げ出したのだ。


 たいした距離を走ったわけではないが、既に顔色が悪い。


「舐めやがって、本当に役立たずばかりだ! なんで私ばかりが、いつも馬鹿共の尻拭いをしなければならないのだッッ!」


 息を切らしながらも、悪態だけは付かずには居られない。


「後少しッ! 後少しで霊廟が完成するのだッ!」


 最後の悪態をつくと、遂に体力の限界を迎えたオマリーの足が止まる。

 そのまま地面へと腰を落とした。


 逃げる際に唯一持ってきた酒瓶のふたを乱雑に開けると、カラカラに乾いた口へと酒を流し込んだ。


「こんな所にいらっしゃったんですね。オマリー様」


 突如、女の声が響いた。

 木陰から、女騎士が姿を現す。


「ああ、お前か」


 名前は出てこない。

 もともと人の名前を覚えるのは苦手な上に、覚えるのも億劫だ。


「私をおぶって行け、もう走れん。一度、隣の街へ退避する。そこで体勢を立て直すのだ」


 女騎士はその言葉を無視した。


「オイッ! この私に二度も言わせるなッッ! 馬鹿者ッ!」


 ため息をついた女騎士は、めんどくさそうにオマリーの腹へ剣を刺した。

 腹を裂きながら剣を抜き取る。

 その斬撃に一切の迷いはない。


「おま……え、この……わたしを……だれだと」


「ああ、スッキリした。大嫌いだったのよね、アンタ」


 女騎士が伸びをする。


 その時、何かが地面を軽やかに踏む音が響いた。

 程なく近くの木々の間から、鎧を纏った白銀の翼を持つ馬が現れる。

 その上には、青年が乗っていた。


 ブロンドの髪に金色の瞳をした青年。

 青年の容姿は彫刻になりそうなほど整っている。


「陛下、前線に出て来ないでいただきたいと、以前申し上げたではないですか。この領はまもなく特級の魔物により沈みます」


 女騎士の言葉を、青年は笑顔で躱す。


「やあ、ブリジット。久しぶりだな」


「半年ぶりです。それよりも護衛も付けずに、このような所へ」


「帝国は軍事国家。皇帝は前線で死ぬことも仕事のうちだ。それに、弱った特級の魔物に後れを取るつもりはない」


「陛下が蚩尤しゆうを倒してしまっては、計画の意味がありません」


「そんなことより、アヴァロティス国はどうだった?」


「最悪でした。こんな無能がのさばっているにもかかわらず、現王や四大貴族たちは書状で文句を言うばかり。帝国なら陛下自らがさっさと首を刎ねているでしょう」


「ああ、そこで血をながしているのが、例の彼かね?」


 腹に空いた傷を抑え込みながら、苦悶の表情を浮かべているのはオマリー。

 唇が何度か動くが、全く言葉になっていない。


「貴様、皇帝陛下の質問に答えよ!」


 ブリジットと呼ばれた女騎士が、うずくまったオマリーを蹴り飛ばした。

 豚のような声をあげたオマリーがいずりながら、ブロンドの青年へ近づいていく。


「いい、気にしてない。それに彼は特級の魔物を目覚めさせてくれたのだろう? 褒めてあげないと」


 ブロンドの青年は爽やかな笑顔で答えた。


「申し訳ありません。陛下、その件ですが、想定よりかなり早く目覚めてしまいました」


「仕方ない。魔物の目覚めを完璧にコントロールするなど不可能だ。その魔物が領内で暴れ、クーロン山に閉じこもってくれれば十分だ」


「……後、気になる事が1つ。特級魔術師が現れました。邪竜を式に下しているようです。もしかすると、蚩尤しゆうが倒される可能性もあるかと」


「特級魔術師とは驚いたな。倒される可能性も視野にいれておくか」


 言葉と反対に冷静なままの青年。


「申し訳ございません。すべては私の力不足」


「いや、特級魔術師など存在自体がイレギュラーみたいなものだ」


 羽のある馬にまたがる笑顔の青年のもとへ、オマリーがってたどり着いた。

 青年は興味ありげに、言葉を投げかけた。


「どうした?」


「……ま……こう」


 青年はわざとらしく手を叩く。


「ああ、霊廟だったか? あれの素材だね」


 応えられないオマリーに変わり、ブリジットが答える。


「赤の時代以前に精錬できたという魔鋼を求めておりました。なんでも自分が死んだときに式も閉じ込めて、共に死なせる為だとか。さらに蚩尤しゆうを墓守とすることで誰も立ち入れないようにしたかったようです」


「彼が、魔鋼が必要なほど強い式を持ってるのか?」


「いえ、5級の式ですので。もっぱら蚩尤のためでしょうか。全く私には理解できない思考でした」


 皇帝と呼ばれた青年は、少しだけ関心したような声をあげる。


「少しだけ分かる。多分、自分の死を、全て自分のものにしたかったようだな」


「分かりかねますが」


「事情はわからない。ただ、それが彼には救いだったんだろう」


「やはり、理解できません」


「別に構わないさ。さて、行こうか」


 ブロンドの青年は金色の目を輝かせながら、ブリジットへ手を差し伸ばした。

 頬を紅潮させながら、ブリジットが青年の手を取る。

 そのまま引き上げ、後ろへと乗せた。


「アヴァロティス国を魔物の呪縛から解き放とう。式などというおぞましい仕組みに頼っているから醜悪な貴族がのさばるのだ」


 青年とブリジットは、夢にあふれるような表情を浮かべる。

 羽を持つ馬は、ついでのようにオマリーを踏み潰しながら、歩き始めた。



 ◆ ◆ ◆ 



「急ぐのじゃ」


 東部の盟主リーリンツ・エスタ・ウィンザーは馬にまたがり街道を行く。

 まだ夜明け前。辺りは薄暗い。


「「「ハッ」」」


 周囲には行軍する騎士や諸侯が緊張した面持ちで続いている。


「リーリンツ卿、あの丘を越えればホノギュラ領です」


 ホノギュラが謎の魔物の群れに襲われたと言う報告を受けたのは3日前。

 すぐに偵察を送った所、ホノギュラ領とタクト領が謎の鎧の魔物の群れにより、壊滅状態と言う報告が上がってきた。


 それからわずか1日で軍を組成し、州都シャンアークから出兵した。

 1000人近い部隊でいえば、異例と言えるほど、迅速な対応である。

 すべてはリーリンツ卿の指揮力の高さゆえ。


 それでも蚩尤しゆうの造兵の術式により作られた鎧の分身達が、領にあふれてすでに5日が経っていた。


 ――最悪じゃ


 よりにもよって魔物が発生した場所が、あのオマリー伯爵の領地。

 政治に関心を示さず、奢侈しゃしに傾倒する領主。

 帝国とのつながりがある、特級の魔物を街内へ持ち込んだなどという黒い噂が立つほどである。


 ――せめて、もう少し後であれば……


 いち早く処断する必要があるとは思っていたが、四大貴族に次ぐ伯爵を簡単には裁くことはできない。

 証拠固めのために動いていた矢先だった。


 伯爵領でなければ、リーリンツ卿自ら来る必要はなかった。


 伯爵領への軍事介入ができるのは、東部に置いてはリーリンツ卿本人か、同格の伯爵家くらいだろう。

 だが、国境線にいる辺境伯たちを、州内へ戻すことなどできない。


「騎士たちの様子は!?」


「ハッ。夜通しの行軍により、やや疲弊がありますが問題ありません」


 1000人近い部隊全員がその場にいるわけではない。

 騎士たちの資材と併せて、大量に居るであろう領民への救援物資も運ぶ必要がある。兵站部隊ははるか後方へと続いていた。


 周囲にいるのは100名程度と言ったところか。

 それでも国境に配備されている者を除けば、精鋭部隊といえる。


「そうか。夜は休んだほうが良いのだが、そんな事を言っておられる状況でもないでな」


 リーリンツ卿の焦りは収まらない。

 その様子を緊張の面持ちで見るのは諸侯たち、つまりは子爵や男爵達である。


 そのうちの一人、男爵がくつわを並べ、リーリンツ卿へと話しかけた


「リーリンツ卿、領は無事でしょうか」


 その言葉に神経を逆なでされる。

 どう考えればこの状況で無事という言葉を発することができるのか。


「無事なわけがなかろうッ! 最悪1割も生き残っておらんわッ!」


「あ、はっ」


 戸惑う男爵に説明するように、隣にいた子爵が口をひらく。


「状況は絶望的だろう。ホノギュラ領の領主オマリー伯爵は政治に興味がなく、騎士の質も悪い。むしろ積極的に領民たちから掠奪りゃくだつしている可能性が高いくらいだ」


「それはそうですが」


 男爵の男は縮こまった。

 深い意味はなく、ただ緊張をほぐすための言葉だったのだ。


「隣のタクト領は中央の人間が逃げ出すほどに、民の信頼がない。そこへノリス北部の子供が赴任したのだ。この異常事態へ対応できるはずがない。また、あの地には邪竜もいる。暴走していれば町がいくつか消えてるだろう」


 リーリンツ卿は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、内心で同意する。

 だが、それ以上に、まずいものがある。


「その上、最初の報告が本当であれば、ホノギュラとタクトを襲った魔物は――」


 子爵は言葉を躊躇ためらった。

 だが、戦場において物事を見誤ったまま進むのは生死に関わる。

 リーリンツ卿が苦しそうに言葉を続けた。


蚩尤しゆうの可能性がある」


 周囲を歩く騎士や、馬にまたがる貴族たちも皆息を飲む。

 東部の人間であれば、誰もが知る逸話。


 はるか昔、クーロン山を居城としていた特級の魔物。

 積極的に武人を襲い、多くの武具を奪ったという魔物。

 討伐のために何度となく送り込まれた軍を全て壊滅させたという魔物。


「クッ! 斥候せっこうの報告はまだか!?」


 先程から気ばかりが逸る。

 まだ夜明け前で薄暗く、視界がひらけない事もその原因だ。


 東部は長く国境を守る拠点として、戦いに明け暮れていた。

 国を守るための戦いである。

 誰かがそれをやらねばならない。それが貴族の責務。


 だからこそ、盟主である己は強くならねばならないと思って生きてきた。

 民には心の拠り所が必要なのだ。


 自らの夫にも強く在れ、と言ってきた。

 その夫が死んだときでさえ、一人私室で朝まで涙しても、決してそれは周囲に見せてはならない、悟られてはならない、と。


 だが、戦いは心を削り、人の命を軽くする。

 東部の人心はすさみみ、気質にまで影響を与え、心を壊した者達も多く生んだ。


 戦いの影という名の負の感情が、東部にはたまり続けてきたのだ。

 自分一人がどれほど強くあろうとしても、それは限界を迎えつつあった。


 心を壊したからといって、国のために戦った者達へ死ねというわけにもいかない。

 むしろオマリー伯爵に雇ってもらえることに安堵すらしていたが、それが間違いだった。

 闇が闇を取り込み、最もくらき場所を作ってしまった。

 今、赴く地がまさにそれである。


 ――見とうない


 闇が飲み込んだ荒廃を、今から目の当たりにしなくてはならない。

 見たくはないが、いち早く状況は知りたいという矛盾した思いに駆られる。


 ――魔物の確認の為、オルレアンスの者を付けたのが失敗だったか


 なかなか帰ってこない斥候がすでに殺られたことも視野に入れ始めた時、丘の上から獣人達が走ってくる様子が目に入る。


「リーリンツ卿! 斥候達です!」


 豹や鳥の獣人達と、それに背負われている一人の老婆が、丘を駆け下りてくる。

 リーリンツ卿を始めとして、諸侯たち、騎士達が皆その様子を食い入るように見つめる。


 リーリンツ卿は堪らず馬を走らせる。

 降りてくるまで待つ時間も惜しいとばかりに。

 周囲の諸侯たちも、それに続く。


 すぐに斥候たちとリーリンツ卿が合流した。

 斥候たちが戸惑いながら平伏しようとする。


「今はそのようなことはよい! 状況はッ!?」


 困惑を色濃く残したまま一人の斥候が声をあげる。


「申し上げます! 街は激しく損傷しております。あの様子では、多くの領民が負傷していると思われます」


 皆、生唾を飲んだ。


「それで!? 街を襲った魔物はどうなったのだ!?」


「……見つけられませんでした」


「見つけられない……だと!?」


 グフェルを背負った斥候の一人が丁寧に降ろす。

 リーリンツ卿はオルレアンス家の前当主である老婆グフェルへを問いただす。


「どういうことじゃ!? 蚩尤だったのか!?」


 グフェルがうやうやしく応える。


「遠くから見ただけですが、街の様子からして相当数の魔物に襲われたことは間違いないかと。それだけの魔物が居たにも関わらず、1体の魔物もうろついておりませんでした。先の鎧姿の魔物という情報と照らし合わせれば、まず間違いないものと思われます」


 その場の全員の表情が凍りつく。

 丘を越えた先、そこは死地である事を意味していた。

 二度と戻れぬ場所へ今から足を踏み入れるのだ。


「そう……か……」


 リーリンツ卿は脱力した。

 今、ホノギュラ領もタクト領も壊滅したことが確定した。

 おそらく誰一人も生きてはいまい。


 ――これは、私の責任じゃ……


 遅すぎたのだ。何もかも。

 多くの領民はもちろんのこと、四大貴族の娘と、現王に嘱望される邪竜と契約した少年の命が失われた。


 頭をもたげた時、突如、膨大な魔力を感じた。

 街から凄まじい速度でこちら側へと向かってくる。


 余りの存在感に今すぐ逃げ出したい程だ。


「何だ、これは!?」

「すごい速度でこっちに向かってくるぞ!」

「蚩尤だ、逃げろッッ!」


 間違い無い。

 この状況で向かってくる魔物が居るとすれば蚩尤しゆうだろう。

 強い魔物は魔力が濃い場所を好む。

 だが、だからといって魔力が薄いところに居られないわけではない。


「……誰か。オルレアンスの者を逃がせ」


 リーリンツ卿が馬から飛び降りる。

 自身を九尾の狐へと形を変化させた。


 ――盟主として逃げる訳にはいかない


「他の者は私に続け。蚩尤を他の領地に向かわせるわけには行かん! 東部を、この国を、守るのだッッ!!」


 リーリンツ卿の表情には死相が宿っていた。

 その表情に皆、覚悟を決める。


「皆、リーリンツ卿へ続けッ! ここが我らの死処ししょだッ! 龍など居なくとも蚩尤に勝つぞッ!」


「おおぉぉおおッッ!!」


 他の諸侯たちも皆、馬から降り、式を喚び獣人へと体を変える。

 秋の明朝、肌寒さを覚える中、空気をくほどの存在感と魔力をまとう何かが近づいてくる。


 皆が固唾かたずを飲んで見守る中、誰時たれどきの闇にまぎれて黒い何かが現れた。

 漆黒の鎧に禍々しい様相。

 6枚の鉄板を浮遊させている。


 その周囲だけ、空間が歪んでいるかのように感じる。


 皆、先程まで威勢よく声をあげたはずが、あまりの威圧に反射的に後方へ下がる。

 リーリンツ卿は小声で呟いた。


「これが、蚩尤……想像以上じゃの」


 だが、怖気づくのはそこまで。

 逃げ出したい気持ちを押し殺す。

 エスタ卿が大きく息を吸い込み、声をあげた。


「誉れある死をッ! 兵戈へいかに散った戦士たちに恥じぬ戦いをッ!」


 皆一斉に武器を顕現させ、臨戦態勢に入る。

 そして、リーリンツ卿が先陣を切った。


「あ、エスタ卿じゃないですか。ご無沙汰しております」


「はっ?」


 耳を疑った。

 伝説の魔物から名前を呼びかけられたのだ。

 だが、その声には聞き覚えがあった。


「その声は……ルシウス、か」


「そうです。ちょっと待ってください。せっかく式を喚んだので」


 蚩尤しゆうの影から数十という鎧の分身が這い上がると、街へと向かっていった。


 それを見送った蚩尤の体がしぼんでいく。

 先程まで蚩尤が居たところには、体の至る所に包帯を巻いた少年が立っている。


 背後の騎士たちが皆、声を震わせる。


「あ、ありえない……」

「どういうことだ!?」

「馬鹿なッ! 蚩尤を式にしただとッ!?」


 唖然とするリーリンツ卿やその配下達。


「おやっ! おやっ!!? これはいいねぇッ!! 蚩尤を式にする例など初めてじゃないかいッ! もっと! もっと! もっと良く見せとくれッッッ!!!」


「グフェル様も、来られてたのですね」


「ああッ! 蚩尤を見れるなら、死んでもいいくらいだからね! そんなことよりももう一度、式を顕現させておくれよッッ! 術式をッッ!」


「残念ですが、グフェル様。まだ日に一度程度しか喚べません。魔力の同化もありますが、魔力が全然足りてない状態でして」


 必死に近寄ろうとするグフェルを、ルシウスが笑顔で避け続ける。


「……一体何がどうなれば、蚩尤を式に降せるのだ」


 そうこぼしたリーリンツ卿に応える。


「まあ、色々ありまして。それより良かったです。また山賊が襲ってきたのかと思いました」


「山賊?」


「ええ、もともとこの地にいた騎士たちなんですが、あまりの悪逆に追い出してしまいました。その後も、時々街を襲ってくるんですよね」


「……そうか」


 もはや理解の外で、そうとしか答えられない。


「今、分身たちに瓦礫の撤去や生存者の救出をさせているのですが、手も薬も食料も足りてません。さあ、皆さんも早く街に来てください」


「そ、そうじゃな。タクト領はどうじゃ?」


「ええ、問題ありません。被害は限定的で、領主自ら復興を指揮しております」


 諸侯たちが驚き表情を浮かべるが、リーリンツ卿はその可能性はありえると考えていた。

 だが、蚩尤が現れ、それが式にされているなど誰が予想できようか。


「民はどうか? どれだけ……生き残った?」


 ルシウスの表情が暗くなる。

 それを皆が感じ取った。


 ――やはり……


 蚩尤が現れたのだ。ただで済むはずがない。


「すでに100名以上の人が亡くなっています。瓦礫の撤去は粗方終わってますが、恐らくその倍にはなるかと……」


 ルシウスが鎮痛の面持ちを浮かべる。


「100名……」


 人が死んだのだ。1人の死であっても、それは軽く見ていいものではない。

 だが、為政者として、領の全滅を想定していた者として、その数はあまりに少なかった。奇跡としか言いようがない程に。


 少年が振り返えり、街へと歩きだした時、辺りが急に明るくなる。


 日の出により朝の太陽が街を照らしたのだ。

 建物の損傷は激しいものの、朝日とともに動き始めた民達が見える。


 皆、傷ついている。

 だが、陰鬱いんうつさはない。

 力強く、粘り強く前へと向かっているようだ。


 起きたばかりの民達が、丘を下る少年へと手をしきりに振っている。

 その姿が、自分たちが居なかった数日間を如実に現していた。


「参ったの」


 リーリンツ卿には、東部に溜まり続けていた闇が、一人の少年により振り払われたように思えて仕方ない。

 薄緑色の髪をかき上げ、笑った。


小さな光ルシウスか。随分と控えめな名だな」


 

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