第47話 蚩尤の力

「我が名はルシウス=ノリス=ドラグオン男爵。お前を止める」


 ルシウスは剣を構えたまま、思考する。


 どうすれば目の前の特級の魔物に対処できるか。

 宝剣では斬れない上に、術式も効かない。


 最終手段はクーロン山への誘導。

 強い魔物であればあるほど、濃い魔力を好む。

 人の魔核と同じほど魔力が濃い場所といえばクーロン山の最深部だろう。


 ここからクーロン山へは、麓町を迂回すれば2日程度。


 ――耐えきれるか


 2日間、特級の魔物と対峙たいじし続ける。

 真っ当に考えれば、無謀である。

 数分間でも対峙できれば、人類では上位の強さかもしれない。


 だが、自らが選択したこと。

 覚悟とは常に行動より前に在る。



「やるしかない」



 ルシウスは走り出した。


 そこへルシウスと同じ剣を携えた黒い影が迫る。

 距離を詰められ、光の剣が振り下ろされた。

 いつもは自身が放つ気配と同じ光を、殺意をもって感じる。


 ――鋭いッ


 振り下ろされた一撃はルシウスの左肩を薄く斬り裂き、血が吹き出した。


 それでも鎧は止まらない。

 振り下ろされた剣を人ならざる膂力りょりょくで、切り替えし、刃を振り上げる。


 ――避けられないッ


 ルシウスは全身の魔力を剣へと注ぎ込み、光の線をまとわせた。 


 そして振るわれる剣と切り結ぶ。

 光と光が混ざり合い、反発し合い、暴発する。


「ガッ」


 ルシウスの小さな体は衝撃で吹き飛ばされ、壁へ叩きつけられた。

 わずかに刃を逸すことができ、すぐ横を余波が通りすぎる。


 斬撃の余波が、霊廟の壁に亀裂を作り、半壊したオマリー伯爵の城を、真っ二つに斬り裂いた。邪竜のブレスを受けて脆くなっていた館は、最後の一撃により完全に崩れ落ちる。


 邪竜との交戦に比べればまだいいという程度ではあるが、一撃一撃がまさに災害である。


 ――早く立たないとッ!


 剣を構えようと焦るが、壁に叩きつけられた体が言うことをきかない。

 立ち上がろうと、もがくルシウスめがけて、鎧が飛び掛かる。


 その巨体とは思えぬ身軽さで、霊廟の高い天井に付きそうなほどの跳躍を見せ、剣を振り上げた。


「逃げて!」


 盾へ、くくりつけられたローレンが叫ぶ。

 高く飛んだ鎧が、一切の迷いなく剣を振り下ろす。


 鎧の魔物が急降下し始めた頃、やっとルシウスは立ち上がることができた。


 啖呵たんかを切ろうが、気を強く持とうが、急に強くなるわけではない。

 だが、諦めるわけにはいかない。


 ルシウスは剣先に光を集めた。

 剣先は、盾に絡みついた鎖だけを狙いすましている。


「ローレン。今、助ける」


 鎧の影が頭上に迫り、巨大な光の剣が振り下ろされた。


 ――今だッ 


 寸での所で、盾が在る方へと体をねじる。

 一切の防御を捨て、近づいた大盾に巻き付く鎖をルシウスの剣が、切り裂いた。


 ローレンは、何が起こったのか分からないといった表情だ。


 ルシウスは剣を避けながら跳躍し、ずり落ちたローレンの背中を掴んだ。

 片足が着地したと同時に、全力で駆ける。


 ――間合いを取る!


 だが、その後を、猛烈な勢いで鎧が追従してくる。

 今までのような冷徹さはなく、怒りに身を任せたような疾走。


「速いッ」


 ローレンを片手で抱えたままのルシウスへと一瞬で迫り、荒々しい斬撃を繰り出した。

 咄嗟に右手に持った宝剣を構えようとするが、反応がわずかに遅れる。


 ――間に合わない


 光の刃がルシウスの首をねようとしたとき、ガキッという音が響いた。

 目の前には虎のオレンジと黒の縞模様が見える。


「ハァハァ、遅れて、すまない」


 馴染みのある声が耳に飛び込んだ。

 同時に大剣の切っ先が宙を舞う。

 光の剣が大剣を小枝のように切り裂いたのだろう。


「ユ、ユウさん」


 全速力で駆けつけたのか、ユウは肩で息をしていた。


 黒い鎧は止まらない。人などいくら増えても構わないとばかりに、再び斬りかかる。

 ユウは新たな大剣を生成する。


 光の剣と大剣が交わった。

 遠く、ヒュンヒュンという空を切る音だけがかすかに聞こえる。

 ユウの大剣は、また中程から切り裂かれ剣先が天井へ突き刺さる。



 ――術式の大剣が……


 それでもユウは再び大剣を生成した。

 新しい大剣を切り飛ばされるたびに、生成しながらの切合。


 ユウはルシウスを己の背中に隠し、言葉を投げかける。


「まさか蚩尤しゆうが蘇るとはな。ルシウス、ローレンを連れて逃げろ」


 武器の生成には魔力を大量に使うと、以前ユウが言っていた。

 切り結ぶ度に、生成し直す戦法は、息を止めながら全力疾走するようなものである。


 もとより戦法ですらない。

 ただ時間を稼ぐだけの足掻あがきであることは明白。

 もはやクーロン山へ誘導するどころか、このままではユウが死んでしまう。


 ――駄目だ


 辺りを必死に探した。

 瓦礫でもいい、穴でもいい、岩でもいい。

 何か使えるものはないか、と。


 そのとき、ルシウスの視界に、【白妖の眼根】が目についた。


 視界を覆い隠す大きな眼帯。

 乱雑に積まれた遺物たちの1つに入っていたようだ。


 一度やった方法である。

 勝てない魔物との戦いを終わらせる方法。



 ――式にする



 ルシウスはすぐに【白妖の眼根】の元まで駆け寄った。

 そこにローレンを降ろすと、手に掴んだ遺物をひたいにかけ、目をふさいだ。


「やっぱり何も見えない」


 それでも目を覆う。


 近寄ってから、悠長に掛け直している時間などない。その瞬間に3度は斬られてしまうだろう。


「な、何をするんですか?」


 ローレンが【白妖の眼根】を着けたルシウスへと驚愕しながら声をかける。


「……あれを式にする」


「無茶ですッ! あんな攻撃、ユウさんでもかわせませんッ!」


「それでも、やらなきゃ。自分が選んだことだから」


 ルシウスは魔力の感じる方へと歩き始めた。

 魔力は如実に感じる。焼けつくほどの存在感。認識できないわけがない。


 それでも、一歩一歩進んで行くごとに、疑心暗鬼となる。

 本当に離れているのか、実はすぐ眼の前に迫っているのではないか。


 もしあの鎧の魔物が気配を偽る事ができたら、魔力を抑える事ができるのだとしたら。


 心臓の鼓動がバクバクバクバクと五月蝿うるさいほど鳴り響き、歩いているだけなのに、息も荒くなる。


 当たり前だ。

 誰だって巨大な剣を振り回す者へ、目を塞いで近寄るなど怖いに決まっている。


「ルシウス、止めろッ! 蚩尤しゆうは式にできるような魔物ではないッッ!!」


 剣が斬る風を頬に感じ始めた頃、ユウが叫び声がすぐ近くで聞こえる。


 直後、ユウ自身が弾き飛ばされ壁に衝突する音がした。



 鎧の魔物がルシウスへと相対する。


 ルシウスは剣をさやへと納めた。

 どのみち剣を受けることはできない。


 時間が凝縮され、すべてが遅くなる静寂せいじゃくの空間。


 それを知っている。

 死が迫ったとき、極限の集中で感じることができる世界。


「僕が相手だ」


 ルシウスは胸の奥で渦巻く不安のもやを飲み込み、意を決して走り出した。


 強大な魔力。

 それが集まる剣の気配を感じる。



 ――右薙



 ルシウスは姿勢を低くした。

 体が遅い。

 意識とのズレを大きく感じる。

 直後、頭の上を光の刃が通りすぎる。



 ――袈裟けさ斬り



 ルシウスは左へサイドステップを切る。

 左上からの斜めに剣が光の刃が右肩近くを通り過ぎた。


 完全にかわしきれず、ルシウスの右手から痛みがい上がってくる。

 斬られたらしい右腕から血が滴るが、無視する。


 3歳のとき下賜されて以来、使い続けてきた剣。

 剣の重さ、間合い、振りの支点、全てが手に取るようにわかる。


 黒い鎧の剣術は達人の域に達しているのだろう。


 ゆえに、攻撃が読める。


 ルシウスが宝剣をもって理想とする型を、寸分違わずに振るってくるのだ。


 鎧の魔物の体躯に合わせて大きくなっていたとしても、魔力で感じられる以上に、はっきりと太刀筋が想像できる。


 宝剣以外の剣であれば、間違いなく初手で斬られていた。


 ――突き


 右横へ踏み込んだとき、左肩に鋭い痛みが走る。

 鎧の突きが肩へと当たったのだろうが、それも無視した。


 今、一瞬でも止まれば、胴体と頭が永遠に別れることになるという確信があったからだ。


 鎧の伸び切った手と並行に走り抜ける。


「今だッ」


 ルシウスは跳ぶように駆けると、一切の反動を顧みず、己の額を蚩尤しゆうひたいへと全力で打ち当てた。


 ガキッという音が脳を駆け巡り、内から耳へと届く。


蚩尤しゆう、降れッ!!」


 目の奥にある魔核へ、蚩尤しゆうの膨大な魔力が流れ込んでくる。

 邪竜を降したときと同じような魔力の激流。


 大河のような魔力に込められた蚩尤の望みが、手に取るようにわかる。

 それはオルレアンス家から禁忌の外法と呼ばれた魔物の要望を汲み取る方法である。


 2度と使わないと決めていたが、人の命より重くない。



『武具を。強き刃を我に』



 蚩尤が求める契約の条件。


 恐らく魔剣に相当する武器を求めているのだろう。魔剣は貴重なものである。王家が所持するほどに。

 だが、物探し程度で誰かの命が助かるのであれば何の不服もない。


 だく


 ルシウスはそれを受け入れる。


 同時、目の奥にある白眼魔核に蚩尤しゆうが吸い込まれていった。


 ――魔核が


 目の奥にある白眼魔核から、すぐ近くにある脳へと痛みが叩きつけられる。


 目の血管が破れたのか、視界が緋色に染まっていく。


 赤く塗りつぶされた世界が次第に暗くなり、気がつくと暗闇の中にいた。


 目の前には先程、契約したばかりの魔物。

 蚩尤しゆう


 傷ついている。

 契約したことで、はっきりとわかるほど、衰弱していた。

 先程まで立っていた事も不思議なほどに。


 前回邪竜と契約した時は邪竜の荒ぶる魔力を受け止めるために、全身の魔力を使ったが、その魔力も必要ない。


 式はルシウスの魔核の中で揺られながら、眠りに就こうとしていた。

 これから体を癒やすつもりだろう。


 そして、ルシウスは魔核を通じて、蚩尤しゆうの夢に触れる。

 記憶の断片。



◆ ◆ ◆



饕餮とうてつ、進化したのか』


 突如、男の声が響いた。

 先程まで暗闇だった場所に、記憶が映し出されていく。


 森の中、全身に傷を負った男だ。

 その傷は致命傷のように見える。


 黒い髪、紫色の瞳。

 ほとんど見ることのない変わった衣装を身にまとった男の目鼻立ちはどこかでみたことがある。


 その男は笑った。


『だが、俺の旅もここまでか。お前と全ての不浄を飲み込むつもりだったのだがな』


 蚩尤しゆうはその男を見下ろしていた。


『俺の子と契約しろとは言わない。だが、もしこの山で出会ったら、一度くらい見逃してやってくれ。それに進化のために大量の魔力を使っただろう。もう俺を喰っていい』


 蚩尤は震える手で男を掴んだ。

 男の言う通り、先程から腹が減って仕方なかった。

 契約者の男の魔核が極上の馳走ちそうに見える。


『今までありがとうな。俺の最高のやいば


 蚩尤は男を飲み込んだ。

 そして、咆哮をあげた。

 何度も何度も。


 何が最高の刃か、半身を守る事もできないなまくらではないか。


 その魔性は涙を持たない。

 あらゆる感情を叫びでしか、流せなかった。



 それから長い時が経った。


 山の生態系の頂点に立った魔物は、自分と同格の龍と対峙していた。

 白い羽を持つ白龍。

 その周囲には、9体の龍。


 多くの魔物に取って力の解放は愉悦ゆえつそのもの。

 最高のやいばとなるべく、武具を求めて人も魔物も選ばす、戦い、戦い、戦い続けるうちに、棲み分けしていたはずの魔物と相対することとなった。


 戦いは苛烈かれつを極めた。

 蚩尤は6つの武具と分身を駆使し、龍たちはブレスと身にまとう嵐、霧、光を使い戦う。


 長い戦いの末、遂に蚩尤の魔槍が應龍おうりゅうの胴体を貫いた。


 勝利を確信した、その時。

 倒れた應龍の背後から女が現れたのだ。


 かつての主と同じ黒い髪、紫の目。

 見間違いようのない血縁。


 蚩尤は追撃の手を止めた。


 その隙を付かれ、蚩尤は四方からブレスを浴びた。

 集めた剣も槍も弓も、全て失い、破れたのだ。


 だが、蚩尤に後悔はなかった。

 約束を守れたのだから。


 それから長い眠りを迎えた。

 目を覚ましたときに、再び目にしたのは宿縁だった。

 主の系譜と、失った魔剣の一部。


 黒髪の少女。

 かつて対峙した應龍と同等の邪竜を操る少年。

 迷わず蚩尤は、邪竜のブレスから少女を守るために盾の影に隠した。


 そこで夢は途絶とだえる。



「……そうか、守ろうとしてたんだ。約束を」


 魔核に揺れる蚩尤は何も応えない。

 もう眠りについてしまったのかもしれない。


 同じようにルシウスも酷く眠い。

 魔力を使いすぎた。


 この不可思議な空間からして、もう体の意識はないのかもしれない。

 漂っていた意識が霧散するように消えていった。


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