第45話 ローレンの思い
ローレンは1人、冷たい床の上に座り込んでいた。
窓も扉もない、ひたすら広い部屋。
天井は意味があると思えないほどに高く、薄暗い部屋ではよく見えない。
周囲には何に使うのかも分からない道具が無数に転がっている。
照明もないにもかかわらず、視界が保たれているのは、そのうちのどれかのお陰だろう。
唯一見覚えのあるものは、自身もかつて身につけた事のある遺物。
【白妖の眼根】。
白刃を振るう東部の式、白妖。
それらと契約するために必要なものである。
そして、それらと比較しても、格段に異様なものは部屋の中央にある巨大な水槽。
水槽に大きな黒い鎧が浮かんでいる。
時折、それが大きく動くのだ。
動く度に黒い鎧の影が、一人でに動き出し、壁を伝い、外へと抜け出ていくように見える。
その間隔が、時を追うごとに短くなっている。
「うぐ」
ローレンは今にも泣きそうな顔を足へと
1人で居ると、とても不安な気持ちになる。
いつからだろう。
自身が前領主のクラーク子爵の娘であることを、理解したのは。
一番古い記憶は4歳の頃。
ユウの仕事に連れられ、町民の家へ訪問したときだ。
家の主人とユウが話し込んでいたとき、家人の女性に手を引かれ別室へと連れて行かれた。
菓子をくれるという話だったはずだが、いきなり
すぐにユウが助けてくれたが、ただただ怖かった事を覚えている。
だが、それは一度きりではなかった。
その日以来、数日ユウが家をあけると、町民は決まってローレンを責め立てて来るようになった。
ユウは事がある度に町民を説得してくれたのだが、止むことはなかった。
そんな事が何度も起こると、自分は前領主の娘であると、否が応でも認識させられた。
なぜ、こんなにも前領主が、そしてその娘である自分が嫌われているのか、ユウは語りたがらなかった。
理由をはっきり理解したのは、式を得るために領内の子供たちと共に、オルレアンス家の男に鑑定してもらったときだ。
「やはり、君もか。5級の百眼魔核と5級の砲手魔核だ」
そう言われた。
一度3歳の頃にも鑑定されていたはずだが、全く覚えていなかった。
もう1人いた同い年の子供も2つの魔核を持っていた。
その子の両親が言ったのだ。
「この子の兄は、あんたの父に殺されたんだよ。この子は運がよかったんだ」
それが領民達へ複数の魔核を持たせるために行った事だと知ったのだ。
同時に理解してしまった。
――お父さんは私にも……
自分は実の両親にとっても、死んでもいい存在だった。
たまたま生き残っただけの存在。
愛されて生まれ落ちたわけではない。
なのに、生きるだけで周囲から疎んじられ、責め立てられる存在。
――何で生きてるんだろう。わたしは
そう感じていた。
そんなある日、1人の少年が仮庁舎にやってきた。
小さな光を意味するルシウスという名の少年。月桂樹の名前を授かった自分とは正反対の存在。
少年は皆の役に立とうとしていた。
――この人は愛されて育ったんだろうな
正直、苦手だと思った。
そんな人には自分の気持ちなど想像もつかないのだろう、と。
2週間程が経った頃、急にルシウスが部屋へとやってきた。
「ローレン、高所恐怖症?」
「いえ、普通だと思いますが」
「なら、今から空を見に行こう」
「え?」
意味がわからない。
半ば無理やり、強大な式に乗せられ空へと連れていかれた。
――なぜ怖がらせるの!?
ローレンはルシウスの行動に困惑し、いらだちを覚える。
だが、話を聞くと、嫌がらせではないようだ。
「父さんの式も空を飛べるヒッポグリフでね。邪竜を式にするまでは、落ち込んだり、もうダメだと思った時とか、行き詰ったときは、いつも空へ連れてってくれたんだ」
ルシウスは自分を励まそうとしてくれていたのだ。
本音を言えば、空を見せてくれたこと以上に、その気持が嬉しかった。
皆、自分を遠ざけ、責めるばかりで、励まされることなど殆どなかった。
同時に不安がよぎる。
――私と親しくすれば、巻き添いになってしまう
実父を討ち、領内で一目置かれるユウですら、ローレンを育てていることを良くは思われていないのだ。
だが、この領で暮らすのであれば、自分と関わる事はルシウスの為にならない。
意を決して、ローレンは自身の出自を口にした。
そのときルシウスから返ってきた言葉は、今まで聞いたことのないものだった。
「きっと前の領主にも何か理由があったんじゃないかな……」
すべての領民から忌み嫌われ、憎まれている実父を否定しなかったのだ。
ルシウスは当事者ではない。
自身の肉親が同じ状況となれば意見は変わるかもしれない。
それでも。
それでも救われた気がした。
自分の体に流れる血がとても醜いものだと思って生きていたが、それを受け止めてくれたような、そんな気持ちがあふれると、同時に涙もあふれてしまった。
夕日の太陽と、ルシウスの顔が重なり、
これから新しい生活が訪れる。
そう思っていた矢先、ルシウスもユウも不在となったとき、いきなり騎士が家に入ってきた。
女の騎士と全身に火傷痕のある騎士だ。
羽交い締めにされた後、馬車に投げ込まれた。
有無を言わさずに、出発した馬車。
「お願いです。家に返してください」
手錠と足錠を掛けられ、無理やり乗せられた馬車の中で必死に声をあげる。
反対側に座った女騎士が、ローレンの言葉を無視して、話を振ってきた。
「クラークの娘。お前の血筋には、とある魔物を
「何の話でしょう?」
「ただの言い伝えよ。かつてクーロン山で荒ぶっていた魔物を、龍と共に鎮めることができた者が、この地の領主となったというただの言い伝え」
「聞いたことありません」
「真偽は定かではないわ。でもそれは重要じゃないの。それを信じている人がいるってことのほうが重要なのだから」
「誰ですか? 信じてるのは」
女騎士は答えない。
代わりに違う話をしてきた。
「……鎧の魔物。また現れるわよ」
「え?」
「あなたならそれを鎮められるかも。どうする?」
「私にそんなことはできません。お願いです……家に帰してください」
「そう、貴女のせいでまた沢山の人が死ぬのね」
「私の……せい?」
「貴方の父親は、かつて多くの領民を殺した。その子である貴女も自分の身可愛さのために多くの領民を犠牲にするのね。やっぱり親子」
「違います!」
「何が違うの?」
「私は……私はあの人とは……違います!」
「なら、それを結果で示してみなさい。じゃないと、あなた。本当に人殺しになっちゃうわよ?」
息が詰まりそうだ。
人殺しの子とずっと呼ばれてきた。
領民たちは、事あるごとにローレンを責めたてた。
持って生まれた罪。
どれだけ逃げたくても、それは離してくれはない。
――苦しい
そう思った瞬間、足元から、どす黒い何かが這い上がってきて、ローレンの体を縛り付けるように感じる。
ひどく息苦しい。
「着いたぜ」
体がガチガチと震え始めたとき、馬車を運転していた火傷姿の男が馬車を止める。
降り立つと、そこは青い巨大な建物の横だった。
「ブルーセン、本当にここで待つの? アレの分身だらけよ?」
女騎士がローレンを掴んだまま、霊廟を横目で見る。
「あのガキが、ここまで来るのか、来た時にどうなっているのかを確かめる。少し話ただけだが、あの性格なら、まず間違いなく、クラークの娘を助けにくるだろう」
「変な縁よね。まさかホノギュラを出た後、ユウとこの娘と同じ場所に住んでたなんて。それで? 何を確かめたいの?」
ローレンはルシウスの話だと直感する。
「あのガキは遅かれ早かれ、この国の英雄になる。その人間が俺のように壊れちまう側なのか、それとも
「ふーん。自分が失ったモノを失わない子か確かめたいなんて、ロマンチストよね。来ないかもしれないのに。それで、壊れる側ならどうするの?」
「決まってる。死んでも殺してやる。当然、帝国の装備は使わせてもらうぞ」
「お好きに。でも、ブルーセン、あなたもまず死ぬわよ」
ブルーセンは一瞬まぶたを閉じた。
「……俺は他の騎士団の連中とは違って、ここが故郷だ」
「そう。それがどうしたの?」
「故郷で死ねるとは思えなかった。先に逝った戦友たちへ、あの世で自慢してやる」
ブルーセンはわずかに微笑んだ。
「まあ、いいわ。今までありがとう。じゃあね」
女騎士は興味を失ったようにローレンを無理やり引っ張る。
そのまま女騎士に連れられ、気がつけば、青い建物の中へ、閉じ込められていたのだ。
「誰か……出して」
ローレンが契約した
なんとか顕現させた小刀で何度も壁を叩いてみたが、刃がかけるばかりで、最後は折れてしまった。
「お願いします……」
口にはしたものの、ローレンは
皆から忌み嫌われる自分を救ってくれる人など居るはずがない、と。
音は、目に見えるものだった。
部屋の中にある水槽にヒビが入っていくのだ。
亀裂が、更に大きな亀裂を呼び、すぐに中の液体が勢いよく飛び出してきた。
たちまち床が水浸しになり、得体のしれない液体から逃げるように壁へと身を寄せる。
ヒビが水槽全体へ波及したとき、ガラスが砕け散るように飛散する。
中の液体がほとんど無くなると、中に何かが立っていた。
漆黒の鎧だ。
それが凄まじい魔力を放っている。
今まで感じたことのないほどの濃密な魔力。
息ができないほどに濃い。
それでも声の限り叫んだ。
今、声を出さなければ、何のために持って生まれた口かもわからない。
「誰か! 出してください! お願いしますッ!」
その声に気がついたのか、黒い鎧がローレンの元へと一歩ずつ近づいてくる。
歩み寄るたび、硬い床に鉄を打ち付けるような音が響く。
「ユウさんッ! ユウさんッ! 助けてくださいッ」
壁を叩くローレンの背後まで黒い鎧が近寄る。
黒い鎧が無造作に手を伸ばす。
「死にたくないッ! まだ……生きていたいッッ! ルシウスさんッッ!!」
何一つ言いことのない人生だった。
それでも、ただただ無駄に命を散らしたくはない。
叫びと同時にローレンの近くにあった壁が真赤に燃え、床に溜まった液体が蒸発し始めた。
部屋全体の温度を押し上げるほどの熱。
更に温度が高まり、熱膨張に絶えきれず、すぐに壁が崩れ落ちた。
崩れた壁の先に居たは、光の名を持つ少年。
ルシウスが安堵の表情を浮かべていた。
「良かった、間に合った」
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