第40話 ユウとローレン

「脇が開いてる」


 ユウの鋭い声が飛ぶ。


「はいッ」


 ルシウスの模擬剣とユウの剣が交わった。

 固い金属が打ち合った高い音が響く。


 次回の式との契約に向けて、ルシウスは庁舎で過ごすこととなり、2週間ほど経つ。

 ユウとルシウスは、仮庁舎の庭に作られた雨よけだけが設置してある土間の道場で朝から稽古をしていた。


 道場に高い音が響き、ルシウスの模擬剣が弾かれる。


「……参りました」


 分かっていたことではあるが、ユウの武術は優れている。

 ルシウスも邪竜と相対して以来、度量がついたのか、生半可な相手では臆することもなくなっていたが、技術では手も足もでない。


 ユウの手から大剣がスッと消えた。

 初めてみた時は違和感を覚えたが、東部の式の多くが持つ武器を顕現させる術式らしい。


「やはりルシウスは待つクセがついてる。得意不得意はあるのだろうが、後のせんばかりだと、手が読みやすくなる。自ら仕掛けるような手数を増やし、虚実きょじつを混ぜていけば更に強くなる」


「ありがとうございます」


 ユウの指摘は父ローベルの感覚的な指摘ではなく、具体的でより的確だ。

 これだけでも東部へ来た価値があるだろう。


 もともと王命でこの地へ来ている客人であるが、代官であるユウが稽古までは見る必要はない。それでも朝、庭で素振りをしていたところに声をかけられて以来、毎朝続いている。


 この頃は、朝はユウと訓練をした後、昼にはオリビアの手伝いをするために、領主の館まで行く事が日課となっていた。


 無論、世話心せわごころばかりではなく、オリビアの仕事を手伝いながら、自身の将来に向けて実務を学んだ方が良い上に、東部の事をもっと知ろうとする意識もある。


「それにもしてユウさんの武術、本当に強いですね。さすが元兵長」


「俺など、まだまだだ」


「いや、それはないでしょう」


 ユウがまだまだなら、ルシウスは一体どれほど足りないのか想像もできない。


「本当だ。帝国の戦帝や共和国の四聖などには手も足もでないだろう」


 帝国や共和国はこの国の隣にある国だが、あまり馴染みがない。


「どんな人達なのですか?」


「帝国とは戦争中のため、滅多なことは言えんが、皆それぞれの国の英雄だな」


「英雄ですか。この国にはそういう人はいるんですか?」


「国は分からんが、クーロン山を救った英雄の言い伝えはあるな」


「クーロン山を救った英雄?」


「ああ、蚩尤しゆう應龍おうりゅうとの戦いで、蚩尤しゆうを封じる力を持っていた武人がいたのだ。その英傑がいたからこそ、應龍は勝てたとさえ言われている。この辺りの生まれの者達は、皆その英雄譚えいゆうたんを聞いて育つ」


「……魔物の力を封じる人間」


 ルシウスが疑問を口にしながら、模擬剣を拾う。


「ユウ様、ルシウスさん。朝ごはんの用意ができました」


 ローレンが母屋から2人へ声を掛けてきた。


「ローレン嬢、すまんな」


 ユウが稽古に夢中となり、朝食の準備をローレンへ全て任せてしまったことを咄嗟とっさに詫びた。


「……いえ、お気になさらずに」


 済ました顔で答えた。


 ――なんか固いな


 この仮庁舎で2週間ほど過ごしたが、やはり2人の距離感には違和感がある。

 ローレンの個性なのかもしれないが、どこか表情が硬い。


 さらに不可解なのはユウ。

 ルシウスと話すときはまっすぐ目を見て、簡潔に話しかけるのだが、ローレンに対しては顔を直視もしていない。


 よそよそしさも何日も続けば、逆にこちらが気も使う。

 何よりローレンの能面のような表情は、どこかで見たことがある気がしてならない。


 ――どこで見たんだろうな?


 3人はダイニングへと移り、朝食を取り始めた。

 ユウとローレンの言葉数は少ない。


 もともと2人とも、生真面目で話す方ではないのだが、ルシウスが来る前はどうしていたのか不思議なほどあまり会話がない。


「ねえ、ローレン」


「なんですか?」


「ローレンはいつからユウさんと一緒に暮らしてるの?」


 ユウが視線をずらした。

 会話に混ざるつもりはないという意思表示なのだろう。


「ものごころついたときから一緒です。私が2歳前のとき、両親が病でなくなってからユウ様が私を引き取ってくれました」


 ――2歳からって、完全に養父じゃん


「ずっと、その言葉遣いなの?」


 ルシウスにすら”様”付けされることを嫌がるユウが、赤子から面倒を見た義理の娘へ呼ばせているとは思えない。


「……気がついたら、そうなってました」


 ユウは黙々とパンを口へと運ぶ。

 どこか重苦しい空気が流れていく。


 話を変えようと思ったのか、ユウがわざとらしくせきをして、話し始めた。


「今日はまた領主様に呼ばれたので、顔を出してくる。夕方には戻るが、昼は無くていい」


 領主とはもちろんオリビアである。

 生来の押しの強さがあるのか、最近は頻繁にユウを招き、説得を続けているようだ。

 もっとも、いち早く実務を担ってくれる家臣を見つけなければ、オリビアとルシウスが先に倒れてしまうだろうが。


「……分かりました。いってらっしゃいませ」


 取り繕ったような笑顔を浮かべるローレン。

 どこか寂しそうな声でもある。


 やはりその顔には見覚えがあった。

 だが、思い出せない。


 その心地悪さを解消しようと一生懸命考えている間に、朝食は終わり、ユウはでかけてしまった。


 今日は領主の館には行かず、仮庁舎で過ごすとオリビアには予め伝えていた。


 両親とリーリンツ卿へ手紙を出すためだ。

 式探しが長引きそうなことを伝えないまま、居候いそうろうを続けるわけにはいかない。

 恐らくシュトラウス卿から近況は伝わっているだろうが、本人から手紙を出す方がいい。


 またホノギュラ領の惨状について、以前、東部の盟主であるリーリンツ卿へ伝えようとしたがオマリー伯爵に有耶無耶にされてしまった。

 すでにオリビアが何かの手立てを打っている可能性が高いが、念の為伝えておこうと思ったのだ。


 昼過ぎ、手紙、包、ペン、インクなど必要なものを買い揃え、自室でペンを走らせる。


 両親達の事を思い返しながら言葉を選んでいると、何かが頭をよぎった。

 よぎったものを慎重に手繰り寄せると、突然、繋がったのだ。

 ここ何日か感じていた違和感が何であるか。


 ――自分だ。父さん、母さんを信じてなかったときの


 ローレンのよそよそしいユウへの態度は、かつての自分と合致したのだ。


 なぜか、ローレンはユウと意図的に距離を置いている。

 

 そしてユウも同様。

 何かのけじめなのかもしれないが、どこか距離感を保っているユウの態度をローレンは感じ取っているのだろう。


 2歳から面倒を見てもらっている義父に対して、まだ反抗期でもない娘が距離を置くには少し早い。


 気がついてしまうと、気が気ではいれなくなった。


 ――なんか……嫌な気分だ


 前世の記憶を引き継いだ為に、父と母を疑い距離を置こうとしていたかつての自分を見ているようで嫌悪感が募る。

 とはいえ、よそ様の家庭だ。ルシウスが不躾に顔を突っ込むのも気が引ける。


 だが、手紙を出してからも、頭から離れない。

 自室でも悩んだ末、居ても立っても居られなくなったルシウスは、部屋に掛けてあった上着を手に取った。


 覚悟を決め、急ぐようにローレンの部屋を訪れた。


「ルシウスだけど、ローレン。ちょっといい?」


「いいですよ」


 扉を開けたローレンは笑顔で愛想よく迎え入れてくれた。

 笑顔ではあるが、視線だけは注意深くルシウスとの距離感を図っている。


「なにか用ですか?」


「ローレン、高所恐怖症?」


「いえ、普通だと思いますが」


「なら、今から空を見に行こう」


「え?」


 全く理解できないという表情を浮かべるローレン。


「いいから」


 ルシウスはローレンの手を強引に引く。


「ちょっと、ルシウスさん」


 庭へとでると、左手から邪竜を呼び出した。

 魔力が空っぽになる感覚を覚えるが、気力は満ちていた。


 ローレンを邪竜の首元へ乗せると、ルシウスも飛び乗った。


「こ、怖いですッ!」


 黒い髪をなびかせ、狐の耳を真後ろに倒している。

 邪竜の背中に乗ったことがある人間など、ごく僅かだろう。


「大丈夫だよ。見せたい物があるんだ」


 怖がるローレンをなだめて、邪竜を大空へと舞わせる。

 できるだけ怖がらせないように、急上昇はしない。

 徐々に旋回しながら上へ上へと目指していく。


「いやっ」


 ローレンは邪竜の首にしがみついている。

 気温が低くなり、ルシウスは持ってきた上着をローレンの背中へ掛けた。


「ローレン、大丈夫」


 ルシウスが真剣な目で、怖がるローレンの目を見つめた。

 少し落ち着いたローレンの顔に僅かな苛立ちが見て取れる。


「いきなり何なんですか? こんな所に連れてきて」


 もっともな意見である。

 突然、邪竜に乗せられ、雲の近くまで連れていかれたのであれば、怒りも募るだろう。


「ローレン、周りを見てみなよ」


 眼下には、どこまでも広がる地平線に続く大地が見えた。

 所々でクーロン山の山々が雲を貫く。

 大地も山も雲も夕日に照らされ、世界が淡い赤に染まったような幻想的な風景と織り成す。


「町があんなに小さく……」


「でしょ?」


「ですから、何なんでしょうか?」


 ルシウスのなんでも無いという表情に、毒気を抜かれたローレンがきょとんとする。


「父さんがね、いつも見せてくれたんだ」


「父さん? 何を?」


「空を」


「空?」


「父さんの式も空を飛べるヒッポグリフでね。邪竜を式にするまでは、落ち込んだり、もうダメだと思った時とか、行き詰った時は、いつも空へ連れてってくれたんだ」


 ルシウスの言葉に耳を傾ける。


「不思議なんだけどさ。空から眺める町や家はとっても小さいし、世界はどこまでも大きいって思えると、今自分が悩んだり、落ち込んだりしてることが、とっても些細ささいなことに思えるようになるんだ」


 ローレンは再び下に有る小さな町を上から眺めた。

 そして、視線を地平線へと移した。


「そう……かもしれない……ですね」


「僕にはローレンが、ユウさんとの関係に、悩んでることくらいしかわからないけど、空に連れて行くことくらいはできると思ってね」


 ローレンの肩がピクリと動いた。

 ユウの名前が出たことに驚いたのだろう。


「……ねえ、ルシウスさんの父さんやお母さんってどんな人ですか?」


「父さんはね、お調子者だし、いい加減だし、何言ってるかわかんないことも多いけど、立派な人だよ。母さんは、怒るとすごく怖いけど、いつもは優しいし、僕の為に泣いてくれる人。あと、血はつながってないけど、いつも心配そうに見てくるお姉さんみたいな人も居るかな」


「……羨ましいです。私ね、ものごころついたときからユウ様と暮らしてました。お父さんの顔も、お母さんの顔も覚えてないんです」


「会って時間は経ってないけど、ユウさんは、誠実な人だと思うよ」


 前世の経験から、血が繋がっていれば良い親ではないことを理解している。

 大事なのは血がどれだけ濃く繋がっているかではなく、自分という人間を見てくれるかどうかだと思う。


 ローレンは負い目のあるような表情を浮かべた。

 少し迷った末、ローレンがぽつりと呟く。


「……軽蔑するかもしれませんが……私は……私は前領主の娘です」


 まるで恥じ入るようだ。


「前領主の家は、断絶したんじゃないの!?」


「ユウ様が死んだことにしてくれましたので。でも、町の人たちは皆、気がついてます」


 ルシウスは麓町についた時に、焼けた庁舎の前で責め立てられていたローレンの姿を思い出した。


 領内の子供を多く殺し、最期はユウに討たれた領主。

 まだ8年しか経っていない。

 きっとこの町にも子供を失った人は多くいる。


 領主は死んだが、眼の前に、その娘が生きている。

 恨みを親族へと向ける人も居るだろう。


 それでも、やはり信じたくなかった。

 この世界の貴族が、意味もなく子供を殺すなどという愚かな行為をしたなど、と。


「きっと前の領主にも何か理由があったんじゃないかな……」


 ローレンはよほどショックだったのか、涙を流し始めた。


「え? どうしたの!?」


「前領主に対して、そういう言い方をする人は初めて……でしたから」


 ローレンは涙を手で拭いた。


「お前の父親は残忍な人殺しだ、何でお前は生きてるんだ、って」


 領民からすれば、そうなのかもしれない。


「それは僕がそう思いたいから。貴族は、ちゃんと領民を守る為に生きてるんだって。それに、ユウさんもそうじゃないかな」


 ユウは代官として麓町を守っている。2週間ほどいただけだが、それはよく分かった。


「……でもユウ様は私を引き取った事を後悔してます。時折、すごく悲しそうな顔で私を見てくるんです」


 ローレンは暗い顔をする。

 ユウがそうする理由はルシウスにはわからない。

 だが、それでもユウがローレンを毛嫌いしているとは思えない。


「それにも何か理由があるんじゃないかな」


「わからないです。どう接すればいいのかも」


「とりあえず、ユウ様じゃなくてユウさんって呼んで見ることから始めてみたら?」


「ユウ……さん?」


「ほら、僕も一時両親と距離をおいてたときがあるんだ」


「ルシウスさんが?」


 ローレンは信じられなそうだ。


「そう。でも、父さんがよく言ってたんだ。もっと気楽に話せって」


「そう……ですか。考えておきます」


 秋も終盤の夕方、上空は冷える。

 ローレンも心無しか震えているように思える。


「戻ろうか。もし、また空を見たいと思った時はいつでも言ってよ」


「はい、ありがとうございます」


 上着を抑えながら、笑顔で応えた。

 邪竜の高度をゆっくりと下げていくと、地表近くは不思議と暖かく感じる。


 町の人たちが、慌てふためいている。

 既に1度、ルシウスの邪竜を見ているはずだが、怖いものは怖いのだろう。


 ――悪い事しちゃったな


 更に高度を下げ、仮庁舎が見えてくると、屋根に何かが登っている様子が飛び込んでくる。


 ――ユウさん?


 ユウは式を顕現させて虎男となっており、忙しなく、空を眺めてながらオロオロと屋根の上を動き回っていた。まるで子猫を人に取り上げられた母猫のようである。


 庭に降り立つと、屋根が飛び降りたユウが、ローレンの所へと駆け寄った。


「大丈夫かッ!?」


「え? あ、はい」


「どこも怪我は無いか?」


「大丈夫……です。ルシウスさんに、空を見せてもらってました」


「ルシウスが?」


 ユウの視線がルシウスへと移す。

 その瞳には少しの怒りがこもっている。


 我が子を危険な手の届かぬ場所へ、連れて行かれた。

 そう顔に書いてあるようだった。


「はい、空の遊覧飛行へ」


「ルシウス。まだ邪竜を制御できてないのだろう」


 ユウの無表情な視線が突き刺さる。


 ――怖いな


「移動であれば、暴れたことはありません」


「ここはクーロン山の麓だ。山から空を飛ぶ魔物が出てくることもある。ルシウス1人なら問題ないだろうが、戦いになったら、ローレンはどうするつもりだったのだ?」


 ――あ、確かにそうだ


 ローレンを元気づけるという気持ちしかなかった。

 正直、そこまで頭が回っていなかった。


「すみません、そこまで考えてませんでした」


 素直に謝るとユウの目がいつも通りに戻った。


「次からを連れて行く時は、一言、声を掛けてくれ。魔物がいるか確認する」


「分かりました」


 その一連を少し驚いた表情でローレンが眺めている。

 そして息を飲んだ。


「あ、あのユウ……さん」


 ローレンが勇気を振り絞り、ユウへ話しかけた。


「ん?」


 ユウはどこか違和感を感じている様子である。


「あ、えと」


 怖気づいたローレンへ視線を送る。

 2人の視線が重なると、ローレンは静かに頷いた。


「ユウさん。空はすごく綺麗でした。次は一緒に行きませんか?」


「いや、俺は――」


 気まずそうに断ろうとするユウの肩を、ルシウスが軽く叩いた。


 ――そうじゃないでしょう


 口には出さないが、ユウには届いたようだ。


「ああ、そうだな。行こう」


「ええ」


 ローレンの笑みがあふれる。

 愛想あいそ笑いではない、本当の笑顔を、初めて見た気がした。



「今日は遅い。外へご飯でも食べに――」



 ユウが声を上げた時、突如ゴドッという爆音が響く。

 同時に空を魔力が覆った。



「何だ!?」

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