第38話 領主オリビア

 翌日の昼過ぎ。


 ルシウスは昼食を終えると、庭先で邪竜を呼んだ。

 やはりまだ大半の魔力を持っていかれる。


「ルシウスさん、本当に邪竜と契約してたのですね」


 ローレンが怯えながらルシウスの背後に立つ。

 白い耳と尻尾がパタリと、折りたたまれている。

 昨晩、ユウと一緒に話したのだが、本気だとは思っていなかったようだ。


「危険はないのか?」


 ローレンのすぐ隣で、ユウも距離を置きながら話しかけてきた。

 いつでも戦えるような間合いである。


「今まで、移動だけで命令を無視されたことはなかったので、大丈夫だと思います。戦いでは、邪竜の闘争心の方が強く出るんだと思います」


「そういうものか。それなら積極的に使っていくといい。顕現させること自体は良いことだ」


「そうなんですか?」


「そうだ。式の魔力と同化を進めるためには、術式や顕現を頻繁ひんぱんに行ったほうがいい。その方が魔力の混ざりが早くなる」


「わかりました。できるだけ使うようにします。それでは、領主の館へ行ってきます」


「ああ、行って来い。町の者たちへは俺から安全だと伝えておく」


 昨晩、オリビアが来訪した際に、館まで邪竜で飛んで来るように言われたのだ。

 ルシウス自身も同郷の少女との再会は嬉しいものである。


 ルシウスは邪竜へとまたがった。

 巨大な背中へ、子供がしがみついているという歪な光景。


 邪竜が翼を一回、羽ばたかせると、体が浮き上がる。

 そして、2回めの羽ばたきと共に、上空へと舞い上がった。


 そのまま高度をあげていくと、山岳地帯の端にある麓町が小さくなる。

 広大な茶畑を裂くように続く街道の先に、大きな街が見える。馬車なら半日というところだろう。


 だが、邪竜の翼であれば大した時間もかからない。


 ――行け


 ルシウスがそう念じると、竜は羽を羽ばたかせ、一直線に領主がある街へと向かっていく。

 さして時間もかからず、遠くに見えた街を、眼下に捕らえる。


 徐々に高度を下げていくと、街の住民たちが右往左往している様子が目に入った。

 街の中央に有る領主の居城から、兵たちが戦々恐々と出てきている様子も。


 兵たちは、既に式を顕現させており、狼、虎、豹、馬、牛などの様々な獣人となっている。当然、余す所無く、皆、武装しており、固唾を呑んで邪竜を見つめていた。


――やっぱり……


 オリビアに言われて邪竜で飛んできたのだが、街全体を混乱させてしまったようだ。


 ルシウスは居城の前にある広場へと邪竜を降ろす。

 背から飛び降りると、竜は黒い粒子として左手へと吸い込まれていった。


「何者だッ!?」


 牛の獣人姿の兵が大声をあげる。

 どうやら責任者のようだ。


「お騒がわせして、申し訳ありません。ルシウス=ノリス=ドラグオンと申します。オリビア卿に本日訪ねるように、と」


「……グリフォンの娘が?」


 拍子抜ひょうしぬけしたように声を漏らす。


 ――グリフォンの娘、か


 子爵、男爵は騎士団を保有できない。

 国に仕える騎士を保持できるのは伯爵以上である。

 タクト領は子爵の領地であるため、兵は全て私兵扱い。

 つまり、雇い主であるオリビアのさじ加減次第で簡単にクビになる存在である。


 だが、その私兵が雇い主を領主扱いしていないように聞こえる。


「ルシウス!」


 城の上から呼び掛けられた。

 上を見ると、オリビアが2階の窓から手を振っている。


「上がってきて」


 オリビアの姿を眺めた兵たちが口々に文句を言いながら戻っていく


「チッ、騒がせやがって」

「なんだよ、ったく」

「勘弁してくれよ」


 詰め所の隣りにある城の正門を通り抜け、城の中へ進むとオリビアが待っていた。


「なんか……大変そうだね」


「あれでも、朝にちゃんと伝えていたのよ。誰も私の話を聞いてなかったんでしょう」


 領主に対してただでさえ悪い感情を持っている者が多い場所で、わずか10歳の女の子が新しい領主として赴任してきたのだ。

 両手を広げて、迎え入れられるはずがない。

 もしグリフォンと契約していなければ、さらに目も当てられない状況だっただろう。


 おそらく邪竜で飛んでこさせたのも、存在感を示すアピールのため。


 ――変わらないな


 長い青い髪を揺らしながら歩く少女の右隣を、ルシウスは歩いていく。


 途中で、侍女や使用人とすれ違うが、皆、目をそむける。

 本来、子爵ともなれば城内を歩く際には、家臣の1人でも付き添うものだろう。


 誰にも話しかけられないまま、オリビアの執務室へと着いた。


 部屋の中は殺風景だ。

 大きな部屋ではあるが、机が1つ置かれているだけ。

 その机には沢山の資料がうず高く積まれている。


「まさか、この量の仕事をオリビア1人で……」


「仕方ないでしょ。家事役とかはともかく、実務を担当してくれるような家臣は募集しても来てくれないんだから。前から居る人たちは、小さな村や町の代官に収まってばっかりで、館には来てくれないしね」


 いくつもの町を抱える子爵領を、領主1人が税、戸籍、治水、都市整備など多岐に渡る業務を執り行うなど不可能である。

 オリビアがユウの仮庁舎にわざわざ足を運んだのは、かつての家臣たちを訪れているのだろう。おそらくユウ1人ではなく全員の所へ。


「子爵領だから広いしね。統治はできそう?」


「それぞれの町は前からいる家臣たちが問題なく管理できてるから、なんとか統治はできている状態だけれど、最良とは程遠い。大きな公共事業はできないし、災害や緊急事態が起きたときには連携がないから、領としての対処も難しいわ」


 事実、前領主が居なくなり、中央から何人かが代理統治の為に派遣されたようだが、皆、数年で両手をあげたようだ。


「しんどかったら止めていいんじゃない?」


「止めない。私は王になるから、こんな所で諦めない」


「相変わらずだな。それなら応援するよ。一緒に片付けようか」


 ルシウスはうず高く積まれた書類の山を見る。

 オリビアの顔が綻んだ。


「ありがとう、ルシウス」


「いいよ。シルバーハート領でも父さんを手伝って、同じことをしてたしね」


 ルシウスとオリビアは、書類の確認、対策の協議、申請の承認否認、方針の決定を2人で行っていく。

 領主の執務室とは思えないほど、誰も訪ねてこない。

 慇懃無礼いんぎんぶれいに、目も合わさない数人の侍女や従僕が部屋の清掃をしに来るくらいだ。


 結局、子供らしい会話も無く、書類の確認に追われる一日となった。


 やっと一息ついて、お茶を2人で飲み始めたのは夕方の頃。


「それで、ルシウス。当分タクト領にいるの?」


 王命により来ているのだ。

 式とすぐに契約できそうにないので故郷に帰りましたでは、話が通らない。また式を進化させるための糸口もクーロン山で探さなくてはいけない。


 更に、オリビアも気掛かりである。

 孤軍奮闘こぐんふんとうしているオリビアの力にもなってあげたい。


「そうなるね。式の契約がちょっと特殊で、邪竜を戦闘で使えないと契約できなさそうだし」


 オリビアが満面の笑みとなる。


「そう。それなら麓町の仮庁舎ではなくて、私の館で一緒に暮らさない?」


「それはどうしようかな」


 ユウは代官であり、東部の式とクーロン山に詳しい人間が面倒を見てくれると言っているのだ。

 あえて断る必要がない。


「……あの黒髪の子、可愛いかったわね」


 おそらくローレンのことである。

 オリビアの視線が鋭くなった。


「確かに顔立ちは整ってるかな」


「ルシウスはどう思うの?」


 どうと言われても10歳の少女など、もちろん恋愛の対象外である。それはオリビアも含めてだ。


「うーん、まあ将来は可愛くなるんじゃないかな。オリビアとは違う感じで」


「私とは違うって、どういう意味よ!?」


「オリビアは可愛いって言うより、美人になると思うよ。それも男も女も振り向くくらいの」


 紅潮させながらも、不満そうにルシウスを睨む。

 そして、大きくため息をついて、何も言わずに引き出しから手紙を取り出した。


 ――声に出さず読めってことかな


 ルシウスは素早く手紙に目を通す。

 送り主はホノギュラ領主オマリー伯爵。


 最初に滞在したホノギュラ領であり、オマリー伯爵はその領主。

 霊廟を建築するために民へ重税を強いている本人だ。

 理由は全くわからないが、以前、城をルシウスは追い出されてしまった。


 手紙の内容は、端的に言えば、人の引き渡し要求だった。


「ユウさんを差し出せば、選王時にオリビアへ投票する、と」


「今朝、届いたの」


 ルシウスはオリビアを注意深く見る。


「どうするの?」


 そもそもオリビアは王になるためにタクト領主に赴任している。

 票は喉から手が出るほど欲しいだろう。


「本人が行きたいなら隣の領ですし、勝手に行くでしょ。それに正当な理由がないってことは、ろくでもない事でしょうから」


 ルシウスは以前、ホノギュラ領で決闘を挑まれたユウが背後から弓を引かれる事態を目撃している。あれがオマリー伯爵の手引だったのであれば、引き渡し後に起こることは自明。


「ユウさんが、命を狙われてる?」


 ユウ自身も以前似たようなことを言っていた。


「おそらくそうね。あのホノギュラの領主も、その騎士団たちも黒い噂が絶えないと聞くわ」


「領主だけじゃなくて、やはり騎士団もか」


「そうよ。戦線から追い出されるような人たちを率先して雇ってるらしいから」


「なんで? 普通、嫌がるんじゃない?」


「理由はわからないわ。単純に安く雇えるから、かも。財政状況が悪いみたいだから」


 貧しくその日食うにも困る領民と、絢爛豪華な霊廟。

 決闘にもかかわらず、ユウの背後から弓を引き、領民に紛れて取り囲んでいた騎士達。

 確かに貴族然とはしていない。


「ありがとう、オリビア」


「当たり前よ。立派な貴族は領民を守るんでしょ?」


 以前、ルシウス自身がオリビアへ言った言葉である。

 ルシウスから笑みがこぼれた。


「そうだね。それと、できるだけ頻繁に会いに来るよ」


「うん、期待してる」


 オリビアは年齢通りに屈託くったくのない笑顔で笑った。


 その後、オリビアに見送られながら、ルシウスはユウ達の家へと戻る。

 帰りは魔力がほとんどは無くなっていた為、徒歩となったが、ルシウスの足取りは軽かった。


 茶畑の間を抜ける風はもう冷たい。

 山に茂る木々から感じる秋は終わり、すぐに冬が訪れるだろう。


 冬の山には人は足を踏み入れられない。

 タクト領で冬を越すことになる。


 ――長くなりそうだな


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