第37話 霊廟

「……檮杌とうごつ


 獅子に似た2足歩行の魔物。

 鎧をまとい、2本の突撃槍を雑に構えている。


「凄まじい魔力ですが……」


窮奇きゅうきと同じく、1級の魔物の中でも特に会いたくないやつだな」


 虎男となったユウですら、冷や汗を流していることが見て取れる。


「グォオオオッッッー!!」


 檮杌とうごつの叫び。

 腹の奥底に声を叩き込まれたように響く声だ。

 周囲にいた鳥型の魔物たちが木々から一斉に飛びたった。


「来るぞッ!」


 ユウの掛け声と共に、檮杌とうごつが前のめりで突撃してくる。

 ルシウスとユウが突進をそれぞれ左右に避けた。


 避けられた檮杌は近くの岩へと当たると、爆音が山に木霊こだまする。

 近くにあった巨岩は四散したが、檮杌とうごつの地面を踏みしめる音は変わらず、一定のリズムを刻んでいた。

 土煙が止むと、まるで意に介していないのか、近くにある巨岩を砕きながらも旋回してくる檮杌とうごつの姿を捉える。


 ――なんて突進力だッ


 当たれば人の身など、一撃で木っ端微塵になるだろう。

 いつまでも回避できるかも分からない。


 だが、考えようによっては好機である。

 文句のない1級の魔物。

 旅の目的が目の前にいるのだ。


檮杌とうごつと契約できるか、試してみます」


 流石に今回は邪竜のときのように、不必要な誓約を負いたくはない。

 できるだけ自分と相性が良い魔物を式としたい。


 可能な限り風の術式が使える魔物と契約するつもりではあるが、あまり固執しすぎず、手当り次第1級の魔物を試すつもりでいる。


「アレは危険だ! 他の魔物にしろッ!」


 ユウが叫びながらルシウスを制止する。


 だが、ルシウスは右手に持った宝剣へ魔力を込める。

 宝剣の爛々らんらんたる輝きを以て、あらゆる岩影を追いやった。


 ユウが咄嗟とっさに手をかざす姿が垣間見えたが、それもすぐに白い世界に塗りつぶされた。


 同時に魔物の鎧と毛皮が少し焼けたような臭いが立ち込める。


 ――怯んだか!?


 だが、束の間、足跡が再び鳴り響いた。

 どうやら宝剣の光では足止めできないようだ。


 輝きが収まると、ルシウスは瞬時に切り札へ頭を切り替える。 


「来いッ!」


 左手から黒い粒子が飛び出し、黒銀の邪竜が現れた。


「な、んだ……と」


 ユウが邪竜の姿に驚愕する。


 檮杌とうごつも一瞬だけたじろいだが、すぐに気を持ち直したようだ。

 闘争心の方が勝ったのだろう。


 再び突撃槍を両手に構えて、向かってくる。

 ルシウスは端的に指示を与えた。


檮杌とうごつを抑えろ」


 ルシウスが命じると、邪竜はさして興味も無さそうに、迫る檮杌を横目で見る。


 2本の槍が、あと僅かで竜の胸へと突き刺さるというときに、邪竜が一歩を踏み込んだ。

 邪竜は巨体とは思えぬ身動きで、槍を躱しながら、前足の爪で薙ぎ払う。


 高速で撃ち出された鉄球同士が、ぶつかりあったような嫌な音が響く。


 勝敗は明らかだった。

 邪竜に押し返された檮杌は地面を滑るように転がったのだ。


 転がりながらも、突撃槍を杖のようにして素早く立ち上がろうとする巨人を、邪竜が覆いかぶさる様に四肢を押さえつけた。


 檮杌が邪竜から逃れようと激しく動くが、手足は全く動かない。

 竜の爪で大地ごと押さえつけられている。

 耳を覆いたくなるほどの檮杌の怒号が轟く。


 その姿を見たルシウスは判断を下した。


 ――今だ


 ルシウスは剣をしまうと、素早く走り出す。

 檮杌とうごつの近くまで来ると、額に掛けていた【白妖の眼根】で目を覆う。

 姿勢をかがめ、額と額を重ねようとした時、グチャリという鈍い音が聞こえた。


 ――何だ、今の音は


 慌てて【白妖の眼根】を上げると、目を疑うものが目に入った。


「……檮杌とうごつを……喰ってる」


 四肢を押さえつけた邪竜がそのまま心臓に喰らいついている。

 顔中に血を浴びながら、愉悦の表情を浮かべていた。


「そんな指示はしてない!」


 声を荒らげたが、邪竜はルシウスの声など全く聞こえないかのように、つい先程まで岩を砕いて突進していた肉塊を、音を立てながら食べ続けた。


 臓物を一通り飲み込むと、邪竜は大きく口を開け、上へと向ける。


 口から膨大な魔力が溢れ、黒い線が空へと解き放たれる。

 あまりの魔力の奔流ほんりゅうに、ルシウスとユウは思わず数歩下がってしまう。


 雲を貫通した漆黒のブレスが、周囲の雲と空気を飲み込む。

 数秒の間を置いて、極限まで圧縮さえた物が解き放たれ、雲に大きな穴を開けた。


 ユウが絶句する。


 魔を喰らい、力を発散させた邪竜は、自ら粒子となり、ルシウスの騎手魔核へと収まった。

 魔核を通じて、伝わる邪竜の感情。



『早く力を与えろ。さもなくばお前もこうなる』



 そう言われている気がした。

 呆然と固まっていると、ルシウスの肩が揺さぶられる。


「おい、大丈夫か」


 ユウだ。

 虎男姿のままルシウスの背後に立っている。


「え、ええ。ちょっと想定していなかったので驚いて」


「……ルシウスだったのだな。邪竜を降した四重唱カルテットの子供というのは」


「黙ってて、すみません」


「いや、こちらが先に言えぬような発言をした。気を悪くしたのであれば悪かった」


「いえ、そんなことはありません」


 ユウが神妙な面持ちで慎重に言葉を選ぶ。


「……だが、邪竜があれ程とは思わなかった。アレはこの世に居ていい存在ではないのかもしれない」


 ルシウスも頭によぎる。


 ――本当に進化させてよいのか


 進化を条件に契約したのだが、ヒッポグリフの例があるにせよ、この個体が力を手放すとは思えない。

 更に強力な存在になろうとしている可能性が高い。


 薄ら寒いものが体を通り過ぎる。

 自分の命欲しさに、この世界にとんでもない脅威を産み落とそうとしているのではないか、と


「邪竜は制御下にはないな。仕切り直した方がいい」


 2人は無残に食い散らかされた1級の魔物を見る。

 つい数分前まで、焼け付くほどの覇気を放っていた面影はなく、濁った目を浮かべている。


「……そうですね」


 更にユウの視線が宝剣へと向かう。


「それとルシウス。その剣は魔剣のようだが」


「魔剣?」


 ルシウスは剣を両手の上に置いた。


「ああ、俺も見るのは初めてだが、本来、魔物しか持たない術式を武具に込めたものだ。貴重なもので現存する物は多くはないらしい」


「以前、陛下から賜ったのもです」


「確かに王族なら所有しているかもしれんな。上級の魔剣や魔槍は振るえば、山を切り裂き、海を穿うがったと聞く」


「ん? この剣では、そんな事はできませんが」


 確かに優れた剣ではある。剣が放つグリフォンの光は魔物に対して、よく効く。

 だが、山を切れるか、と問われれば不可能と答えざるを得ない。


「魔剣の中でも、階級が高くないものなのか、壊れているのか、それとも何らかの理由で力を封じられているのか。俺もよくは分からんが」


「うーん、まだまだ知らないことばかりですね」


「まだルシウスは子供。これから世界を見て回ればいい。それにしても、感慨深いものだな」


「何がですか?」


「クーロン山が、蚩尤しゆう應龍おうりゅうの戦いで生まれたことは説明したな」


「ええ、山に入る前に」


「伝承では蚩尤しゆうは数本の魔剣や魔槍を振るっていたらしい。それに邪竜と龍は、ともに竜から進化した近縁種。どこか歴史の再来を感じる」


「まあ、偶然だと思いますが」


 ユウの言葉に、いまいちピンとこない。

 今日、初めて聞いた伝承に似ていると言われても、正直あまり感慨深いものはない。


「そうだろうな。ともかく今日は帰ろう」


 こうして、ルシウスの式を得るという目的は、邪竜の制御という新しい課題を残すこととなった。

 式を得るためには、目隠ししながら戦うという特殊な訓練を積むか、邪竜との魔力の同化を進めるか、のどちらかが必要である。


 ――仕方ないか


 だが、ルシウスの落胆は少ない。

 もともと家を出ると決めた日から覚悟は決めていた。

 式を得るため長期間、掛かることもある。

 むしろ初日で課題が明確となったことに安堵すらしていた。



 すっかり日が落ちた頃、仮庁舎へと2人で戻る。


「帰ったぞ」


 ユウとルシウスは疲れた様子で、戸を開けた。


「ユウ様、こちらへ」


 ローレンが帰るや否や、玄関へと走り出てきた。

 紫色の瞳からも焦りが見て取れる。


「ローレン嬢、どうした?」


「りょ、領主様が、突然いらっしゃって」


「わかった。話を聞こう」


 ユウが客間へと急ぐ。

 そして、ルシウスも後に続いた。


 領主が来るのであれば、挨拶くらいするのが、世話になっている者の責務である。

 代官の仮庁舎とはいえ、もとを正せば、領主に世話になっているようなものだ。


 客間の扉をユウが開けた。

 ルシウスも一歩後ろを頭を下げながら、部屋へと入る。


「あら、ルシウスじゃない」


 突然、聞き馴染みのある声が耳に飛び込んできた。

 顔を上げてみると、そこに居たのはオリビアだった。


「あれ? オリビアがなんでここに? タクト領の領主になったんじゃないの?」


 オリビアが笑いながら話しかける。


「ここがそのタクト領よ」


「え?」


「何で知らないの?」


 考えてみれば、シュトラウス卿は、反乱により領主が殺された場所だと言っていた。

 麓町の庁舎はかつて民衆が暴動の末、焼いたと、ユウが言っていた。

 状況としては一致している。


「なるほど」


 手を叩く。


「私は何となく、そんな気はしてたけどね。邪竜を進化させる手掛かりがあって、1級の魔物の生息地であるクーロン山にルシウスが来る可能性は高いと思ってたわ」


 ルシウスとオリビアが顔見知りだったことに驚いたのか、ユウとローレンが戸惑っているようだ。


「それなら、早く言ってよ」


「だから言ったじゃない、『またね』って。それにルシウス、それは甘えよ。何度も言ってるけど、貴族にとって情報は価値になるの。誰かが教えてくれるのを待ってるだけじゃダメよ」


 正論にぐうの音もでない。

 オリビアはどこか得意顔だ。

 いつかのルシウスの正論返しを、やり返された形である。


「さて、早速ですが、ユウ元兵長へ折り入ってお願いがあり、参りました」


 ――ユウ元兵長?


 オリビアが、座ったまま背筋を伸ばす。

 ユウも一礼して、対面の椅子へと腰掛けた。


「どうか、私に力を貸していただきたい。今一度、このタクト領の統治に協力してもらえないでしょうか」


 ユウが後ろめたさを帯びた顔を浮かべる。


「領主様、自分はもう領の政治に関わるつもりはございません。この小さな町で、前領主様の冥福を祈りたいのです」


 ユウの返答を想定済みだったのか、オリビアは視線を崩さない。


「ですが、このタクト領には問題が山積しております。前領主による、領民への虐殺により貴族は領民からの信頼を失っております。また、隣のホノギュラ領からの避難民の受け入れもしなくてはなりません」


 ユウの表情は険しい。

 そして、ルシウスの横に立つローレンも同様だ。


「虐殺……」


 ユウがポツリとつぶやいた。

 やや不服があるような言い方である。


「違いますか?」


「いえ、確かにその言葉に間違いはございません。前領主様……クラーク様は、すべての領民へ【授魔の儀】を複数回、施す事を定めました。結果はご存知の通り、できたのは嬰児えいじの死体の山です」


 ユウが強く拳を握る。


「酷い時代でした。クラーク様は、誰よりも強い領を求められました。領のいたる所で、子を奪われた親の泣き声と怒声ばかりが漏れ聞こえてくる時代」


「それでも止まらなかったのでしょう。自らの子も全て【授魔の儀】で殺したと聞いております」


 結果、家は断絶。

 オリビアがこのタクト領へ赴任するきっかけとなった。

 ローレンが視線を下へと落とした。


「厳しい方でした。自身にも他者にも。民と同じことを我が子へ求めるのも当然だったと言えるでしょう」


 オリビアの心から声が漏れる


「酷いことね」


「……近くに居りながら、事が始まる前にクラーク様を止められなかった私も同罪です」


「それでも、最後には、あなた自身が止めたのでしょう」


 ユウは自らの右手を後悔に満ちた視線で見つめた。



「はい。私がこの手で、クラーク様を討ちました」




 ◆ ◆ ◆


 一方、ホノギュラ領にある霊廟れいびょうの中で、1人の男が奇声をあげていた。


「おはおあッ! はわッ!」


 男は40代ほどで、頬はこけており、病的な程やせ細っていた。

 オマリー伯爵である。


「ついに……ついに動いたぞッッ!」


 乱雑に物が置かれた部屋の中、歓喜とともに、男は机に置いてあった酒を口に流し込んだ。

 周囲にいる数人の家臣たちが食い入るように、痩せた男と同じモノを見つめていた。


 男の前には、鯨でも入りそうなほどの巨大な水槽があり、その中は紫色の液体で満たされている。



 液体の中には、漆黒の甲冑が1体。



 その甲冑が何本もの管に繋がれ、時折、甲冑の指が動いている。

 男の声を聞きつけたのか、数人の兵士が霊廟の中へと入ってきた。


「オマリー伯爵。いかがなさいましたか」


 オマリー伯爵は不機嫌そうに兵たちを見るだけで、何も応えない。


 そのうちの1人、女騎士が代わりに声をあげた。

 以前、ユウと決闘を行った女騎士である。


「お慶び申し上げます。遂に、古き魔物が目覚めたのですね」


「……そうだ。コイツを発掘してから長くかかった」


 オマリー伯爵の周囲に居た、周囲にいた家臣達が恐る恐る、言い訳の言葉をつなげた。


「言い伝えによれば致命傷を負い、深い眠りについていたのです。仕方ありません」


 その言葉に怒りを覚えたオマリー伯爵が手に持った酒瓶を、近くにいた家臣たち達へ投げつけた。

 皆が慌てて避けた酒瓶が砕けると、霊廟の中に酒の香りが立ち込める。


「馬鹿どもがッ! お前らが使える奴らだったら、もっと早くできたのだッ!」


「申し訳ございません。ですが、きっかけと予測されるものは魔剣や龍の魔力。普通、手に入るものではございません」


「うるさいッ! 結果、そのようなものが無くても目覚めたであろうッ! お前はクビだ、早く出ていけッ!」


 怒りが収まらないオマリー伯爵は研究に従事していた家臣を、兵に命じてつまみださせた。

 その一連を眺めていた女騎士が冷静にオマリー伯爵へ問う。


「それで、この後いかがいたしましょうか?」


「決まっている。霊廟れいびょうの完成を急げ。愚民どもをいくら使い潰しても構わん。この力の化身を霊廟の墓守とするのだ。私の死後、霊廟には誰にも立ち入らせない」


「承知いたしました」


 深く礼をした女騎士の口元は微笑んでいた。

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