第36話 魔物の生息地クーロン山

 翌朝。


 ルシウスはユウに連れられて、クーロン山のふもとにいた。

 クーロン山という名だが、一つの山があるのではなく大小様々な山々が連ねる山岳地帯である。

 それもなだらかな山ではなく、大地が削り取られたかのような険しい岩山ばかり。

 山には木々とむき出しの岩肌が見えている。


 ルシウス達の前に巨大な崖がそびえ立っていた。


「すごいですね……」


「クーロン山は山岳地帯だからな。かつて蚩尤しゆうという魔物と、應龍おうりゅうとその眷属である9体の龍が戦ったことで、険しい急斜面や切り立った崖が出来たと言われている」


「魔物の争いで地形が代わったんですか!?」


「事実かはわからないが、特級同士の争いだ。十分にありえる」


 ルシウスは険しい山脈へと視線を移す。


「どこか、故郷のシルバーウッドに似た雰囲気を感じます」


 魔物の生息地には独特の魔力が立ち込めているように感じる。町中や普通の森と比較して圧倒的に密度が濃い。

 侍女マティルダはこれを瘴気と言っていた。

 式を得たことでルシウスもそれを検知できるようになったが、言われて見ればそのとおりだ。魔力には違いないが、どこか刺々しいものを感じるのだ。


「魔物の生息地はどこもそうだろう。空気中に漂う魔力が濃い場所を魔物は好むからな。ところでルシウス、1級ということ以外に、契約したい魔物にアテはあるのか?」


「東部の魔物はよく知らないですが、風の術式が使える魔物がいれば」


 父ローベルと契約しているヒッポグリフが持つ風の術式を、幼い頃から見てきたため、風の術式に対して憧れがある。


「風か。となると窮奇きゅうきが候補だが、極めて危険な魔物だぞ。探してはみるが、撤退も視野にいれておくといい。今日はあくまで視察だ」


「わかりました。それで、肝心の契約はどうするんでしょうか?」


 騎獣は【騎獣の義手】を使ったが、東部の魔物はどうすれば契約ができるのかと思う。


「これを使う」


 ユウが背負っていた荷物から、磁器や金属でできたような物を取り出した。


 ――VRヘッドセット?


「【白妖の眼根】という」


 目を覆うようなような機器を頭部にはめる遺物だ。

 ホノギュラで聞き取り調査したときに、何度か話題にあがった異物でもある。


「目を覆ったら危ないですよね?」


「そうだ。前が見えない。本来は見えるものらしいのだが、今でもその機能を保っているものは貴重だ。詳しいことはわからんが、【塔】の連中でも視界は直せないらしい。契約自体はできるから問題ないがな」


 ――ええぇ……目を隠して魔物と戦うのか


 前回の契約では、確か【騎獣の義手】で魔物へ直接触れる必要があった。

 わずかに声が上ずる。


「もしかして、目を魔物に当てるんですか?」


「そうだ」


 さも当たり前の様にユウが頷く。


「実際はひたいひたいを当てるような形になるがな」


 ただでさえ目が見えない状態で魔物に近づき、額を当てる。

 それほど危険な『おでこコツン』ムーブは聞いた事が無い。

 風邪が伝染うつるリスクと比べ物にならない。


 最悪、そのまま、首をもぎ取られる。


「ユウさん、よくそれで契約できましたね……」


「東部の者たちは、視界をふさいで戦う訓練を幼い頃からするからな」


 ――それ漫画とかであるやつじゃん


 まさか実践する猛者たちが実在すると思わなかった。

 同時に不安がよぎる。


「もしかして、それ、僕もやる必要あります?」


「いや、無い。既に式を持っているのであれば話は早い。式に命じて、魔物を押さえつけておいてもよいし、式の感覚を共有してもらうことでも代替できる」


「式に押さえつけてもらうというのは分かるのですが、感覚の共有なんかできるんですか?」


「できるな。式と魔力の同化を進めておく必要があるが」


「……なるほど。では、まだ僕にはできませんね」


「あと数年もすればできるようになる。今は式に押さえつけてもらうやり方にした方が良いだろう」


「ですね」


 ルシウスは【白妖の眼根】を頭に掛ける。

 視界がさえぎられては歩くこともままならないため、額当てのように、上げている状態だ。


「1級がいる場所となると、山の奥地になるな」


「今日中に歩いて帰ってはこれませんかね」


 ルシウスは断崖絶壁を遠い目で見る。


 邪竜に乗って、飛んでいけるのだが、顕現させる為に魔力を大量に消費することとなる。

 魔物との契約を考えると、移動のためだけに大半の魔力を消費するのは得策ではない。



「問題ない」


 ユウの身体が膨れ上がり、9つの尾を持つ虎男となった。

 体は2回りほど大きくなり、毛皮と鎧に覆われて、ユウの面影は目元以外なくなっている。


 何度見ても、その変わりように驚くばかりである。


「担ぐぞ、しっかり掴まってろ」


 ユウがルシウスを左肩へと乗せた。

 ルシウスは虎の頭部へ手を掛けて、姿勢を維持する。


「行くぞ」


 ユウの掛け声と共に、背中を蹴り飛ばされ、頭が後ろに置いていかれたかのような加速を感じる。

 一気に崖を垂直に登っていく。


 崖の上まで僅かな時間で駆け昇るが、ユウは止まらない。


 ――父さんのフォトンに乗っているみたいだな


 岩肌と岩を穿うがつように根を張った木々の間を駆け抜けていく。


 時折、北部のシルバーウッドでは目にしたことのない魔物たちが目につく。

 全身を真っ赤な毛で覆われた猿、ケンタウロスのような人の上半身をもつ犬頭の魔物など、その形はどこか異形だ。


 大した時間もかからず、切り立った岩山の山頂へとたどり着くと、山々が雲へ突き刺すように、広がっていた。


「全ての山を登り下りすると時間が掛かる。飛ぶぞ」


「え?」


 ユウが手と手を合せる。

 すると、前方のなにもない空間がいきなりモザイク状に裂け目が入る。


「ユウさん、あれは!?」


「門だ」


「先に行っててくれ、すぐに行く」


 そう告げると、ユウがルシウスを裂け目が入った空間へと投げ入れる。


「うわっ」


 空間の裂け目を通り抜けると周囲の風景が一変していた。

 岩山の上であることには違いないのだが、先程の山から見えていた景色が違うのだ。


 対面に見える山から何かが飛び上がる。

 よく見ると虎である。

 その虎はルシウスのすぐ近くへとズシッという鈍い音を立てて、降り立った。


 ユウだ。


「……まさか転移?」


 状況からして、おそらくルシウスは隣の山からワープして来たのだろう。


「門の術式を知っていたか。あまり遠くへは無理だが、空間をつなげることができる」


「なら、なんでユウさんは、山と山の谷を飛び越えてきたのですか?」


「俺自身は門を使うことができない。門を維持する必要があるからな。また、ルシウスを抱えた状態だと、流石に山から山の谷を飛び越えられない」


「……なるほど」


 便利そうな術式ではあるが、本人が使えないのであれば利用用途は限定的だろう。


 その後も、山から山へと飛び越えながら、山脈を奥へと進んでいく。

 山を飛び越えるごとに、瘴気の濃度が濃くなっている。


 昼過ぎ、山の尾根を伝った辺りでユウがルシウスを肩から下ろした。


「まだ中程だが、この辺りからは1級の魔物がでることもある」


 言われてみれば、かなり魔力を濃く感じる。


「ユウさんの式は何級なんですか? 道中、魔物が全く襲ってきませんでしたが」


陸悟りくごという2級の魔物だ」


「聞いたことがありません。どんな魔物なんですか?」


陸悟りくごはおとなしい魔物でな。むやみに人を傷つけたりはしない。だが礼を失した者には容赦なく襲いかかる」


 ――なんか、ユウさんとは相性が良さそうだな


 式と人は一心同体。

 心根の似た者同士が惹きつけ合うのだろう。


 ここからは周囲を探りながらの探索となる。

 2人は警戒しながらも山道を黙々と進んでいく。


「魔物が見当たり――」


 巨岩の横を過ぎ、ルシウスが話しかけた時、岩陰から何かが放たれた。


 弓矢である。


「襲撃ですッ!」


 ルシウスが声をあげるかどうかというタイミングで、ユウの手に大剣が現れて、飛来する矢を斬り伏せた。


 矢は2つに切り裂かれ、空へと舞い上がる。


刑天けいてんか」


 矢を放った魔物は、巨大な頭に腕と足が生えているという奇妙な形だ。

 筋肉質なダルマに手足がついた様子といえばよいだろうか。


 体躯は大きく、大人の背丈を優に超える。

 それが4体、ルシウス達を睨んでいる。


 弓や斧を手にし、鎧のようなものを着ている個体もおり、戦闘慣れしていそうである。

 ゴブリン達と違い、人が使っていた物をただ拾って使っているという様子はなく、新品同様の得物が白い光を放つ。


「何級の魔物でしょうか?」


「3級の魔物だ。だが、群れでの攻撃が厄介だ。おそらく囲まれている」


 ルシウス達の周囲にある岩陰から刑天けいてんと呼ばれた魔物が現れる。

 10数体はいるだろうか。


「問題ない、殲滅する」


 ユウが剣をゆらゆらと構える。


「少しだけ待ってもらえません?」


「……なぜだ?」


 魔物はただの獣ではない。

 人が魔物の領域に入ってきているのだ、最低限の礼儀を払うべきとルシウスは考える。


「無駄な戦闘は避けましょう。魔物にも命があります」


 ルシウスは宝剣を構えて、魔力を流し込む。

 剣が朧気おぼろげに光る。


「引けッ」


 刑天けいてんたちが、ヘソの位置にある大きな口を広げ、「ボォモオ」と低く響く声をあげる。

 雄叫びを上げた魔物達が、ルシウスを取り囲むように仕切りに武器を打ち付け始めた。


 完全に戦闘態勢だ。

 むしろルシウスの魔力に当てられ、胴体となっている巨大な頭の口からよだれをボタボタとしたたらせている。


 ――ダメか


 ここは魔物の領域。

 残念だが、都合よく全ての戦いを回避できるわけではないことを、頭では理解している。


「魔物の……命か」


 ユウの言葉がこぼれると同時に、なだれ込むように刑天が襲いかかってきた。


「ルシウスは後ろを任せた。だが、危険だと思ったら騎獣に乗って逃げろ」


「……大丈夫です」


 ルシウスに5体ほどの刑天が斧を振り下ろす。

 その斧を避けながら、1体の刑天の脇腹――もとい裂けた口――を斬りつける。


 ――硬いッ


 ガリッという音を立てて剣が魔物の表皮をなぞった。

 剣が刺さらない。

 北部を出るときに、せっかくいでもらった剣だが、また研ぎ直しとなってしまった。


「ルシウス、白妖達の外皮は硬い。刃よりも術式のほうが有効だ」


 ユウが手に持った大剣で刑天達をぐように斬り伏せながら教えてくれる。


 ――全然、説得力ないな


 大剣で魔物を斬りながら刃が通らないと言われても、としか思えないが、今は従うほかない。


 ルシウスは距離を置いて、左手へ魔力を流す。

 左手の魔核と同化している邪竜の存在を感じながら、流した魔力が炎として溢れ出る。


 途端、刑天たちの動きが、ヒタと止まった。

 明らかにルシウスを警戒している。


 ――竜炎を危険なものだと感じ取ってる


 戦闘を回避できるのでは、という淡い期待を覚えたが、やはり数体が巨大な斧を振りかぶり襲いかかってきた。


「……ごめん」


 左手から火柱が上がる。

 炎の塊が数体の刑天を包み込んだ。


 以前の決闘時に、人へ放ったような弱めたものではない。

 明確に攻撃の意図を込めた炎である。


 炎に包まれた刑天の断末魔だんまつまの叫びが山に木霊こだました。

 猛烈な熱風が辺りを覆い、肉が焦げる嫌な臭いが立ち込める。


 風が吹き抜けると、命を食らった炎が消える。

 後には、魔物であったであろう灰が崩れ落ちた。


 灰の中に、真っ赤な血の色に輝く魔石だけが綺麗に残される。


 ――魔石だけは焼けないのか


 火の術式も、まだ大量の魔力を消費する。

 宝剣の光も、同じ程度に魔力を使うが、竜炎のほうが範囲攻撃としては威力が高い。


 仲間が灰になる様子を目にした残った刑天たちが一斉に逃げ始めた。

 岩を飛び越え、木へ飛び移り、刑天達が我先にと散っていく。

 残ったのは灰塵かいじんと静寂。


「ルシウス、やはり凄まじい火の術式だな。魔石以外が燃え尽きたぞ」


「ええ。できれば殺したくはなかったんですが」


「仕方ないだろう。殺らねば、殺られる」


 分かっている。

 弱肉強食の魔物の領域なのだ。

 だが、理解できている事と、そうしたい事かは別物である。


 ルシウスは土を掘り返し、魔石を拾って、土へと埋めた。


「魔石は不浄の塊だ。触って問題ないのか?」


 魔物の体には、体のどこかに魔石と呼ばれる宝石のようなものが1つ、埋まっている。


 大抵の人は魔石を忌避きひするべきものであるとしており、同時に神聖なものとして扱う。感覚としては、人の亡骸へ覚えるそれに近い。


 倒した魔物が以前は誰かの式であったかもしれず、その式が主を食べたのであれば、なおさらだ。


 また、魔物の死体はすぐに消える。

 微生物に分解されやすいのか、他の魔物がすぐに食べるのかわからないが、数日もすれば骨も残らない。

 だが、魔石だけは残る。その事実が余計に死を連想させるのだろう。


「触っても害はありません。ただ、父が、魔石は森にかえすべき物だと言ってましたから」


 だから、魔物の魔石を丁寧に土の中へ埋めた。

 ルシウスなりの埋葬である。


 体のどこに有るかわからない為、倒した魔物のすべての魔石をとむらうことは不可能だ。

 だが、父ローベルも倒した魔物の魔石が見つかったときは、必ず埋葬していた。


「そうか。お前は魔物も人も大事にしているのだな」


「ええ、式も元は魔物ですから」


「殊勝なことだ。式といえば、いったいどんな魔物を式としたのだ?」


 前回、言いそびれたことを再度、聞かれる。

 誤魔化す事は簡単だが、不誠実に感じた。

 特にユウはメリットも無いが、式を得るために手伝ってくれている。


「実は――」


 ルシウスが言いかけたとき、辺りに濃い魔力が充満した。


 ――魔物の気配ッ!?


 全く気配を隠す気がないらしい。

 まだ魔力感知に慣れていないルシウスですら、はっきりと感じ取れる程の息づかい。


 ルシウスが剣を構えた直後、岩陰から何かが飛び出てきた。


「なんだ!?」


 飛び出てきたものは近くの岩壁に激突し、ドズッという湿った音を立てる。

 轟音を上げだ土煙が止まると、何が飛び出したのか明らかとなる。


 ――刑天!?


 岩山と同化するほどすり潰された刑天の亡骸があった。

 おそらく何か強力な魔物に、投げつけられたのだろう。

 ズシズシという鈍い音が辺りに響き、その正体が現れる。


 巨人。

 そう間違える程の巨躯。大人2人分ほどの背丈がある。


 体の上半身は金属製の鎧をまとっており、両手には、2本の巨大な突撃槍を握っている。

 前傾姿勢で腰が曲がっており、鎧で覆われていない箇所は、黄色と緑色の縞々模様の体毛で覆われていた。


 頭は辛うじて人のそれと似るという程度で、肉食獣の様に大きな口がせり出し、長い尾がゆらゆらと振れる。


 ユウが緊張した面持ちで、大剣を握り直した。



「……檮杌とうごつ

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