第35話 クーロン山の麓町

 朝早くホノギュラ領の都市を発ち、夕方前にクーロン山の麓にある小さな町へと、たどり着く。

 親子へお金を渡してしまったため、馬車は使えず、隣領から歩いて来ることとなった。秋風が吹くため、夕方ともなれば少し冷える。


「近くから見たら、すごい山だな」


 ルシウスは巨大な山々を見上げた。

 町自体は故郷のシルバーウッドに似て、緑豊か――もとい普通の田舎――である。


 違いが有るとすれば、やはり町のすぐ横にそびえ立つ巨大な山。

 あとは、郊外には故郷ではよく見る小麦やエン麦、ライ麦の畑ではなく、茶畑が広がっているくらいか。東部と南部辺りは茶の生産が有名だという本の記述を思い出す。


 町の作りは、大通りを中心に町が広がっているという典型的な造りであった。

 開拓時に作られた田舎町は資材の流量管理や区画設計を円滑に行うために、ある程度、似通った作りとなっている。

 こういう町では、町の中央に周囲を治める庁舎があるらしい。また特に田舎では、領主の家が庁舎を兼ねることが多く、ルシウスの実家も同じである。


 ――まずは挨拶にいかないと


 ルシウスは街の大通りを急ぐ。

 日が落ちてから訪ねるのは礼儀として良くない。そのため日が落ちる前には挨拶を終える必要がある。


 それほど大きくない街。

 歩けば、すぐに屋敷は見えてきた。


 ――へえ、珍しいな


 屋敷の外壁が黒いのだ。

 焼杉やきすぎの外壁などは前世でも見たことがあるものだが、こちらの世界では見たことはなかった。あえて外壁の表層を焼くことで、木の腐食を遅らせ、虫を避ける処置である。


 だが、屋敷に近づくにつれて、違和感が強くなる。


 ――なんか……おかしい


 焼杉の外壁などではなく、レンガにすすが付き、真っ黒になっているだけだった。

 屋敷の窓は割れ、屋根が焼け落ちている。

 間違いなく火事の後である。


 状況が理解できず、口をあけながら見上げてしまう。


 ――昨日、火事でもあったか


 だが、周囲を歩く領民はそれを気にもとめていない。

 まるで、ずっとこのままであるかのようだ。


 わけが分からず、焼け落ちた屋敷を眺めていると、人が集まっている様子が目に入る。

 どうやら焼け落ちた庁舎のすぐ横で何かをしているようだ。


 ――聞いてみるか


 ルシウスは何の気無しに近づくと、どうやら様子がおかしい。


「よく見なさいよ! この焼け跡を!」

「なんでアンタだけが……」

「お前は一生罪を背負って生きていくんだよ」


 1人の少女を数人の大人が囲って、責め立てている。

 少女は暗い顔で焼けた庁舎をうつろに眺めていた。


 ――何をしてるんだ?


「すみません、ちょっと聞きたいことがあるんですが」


 ルシウスは、思い切って人たちへ声を掛けてみた。

 ひと目でよそ者だと分かったのか、少女を取り囲んでいた大人たちは気まずそうに散っていく。


 残されたのは責め立てられていた少女。


「……何かご用でしょうか?」


 少女がルシウスに気がついたようで、振り向いた。

 黒い髪の少女は、ルシウスと同い年くらいだろう。

 不思議なことに白い狐の耳と長い尾がハタハタと揺れている。


 少女の容姿は整っており、狐の耳が愛らしさを醸し出しているのだが、やはり気落ちした顔が気になる。


 ――コスプレ?


 妙に質感がリアルだ。


「あ、いえ。領主様か代官様に会いに来たのですが、庁舎が分からず困ってまして」


 代官とは比較的広い領を持つ領主がいる場合に、置かれる地方の官吏である。

 領内に複数の村や町がある場合、一つの家とその役人だけでは、目が行き届かない。

 そのため、その地に家臣を派遣し、領主の代理をさせるのだ。


「どんなご要件でしょうか?」


 黒髪の少女はいぶかしげに、ルシウスを藤色の瞳で覗き込む。

 耳が忙しなく、ピコピコと動いている。


「エスタ卿の紹介で、クーロン山の魔物を式に降す為にやってきました」


 ルシウスの話を聞くと、少女は一安心した様子だ。

 急に取り繕ったような笑みを浮かべる。


「良かった。であれば、代官様を紹介します。こちらへどうぞ」


 ――良かった?


 話からすると、黒髪の狐耳少女はこの町の代官を知っているようだ。


「僕はルシウス。君は?」


「え? 私?」


「そうだよ」


「ローレンといいます」


 控えめな笑顔で返答した少女が歩き始めた。

 先程、歩いてきた大通りを戻るようだ。


 言葉もなくローレンという少女の後へと続く。

 大通りですれ違う町の住人達が、2人をジロジロと眺めてくる。

 最初はよそ者の自分が見られているのかと思われたが、大通りを中ほどまで歩くと、その視線がローレンへと注がれている事に気がついた。


 ――焼けた庁舎での光景といい、何かが引っかかるな


「ねえ、ローレン。何かあったの? さっき町の人に何か言われてたようだけど」


「……別に何でもありません」


 白い狐耳の少女は目も合わせない。


「そっか。ところで、その耳としっぽは?」


「ああ、これですね。まだ式と契約したばかりで上手く扱えてないのです」


 東部の式は、同化する。

 どうやら制御が甘いと式の特徴が部分的に発現してしまうようだ。

 町の中にも、たまに獣や鳥、魚の特徴を持っている子供が歩いている。


 ――なるほど


 所違えば地域の特色は出るものである。

 物珍し気に町を行き交う人を眺めていると、聞きなれない鳴き声が聞こえてきた。


「ニー」


 建物の影から、なにかが飛び出てくる。

 よく見ると、長い毛とふふわふ尾を持ち、長く垂れ下がった耳を持つ大きな白ネズミであった。


 どことなく品種改良された愛玩用の兎を彷彿させる。


 ――魔物?


 微かであるが確かに魔力を感じる。

 ルシウスが反射的に剣のつかに手を当てた。


「ダメです。これは耳鼠みみねずみという魔物で、お茶の病気を食べてくれるんです」


「魔物が人の町に住んでる? 式ではなく?」


「そうです。一緒に暮らしているのです」


 ローレンはそう言いながら、耳鼠みみねずみの頭をなでる。

 魔物は嬉しそうに鼻をひくひくさせた。


 ――そんな形もあるのか。


 人と魔物は違う場所に住んでいるものばかりと思っていた。

 河の水を浄化してくれる魔物、森の土を豊かにする魔物、植物のタネを運ぶ魔物などは北部などにも居たが、人と魔物の生息域が重なっているというのも驚きである。


「ニィー」


 ミミネズミと呼ばれた魔物がルシウスの足元をクンクンと嗅ぎ始めた。


「動かないで。町の外から来た人だから、確認しているんです。噛まれることも無いから安心して下さいね」


 もふもふが足元で、もそもそとしている。


 ――なんか癒やされるな


 満足したのか、耳鼠は体を膨らませ、尻尾を回転させながら、漂う風船のようにどこかへと飛んでいってしまった。


「へぇー、空を飛ぶんだ」


「そうですね。だいたい風に揺られてるだけですが。さあ、着きました」


 横には古い家の門がある。

 どうやら町の外れまで、来ていたようだ。


「どうぞお入りください」


 門は開かれており、黒髪の少女が先に1人で家の中へと入っていく。


「勝手に入っていいの?」


 仮にも代官が居る館である。

 勝手に入るのではなく、まずはノックしてから家人を呼ぶことが作法である。

 だが、ローレンは門をくぐり、中へと入っていった。


 門を探るがドアノッカーは無い。

 仕方なく門をくぐり、庭先へと足を踏み入れた。


 小さな庭を通ると、すぐに家の玄関へとつながっており、ローレンが玄関を開けて中へと入っていく様子が垣間見える。


「ローレン? いきなり入ったら失礼じゃ」


「大丈夫です」


 ローレンが玄関の中から声を掛けてくる。


「ルシウスさん、さあ、お上がりください。ここがこの町の仮庁舎となっております」


「ここが仮庁舎? ローレンはもしかして代官の娘さん?」


「……いえ、私に両親はおりません。私を育ててくれた親戚が代官となっております」


「そっか。だから案内してくれたんだ」


 ルシウスも玄関から中へと入る。


「失礼します」


 屋敷へと入り、廊下を案内されるままに進んでいく。

 家は古い平屋で質素ではあるが、造りがしっかりしている。


 廊下を先に進むローレンが、奥の扉の前で止まった。

 ノックすると部屋の中から声が帰ってきた。


「ローレン嬢、誰か客でも来たのか」


 その声に聞き覚えがあった。


 ――まさか


 ルシウスが扉を開けると、見知った男が居た。

 つい昨晩、隣領の街で食を共にしていたのだ。間違えようがない。


「ユウさん!」


 ユウは少しだけ驚いた顔をしたが、軽く笑みを浮かべる。


「やはり来たか、ルシウス」


「ルシウスさんと、ユウ様は知り合いですか?」


 ローレンが不思議そうな顔を向けた。


「隣領の街であったのだ。クーロン山を目指していたようだから、来るとは思っていたが」


「なんでユウさんが!?」


「俺はこの町の生まれで、この町の代官をやってる」


「なら、最初から教えて下さいよ」


 食事をしながら、クーロン山へ行くと言っていたのだ。

 おおよそ見当はついていたはずだ。


「悪い。だが、確信まではなかったのでな。ともかく歓迎しよう」


「よろしくお願いいたします」


 ルシウスは頭を下げる。

 そして、リーリンツ卿から受け取った書状をユウへと手渡した。


「ん? なんだ。これは」


「リーリンツ卿からの紹介状です」


「あの女傑からだと!?」


 書状を素早く確認しながら、ユウは驚きが隠せないといった様子となる。

 一通り読み終えると、書状を引き出しへとしまった。


「……王命で来ているとはな。しかもリーリンツ卿からの書状まで添えて。昨晩は失礼した。まさか男爵とは。礼を欠いてしまったことをびよう」


 ユウが頭を下げた。


「いえ、昨夜の通りに接してください。私はまだまだ見習いです」


 ルシウスは男爵を叙爵されているが、正直な所、まだ一人前の貴族という気もしない。


 国王は爵位の使い方を任せると言ったが、今の所、爵位がないと困るということなど起きていない。

 そもそも困ったから爵位を振りかざすというのも違う気がする。爵位とは免罪符ではないはずだ、と。


 ユウがその橙色の瞳で、ルシウスの表情から真偽を汲み取った。


「……わかった。では、ルシウス、お前は一体何者だ? 1級の魔物を従えさせよと書かれてあったが、本当に魔核は1級なのか?」


 ユウの視線が鋭くなる。


「昨日紹介した通り、北部の男爵家の長男です。一応、白眼魔核は1級ですので、それに対応する魔物を式としたいと考えております」


 ルシウスはうやうやしく頭を垂れる。


「そうか。だが、言葉に嘘はない。歓迎しよう。大したもてなしはできんが、式が得られるまで、この仮庁舎で過ごすといい。どのみちローレン嬢と2人でしか暮らしていない。空き部屋はいくらでもある」


 ホノギュラ領のオマリー伯爵のように無碍に扱われるのではと、内心警戒していただけに、ユウの笑顔にほっと胸をなでおろした。


「ありがとうございます。しかし、なぜ、この町の代官であるユウ様が隣の領へ?」


 代官とは国の役職である。

 しかも、昨日の食事の際、元騎士爵だと口にしていた。

 礼儀として、”様”を付けるべきと判断した。


「ルシウス。様はやめてくれ。俺はそんな大層な人間ではない」


「いや、でも」


「いいのだ」


 有無を言わさないユウの圧に、意見を押し込めた。


「では、僕も昨夜の通り、ユウさんと呼ばせてもらいます。でも、忙しいときに訪ねてしまいました。昨日の視察中に、庁舎が焼けたのですよね?」


 ユウは隣領ホノギュラの荒廃と新しい武器の噂を聞きつけて偵察へ行った所で、ルシウスと会ったのだ。その最中に、屋敷が焼けたのであれば災難としか言いようがない。


「あれはな、圧政による暴動で領民達が焼いたもの。8年前からずっと焼けたままだ」


「領民が庁舎を焼いたのですか!?」


「そうだ。ここだけではない。昔、この領、全土で不満が溜まっていたのだ」


「ですが8年も経っていれば、直しても良いのでは」


「民がまだその時の事を許していない、という意思の表れだな。町の棟梁とうりょうが仕事をけなければ、誰も直さない。ここが仮庁舎になっているのもそういった理由だ」


 ユウは物悲しそうな笑みを浮かべる。


「不躾に事を聞いてしまい、すみません」


「いや、いい。ルシウスの疑問は当然のことだ」


 ユウはそう言うと、また書類へと視線を落とした。


「ローレン、よければルシウスを部屋へ案内してやってくれ」


「はい、ユウ


 2人は目も合わせずに、やり取りを続ける。


 ――2人で暮らしてるのに、なんか他人行儀だな


 部屋を後にしたルシウスはローレンに連れられ、滞在中に過ごす部屋へと案内された。


「ルシウスさん、こちらでお過ごしください」


「ありがとうローレン。あと、ルシウスでいいよ。ほとんど年齢も変わらないだろうし」


 ローレンは取って付けたような笑顔で応える。


「いえ、私は大丈夫です。では」


 笑顔ではあるはずなのだが、どこか拒絶を感じる。

 少女とは思えないほど冷めきった視線。

 黒髪の整った容姿が更に、それを強く引き立てた。


 ローレンは扉を丁寧に締め、すぐに姿が見えなくなった。

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