第34話 東部の式

 ルシウスの前には大きな獣が立っていた。

 先程まで弓を向けていた男は居ない。


 羊のような角を持ち、全身が毛に覆われた二足歩行の獣である。

 手は猛獣のように鋭く爪が伸び、顔も獣そのもので、目だけが先程の男と同じ色をしている。

 体躯は大人を優に超えるだろう。


 先程の男と同じ声が、獣の口から響く。


「騎士に楯突たてついたのだ。地面を舐めて謝るなら、利き腕1本で許してやるぞ?」


 ――これが東部の式か……


 騎獣を主体とする北部とは違う形態の式。


 騎士と名乗る以上、騎士爵を叙任じょにんされているだろう。

 ならば、貴族と同等の振る舞いが求められるはずだ。


 そして、逃げ惑う領民の中から男たちの声も響いた。


「いいぞッ! ブルーセン、やっちまえ」

「片腕と言わず両腕、両足いっとけッ!」

「ぶっ殺せ! ホノギュラ領騎士団No2の実力を見せてやれ!」


 男たちは皆、羊角の男と似た服装をまとっており、酒場の賭け事へヤジを飛ばすような笑いを浮かべている。

 騎士団員たちが民衆の中に紛れ込んでいたようだ。

 おそらく初めから決闘の一対一のルールを守るつもりは無かったのだろう。


 ルシウスの背後から女の声が聞こえた。

 決闘で戦っていた女騎士である。


「ブルーセン、やりすぎだわ。他州の貴族だ」


 苛立ちが見て取れる羊角の男が悪態をつく。


「本物の戦争を知らないこのガキへ、現実を教えてるだけだ」


 この領の騎士達は紛争から帰ってきた者も多いと、先程の親子から聞いた。

 だが、決闘と戦争は別物であり、目的からして違う。

 決闘は名誉回復の為に行うものだ。

 だからこそ、名誉ある立ち振舞が求められる。


「お断りします。貴方のそれは、貴族のあり方ではない」


 ルシウスは毅然と応え、剣を構えた。


「蛮北がッ」


 羊角の男が一瞬でルシウスへと迫る。


 ――速いッ


 まるで獣のような俊敏さで、間合いを殺した。

 勢いそのままに鋭い爪でルシウスを引っ掻く。


 爪の斬撃を紙一重でかわすと、獣の爪が地面をえぐる。

 俊敏さ、膂力。

 いずれも人のそれではない。


 地面に深く突き刺さった爪を、再びルシウスへ振り上げる。

 だが、遥かに戦慄を覚える爪を既に見たことがあった。


 ――邪竜に比べれば


 爪を剣でいなすと、体を回転させる。

 そのまま毛の生えた肩へと飛び降り、全体重を掛けた。


 腕を振り抜いた上で体重を掛けられ、羊角の男はそのまま仰向けに転倒した。


 勝負は一瞬。

 倒れた男の首筋へ剣を当てる。


「弓を引いた非を認め、今後を改めるのであれば、何もしません」


 羊角の男は何が起きたのか分からない様子で、口をあんぐり開ける。

 一呼吸置いて、状況を理解できたようだ。


「何なんだ、お前はッ!?」


「先程名乗ったでしょう。北部の男爵家の息子です。あなたは名乗りもしませんでしたが」


 ルシウス自身も、男爵の爵位を持っている。

 だが、それは名乗らなかった。

 爵位を振りかざして、無理やりかしずかかせたいのではない。

 物事の道理の話であって、爵位など関係ない、

 例え、羊角の男が男爵以上の爵位を持っていようが、ルシウスは同じことをした。


「ガキが、舐めるなッ!」


 男がルシウスの剣を、手で無理やり払いける。

 刃を掴んだ掌から血を吹き出しながらも、羊角の男が距離を置く。


 そして、再び何も無い所から弓と矢を取り出すと、力いっぱいに弓を引き始めた。


 一連の所作に、魔力の流れを感じる。


 ――武器を生成する術式なのか?


 人の体の時に使っていた弓よりも、遥かに肥大化している。

 大弓をしのぐといって差し支えない。

 おそらく次の矢は、剣で斬れる速度を優に超えるだろう。


 ――避けれるか


 わずかに背後へ意識を向けると、まだ逃げ惑う人々がいる。

 弓矢を避ければ、民の誰かに当たってしまう。


「矢を放てば、民に当ります」


「ハッ! 俺がそんなヘマをするか! お前の腹にぶっ刺すだけだ」


 ルシウスは左手をゆっくりとかざす。

 手のひらに炎が宿る。


「最後です。今すぐ武器をしまってください。できるだけ力を抑えますが、この炎は本来、人に放つようなものではありません」


「ゴチャゴチャうるせえッ!」


 羊角の男が毛皮を通してもわかるほど、血管を浮き上がらせながら、太い腕を目一杯引く。

 寸秒を置いて、規格外の強弓から矢が放たれた。


 瞬時、ルシウスも覚悟を決める。


 ――竜炎ッ!!


 左手から豪炎が、羊角の男へと向かって一直線に放たれる。

 竜の息吹のような火柱が地をう。

 紅蓮の炎が放たれた矢を一瞬で消炭に変え、羊角の男へと襲いかかった。


 瞬く間に男が炎に飲まれる。

 体の至る所から炎が立ち昇り、一瞬で骨と肉を焼いた。

 術を発動したルシウス自身もあまりの熱で思わず、顔をしかめるほどだ。


「ぐゃがあぁぁああッッ!!」


 男の叫び声と肉を焼いた嫌な臭いが周囲に立ち込める。


 竜炎の術式は、ただ火を吐き出すものではない。

 竜炎の焔は表皮から少しずつ熱を伝えてるのではなく、炎熱を瞬時に対象物に浸透させるという特性がある。

 そのため、高速の矢でも一瞬で燃え尽き、人に当たれば、皮と骨が同時に灼ける。


 沈黙が辺り一帯を覆った。


 術式への魔力供給を止めると、羊角の男の炎はすぐに鎮火する。

 ゆらゆらと周囲を揺らす陽炎かげろうだけを残して。


 後に残るのは、黒く炭化した何か。


 その黒い何かが視界に入ると、胸の奥に、不快な塊が膨れ上がる。


 ――人を…………


 そう認識した途端、気持ち悪さがせきを破り、胃液を地面へとぶちまけてしまった。


「グえッ」


 沈黙を破り、民衆がより一層の悲鳴をあげて、混乱したように逃げまどった。

 周囲に居た騎士団達からも驚嘆の声が上がる。


「何だッッ!? あれはッッ!」

「ば、化け物だ……」

「だ、誰か次いけよ」

「お前が行けッ」


 再び黒い塊へ視線を戻すと、炭に割れ目が入り、肉が凹んでいく。

 身体中から粒子が放出され、目へと吸い込まれると、元の男の姿が顕になった。


 不思議な事に、先程まで炭と化していた男は、酷い火傷を負っているものの、まだ息をしている。


「い、生き……てる……」


 安堵のあまり、ルシウスは腰を地面へと落とし、座り込んでしまった。


「大丈夫か、少年」


 呼び掛けられる声とともに、振り向くと、新たな獣がいた。

 先程の羊角より更に一回り大きな体躯。


 背の高さがある虎のような模様の毛皮と鎧をまとった獣。

 いや獣人と呼ぶほうが適切か。

 顔は本物の虎のようで、9本の尾がうねっている。


 鋭い爪が伸びた手には、人類では到底扱えそうにない程の大剣が握られている。


 ――全く気配を感じなかった


 ルシウスは慌てて虎男から距離を置こうとする。


「敵ではない」


 虎男の言葉はとても落ち着いており、目は穏やかだった。

 ルシウスへ語り掛けた後、虎男が後方へ振り向いた。


「まだやるのか?」


 視線の先に居るのはルシウスではなく、先程まで決闘していた女である。


「……負けで構わない」


 女が力なく立ち上がり、火傷に苦しむ男までよろよろと歩く。

 肩を貸す形で、男を支えると、街の雑踏へと消えていった。

 周囲を取り囲んでいた騎士団たちも足早に続く。いち早くこの場から立ち去りたいかのように。


 辺りに人が居なくなると、虎男が縮み、灰色髪の男が現れる。


「あなたは先ほどの……」


「礼を言う。北部にも高潔な貴族がいるのだな」


 もとはといえば、背後から矢を引かれた男をルシウスが助けた形である。

 先程の剣技を見る限り、この男がそう安々とやられたとは思わないが。


「あ、ええ……決闘ですからね。そういえば、挨拶してませんでした。ルシウス・ノリス・ドラグオンと言います」


「ユウだ。腹が減っただろう。礼に飯でも奢ろう。ついて来い」


 チラリとルシウスが吐き戻した跡を見て、ユウは返事を待たずに歩き始めた。


「あ、いや」


 断るひまもの無く、先へ進み始めたユウの後へ、仕方なく続いた。




 ◆ ◆ ◆




 入ったのは町外れにある料理屋。

 テーブルの前に並んだのは、燻製にした川魚、野菜の酢漬け、スープ、パンという庶民ではよく食べられる料理だ。

 あとは、腸詰めに似たものも置かれるが、その料理は初めて見るものだ。


「東部の式を始めて見ました。びっくりしましたよ。いきなり人が獣にみたいになるんですから」


「東部の式には同化する者が多い。それよりルシウス、なぜ東部に来たのだ」


「式と契約する為に来ました」


「式? すでに術式を使っていただろう。あれほど強力な火術は見たことがない」


「白眼魔核に対応した式を降すつもりです」


 ユウの表情が険しくなる。


「……重唱なのか?」


 重唱とは複数の魔核を持つ者たちの俗称である。

 鑑定の式、セイレーンがその様に声を発する為、一般的に広く認識されている。


「ええ、一応そうです」


 ユウが怒りの表情に染まる。

 やり場のない怒りが拳へと向かい、爪が食い込むのではないかというほど強く握り締めている。


「……蛮北共めッ! 命を何だと思っているのだッッ!!」


 こみ上げる怒りを無理やり飲み込むと、とても深い橙色の目でルシウスを見た。


「ユウさん?」


つらかったろうな、ルシウス。もう北部に帰らなくてもいいのだぞ、おれが伝手を紹介しよう。東部で暮らせ」


 ユウの目は真剣である。


「いや、僕は父の跡を継ぎ、立派な男爵になりたいので……」


「魔核を複数植え付けられて尚、貴族としての矜持きょうじを持ち続けるのか。傑士けっしではあるが、それゆえにお前の親が許せん。例え男爵とて、人としてやってはいけないことがあると知らしめてやりたいのだが」


「……はい」


「近頃の北部はおかしい。噂では本来、禁忌とされる重唱を試みる者たちが後をたたないと聞く。しかも、最近は北部では邪竜まで出てきたそうだな。それも四重唱の子供に式とされたらしい」


「ああ、それはですね――」


 自分です、といいかけた時、ユウが再び怒りに打ち震える。


「複数の魔核を子供に宿らせるなど、人のやることではない。しかも、奇跡的に生き残った子を、邪竜と対峙させるなど鬼畜の所業」


 ユウの目にはただならぬ憤りを感じる。


「…………そう、ですね」


 ルシウスは言葉を飲み込んだ。

 まさか父ローベルも、会ったことも無い人に、怒りを買っているとは思っていないだろう。


「貴族とはかつて民を守る武人だった。民のために戦ったのだ。だが、今は政治ばかりに囚われ、我が子を政争の道具にする輩が増えた。特に北部のそれは酷いと聞く」


「確かに、そういう家もあるのかもしれません」


 ゲーテン子爵家がそうなのだろうが、実態をルシウスは知らない。

 見方によってはドラグオン家も同じか。


 ルシウスの気まずそうな雰囲気を感じ取ったのか、ユウの表情が落ち着いていく。


「いや、ルシウスを責めるつもりはない。すべては紛争が悪いのだろう」


「紛争?」


「ここ2年ほどは膠着こうちゃく状態だが、東部は隣国からの侵略を受け、紛争が定期的に起きている。東部への戦線に他州からも魔術師が送り込まれるが、やはり地理的に近い北部の魔術師が最も多いのだ」


 オリビアが言っていた、兄を亡くした2年前の紛争のことであろう。

 少し違うとすれば、地理ばかりが問題ではないということ。

 南や西の州は、積極的には兵を送らず、その分、北部へとつけが回ってきているらしい。


理由があるんでしょうね」


「そうだな。人が荒れれば、魔物も荒れるという教え通りだ。邪竜の件といい、この世界がおかしくなっているのかもしれない」


【ノアの浸礼】という教会の格言であるが、触り程度しか知らない。

 話がこれ以上こじれては不味いとルシウスは無理やり話題を切り替えることとした。


「ユ、ユウさん、聞いてもいいですか?」


「なんだ?」


「ユウさんはこの辺りの貴族なのですか?」


「俺は貴族ではない。昔は騎士爵を与えられていたが、返上した。この街は不穏な噂があり、偵察に来たのだ。もともと隣の領に住んでいる」


「偵察?」


「ああ、元々この領地のホノギュラの領主オマリー伯爵はあまり評判の良い人物ではなかったが、近年は常軌を逸している」


 ルシウスはホノギュラ領についてからの数日を思い出す。


「そのようにですね。霊廟の建設に執着しているようで」


「そうだ。魔術師の魂は、式と共に森や山へ還るというのに、何を考えているのか理解できん。それ以上に、きな臭い噂が絶えないのだ」


「噂ですか?」


「ああ、ホノギュラ領で、新しい武器を見たという人間が何人か居てな。その事実を確認しに来たのだが、確証は得られなかった。その代わり、決闘の申し込みはされたがな」


 大きな街にはそれなりに情報が集まる。

 インターネットが無いこの世界では、鮮度の高い情報を得るためには街へ来るという手段が今でも主流である。


 ――そして、決闘になったと


「決闘の理由はなんですか?」


「……よく分からんが、オマリー伯爵は俺が目障りらしい」


 ユウは話を続ける。


「それよりもルシウスはどこで式を得るつもりだ。伝手つては有るのか?」


「実はホノギュラで探そうと思っていたのですが、追い出されてしまいました。この後、隣の領にある麓町へ向かう予定です」


 ユウが微かに笑った。


「そうか」


 ――ん? なんだろう


 その後もユウの話を聞きながら、食が進んでいく。


 今まで手を伸ばしていなかった、腸詰めへと目を向けると、ユウが視線に気がついたようだ。


「ルシウス、食べてみるか? 塩で食べるとうまいぞ」


「ええ、いただきます」


 ユウがソーセージのような食べ物を切り、ルシウスの皿へと置く。

 一口食べると独特の酸味と臭みが口に広がる。

 思わず、むせてしまった。


 ユウも笑いながら自分の口へと運ぶ。


「発酵肉は独特の癖があるからな。だが、俺の好物だ」


「ちょっときついです」


 ルシウスは水を飲みながら応えた。


「ルシウスも大人になれば、この味がわかるようになる」


 あれが美味しくなる日が来ると思えない。


「……わかりますかね」


「もちろんだ。ところで――」


 大体この調子で、ユウとの会話は、ほぼ一方通行で終わる。


 だが、心根が真面目な人間なのだろう。

 言葉のキャッチボールはあまり無くとも、ユウとの会話は嫌ではなかった。

 むしろ東部の貴族の話や風土の違い等は、どれも胸がおどる。


 ――久々に誰かと一緒に食事をしたな


 その日は、夜遅くまでユウから東部の話を聞くこととなった。

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