第51話 邪竜の離反

『ルシウス、このままだと死ぬよ』



 ルシウスの槍と、仮庁舎の主ユウの槍が交わる。

 固いかしの棒が打ち合い、高い音が響いた。


「ルシウス、集中力が散漫になっている」


「はいッ」


 ルシウスとユウは、道場で朝から稽古けいこ中である。

 道場と言っても、屋外に雨よけ用の屋根が設置してある程度のものだ。


 東部タクト領にある小さな麓町。

 その仮庁舎に住み始めて、既に2年が経っていた。


 ルシウスは12才。

 少年の面影が色濃く残るが、青年となりつつある。


「今日こそ勝ちます」


「来い」


 ルシウスの浅い突きを、ユウが最小限の動きでかわした。

 ユウが後の先で、カウンターとなる突きを放つ。


 ――予想通り


 ユウの一撃を躱しながら、大きく踏み込んだ。


 ルシウスの槍が、初めてユウを捉える。


 胸に当たる直前、槍を止めた。

 それほど動いたわけでもないが、息が荒らい。


 ルシウスが勝利を噛み締めながら、宣言する。


「僕の勝ちですね」


「ああ、そうだな。これで剣も弓も槍も教えることはないな」


 ユウは嬉しげに、槍を地へ置いた。

 同時に男にしては長めの灰色の髪が、肩へと流れ落ちる。


 当然、ユウの技量を超えたとは思っていない。

 稽古中に指摘できる程度に、ユウは余裕を持っている。


 あくまでも基礎を習得した、ということであろう。


「ユウさん、ルシウスさん。朝ごはんができましたよ」


 ローレンの澄んだ声が庭に響く。


 声の主へと顔を向けると、12才となり、やや大人びた少女が歩いてくる姿が見えた。


 ローレンの頭には狐の耳は生えていない。

 気を抜けば出てくることもあるが、常時、出ているということは無くなった。


「ありがとう」


「済まないな」


 笑いながらローレンが、ルシウスのすぐ手前で止まった。


「ルシウスさん、また身長伸びましたね?」


「そうかな」


「もう見上げるくらいですよ」


 つま先立ったローレンの顔が、鼻先に迫る。


 黒く長い髪が掛かった藤色の瞳に、吸い込まれそうになり、思わず一歩後ろへ下がった。


 ローレンはやけに距離感が近い時がある。


 少し前までは気にしていなかったが、ローレンが女性らしく成長するにつれ、ルシウスも気恥ずかしくなる事が増えてきた。


「どうしたんですか?」


「いや、何でもないよ!」


 焦るルシウスに対して、背後からユウが声をかける。

 先程の嬉しそうな声から、やや真剣味を増した声だ。


「ルシウス。技能は十分だが、槍に少し戸惑いがあったな。やはり、か」


「そうですね。正直、”このままだと死ぬ”と言われても、実感が湧かないです」


 式の記録と研究を司る一族オルレアンス家。

 その前当主である老婆グフェルに先週に言われた言葉。


 ルシウスは左手へ視線を移した。

 手の甲には、黒い三日月のような模様が浮かび上がっている。


「邪竜がルシウスを見限り始めているとはいえ、まだ時間は在るのだろう」


「ええ、グフェル様が言うには、この三日月が円になるまでが猶予だと」


 手の甲にある黒い模様は、邪竜が刻んだものである。


 人が契約した魔物――つまり式――が主を見限る際の意思表示は様々らしい。

 その中でも体表に何かを刻むという方法は、よくあるものだと老婆は口にした。



 そう、ルシウスは邪竜に見放されかけている。



 模様が左手に浮き始めたのは2週間ほど前。


 初めは、凝視すれば少し見えるほどの細い線だった。

 それが日に日に太くなり、今でははっきりと模様を捉える事ができる。


 なぜ、このタイミングなのかという疑問はあるが、起きた理由は明確である。


 蚩尤しゆうと契約したことで、邪竜へ供給できる魔力が急激に減った為だ。


 また、蚩尤との一戦。

 邪竜にとって存在意義に等しい闘争をルシウスが強制的に止めたことも、要因となった可能性がある。


 しばらくは何もなかったのだが、水滴を垂らした器から水があふれ出るように、限界を迎えたのだ。


 グフェル曰く、邪竜の判断は異例であるらしく、早くとも10年程度は猶予があると見ていたようだ。

 それが契約してから、わずか2年余りで、その時を迎えてしまった事に、誰よりグフェルが驚いていた。


「でも、まだ手はあるので」


 オルレアンス家が検討を重ねた結果、提示された方策は2つ。



 1つ、邪竜への誓約である進化をさせる。

 1つ、十分な魔力を邪竜へ供給する。



 いずれかがルシウスの生存に必要であると、結論づけたのだ。

 より確実な事は進化であるが、魔力供給量も十分可能性があるらしい。


「ああ、俺も手伝う。今日もクーロン山へと行くつもりだ」


 ユウがクーロン山へ向かうのは、当然、邪竜の進化方法を探るためである。


 クーロン山は、式が進化する事例が、いくつも報告された場所である。

 だが、式の研究と記録を司るオルレアンス家がつぶさに探索したが、手掛かりは見つからなかった。


 望みは薄いだろう。


 それ自体はユウも理解している。その上での行動である。

 ルシウスもこの2年間、何度も進化の兆しを探して、クーロン山へとおもむいたが一向にその気配はなかった。


 また、オルレアンス家も総出で、秘蔵の書物を紐解き、進化の糸口を探ってくれている。


「すみません、仕事もありますよね」


「今は冬でそれほど仕事がない。それに、あまり気にするな。ルシウスは大人びてはいるがまだ子供だ。大人を頼れば良い」


「ありがとうございます」


 ユウの言葉は嘘ではないが、正確でもない。

 冬は田畑が休みである為、繁忙期ではないが、代官としての事務仕事は通年を通してある。

 事実、ユウは昨日も昼に1人クーロン山へでかけ、残した仕事を夜遅くまで片付けていた。


 3人はそのまま朝食をとる。


 ご飯を食べ終わると、ユウは足早に家を後にした。

 ルシウスはローレンと片付けをした後、出かける準備をする。


 ――ユウさん達が進化の方法を探している間に、僕も頑張らないと


 ローレンが心配そうな表情を浮かべる。


「ルシウスさん、今日からですね」


「そうだね。騎士団に行って来るよ」


 ユウやオルレアンス家が進化の方法を探る間に、自身はもう一つの解決策である魔力量の増加を試みる。


 そのため騎士団を訪ねる手筈てはずとなっていた。

 ルシウスの状態を知った現王の差配により、騎士団へと口利きをしてくれたのだ。


「あまり無茶はしないでくださいね」


「大丈夫だよ」


 笑顔のルシウスだが、ローレンは信じられないとでも言いたげに、ジト目で見てくる。


「じゃ、行ってくるよ」


 ルシウスは仮庁舎を後にした。


 ――さて、急いで行くかな


 真冬。

 頬を射すような冷たい空気を感じる。

 白い息を吐きながら、完全に慣れた麓町を足早に進んでいく。


 道中、町に住む人達から、頻繁に声をかけられた。

 ローレンには冷たい町の人間も、蚩尤の一件以来、ルシウスに感謝しているようで快く迎え入れてくれた。根が悪い人たちではないのだろう。


 横目に、新しく建て直された庁舎を通り過ぎる。

 焼け跡だった町の中央には、今では立派な屋敷ができていた。


 移り住むことも考えたが、慣れ親しんだ仮庁舎を離れず、代官であるユウが毎日通う形となっている。

 だが、その主も、最近はクーロン山へ入り浸りの為、やや物悲しさを漂わせていた。


 ――急がないと遅れるな


 麓町を出て、茶畑へと差し掛かると、徐々に速度を上げながら走り始めた。

 森へ続く街道に、足を進める。


 隣のホノギュラ領へと続く道である。

 2年前、始めてこの町へ来たときに通った道。


 その中を1時間ほど走った時、森の中に石で作られたとりでが目に飛び込んで来た。

 2年前はなかったものである。


「着いた」


 建設中、何度か目にしたが、中に入るのは初めてである。

 街道に向かうように作られた門へと近づいた。


 衛兵に声を掛ける。


「ルシウス=ノリス=ドラグオン。本日、旅団長のシャオリア殿との約束があり参りました」


 ルシウスの名を聞いた瞬間、衛兵の肩が動く。

 驚きもあるのだろうが、引き締まった表情から、それだけでは無い様に想う。


 ――なんだ?


 一呼吸置いてから衛兵が敬礼をする。


「……お待ちしておりました。こちらへどうぞ」


 巨大な門が開けられ、中へとうながされた。

 違和感を感じながらもルシウスは砦へと足を踏み入れる。


 ――思った以上に広いな


 渡櫓わたしやぐらというのだろうか。

 外周を取り囲むように建物が作られている。


 その内側が中庭となっており、最奥に城のような物が建設されていた。


 中庭には、屈強な騎士達が集まっている。

 皆、差し迫った様子で、一心不乱に訓練に臨んでいる様子だ。


「なんか、鬼気迫ってますね」


 案内してくれる衛兵へと声をかける。


「……ここ第9師団の部隊は、最年少で旅団長になった方が率いてます。皆、振り落とされまいと必死なのです」


 騎士団は実力主義である。

 多少、出身の家柄や経験なども考慮されるが、よほど性格や指揮力に難が無ければ強さ、つまり魔力量や式の階級により決まる事が多い。


 過去には血統主義だった時代もあるようだが、帝国との戦争が長期化する中で、体裁だけで戦線を維持できなくなった経緯があるらしい。


「へぇ、すごい人なんですね」


 ルシウスは、中央にある最も大きな建物へと案内された。

 そして、2人は無骨な扉の前で止まった。


 衛兵が、はたから見ても、緊張している事が分かる。

 まるで竜にでも会うかのような面持ちだ。


 震える手で扉を衛兵がノックした。

 そして、大きな声をあげる。


「旅団長! ルシウス男爵をお連れしました!」


「……入れ」


 部屋の奥から、高い声が響いた。

 扉を開けると、机に座っていたのは20代中頃の女性。


 大きな執務机に腰を掛けている。

 ラベンダー色の髪を揺らしながら、貫くような視線でルシウスをにらみつけた。


「貴様が……ルシウスか」


「ハッ。この度はご協力いただきありがとうございます」


「王命だから仕方なく対応してやっているだけだ」


「理解しております」


「いや、何も分かっていない。本当に分かっていたら、顔を出すなどできるはずがない」


 ――なかなかの挨拶だな


 棘のある言葉に、胸奥きょうおうを思案するが、話が見えない。

 直接、聞いた方が誤解を招かないだろうと結論づけた。


「……何か気に触ることでも?」


「ああ、酷く気に触っている」


 旅団長は笑顔を浮かべるが、目が全く笑っていない。

 どこまでも冷たくルシウスを見据えている。



「お前は兄を殺したのだからな」


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