第65話 戦火

「なんだ、あれは」


 ユウは麓町から、茶畑の先にあるクーロン山を見上げている。


 背後にはおびえるローレン。

 ローレンだけではなく、麓町の全員が怯えていた。


 理由は聞くまでもない。

 巨大な鉄のまゆのようなものが、10機ほど空を飛んでいる。


 その影が、町全体を覆うほどの巨大な何か。


 魔物ではない。

 明らかに人の手で作られた物が空を浮遊しているのだ。


「ひィッ……」


 突然、町人から悲鳴のような声が上がった。

 空飛ぶ鉄のまゆへの畏怖もあるが、なお、信じがたいものが視界に入ったためだ。


 空を飛ぶ物が、巨大なワイヤーで何かをるしている。


「……赤い竜と應龍おうりゅう


 確信があったわけではない。


 2体とも伝説に近しい特級の魔物であり、目にしたことなど無い。

 それでも、魔物が放つ威圧や、体内へ高密度に押し込められた魔力が、嫌でも伝わる。


「ユウさん、あの魔物……手足が」


むごいことをする。切り落とされてる」


 2体の魔物は、全身を金属でできた拘束具こうそくぐで覆われていた。


 赤い竜の手足と羽が切り落とされ、血がしたたり落ちている。

 更に、應龍おうりゅうに至っては、針金はりがねを丸めたかのように、じ曲げられており、生き物ではありえない形である。


 それでも強大な生命力を持つ竜と龍。

 2体とも目から生気が失われているものの、生きていた。


 ユウ自身も魔物と対峙たいじし、手にかけることはある。

 だが、あれはもはや苦痛を与えているだけでしかない。


 すると10機のうち3機が、地上へとゆっくり降り立った。

 前方にある扉が開くと、そこから大量の武装したゴブリンが現れる。


 ――獣兵


 麓町の住民たちから悲鳴がき起こり、一斉に逃げ始めた。

 ユウも、すぐに門の術式を展開し、黒いゲートを開く。


「ローレン! 先に逃げろ」


「嫌、ユウさんも一緒に行きましょう」


「後から追いつく」


「なら私も一緒に」


「駄目だ。帝国に捕まった者は死ぬ以上の苦しみを味わう」


「だから!」


「大丈夫だ。俺は強い」


「でもッ!」


 いつもの悲しみを帯びた視線をローレンへと向けた。


 ――本当に大きくなったな


 ユウは少し笑うと、開いた門へとローレンを無理やり押し込んだ。

 響いたローレンの叫び声が立ち消えるとともに、門が閉まる。


 振り返ると、一斉に茶畑へなだれ込むゴブリンに群れ。


 茶畑で仕事をしていた為に、逃げ遅れた町人が、次々とゴブリン達に掴まっていく。すぐに精髄にされるのだろう。


 更に迫る獣兵や帝国兵へと、近づく白いものが見えた。


「「「ニー」」」


 耳が垂れた毛だるまのような耳鼠みみねずみ達が、獣兵たちの存在を確認する為、足元へけ寄って行く。


 帝国兵は笑いながら、耳鼠達を武器で突き刺していった。


 警戒心を持たず、人里での生活に慣れすぎた魔物たちは、成す術もなく、血がこびり付いた毛皮へと変えられていった。


 だが、これは序の口。

 すぐにタクト領全土、いや東部すべてがそうなる可能性すらあった。


 ――クラーク様。タクト領を守るという約束……守れそうにありません


 無理とわかっていても、逃げる選択は取れない。


「ウオォォォオオッ!!」


 ユウが陸吾りくごを顕現させ、虎の咆哮ほうこうを上げる。

 すると一斉にゴブリンたちの視線が集まった。


 ユウは、ただ1人。

 逃げていく領民とは、真逆へと走り出した。


 すぐにゴブリンたちの群れと衝突する。


 地面を覆い尽くす灰色の群れが、一斉にユウへと群がった。

 右手の大剣でゴブリンを斬り伏せ、体に張り付いたゴブリンを左手で握り潰しながら放り投げる。


 放り投げたゴブリンが、他のゴブリンを巻き沿いに自爆する。


 30体、40体ほどの獣兵を討った時、背後から人の気配を感じた。


「ユウ兵長! 助太刀します!」


 大声に、振り返ると、かつての部下たちが式を顕現させた状態でこちらへと向かってくる。


「来るなッ! 逃げる領民を守れッ!」


 5人ほどの兵はユウの言葉を無視して、背後に並んだ。


「なぜ来た! 無駄死にするつもりかッ!」


「無駄死にではありません。領民が逃げる為に、誰かが敵を1秒でも食い止める必要があります」


「そうです」


「我々もご一緒します」


 式と契約し、術式を行使する魔術師は貴重な存在である。

 言い換えれば、人が少ないのだ。


 また、伯爵以上でないと騎士団を持つことは出来ない。


 今のタクト領には、防衛線と言えるような陣形を組めるほどの魔術師は居ないのである。

 つまり無策に防衛線を張った時点で、全滅が確定してしまう。


 ここで言う全滅とは兵だけではない。


 領民すべてが虜囚りょしゅうとして囚われ、帝国側の魔導具の一部となるか、獣兵を生産するだけの装置と化す事を意味していた。


 誰かが前線の向こう側。

 それこそ敵の真ん中で孤軍奮闘こぐんふんとうし、戦場をかき乱さなければいけない。


 それが分かっていたからこそ、ユウは1人向かっていたのだ。

 もとより生きて戻ることなどできない死地。


「……すまない」


 ユウがわびたと同時、すぐに1人のタクト兵が、トロールの獣兵の槍に貫かれた。

 水牛に似た獣人姿のまま、槍から吹き出した炎に包まれる。


 それでも体を燃やしながらタクト兵は、突き刺したトロールの腕を掴み、獣兵の群れへと力任せに突進する。


 そして、トロールが自爆した。

 何体もの獣兵を道連れに。


 皆、涙を飲みながら、離れて、戦い続ける。

 密集して戦えば、味方が倒した獣兵の自爆に巻き込まれるためだ。


「鬱陶しい!」


 ユウは大剣を横一線に振るいながら、回転した。

 斬り伏せられたゴブリンが一斉に暴発すると、灰色だけだった地面に、一瞬だけ焦げた土色がひらく。


 中心には、猛る虎が1体。

 爆発を浴びて、全身から焦げ臭い煙が上がる。


 それでもなお、ユウの眼力は失われるどころか、増すばかり。


 周囲の獣兵は襲ってこない。

 恐ているわけではないだろう。

 獣兵からは感情や思考がぎ落とされている。


 不審に思った時、ユウの前に何かが舞い降りた。


俊英しゅんえいかな。だが、これ以上隊列を乱されてはかなわん」


 ユウが顔を上げる。


 そこには40代ほどの大男が居た。

 怒髪天どはつてんを着くような赤い髪。

 腰には神経がむき出しにされた脳が、5つ吊り下げられている。


 黒い羽がある馬にまたがり、血のように赤い刃がついた大剣を構えていた。


「この辺りの獣兵を使役しているのは、お前か」


「いかにも」


 しくもユウと同じ大剣使い。


「その出で立ち。赤い大剣。征将とお見受けする」


 男がニヤリと笑う。


「ああ、その通りだ。征将フューリーとはワシのこと。お主は?」


 フューリーの威圧はかつて対峙した蚩尤しゆうに劣らない。


「タクト領元兵長ユウ=エスタ=ラヴェンドレ」


 巨漢の男の目が細くなる。


「ほう、10年前、こちらをのぞき見にきた領主を討った男か。狩り残しを処理してくれた礼を、いつかしたいと思っていた」


 ユウの目に怒りが宿る。


 そのまま力を込めた大剣で斬りつけた。

 金属音がぶつかり合ったとは思えない、鈍器を振るったような音が響く。


「もう一度言ってみろッ!」


「何度でも言ってしんぜよう。主を殺した礼だ。俺の……魔導具となれッ!」


 ユウの一撃を、馬上の男が片手で受け止める。

 あまつさえ虎男のユウを、大剣の一振りで吹き飛ばしたのだ。


 地面へ舞い降りたユウが、征将フューリーをにらみつける。


「やはり鎧も魔導具か」


「戦場に立つのだ。これ全て兵器よ」


「まがい物の魔力と術式で」


謬見びゅうけんだな。ワシに言わせれば、自らの身に魔力を宿すなど野蛮極まりない」


 征将フューリーが剣を握ると、大剣から魔力が溢れる。

 腰に巻き付けられた脳たちから、声にならぬ、悲鳴が聞こえて来るようだ。


 ――来るッ


 地面の振動を感じ取ったユウが飛翔する。


 そして、寸刻をおかずして、周囲の至る所に地面から大量のやいばが突き出した。

 剣、槍、矛が地面からえてきたのだ。


「ワシの魔導具を知っていたか」


「……血濡ちぬれの千刃。無数に殺した東部の式から奪った術式の集合」


 かつての部下たちが、地面から貫かれ大地に血をささげている姿が見える。

 ギリと噛み締めながらも、意識を眼前の征将へと向けた。


「ハハッ! 良い腕だ。ますます欲しくなった。その精髄と術式を寄越せ!」


 馬をかけり、フューリーが大剣を振りかざす。

 それをユウが受け止める。


「グッ」


 馬の突進と合わさった大剣の衝撃が、体を突き抜ける。

 術式により筋力を底上げしているのだろう。


 踏みとどまった直後、足から激痛がい上がる。


 ――槍が


 足の甲から槍が突き出ていた。

 激痛に顔がゆがむ。


「よいのか、そのままで」


 ひるんだ隙に、征将フューリーが大剣で力任せに叩きつける。

 咄嗟とっさに剣で防ぐが、足の踏ん張りが効かず、ユウの体が空を舞う。


 吹き飛ばされる先には、無表情な獣兵達が待ち構えていた。


「ならばッ」


 ユウは空中で、征将フューリーへと大剣を投擲とうてきした。


 やや油断していた征将フューリーが慌てて大剣で振り払う。

 高い音を立てて、払われたユウの大剣は、空へ溶けるように魔力へと還った。


 征将フューリーのほほから小さな血が垂れる。


「……許さん……許さんぞ、猿がワシに傷を付けるとはッ! こんな屈辱をッッ! なぶり殺してやる!」


 いかる征将フューリーが叫ぶと、ユウが落下するであろう場所に大量の刃が地面から突き出した。


 当然、その場にいた数多あまたの獣兵たちも、口から刃をやし、血祭り挙げられるが、征将フューリーは全く気にした様子はない。


 獣兵たちの命など矢程度の価値しか無いのだろう。


 ――獣兵もただの使い捨て……か


 重力に引きられるまま、刃がい茂る大地へとユウが落下した。



 ――――――――――



「帝国兵が麓町を襲撃しておりますッ!」


 伝令の張り上げた声が、広間に響いた。

 オリビアは当然のこと、リーリンツ卿を始めとした諸侯たちに緊張が走る。


「……もう一度申してみよ」


 リーリンツ卿が伝令へと問い直すが、やはり同じ言葉が返ってきた。

 諸侯たちの1人が声を荒らげる。


「有りえんッ! クーロン山を超えてきたということかッ! 一体どうやってだッッ!」


 すぐさまオリビアが制す。


「起きたことに対する分析は後ほど。現状を理解する必要があります。敵の戦力は?」


「き、規模は、 帝国兵500、獣兵18000と推測! 正体不明の飛行物体に搭乗し、クーロン山を超えたものと思われますッ!」


「い、1万8千ッ!?」


 貴族、騎士、兵問わず、全員が戦慄せんりつし、顔が強張こわばった。


 静寂が広間を包む。

 だれも言葉を発することができない。


 当然である。

 帝国とは個々の戦力差がある。


 最低でも、3倍の戦力で当たることが戦術の定石となっている中で、1万8千というのは、途方もない数である。


 騎士団を持たないタクト領はもとより、迷宮に常駐している騎士団が参戦しても、善戦になどならない。

 一方的に蹂躙じゅうりんされて終わる。


 更に、状況が良くない。

 帝国の接近を全く検知できなかったため、避難できていない多くの領民がいるのだ。


 戦える戦力もない上に、守るものだけは無数にある。


「その他、わかっている情報は?」


 伝令が言いよどむ。


「せ、征将の姿を捉えております」


 オリビアが胸の前で組んだ手に力が入る。


「せ、征将……血濡れの千刃ッ!」


 リーリンツ卿の眉があがる。


「確か、そなたの兄を死に追いやったのは征将よな」


 オリビアは顔をしずめた。


 肩が小刻みに揺れる。

 兄を殺した宿敵のもとへと、復讐ふくしゅうに向かいたい衝動を必死に押し殺していた。


 背後に控えた、兵長リウエルが声を掛ける。


「ご指示を。もしオリビア様が征将を討て、と命じるのであれば、命を賭しても」


 タクト兵たちの表情が引き締まる。

 反対に、文官の家臣たちが告諭つげさとす。


「オリビア様。どうぞ、ご堅忍けんにんを」


 オリビアの息が荒くなる。


 兄さえ生きていれば、北部はこれほど酷い状況には、なっていなかった。

 父も母も立派な指導者であり続けた。

 幼い自分が命をかけて、グリフォンなどという化け物に挑む必要などなかった。


 すべての元凶が目と鼻の先にいる。


 グリフォンの翼で駆ければ、麓町など一瞬だろう。

 震えるほど固く握りしめた左手から、魔力があふれる。


 偽核を得たことにより、飛躍的に魔力量が向上した。

 今なら命を捨てれば、一矢報いっしむくいることができるのではないか、という考えが過る。


「お、おいッ」

「何だ……この魔力は……」


 オリビアから漏れ出る魔力に諸侯を始め、騎士たちにも動揺が走る。


 だが、すでにオリビアには守るものがあった。

 将来の北部の盟主として、すべての命と人生を背負うと決めたのだ。


 あの日、ルシウスと森で過ごしたときから、その決意は変わらない。


 オリビアは背筋を伸ばす。

 その威厳をまとった姿は、指導者そのものであった。


「……領民の避難を急ぎなさい。兵は防衛戦線を維持しつつ、後退。無理な戦闘は不要。無理だと思ったら、その場を放棄して構わないわ」


 諸侯たちが、息をむ。

 貴族たちにはオリビアの言った意味が、すぐに理解できたからだ。


「……本当にその指示で良いのか?」


 あまりのことにリーリンツ卿が口をはさむ。


「周辺の兵や貴族を集めても、1万8千の兵に対抗は出来ません。それでも民を逃がす必要があります」


 帝国軍がクーロン山を抜けた時点で、現状がんでいる事は、誰の目にも明らかである。


 そして、判断が早ければ早いほど、被害は浅い。


 浅いと言っても、数え切れない程の民が犠牲となるだろう。

 それでも全滅よりは遥かにいい。


 兵力の消費を極力抑え、後退し、地の利が活きる場所で、待ち構えたほうが戦術上も良い。


 目をつむり、大きく深呼吸する。

 一呼吸おいて、目を見開く。


 オリビアの瞳には迷いは無かった。

 そして、覚悟を込めた言葉を宣言する。



「タクト領を放棄します」

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