第66話 神の雷

「タクト領が帝国に襲われてる?」


 何を言っているのか理解できなかった。

 クーロン山は行軍できない、ゆえに最も戦火から縁遠い場所ではないのか。

 かつてリーリンツ卿自身がそう言っていた。


 シャオリアは呆然としたまま何も応えない。

 その反応自体が、事実であることを何より物語っていた。


 タクト領にはオリビアがいる。

 ユウがいる。

 ローレンがいる。

 多くの顔見知りが居る。


「……助けにいかないと」


 ルシウスがそう口走ると、シャオリアがにらみつける。


「聞いてなかったの? 1万以上の兵に、征将フューリーが来ているの。戦帝の右腕が」


「ええ、聞きました……でも、行かないと」


「馬鹿なの?」


「タクト領には戦える人間はほとんどいません。誰かが戦わないと。どうせ僕はもう邪竜に喰われますから」


 そう言って、ルシウスは左手に魔力を流す。

 黒い粒子が飛び出すと、黒銀の竜を形作った。


 邪竜は現れるや否や、ルシウスを丸呑みにしようと牙をのぞかせる。


「邪竜、僕を食べて良い。約束をたがえたのは事実だ。だけど、最後に力を貸してほしい」


 邪竜は意にも介していないように、耳をつんざくくほどの咆哮ほうこうを上げる。


 縦穴に、邪竜の怒号が木霊こだました。


「……戦いがある」


 邪竜の黄金の眼球が動く。


「とても強い人が居るらしい。それでも嫌か?」


 邪竜が威嚇するように唸り声をあげる。

 渋々といった様子で、首を下へと下げた。


 ――乗れってことかな


「死ぬのよ」


「ええ」


「なんで普通なの」


「ええ」


「たくさんの人が死んで、たくさんの人が捕まるわ。タクト領も、私の故郷のホノギュラ領も。4年前の紛争のときと、同じ状況。いや、前回よりもっと酷い」


「そうかもしれません」


 首をもたげた邪竜へと乗る。

 シャオリアが暗い顔を浮かべる。


「本当に行くのね……」


「はい」


 そう言ってシャオリアが邪竜にまたがったルシウスの手を握る。


 左手に圧縮された魔力が流れ込んできた。

 魔力回復の応急処置である。


「私の魔力を全部あげる。受け取って」


 憎まれ口を叩きながらも、誰よりも人を案じている。

 そういう人間であることは、短い付き合いであるルシウスにも分かる。


 魔力が受け取る痛みと共に伝わる感情と記憶。

 以前と同じ物であることはすぐに理解できた。



 至る所で、火が立ち昇る廃墟に立つシャオリア。

 眼の前には青い髪の青年。


 その男へ言葉を投げかける。


『この場で2級以上の式を持つのは、貴方か私だけです』


『ああ、わかってる。戦線が崩れたみたいだ。誰かが征将を抑えにいかないと』


 笑顔でオリビアと同じ水色の髪を揺らす青年。


『貴方は四大貴族の跡取りです。当然、私が行きます』


 先にはあるのは死。

 いや、死より酷い世界。


 万が一、敵に捕まったとき、殺してくれる味方も居ないだろう。

 自分が一番強いのだから。


 そう意識すると、手足が震えて、前に進めない。


『さて、シャオリア中隊長は撤退の指揮を』


『え、いや、そのっ』


『私が行くよ。それが貴族の役目だから』


 咄嗟に拒否しようとしたが、声が出ない。


 ――最低だ……私


 あれだけ仲間の命を奪っておきながら、いざ自分の番が来たときに、足がすくむ。


 羞恥心、罪悪感、恐怖心、責任、安堵。

 様々な感情が混ざりあう。


 誰かが行かなければ、多くの人が死ぬ。


『やっぱり私が……』


 口を開いた時には、青い髪の男は、仲間達と共に既に歩き出していた。

 その1人には兄も含まれている。


 ――今すぐ、追いかけなくちゃ


 そう思えども、足が前に進まない。

 無理に一歩を踏み出そうとした時、足が動くことを拒否する。

 そのまま、両手を地につき、前へと突っ伏した。


『皆を……助けて……くださいッ』


 それがどれほど無責任で、不格好なことであるかは十分に理解している。

 だが、心からの願いでもあった。


 青い髪の青年は振り返り、再び笑う。


『任せて』


 仲間と共に、走り去った青年の背中が消えた。

 恥ずかしくて、恥ずかしくて、息もできなかった。



 眼の前に流れる風景が霧散する。


 そして気がついた時、すぐ足元に何かが座っている。


 兄ブルーセンと青い髪の青年だ。


 兄は焦点も定まらない瞳で、目の前の小石を眺めていた。

 ぶつぶつと何かを言っている。


『ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい…………」


 兄の手に抱かれた青年は手がちぎれ、胸には矢で射られたような傷跡があった。

 明らかに式の弓による攻撃だと分かる。


 敵に捕まり、生ける魔導具にされる前に、兄ブルーセンが命を奪ったのだろう。

 心酔した相手の心臓を貫き、息の根を止めたのだ。


 我が身可愛さに、醜態しゅうたいを晒しただけではなく、大切な兄の心まで壊してしまった。

 呆然と見つめるシャオリアに気がついたブルーセンがうつろな瞳で呟いた。


『なんで……もっと……早く……来てくれなかったんだ』


 そこでシャオリアの記憶は途絶えた。




 眼の前に今にも消え入りそうなほど消沈したシャオリアが居た。

 ルシウスは手を離す。


「……そうですね。早く行ってあげないと」


 シャオリアのほほを涙が伝う。


「皆を……助けて」


「任せて」


 ルシウスは邪竜を思い切り羽ばたかせる。

 花びらが舞い上がると共に、一気に縦穴を翔ける。


 そのまま狭くなった地表の出口を、高速で飛び出た。

 更に、高度を上げる。


 全速力の邪竜の羽ばたきは周囲の景色を置き去りにした。

 風圧で息ができなくなるほどの速度で飛び、遠くに炎が立ち昇る麓町を捉えた。


 麓町へ近づくごとに、煙の臭いが一層強くなる。


「麓町が……燃えてる」


 視線を空へと戻すと、見慣れないものが浮遊していた。


 ――飛行船!?


 前に見えるのは10機はあるであろう飛行船。

 その内2機が、赤い竜と白い龍を吊るしている。


 以前、帝国には赤い竜が住んでいると聞いたことがある。

 おそらくそれだろう。


 そして、あの白い竜。

 見覚えがある。

 蚩尤の記憶でみた龍である。


 先程まで居た縦穴の壁面に埋まっていた長いものが掘り起こされれば丁度、あれくらいの大きさの龍になるだろう。


 ――迷宮で掘られたのは、蚩尤しゆうだけじゃなく、應龍おうりゅうもか


 左手に痛みが走った。


 怒りだ。

 邪竜のいきどおりを魔核を通じて感じる。


「獣兵だらけだ」


 近づくと、一面、茶畑があった場所はうごめく、灰色一色。

 地面を埋めつくすほどのゴブリン、オグル、トロールたちだ。


 茶畑があった端には、多くの人影が見えた。

 皆、帝国兵に掴まっており、恐怖に震えている町人たちだ。


 一瞬で、町の上にまで邪竜を翔けさせると、眼下に広がるものは、混乱の極みだった。

 町の人々が逃げ惑っている。

 パニック状態になっているものも多く、明後日の方向へ逃げている。


 それでも止まらず、これから茶畑の収穫が始まるというのに、奥から新たな獣兵たちが、茶の木を踏み倒しながら麓町へと次々となだれ込んでいる。


 必死に周囲の状況を探すが、全くユウやローレンの魔力を感じない。

 

 ――魔力の濃度が高すぎる


 シルバーウッドの森やクーロン山よりも、遥かに濃い魔力が一帯に充満している。

 おそらく魔導具により消費された魔石から、放たれる魔力の影響だろう。


 空を旋回しながら、目視で辺りを探ると、一箇所だけ焼けた地面が見えた。

 その中で虎男が戦っている


 ――居たッ!


 ユウの体の至る所には刃が突き刺さっている。


「あそこに降ろしてッ」


 邪竜が一直線に降下し、ユウのすぐ近くへと舞い降りた。


「ユウさんッ!」


 周囲には、いくつも自爆の跡と思われる穴ができている。


「ルシウス……1級の偽核は?」


「今はそんなことよりユウさんは退避を」


「俺はいい。ルシウスは……逃げろ」


 ルシウスが無理やりユウを連れて行こうとしたとき、猛烈な音を立てて何かが降り注いだ。


 馬に乗った怒髪天を着くような巨漢である。


「ほう。大層なトカゲに乗って、誰が来たのかと思えば。まだ子供ではないか」


 血だらけのユウが、手の大剣を固く握る。

 並ぶようにルシウスも宝剣を作り出した。


 その姿を見たフューリーがやや驚いた表情を浮かべる。


「戦うのか童子よ。ならば名乗ろう。征将フューリーだ」


「ルシウス=ノリス=ドラグオン」


「ハッハハ!」


 爆音とって刺し違えない声で男が高笑いする。


「一丁前ではないか。だが仕事が溜まっている。時間はかけてやれん」


 征将フューリーが赤い刃の大剣を振りながら、馬を駆けらせる。


 ――鋭いッ


 大剣のはずであるが、まるでナイフでも振るうかの様に、素早い斬撃が振るわれる。

 それを紙一重でかわし、ルシウスも反撃を繰り出そうと、刃を向けた。


 その時、赤い大剣のつかが淡く光る。

 突如、体が縛り付けられたかのように動かなくなった。


 ――呪縛の術式


 偽核から魔力を引き出し、魔力の暴力で無理やり引きちぎる。

 そのまま後方へ下がり、間合いを確保する。


「小僧、やるな。カトブレパスの毒眼をあっさり引きちぎりおった」


「カトブレパスの毒眼……」


「そうだ。つい先日迷宮から部下が持ち帰ったのだ」


 征将フューリーが腰に掛かった脳を1つ手に取る。


「学者どもは関係ないというのだがな。式とその契約者をセットで使うと、実によく馴染なじむ」


「ジョセフ……さ……ん」


 ジョセフ=ノリス=ゲーテン。

 迷宮で北部の騎士小隊を率いていたものである。


「何だ。知り合いか」


 征将フューリーがニヤリとわらう。


「ならば、お前の精髄も並べてやらなければな」


 一瞬で怒りが頂点に達する。


 ルシウスは蚩尤を顕現させ、征将フューリーを斬りかかった。

 赤い大剣で受け止めた征将フューリーが、馬ごと吹き飛ばされる。


「ンッ!? 凄まじい攻撃力だな」


「邪竜、好きに暴れてきていい。ただし、目の前のコイツには手を出すな」


 獣兵にも邪魔をさせないため、ルシウスは蚩尤の影から数十体の鎧兵を出現させた。

 鎧兵たちが近くにいる獣兵へと襲いかかる。


 同時、邪竜の歓喜の声が辺りに響き渡る。


 寸秒置かずして、撒き散らされた炎のブレスにより、灰色一色の大地に焦げ跡だけが残される。

 一度のブレスで、数百の獣兵が灰へと還ったのだ。


 ルシウスたちの周囲にも、真冬とは思えぬ程の熱気が立ち込める。


 邪竜の降臨により、一気に戦場は混迷を極めた。

 

 後方にいる帝国兵が、右往左往していることが手に取るように分かる。


 だが、征将フューリーに焦りは見られない。


「凄まじい魔物だな。そして、その契約者のお前も、精髄の絞り甲斐がありそうだ」


「……その脳を返せ」


 ルシウスが剣を振るう。

 それをフューリーが大剣で再び受け止める。


 そのまま斬り合うこと20合。

 周囲の獣兵を、巻き添えにしながら、切り結ぶ。

 もはや剣がぶつかる音ではなく、鉄骨が叩きつけられるような音である。


 ルシウスの剣はことごとく、大剣に防がれる。

 一方、征将フューリーの斬撃は3度ほどルシウスへと届いた。それでも無傷。


「1級の魔物の魔石を50個ほど仕込んでいるのだがな。ただの斬り合いで半分が消し飛んだわ」


 フューリーは鎧に仕込まれた魔石に目をやる。


「だが、僥倖ぎょうこう。剣の腕は未熟、術式は稚拙ちせつ、鎧の式も本調子ではないと見た」


 冷たくルシウスが応える。


「関係ない。魔石が尽きた時が、お前の終わりだ」


 フューリーが笑った。


「なかなか豪胆な童よな。だが、神の雷光には全てが無意味よ」


 フューリーが手に取った魔導具に向かい何か呟いた。


 クーロン山の上空。

 空に飛ぶ飛空船の先端から、筒状の物が出てくる。


 竜を吊るしている船である。

 位置を調整しながら、筒をルシウスたちへと向けた。


 一帯に漂う高密度の魔力があって、なお分かるほどの魔力の奔流ほんりゅう


 吊るされた赤い竜と白い龍から、うめき声が上がった。

 魔力を強制的にしぼり取られているのだろう。


 ――あれはッ


 獣兵たちがルシウスへと群がる。

 反対に、征将フューリーは、馬を駆けらせ距離を置く。


 ルシウスの背後で獣兵と戦っていたユウは、不可解そうに筒を横目で見ながら、飛びかかるゴブリンを切り捨て続ける。


 だが、転生者であるルシウスには、それが何であるかは、概ね予想がついた。


 ――大砲ッ


 咄嗟に逃げようとしたが、背後に居るユウの姿がチラついた。

 今逃げれば、ユウに直撃する。


 群がる獣兵を無視し、盾を作り出した。


 盾に巻き付いた数本の鎖が、蛇のように独りでに動く。

 そして、鎖をアンカーのように地中深くへと打ち込んだ。


 ルシウス自身も、盾の先端を地面に深く刺す。


 魔力が満ち溢れた瞬間、筒から雷光をした魔力の塊が撃ち出された。


 ――やっぱりッ


 戦場の音と影を消し去る程の閃光。

 あまりの魔力量に大気が焼けているようだ。


 即時、ルシウスの作り出した盾へと雷光が直撃する。


「ぐうぅあああああッッ!!」


 蚩尤をしても防ぎきれない、鮮烈な雷光がルシウスの体内を駆け巡る。

 あまりの破壊力に、血が沸騰ふっとうするようだ。


 焦げ臭い匂いとジリジリという高周波のような音が鳴り響く。


 それでも、激流に逆らい、水をかき分ける岩のように、ルシウスの盾が放たれた光を割いた。

 いくつにも分岐した雷光は周囲の獣兵、家屋、そして空と大地をき飛ばす。


 光が収まったあとには、溶岩の真っ赤に溶けた大地に、盾を構え、立っている黒い甲冑。


 鎧の至る所に亀裂が入り、白煙が立ち昇っていた。


「ばかな……魔導砲を……防いだだとッ!? 攻城兵器だぞッッ!?」


 少し離れた場所でフューリーが驚愕きょうがくの表情を浮かべる。


 全身に走る痛み堪え、振り返るとユウが放心していた。

 だが、生きている。


 ルシウスは魔力を体中にみなぎらせ、再び一歩前へと足を進めた。

 フューリーが息を飲む音が聞こえる。


 一気に大地を蹴り、征将フューリーへと斬り掛かる。


「返せ」


 気を取りなおしたフューリーが大剣を構える。

 だが、一瞬の気後れがあだとなり、手にした大剣ごと右手を斬り飛ばされた。


「うッ」


 フューリーの顔が苦痛にゆがみ、落馬する。

 そのまま倒れかかった男へと、ルシウスが剣を胸へ突きつけた。


「お前たちのように苦しめることはしない。一瞬で終わらせる。最期に謝罪の言葉があれば聞こう。それで救われる人もいる」


 フューリーはつばをルシウスへ吐きかける。


「貴様ら猿に頭を下げるくらいなら、人間を辞めるほうがマシだ」


「そうか」


 フューリーへの胸へ刃を突き刺そうとした、その時、溶けて赤くなった大地に、何かが優雅に舞い降りた。



 軍服を着た青年だ。




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