第57話 縮魔の錬

 ルシウスとシャオリアは執務室で座禅を組んでいる。

 2人は向かい合って座り、お互いの両手を握り合う。


 迷宮を後にしたその足で、ルシウスは指定通りシャオリアの執務室を訪れたのだ。


「……魔力を」


 旅団長シャオリアが淡々とルシウスへと声を掛ける。


「はい」


 ルシウスの右手からシャオリアの左手へと魔力が流し込む。

 同時にシャオリアの顔が苦痛に歪んだ。


「もっと少なくして」


「わかりました」


 流し込む魔力量を調節しながらも続ける。

 ルシウスの魔力は、シャオリアの白眼魔核へと注がれ、その魔力がシャオリアの右手を介して、ルシウスの左手へと戻された。


 わずかな痛みが走る。


 ――魔力の密度が高い


 シャオリアから返される魔力は、密度が高い。受け取った高密度の魔力を、ルシウスは邪竜が居る騎手魔核へと流し込んでいく。


「これが【縮魔の錬】よ」


「魔力の密度を上げることで総魔力量をあげる、ってことですか」


 魔核の大きさは10才あたりで成長が止まる。


 器を広げず、総量を上げる方法は単純である。

 高密度の魔力にしてしまえばよい、という発想だ。


「そうよ。魔核の拡張以外に魔力を上げる方法は2つ。魔力の密度を上げる事と、偽核を取り込むこと」


 魔力をシャオリアへと与え続けながら、話しかける。


「でも、こんな方法があるなら、式と契約する前に教えてくれれば良いのに」


 魔核の等級を予め上げておけば、邪竜との面倒な誓約などしなくてよかったかも知れない。

 そう考えると、愚痴の一つも言いたくなる。


「魔力には精神が宿る。【縮魔の錬】では、どれだけ慎重にやっても他人の魔力が混ざる。式を介さず、大量に他人の魔力なんか交流させたら、最悪自我が崩壊するわ」


「言われてみれば」


 生後もない――転生間もない――頃に無理やり魔力を流れたときに苦しみが頭を過る。


「さっきから痛くないの? 魔力回復の応急処置でも嫌がる人も多いくらいなのに」


「普通に痛いですよ? でも、2年前まで毎日やってたので、むしろ懐かしいなって」


 朝とは違う、突き刺さるような眼差しが向けられる。

 まるで理解できない特殊な性癖を持っている人を見るようだ。


「……私も訓練で1級へ上げた人間。器だけで1級に上げたわけじゃないから、どれだけ助けになるかわからない」


 その後、二人は神経を研ぎ澄まし、魔力を循環させていく。

 回数を重ねる度、徐々に痛みが増していった。

 そして、30分を過ぎた今、ルシウスは神経を、直接、触られるかのような痛みに顔をしかめている。


 ――確かに、これはキツイ


 式と契約していない魔核に流れた魔力が、激しく体内で暴れているかのようだ。

 魔力が、直接、精神にさわる。


 苦悶に顔を歪めた時、突如、何かが脳裏をかすめた。


 町の裏通りである。


 ――なんだ?


 魔力に混ざった感情と記憶。

 それが像を結び、頭をよぎる。



『シャオは体が小さいから俺が守ってやる』


 町の裏通り。

 近所の男の子にいじめられた時、兄はいつも助けてくれた。いつも守ってくれた。



『俺も騎士になる。誰かが家を支えないとな』


 実家の居間。

 必死に涙をこらえる兄。

 騎士だった父が戦場で死んだという知らせを、受けたその日だった。兄は家の為に騎士になることを決めた。



『シャオまで騎士にならなくていいんだぞ?』


 町の酒場。

 久々に戻った兄からの言葉。

 予想した答えではなかった。もっと褒めてくれると思っていた。だが、結果は、悲しそうな顔を浮かべた兄だった。



『同じ部隊に配属されたからには、兄妹の温情は期待するなよ』


 駐屯所のホール。

 突き放すように言葉を念押しする兄。

 期待していたわけではなかった。それでも、ひどく寂しいと思った。



『もう泣くな。ほら、シャオの好きなイチジクを買ってきたぞ』


 私の部屋。

 上官にしかられた夜、一人塞ふさぎ込んでいたとき、汗だくの兄が部屋に来てくれた。

 季節外れにもかかわらず、甘い果実を手に持って。

 その表情は昔の兄のままだった。



『ああ……シャオか。俺、俺……戦場で人を……殺しちまった』


 兄の部屋。

 暗い部屋に1人、震えていた。

 眠れていないのか、酷く目がくぼんで見える。



『もう嫌だッッ! 怖い、怖い、怖い。いつ死ぬかもわからないッ。親父みたいに俺は死ぬんだ』


 廊下。

 一人、頭を抱え、床にうずくまる兄

 どうすることもできず、泣きながら兄を抱きしめることしか、出来なかった。



『シャオ、色々と迷惑かけちまったな。俺、やっぱり騎士を続ける。力になりたい人ができたんだ。生まれの州なんか関係ない。あの人についていく』


 食堂。

 兄の顔は明るく、背筋を伸ばしていた。

 かつて、いじめっ子から救ってくれた時のように。



 右腕から気持ち悪さがい上がってくる。

 右手に血でも塗りたくられたかのような不快感が全身に広がった。


 ――僕……が命を奪った……


 拒絶に近い反応を起こすと同時に、そこで記憶が途切れる。


「……何をしたの」


 眼の前には大人となったシャオリアが居た。


「恐らくですが、シャオリア旅団長の記憶を見ました」


「そう……式と契約してない魔核があるのよね。迂闊うかつだった。やっぱりあなたには、まだこの訓練は早い」


 シャオリアが手をほどき、立ち上がって背を向ける。

 ルシウスは、その背中に言葉を投げかけた。

 今、伝えなければ、と。


「……”なんで、もっと”、って言ってました」


「なに?」


「ブルーセンさんの最期の言葉です。僕には意味がわかりませんが、貴女になら分かるかもしれません。それと、見間違いかもしれませんが、最期は笑ってました」


 シャオリアは目をつむった。

 しばらく無言で思案したあと、ルシウスの前に座る。


「兄さんは……兄さんは、心を病んでいた。急に、暴れたかと思うと、翌日にはふさぎ込んで部屋から出てこれなくなったり。4年前、そんな中、出会ったのよ」


「誰にですか?」


「貴方と同じノリス北部出身の男よ。四大貴族の跡取りだった」


 北部の四大貴族の跡取り。

 今はオリビアしかいないが、もう一人居た。

 4年前の紛争で死んだオリビアの兄である。


「もしかして4年前に亡くなった……」


「そう」


「兄さんは、その男に心酔したわ。でも、それが駄目だった」


「どういうことでしょうか」


「酷い戦いだった。4年前、紛争で防衛戦が崩れたとき、帝国の戦帝と征将が出てきたの。辺境の市街地に、帝国の兵たちがなだれ込むのも時間の問題。もう終わりだと思ったわ」


 戦帝は何度か聞いた事のある言葉だ。

 確かユウは帝国の英雄だと言っていた。


「戦帝の名前は聞いたことがあります」


「あれは人の形をした厄災、手のつけようがない。その右腕である征将1人でも、師団長や旅団長クラスが隊列を組んで、やっとその場に抑え込める程度。それでも対峙した人の半分は死ぬわ。前の師団長と旅団長もその戦いで死んだ」


「どう対処したんですか?」


「住民を逃すために、誰かが時間稼ぎをする必要があった。そして、その男が……志願したのよ。今こそ貴族の責務を果たす時だって。…………結果は知っての通り。そして、心の支えを失った兄は本当に壊れた」


 シャオリアの気落ちした肩は、まるで過去に縛られているようだ

 暗く沈んだ背中は、どこか後ろめたさを感じる。

 

 たまらず朝から胸に抱えていた気持ちを口にした。


「シャオリア旅団長や中庭に集まった騎士たちは、僕を恨んでいるのですか?」


「………………………………わからない」


 即答できなかったのか、ずいぶんと間を置いてから応えた。


「わからない?」


「ホノギュラ領の騎士たちが、悪事を働いた事は知っている。それは仲間としても許せない。私が貴方の立場でも同じことをする。でも、私達の記憶にある彼らは、弱くて、みじめで、でも、とても人間らしい姿で止まってるの」


「そう……ですか……」


 真っ当な領主が指揮していれば、あそこまで悪辣あくらつにならなかったのでは、と思う。


 ホノギュラの騎士たちも町に火の手が回り、魔物があふれ、統制がなくなった状態でタガが外れてしまった。

 それが本性と言ってしまえば、それまでだが、火事場泥棒という言葉がある程度には珍しくはない。


「だから皆と話して、今朝の一戦に全てをぶつけることにした。勝っても負けても、それで一区切ひとくぎりできるんじゃないかって」


「そういうことだったんですね」


「ごめんなさい。貴方からしたら、ただの厄介事よね」


「まあ、唐突でしたよね」


「それで、過去を受け入れるという約束もした。……罰も受け入れるとも」


「罰?」


 シャオリアがルシウスを見据える。

 その瞳には覚悟の炎が灯っていた。


「いくら殴っても、いくら蹴り飛ばしてもいいわ。何なら殺してくれても構わない。だけど、あの場にいた団員の分も、全部、私が受け入れる。勝手だけど、それで手打ちにしてほしい」


「いや――」


「ちょっといいかな?」


 扉がノックされ、部屋の主が返事をしないまま、扉が開けられる。

 振り向くと、カラン師団長が立っていた。


「やあやあ、ルシウス卿。許す、許さないの判断に、間に合ってよかった」


 カラン師団長が手真似でびるように入ってきた。


「さっきは、悪かったね」


 相変わらず軽い雰囲気だ。


「迫真の演技でしたよ。それで、団員たちはどうですか?」


 この男の事である。

 既に、あの中庭にいた団員達から情報を集め終わっているだろう。


「いいね、想像以上の反応だよ。皆、飲み込めたらしいよ」


「いい気分はしませんが、結果としては毒づかれた程度ですからね。試合自体はフェアでしたし。それに師団の支援までしていただけるのであれば、文句はありません」


 要は、模擬戦を受諾させるために、喧嘩を売られたという話である。そして、ルシウスが買った。


 カラン師団長にいたっては、試合を提案して、真っ当に戦っただけである。

 むしろ早めに蚩尤を出させて決着を急かせようとした節すらあった。


 試合においても、予めルシウスの対策を施していたが、情報収集と対策など基本中の基本。むしろ、それをしないまま軽々に応諾したルシウスのほうに非があったとも言える。


「怒ってないのかい?」


「はい。ですが、一言くらいあってもいいのでは? 王命によって来ているのです。そこは信頼していただきたかった」


「うーん。例えばの話。事情はあれど、人を殺して平然としている奴が、どんな物でも切れる名刀を抜き身で持っているとしよう。信頼してくれと言われたら、君はその隣で寝れるのかい?」


「……できません」


「だろう? 君は邪竜や蚩尤という絶大な力を手に入れた。いわば抜き身の名刀そのもの。その刃が敵に振るわれるのか、自身へと突き刺さるのか、皆、気が気じゃないわけだ」


「僕が誰かに刃を突き刺す?」


「権力でも暴力でも、偶然、手に入れた力を、勝手気ままに振るい始める人間がいるのは歴史が証明している。本人は気持ちいいだろうけど、それははたから見れば、ただの腫れ物だよ」


「そんな事はしません」


「言葉で言われても信じられる人は少ない。それに陛下はもうご高齢だ。現王も今では随分と丸くなっておられるが、もともと清濁併せ呑んだタイプだよ。そうじゃないと王など務まらない。君に見た光を信じたいというお気持ちは、その反動だね」


「……陛下を疑うのですか」


「ははっ。まだ、その辺りの読みは甘いみたいだね」


 カラン師団長がルシウスを直視する。


「陛下はこういった事も、当然、十二分に想定されているよ。だからこそ、ノリス卿以外の四大貴族の反対を押し切って、君を一人で他州へ出歩かせてる。可愛い子には、厳しい旅をさせろっていう親心だね。そして、君が、あらゆる試練を乗り越えられると信じてるわけだ、健気けなげな乙女の様に」


 カラン師団長から笑顔が消え失せる。


「だけど、信じたいと言って盲目的に信じられるのは、未来を考えなくてもいい者と己以外に守りたいものが無い者だけだよ」


「……これからを生きる人の信頼は、権威ではなく、自らの行いで勝ち取れ、と」


 ルシウスの返答に満足したのか、カラン師団長が再び笑みを浮かべた。


「そういうこと。むしろお父様やウェシテ卿は、北部から絶対に出すな、できれば俗世から離れた辺境に金と女を与えて、飼い殺せと言ってたくらいだしね。まあ、美女たちとねんごろしてればいい生活、そっちの方が君にとっては幸せだったかもしれないけど」


 ルシウスの頭に、前世の記憶が蘇る。

 人としての名すら与えられず、呼ばれず、家の部品としての役割だけを押し付けられた人生。


「……僕は、僕を名で呼び、本当に必要としてくれる人の為に、生きたいと思っています」


「つまり?」


「そんな生活はまっぴらゴメンです」


「……そうか。それで、許すのかい? それとも、許さないのかい?」


 カラン師団長は、ルシウスの前に、座っているシャオリアへと掌を向けた。


 ルシウスはしばし考える。

 状況を固唾かたずを飲み、シャオリアが見つめている。


 1分ほど考えた時、ルシウスが動く。


 静かに腰に差した宝剣に手をかけたのだ。

 カシャリという目釘めくぎが擦れる音が響く。


 シャオリアの唇は固く結ばれ、毅然きぜんとしたままである。瞳は一直線にルシウスを見つめ、得心を帯びていた。


 カランは失望に近い表情を浮かべる。


 だが、カランとシャオリアの予想とは、全く異なる事が行われた。

 腰から鞘ごと剣を抜き出し、それを前に置いたのだ。



「兄君及び僚友りょうゆうの命を奪ってしまい、申し訳ありませんでした」


 ルシウスは深く頭を下げた。


 それも佩刀はいとうを自身の前に置いての謝罪。この国の貴族における最大限の謝罪である。


 シャオリアとカランが目を丸くした。

 見間違えではないのかと、何度もルシウスの後頭部に目をやるが、間違えようがない。


 二人とも何が起きたのか理解できないと言った様子である。


「僕は、もう一度同じことが起これば、また必ず手を血に染めます。それは罪には問われません。間違った事でもありません。……でも、ずっと言いようのない、後ろめたさが在りました。おそらくは人の命を奪った罰なのでしょう。だから、意固地にならず謝ることにしました」


「あ、あの、えっ」


 シャオリアは掛ける言葉が続かない。


「ははっははっ! これはかなり想定外だねッ」


 カランは額に手を当てて、大笑いする。

 一頻ひとしきり笑った所で、呆けたまま思考が停止したシャオリアへ促す。


「シャオリア旅団長、このルシウス卿の雄渾ゆうこんにどう応えるんだい?」


「ふぇっ!? いや」


「シャキッとしたまえ」


 カランの言葉にシャオリアは我を取り戻した。


「わ、私こそ、非礼の数々、申し訳ありませんでしたッ!」


 慌ててルシウスへと頭を下げるが、自身の佩刀を前に置きそびれ、必死に目で探し始めた。

 通例、佩刀を置いた謝罪を受け入れる場合は、自身の佩刀も前に置く。


 作法としては知っているが、混乱していた上に、滅多にないことである。すぐに対応できなかったのだ。


 その様子を見たカランが、ため息を付いた。


「仕方ないね。部下の責任は上司にある」


 カランが佩刀を前に置き、頭を深く下げる。


「申し訳ありませんでした」


 高貴な3人が、部屋の中で床に座ったまま、全員が頭を下げ合うという不可解な光景である。


 しばし間を置いて、一人立ち上がったルシウスにカランが声をかけた。


「話は変わるけど、よければ南部に来ないかい? 君の力を発揮できるだけの待遇はソウシ=ウィンザーの名において約束する」


 笑ってはいるが、カラン師団長の目は真剣である。


「僕は父のあとを継いで、シルバーハート領の男爵になります」


「振られちゃったか、残念。だけど、ノリス卿は当然として、陛下とエスタ卿が君に肩を入れる理由はよく分かったよ。1級の【偽核】、見つかるといいね。心からそう願う」


「はい、ありがとうございます」


 ルシウスは笑顔を浮かべたまま、部屋を後した。


 廊下を歩く、足取りはとても軽い。

 ここ数ヶ月、いや2年ぶりと言っていいほど、心が晴れ渡っている。


 右手を眺めながら、手を開閉あけしめした。

 ずっと感じていた右手のうずきは、ほとんど感じない程に小さい。


 望まないまま力を得た。

 その力ゆえに、これからも多くの罰を背負っていくのだろう。

 正当性を盾に、罰から目を背けることは簡単である。


 だが、それは自分でない気がした。


 ――うん、こっちの方がずっと自分らしく生きていける

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