第30話 旅立ち
「今、家を出ろって言った?」
ルシウスはいつも通り、朝食のために席についていた。
だが、ローベルの口から出た言葉は、いつも通りではなかった。
「そうだ」
ローベルが強くうなずく。
「いや、父さん。突然過ぎて、意味が全然わからない」
この世界には義務教育はない。
通常、貴族は家庭教師を付けて、教養を身につける。
そのため、基本的に子供は家を出ること無く成人を迎える事が通例である。
大学などで高等教育を学ぶために、家を出ることはあるが、大学へ行く人間は貴族でも数人に1人程度だ。
ちなみに、領民は日本で言う寺子屋のような寄り合いにより、教育を受けており、その費用は通常領主が負担する。
「いやな、俺もそうしたいわけじゃないんだが……王命だからな」
「王命って、この前の?」
「そうだ」
「それが、家を出ることと何の関係があるの?」
「この辺りに居る魔物は大半が騎獣に適したやつだって、知ってるよな?」
魔物の生息域には偏りがある。
たとえば、北部の魔物は左手に宿る騎手魔核を介して契約するものが多い。
同じ様に、西部は右手に宿る砲手魔核、東部は目に宿る白眼魔核、南部は口に宿る詠口魔核を介する魔物が多く生息する。
北部の騎獣を駆る文化は、貴族たちが決めたことではなく、魔物の生息域から自然と形成されていったものである。
「うん、それは前、聞いたよ。でも居ないわけじゃないんでしょ?」
「居るに入るんだがな、数が少ない。どうやら陛下は1級の魔物と契約することを前提としておられるらしい」
「1級か。探すのは苦労しそうだね」
魔物は階級が上がれば上がるほど、生息数が減る。
ただでさえ、騎手魔核以外の魔核に対応する魔物が少ない北部である。
「と、なると居るかもわからないものを探すことになる。陛下はそれぞれの地域に赴き、然るべき魔物を式にせよとの仰せだ。そのための爵位だ」
――なるほど。こうなるのを見越してたのか
王命は下った。
どの様に式を得るかを考えていた矢先だったが、まさか王自ら
「だがな、場所が問題だ」
「どこになったの?」
「まずは東部だ」
エミリーが
「東部!? でも、東部は帝国との紛争が……」
「大丈夫だ。まだ成人前のルシウスが戦いへ駆り出されるはずはない」
「本当に大丈夫かしら……」
エミリーが心配そうに瞳をうるませる。
父の説明によると、王命は下ったものの、東西南の四大貴族が、ルシウスを迎い入れる事に対して、なかなか首を縦に降らなかったらしい。
理由は今回の契機ともなった邪竜である。
式に降ったとはいえ、自身の領地に邪竜を迎え入れたい領主などいるはずもない。
しかも、何の縁もゆかりも無い男爵家の子息。
暴れられでもしたら、目も当てられない。
当然、議論は
現王の一族である西部の公爵ですら、王都の治安を盾に拒否したのだ。
国の食糧庫である南部は、秋の収穫の最中で、今は手が離せないと断った。
無論、表向き上は時期の調整中という形で収めてある。
結果、これと言って断る理由のない東部が押し付けられる形となったのだ。
また、隣国との紛争を抱える東部では、暴れられるなら最悪、戦にでも投下すれば良いという判断もあったそうだ。
直近で起きた大規模な戦闘は、2年前。
つまりオリビアの兄が死んだ戦いである。
それ以降、両国間ではにらみ合いが続いており、戦闘行為はかなり小規模でしか起きていないらしい。
「ローベル、本当にもうダメなの? もし戦いが起きて帝国の戦帝なんかが襲ってきたら……」
エミリーはまだ不安げだが、ローベルも受け入れる訳にはいかない。
「王命に逆らうわけにはいかない」
戸惑う母エミリーへ、ルシウスも話し、掛ける。
「大丈夫だよ、母さん。要はこの前のオリビアみたいに契約するまで他の貴族にお世話になるって話でしょ? 大したこと無いよ」
軽口を叩くが、式との契約は数ヶ月かかることもある。さらに同じ州内での移動では無いため、往復には時間も要してしまう。
また式を得られる時期には限りがある。
貴族も領民も式のためだけに生きているわけではない。
どうしても生活に影響が無い範囲で、ということになる。
今期の収穫期を逃せば、1年以上、家には帰れないかもしれないのだ。
2人の顔が強ばる。
「この前みたいなのは本当に無しにしてくれよッ!」
「ルシウス、本当にお願いよ」
両親の熱い視線を感じる。
――全く信用されてないな
「まあ、きっと大丈夫だよ。今度は式もちゃんと居るし」
ルシウスは左手をかざした。
「まだ魔力が馴染んでないだろ。無理は禁物だ」
契約をしたとはいえ、もともと人と式は別の生き物である。
その魔力が同じ肉体に収まっているのだ。見方次第では、歪な状態とも言える。
そのため、時間をかけてお互いの魔力を馴染ませ、同一のものとする必要がある。
魔力が馴染んでいないと、式の術式を行使するために消費する魔力が増え、顕現させた状態を維持する為に必要な魔力も莫大となる。
魔核を通じ、人と式の魔力を時間を掛けて、混ざり合わせる事で自然と馴化が進む。
「大丈夫。僕は人より魔力が多いから、多少は邪竜の術式は使えるよ。ただね……術式がなぁ」
ルシウスはため息をついた。
邪竜を式としたことで得られた術式は3つある。
魔力感知、竜炎、圧黒(仮)である。
魔力感知は大体どの魔物を式としても、得られるものだが、残りの2つは邪竜だからこそという力である。
竜炎はルシウスの祖先、ドラグオン家の開祖が従えた竜も保持していた術式である。
圧黒(仮)は周囲の全てを吸い込み圧殺させる術式だが、オルレアンス家によれば前例が無い術式ということで今の所、仮名となっている。
ルシウスとしてはあまり名前にこだわりは無いためこのままで良いと思っているのだが。
問題はこの2つの術式。
ともかく使い所が難しい。
ローベルも同意する。
「あれはダメだな。威力が強すぎる。岩すら溶かす炎術とか、地面ごとすり潰す闇術なんて何に使うんだ」
「だよねぇ」
ローベルと共に何度か、術式を試したが、威力のコントロールが難しい。
どれだけ抑えても高い殺傷能力を有するため、使用するときは、相手を殺してしまっていいときに限られる。
当然、そんな機会など滅多に無い。無い方が良い。
「ま、10歳で契約できたんだ。これからだ」
「まあね」
貴族は10歳で魔物を式とする。
例外はあるが、多くの貴族がそうするのは理由がある。
先述の通り、魔力を馴染ませるためである。
式の魔力を強く結びつかせるために、時間を要する以上、成人する16歳までになるべく契約を済ませておくに越したことはない。
あまり遅くに契約してしまうと、成人後に式の力を十分に発揮できない。
それでは貴族としての責務を果たすことができないと言われているが、明け透けに言ってしまえば、なめられるのだ。
だが、それは政治が主体の貴族の話である。
ドラグオン家の様に魔物の生息域を管理する家では、それはより深刻な問題となる。
だからこそ、ローベルも10歳でルシウスへ式を与えた。
まさかそれが邪竜となるとは想像もしていなかったようだが。
「じゃ、とりあえず東部へ行ってくるよ」
「どうした。思った以上に前向きじゃないか」
「だって、見聞を広げるのは良いことだし、実際、情勢とかは知らなかった」
今回の度は、国を知る良い機会である。
また東部には式の進化が報告されたというクーロン山という場所があるらしい。
さらに、オリビアが赴任したタクト領も東部だ。
生きるために行くべき目的と、力になりたい少女が居るという事は、前向きになる一因でもある。
「そうか。今はあまり無いが、昔、上級貴族の子息は、成人前後に4つの州を周遊したらしいからな。きっといい経験になる」
ローベルがニカッと笑う。
「そうだね。それに同い年のオリビアが1人で頑張ってるんだし、式くらい僕も降していかないとね」
「……1級の魔物を式とする事を、”くらい”と表現するのは、おそらくお前だけだぞ」
「邪竜と比べるとね、どうしても、さあ?」
「ま、まあな。ともかく肩肘を張る必要は無いが、適度に緊張感は持っていけ。魔物と対峙するときは――」
「全身全霊で、でしょ」
何度もローベルに言われた言葉を復唱する。
「分かってるならいい」
ある程度納得できたローベルと違い、エミリーはまだ不安そうである。
「本当に大丈夫なの……」
「いや、むしろいいタイミングかもしれん。
竜が見つかったのは100年ぶり。
以前、竜が現れたのは戦乱の最中だという。
戦争に疲弊した国を焼き払ったという記録がある。
父ローベルは、この北部に何らかの騒乱が起こる兆しを予見しているように思えた。
「父さん、母さん、マティルダさんも気をつけて。何かあれば邪竜で飛んで帰ってくるから」
慰めるルシウスの言葉を、遠い目を浮かべながらローベルが応えた。
「それは楽しみだが、翌日には上を飛ばれた領主たちから苦情の嵐だろうな」
エミリーも笑いながら嗜める。
「本当にやめてよね」
無理に明るく笑う父と母の姿が、更に不安を募らせる。
シルバーハート領の平穏を祈らずにはいられない。
そして、2日後の朝。
ルシウスは村の広場にいた。
「ルシウス様、お元気で! また立派な式を降してきてください!」
「お元気で。クッキーを焼いたので、道中に食べてください」
「ルシウス坊や、風邪を引くんじゃないよ」
村の面々が、馬車に乗り込む前に、思い思いの言葉を投げかける。
「分かりました! すぐに帰ってきます!」
人をかき分けて、双子が近寄った。
「ル、ルシウス。本当に行っちゃうの? すぐに戻ってくる?」
「こら、ポール。ルシウスは王様の命令で、仕事にいくんだ。ちゃんと送り出してあげないと」
――この双子は変わらないな
3歳の頃に受けた【鑑定の儀】では双子が同行したが、今回は当然、1人での旅立ちである。
「キール、ポールも元気で。どっちが早く式を使いこなせるか、勝負しよう」
「いやだよ。だって、ルシウスの式、怖いもん……」
「任せとけって。ちゃんと乗りこなしてみせる。帰りは迎えに行ってあげるから」
「それは楽しみだね」
ルシウスは村中の人に見送られながら、馬車に乗りこんだ。
馬車のすぐ横には、両親とマティルダが立っている。
母エミリーは大きなお腹を擦りながらも、馬車まで見送ってくれたのだ。
――ああ、生まれてくるまで居たかったな。
少しの寂しさを覚えていると、マティルダが前へ進み出て、一言だけルシウスへ伝える。
「ルシウス様、いってらっしゃいませ。お帰りをお待ちしております」
マティルダの目には疑うような視線はもう込められていない。
姉が弟の門出を祝うような、そんな表情だ。
「ええ、すぐに帰ってきますよ」
ルシウスは馬車の扉を締めた。
「では、行ってきます」
大きく手を振ると、ルシウスを乗せた馬車は村をゆっくりと走り出す。
人生で初めての1人旅である。
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