第28話 収穫祭の夜

 夕方、ルシウスと父ローベルはシュトラウス卿の城の一室へと通された。

 田舎の貴族とはいえ男爵である。

 豪華な客間があてがわれた。


「なんか、落ち着かないね」


「そうだな……この壺とか割ったらどうなるんだ」


「また領地を削られるんじゃない」


「気をつけるか。……それよりルシウス」


「ん?」


 ローベルが眉根まゆねを寄せて真剣な顔となる。


「なあ、ルシウス。俺には難しい事はよくわからんが、信じることはできる。何か必要な事があれば言ってくれ、俺ができることは全部する」


 先程グフェルから聞いた邪竜の話だ。

 契約した邪竜が望む力、すなわち進化をさせないとルシウスは邪竜に喰われてしまう。

 契約した邪竜が何を望むのかも分からなければ、どうすれば進化させることができるのかも見当がつかない。


「ありがとう。大丈夫だよ、僕は必ず立派な男爵になるから」


「そうか、やっぱり俺の息子だな」


 ローベルがルシウスの頭をクシャクシャと撫でる。


 ルシウスは照れ笑いしながら、部屋の窓へと視線を移した。

 窓から見える城下は何やらお祭りの様相だ。


「父さん、あれは何なの?」


「収穫祭だな。小麦の収穫が終わった時期に開催される」


「へえ、大都市だとこんなににぎわうんだ」


 もちろんシルバーハート領でも収穫祭はあるが、祭りというより集会のようなものだ。普段よりいい料理をみんなが持ち寄り食べるだけのささやかなものだ。


 トントントン、扉を叩く音が聞こえた。


「どうぞ」


 ルシウスが声で返事をする。


「入るわよ」


 オリビアの声だ。

 扉を開けたオリビアの左手は本を抱えていた。


「どうしたの?」


「こ、これ。私の本」


 オリビアが片手で本を突き出した。


「本?」


「ほら、森の中で言ってたでしょ。国政とか、創世記とか読んだこと無い本があったら貸してって」


 邪竜を式にした後、ルシウスはオリビアから北部の状況等を聞いたときにお願いしたことだ。


 ルシウスにとっての目標は男爵。

 男爵の仕事は小さな領地の管理である。日本に置き換えれば村役場に近いイメージだろうか。ルシウスのもっぱらの関心は村の運営であった。

 そのための勉強をしてきた。もちろん大事なことである。


 だが、国政に関してはオリビアに比べて知識が足りていなかった。

 オリビアから聞く話はどれもルシウスが学んできた政治とは、言葉は同じでも内容が違った。


 ルシウスは国政に興味はやはり無いが、知らなければ、いざという時に対応が遅れてしまう。そのため、知識として理解しておきたいと考えた。


 ちなみに創世記に関してはただの興味である。


「ありがとう」


「別にいいわよ」


 本を受け取ったがオリビアは扉の前に立ったままだ。

 不自然な事に、オリビアは右手を背中へ隠している。


「右手は何を持ってるの?」


「ひぇッ!?」


「いや、そんなに驚かなくても」


「何でもいいじゃない」


 オリビアが声を上げた瞬間、何かが落ちた。


 ――仮面?


 床に落ちたのは犬か狼を模した仮面である。

 犬だが角が生えている。

 奇抜な模様が描かれており、花柄まで付いている。


「あっ、いや、これは」


 オリビアが、慌てふためいた。


「お、それは収穫祭の仮面じゃないか」


 ローベルが後ろから声をかける。


「収穫祭の仮面?」


「ああ、サテュロスっていう豊穣ほうじょうをもたらす魔物の仮面をつけて祭りにみんな参加するんだ」


「魔物の仮面を?」


「詳しいことは知らんが、サテュロスの子供が人の街に遊びに来れるように、祭りの間はみんなが仮面を被って祭りに参加するってしきたりらしいぞ」


「それじゃ今からオリビアは祭りに参加してくるんだ。楽しんでおいでよ」


「えっ」


 ルシウスの背後で、ローベルがニヤニヤと笑った。


「ルシウス、お前も一緒に行って来い」


「いいよ、オリビアの邪魔しちゃ悪いし、借りた本も読みたいし」


「この時期に州都に居ることなんて滅多に無いぞ。聞くだけじゃ無くて見れるものは若いうちに直接見ておけ。嬢ちゃんもそう思うだろ?」


「わ、私はどっちでも!」


 やや食い気味に答える。


「だ、そうだ。ルシウス、行って来い。それに仮面は一つ予備があるんだろ? 嬢ちゃん」


「あり……ます」


 オリビアの隠していた右手からもう一つの仮面がでてきた。


「それなら行ってみようかな」


「本当!?」


 オリビアの表情が明るくなった。


 ルシウスは黒い狼の仮面を拾うとそれをかぶり、顔がすっぽり覆われる。

 同じ様にオリビアは白地の犬の仮面をかぶった。


「じゃ、父さん。見てくるよ」


「おうッ。青春してこい」


 ――青春?


 ルシウスは頭に疑問がわきながらもオリビアと2人で城から抜け出して、城下町へと降りていった。


「屋台だらけだ。それにすごい人」


 久々に見た人がひしめく通り。

 皆、仮面を被っている。

 仮面は色とりどりで、中には犬でも狼でもない形のモノを被っている人も多い。

 もはやサテュロスというのは形骸化しているのかもしれない。


「ルシウス、せっかくだから屋台で何か買いましょう」


 オリビアがいつもより明るい声でルシウスのそでを引く。


「そうだね。少しお腹へっちゃった。何にしようかな」


 2人で屋台を回る。

 元々が魔物の子供を迎えるという伝承で始まった祭りであるためか、羊の肉や鳥の肉を売っているところが多い。


「ルシウス、あれも買いましょう」


「そんなに買っても食べれないでしょ」


「いいの」


 ルシウスの手を引くオリビア。

 2人は屋台でめぼしいものが目に入る度に買っていく事となった。


 ――お小遣いは全部なくなったなぁ


 30分も歩いた後は、ルシウスとオリビアの両手には持ちきれないほどの食べ物とお菓子が握られていた。


「やっぱり買いすぎでしょ」


「これでいいのよ。ルシウス、こっちに来てくれる?」


 ルシウスは前を歩くオリビアに連れられるままに歩いていく。

 徐々に、屋台の明かりが遠のいて、辺りは薄暗くなった。


「オリビア、こっちには屋台は無いんじゃない」


「そうよ、無い所に来てるんだから」


「なんで?」


 オリビアは応えない。

 祭りで賑わう大通りから外れた通りにある広場で立ち止まった。


「来たわよ」


 オリビアが声をあげる。

 すると、広場の端から大勢の人影が動き始めた。


 ――何か居る


 ルシウスは買ったものを握ったまま、腰に掛けた剣へと右手を寄せる。


「あ、お姉ちゃんッ!」

「本当だ。やっと来てくれた」

「遅い! 去年はもっと早く来てくれた」


 広場の周りから、ぞろぞろと小さな影が近づいてくる


 ――子供?


 よく見ると皆、子供たちだ。

 ルシウスたちよりも小さな子供から年上の子供達まで居る。


 子供たちが一斉にルシウスたちへと群がった。

 ややすえた臭いがする。

 数日風呂に入っていない上に、香水なども付けてないのだろう。


「待ちなさい。まずは小さな子から選んでもらうから」


「「「はーい」」」」


 一番小さな子。おそらくまだ4歳ほどだろうか。

 子供が半分ふざけながらオリビアの手から羊肉を取った。


 次は少し年上の子供へと、順々に子供たちが続いていく。


「あれ、今年はお兄ちゃんも居るんだね。ここ何年か、見なかったのに」


 子供達の中でも比較的年上の女の子が声をあげた。


「……そうよ。久しぶりに東部から戻ってきたの」


 ――戻ってきた?


 戸惑うルシウスの前に子供が並んだ。


「くーださい」


「あ、うん。どうぞ」


 ルシウスも差し出した。

 小さな子供は目を輝かせて、ルシウスが握る菓子や肉を見る。

 悩んだあげく、飴菓子を選んでいった。


 どんどん列が長くなり、次々にルシウスが買ったものが消えていく。

 そして、ルシウスとオリビアの買ったものがほぼ同時になくなった。


 子供たちは皆、広場の縁石えんせきに腰掛け、満足そうに食べている。

 その様子を眺めながら、ルシウスは広場のベンチへと腰を掛けた。

 横にオリビアがそっと座る。


「孤児?」


「そう。街の孤児院に居る子達。あの子たちには祭りで物を買うお金はないから」


「だからオリビアが買ってあげてるんだ」


 子供たちの話からすれば、おそらく毎年やっているのだろう。


「そうよ。屋台を出している人たちにも生活はあるから、孤児達には無料で配れなんて言えないもの。だから私のお金でやるの」


「立派な行いだな」


 オリビアの表情に影が射す。


「私は真似ただけ。始めたのはお兄ちゃん」


「お兄さんはたしか」


「亡くなったわ。今、ルシウスがつけている仮面はね、お兄ちゃんが毎年つけていたものだから、みんな間違えたのだろうけど」


 途中で何人かの子供たちが声をかけたのは、オリビアの兄と間違えたのだろう。


「……そうか」


 ルシウスも前世で兄を亡くした。

 オリビアの兄のように立派な人ではなかったが、自分にとっては優しく頼れる兄だった。


「お兄ちゃんはいつも言ってた。貴族とあの子たちの違いはなんだろうって」


「違いか。あんまり考えたことはなかったな」


 もともと小さいときは貴族など辞めると思っていたのだ。

 立派な男爵となると決めたときから、意識しているが、特に領民と違いがあるとは思っていない。同じ人間だ。

 まだ前世の感覚が影響しているのだろう。


「自分たちが食事にも困らず、寝る場所もあって、沢山勉強できる。そんな環境にあるのに、なんで親に捨てられたり、親を失って生きていけなくなる子供がいるのか、って。お兄ちゃん、いつも憤ってた」


「お兄さんは、優しい人だったんだな」


「責任感だけは一人前だったのよ。貴族が居るのは、領民が背負うべき苦しみを減らすためだって、ずっと言ってた。あの子達の中には、紛争で親を亡くした子も多いの」


「紛争、か」


「自分が行って早く終わらせるんだって……。それが自分の責任だって。そう言って、死んで帰ってきたわ」


 オリビアの瞳から涙がこぼれた。


「本当にお兄ちゃんは、優しいし、頭も良かった。ついでにイケメンだったし。けど肝心な所でいつも駄目よね。お父様とよく似てる」


 子供たちを見る深い蒼色の目に、後ろめたさが刻まれているように思えた。


「……後悔、してるの?」


 オリビアは、はっとルシウスの方を向いた。


「……うん。私ね、お兄ちゃんが東部に行く日に言ったの、『頑張ってきて』って。あの時は、お兄ちゃんが死ぬ事なんて全く考えてもなかった。あの時、泣いてでも、お願いしてれば良かったんだ。行かないでって」


「オリビアは、悪くない」


「ううん、私の気持ちの問題。それ以来、私は後悔しないように、行動するべきときは行動しようって思ってたけど、ルシウスにも迷惑を掛けちゃった。やっぱり似たもの同士の兄妹だったみたい」


「森での事なら、もう気にしてない」


「……ありがとう」


 オリビアが視線を空へと向けた。

 どこでもなく、過去を見ているのだろうとルシウスには感じる。


「今日、グフェル様の話を聞いて思ったの。お兄ちゃんの式は故郷まで帰ってくるのは待ってくれたけど、お兄ちゃんを食べてどこかへ消えたんだって」


「魔物との契約が、そういうモノらしいね」


「ねえ、ルシウス。貴族って一体なんだろうね。人より良い暮らしはできるけど、領民の為に生きて、戦って、最後は自分の体も魔物に捧げるって」


 この世界は簡単に人が死ぬ世界である。

 皆が皆、自身の為に生きる世界であれば、間違いなく弱者から切り捨てられていく。

 今、目の前で肉や菓子を頬張ほおばる子供たちが最初だろう。


 誰かが、そのために立たねばならない。

 それも魔力を宿すには生後間もないときに、決めなくてはならない。

 本人の意思ではなく、そういう役割を担う一族が必要なのだ。


「それでも、居ることには価値がある存在だって僕は想いたい。そう思われる存在となりたい」


「……あなたはいつもそうね。ねえ、なんで貴方はそんなに強いの? 」


 強くなどない。

 前世では自分が自分のままでいる事を許されず、家の奴隷であり続けることを強いられた。

 本当の意味での名前すら与えてもらえなかった。


 そんな時代には絶対に戻りたくない。

 自分をなら、どれだけの犠牲を払ってでも達成してみせる。


 ――それが自分の存在価値だから


「……強くないよ。それより今日の祭りは終わりみたいだね」


 ルシウスは1人立ち上がる。


「待って、教えてよ。私も貴方のようになりたいの」


 ルシウスには答えられない。

 自分は十数年前世で生きた。転生してからも生後一ヵ月で自我に芽生え、あらゆる事をやってきた。

 いわば、下駄を履いて生きてきたのだ。


 ルシウスからすれば、わずか10歳の少女が、家族の死や貴族の責任と向き合い、それでもなお、前へ進もうとしている方が強いと思う。


「オリビアの方がずっと強いよ」


「茶化さないで」


「ほんと――」


 突然、2人以外の声が響いた。


「ねえねえ、お肉いらない?」


 振り向くと犬の仮面と角をつけた子供がベンチの後ろに立っていた。


 ――孤児かな


「大丈夫だよ、食べていいよ」


「だって、お兄ちゃんとお姉ちゃん、とってもお腹が減ってるでしょ?」


 そう言われればお腹が減っている。

 食べようと思って買った物を、1つも食べられていない。


「減ってるけど」


「なら、どうぞ」


 少年は半ば無理やり肉をルシウスへ手渡してきた。


「ありがとう」


「一本しか無いから、おねえちゃんも一緒に食べてよ」


「えっ、あ、ありがとう」


 そう言うと、少年は振り返り、広場から続く狭い通りへと進んでいく。

 渡された串をルシウスとオリビアが、きょとんと見つめた。


「あと、お兄ちゃん。邪竜を封じてくれてありがとう。お陰で畑は豊かなままだったよ」


「ああ、それはいいよ、半分成り行きだか――え?」


 ルシウスが邪竜を式にしたことは隠されてはいないが、今は仮面をつけている。

 初対面の少年だ。

 顔を隠している状態で、確信を持てるほど自分を見知っているとは思えない。


 慌てて顔をあげると、少年は既にどこにも見当たらなくなっていた。


 人は特殊な式と契約している者でなければ、他人がどの魔物と契約しているかはわからない。

 だが、魔物の中には、人の魔核に潜む式の気配を感じ取れるものも居ると聞く。


「……もしかして、本物のサテュロスの子供」


 お互いの顔を見合って呆然とする2人だった。

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