第27話 契約とは

 森を貫く街道を、ルシウスは馬に揺られていた。


「もう随分と馬に乗るのも上手くなったな」


 同じく馬に乗る父ローベルが隣へ並び話しかけてくる。


「かなり練習したからね。北部の貴族は馬に乗れて一人前だって父さんもよく言ってたし」


「騎獣に乗る感覚は馬に似るからな。小さい内から慣れてて損はない。まあ、竜に乗るのが馬と似てるかは正直わからんがな。アイツ、デカすぎだろ」


 豪快ごうかいに笑うローベル。


 似るとはいえ、式との間には魔力による繋がりがあるため、手綱たずなやあぶみなどはなくても意思を伝えられる。

 常時動いている生き物の上でも、崩れない体幹やバランス感覚を養うという意味である。


「確かに、振動は大きいかな。あ、州都が見えてきたよ」


 ルシウスが指を差す。


 人生で2度目の州都バロンディアである。

 邪竜を式に従えてから2日経った今日、シュトラウス卿達と共に州都へ同行することとなった。


「お、やっと着いたか、ルシウス、後ろにいる馬車へ伝えてやれ」


「うん」


 ルシウスは馬の歩みを遅くする。

 何人かを見送ると、4頭の馬が引く豪華なキャリッジ式の馬車が見えてくる。


 ルシウスは馬を走らせて、馬車を繰る御者へと話しかける。


「州都バロンディアが見えてきました」


「そうですか。坊っちゃん、わざわざすみませんね」


「いえ、乗られているシュトラウス卿も知りたいでしょうし。では」


 ルシウスが再び馬に早足をさせようとした時、馬車の窓から青い髪がなびいた。


「ルシウス、何か用!?」


 少女の声が響く。


「ああ、オリビア」


 ルシウスは馬を馬車の窓の横へとつける


「州都が見えたって御者のおじさんへ伝えただけ」


「ふーん」


 オリビアは不満げに目を細めた。


「じゃ、行くよ」


「もう行くの? もう少しここに居たら?」


「ん? 何で?」


「何でって。それは――」


 オリビアの目が泳ぐ。

 馬車の中で、腰掛けるシュトラウス卿と夫人へと視線をつなぎ、式の記録と研究を司るオルレアンス家の前当主グフェルで止まる。


「グフェル様。そう、グフェル様と私達が契約した式の話をしないと!」


「それは州都に着いてから話すことになってるだろ?」


「なら、お父様とは!?」


 シュトラウス卿が目を丸くした。

 自分へ話を振られると思っていなかったようだ。


「シュトラウス卿と馬上で会話なんかしたら不敬でしょ」


「なら――」


 オリビアが次の話題を探そうとした時、グフェルがたしなめる。


「ノリスのお嬢ちゃん。それくらいにしておあげ」


「グフェル様、これは婚約者同士の理解を深める為の大切な会話です」


「婚約はシュトラウス卿の預かりとなったのだろう?」


 オリビアがルシウスを王配とする件については、シュトラウス卿が預かる話となった。

 というのも、ルシウスが邪竜を従えたことにより、個別の家だけで結婚を決められるような話ではなくなったのだ。


 ルシウスを婿に迎え入れることで、政治的な発言力を強くしたい家はそれこそ国中に出てくるに違いない。


 なし崩し的に寄り親であるノリス・ウィンザー家が抱え込んでしまった場合、政敵を増やしかねない。

 また、ルシウスは【鑑定の儀】の際に、現王から宝剣を下賜かしされている。

 考えようによっては、シュトラウス卿よりも先に現王がルシウスを庇護下ひごかに置いたとも言えなくもない。


 今回の失態があったシュトラウス卿はルシウスという爆弾を慎重に扱う必要がでてきたのだ。

 そのため、オリビアとの婚約は現王と相談し沙汰を仰ぐこととなった。


「……それはそうですが」


 シュトラウス卿は参ったという表情を浮かべる。

 夫人が面白そうに一連の様子を眺めながら、諭すようにオリビアへ話しかける。


「恋に夢中になるのはいいけど、オリビアにはなすべきことがあるのでしょ?」


 オリビアの目から桃色が抜け落ちて、深く蒼い目となる。


「お母様、もちろん分かっております」


「なら、困っているルシウスをもう解放してあげなさいな」


「べ、別に拘束しようとしてるわけではありません」


「だそうよ。ルシウス」


 夫人が目だけが全く笑っていない笑みをルシウスへ送る。

 おそらく引けという事だろう。


 ――きっと裏の北部の盟主だな


「では、これで失礼します」


 ルシウスは馬上で敬礼した後、父ローベルが走る一団の先頭まで馬を早めた。


 すぐに城壁に囲まれた州都バロンディアへと入り、シュトラウス卿の帰還を祝う市民達の間を縫うように居城へとたどり着く。



◆ ◆ ◆



 城の中心にある居住区。


 来客をもてなすホールや来賓が寝泊まりする場所よりさらに城の奥であり、普段主であるシュトラウス卿や夫人が暮らす場所でもある。


 その区画の一室。

 一際、豪華な部屋へと通された。

 広い部屋の真ん中に、複数のソファーとテーブルが置いてあるだけの部屋。


 防犯上の理由で、他の部屋や通路に囲まれており窓は無く、昼間でも薄暗いが、密談には最も適している場所でもある。


 ソファーへ腰掛けたのは6名。

 ルシウスと父ローベル。

 北部の盟主シュトラウス卿、夫人、オリビア。

 式の記録を司る一族グフェル。


 離れた壁際かべぎわに騎士数名とメイドが控えている。

 今まで嗅いだことも無いほど香ばしい紅茶が、全員の前へと置かれると、グフェルが口を開いた。


「さて、オリビア嬢とルシウスの置かれた状況について話をしておかないとね」


 グフェルが一口紅茶を飲む。

 森から帰宅したのち、起きたことについては全て報告してはある。

 だが、グフェルがどうしても内密に話したいことがあるとのことで、州都バロンディアまでルシウスたちも同行することとなったのだ。


「2人とも通常ではないやり方で式と契約したようだね」


 オリビアの両親とローベルが息を飲む。


「何かまずいことでもありますか?」


 ローベルがたまらず声をあげる。


「順を追って説明しようかね。オリビア嬢とルシウス。なぜ魔物は人と契約するか知っているかい?」


 グフェルに問われたことに答えられない。

 この世界はそういうものだと思っていた。


「わかりません」


「私も」


「まあ、これ自体は重要な話じゃないが、この後に続く状況を説明するために知っておいてもらいたいのさ。――魔物にとって、人はさなぎの殻なのさ」


さなぎの殻?」


「そうさね。蝶は、幼虫からさなぎを経て蝶となる。それと一緒さ」


「よく意味が分からないのですが、何かの例えでしょうか?」


「そのままの意味さ。魔物は自然界で魔力を取り込みながら成長する。だが、どこかで限界に達するのさ。どこが限界かは種族次第だがね。そこで、自らの身体を再構築することで次の段階へと進む。その際に体を一時的に委ねる殻が、人というわけさ」


「……ということは人を通じて、すべての式は、姿形を変えるということでしょうか?」


「いや、大抵変わらない。次の形へ進めるのはごく僅かな例だけだよ。わかり易い例がここにあるじゃないか」


 グフェルはオリビアと父ローベルを見る。


「え?なに?」


 オリビアがたじろいだ。


「グリフォンとヒッポグリフだよ。この例で言えばグリフォンが幼虫で、ヒッポグリフが蝶だよ」


「グフェル様、逆ではないのですか?」


 グリフォンは1級の魔物。ヒッポグリフは3級の魔物である。


「魔物にとっての強さとは個の強弱だけじゃないのさ。したたかさそのもの。グリフォンはその強大な力を維持する為に多くの資源と魔力を必要とする。逆にヒッポグリフは強大な力を失った代わりに環境への適応力を増した。今じゃ、グリフォンよりもヒッポグリフの方が生息範囲を広げている」


「……なるほど、階級だけでは表せないのですね」


「もちろん、逆の事例もある。さて問題はこれからで、その式が人へ術式や体を貸し与える為の代償だが、普通は魔力と体だけでよいのだけれどね」


「体?」


 魔力は分かる。

 術式も自分の魔力で行う上に、式を顕現させるのも自分の魔力である。


 ローベル達、大人の表情が曇る。


「グフェル、2人はまだ子供。その事はまだ伝えなくてよいのではないか?」


 シュトラウス卿が苦言をていした。


「いえ、今伝えておくべきです」


 グフェルは譲らない。


「体というのはどういうことでしょうか?」


「……ルシウスは祖先の墓は見たことはあるか?」


「そういえば見たことないですね」


 屋敷に飾られた肖像画程度だ。

 祖父母と教えられた人たちの絵は何度も見たことがある。


「だろうね。貴族には死体は残らないからね」


 グフェルの言葉の意味はすぐに分かった。


「……まさか死体は式に与えるのですか」


「勘が良いね。そのとおりだよ。主が息を引き取ったら、式は魔核ごと主の肉を喰らう。葬儀をあげたり、家族と最後の別れを言う間くらいは待ってくれる奴も居るが、最後は必ず喰らう。半身として生きた相手を、体内へ取り込むことでとむらうなんて言われるが、正直、魔物の気持ちは魔物にしかわからない」


 ルシウスは左手を見つめる。


「まずはオリビア嬢」


「はい……」


「グリフォンは1級の魔物、オリビア嬢は2級。契約のときに何を感じた?」


「そう言われましても、ルシウスを助けなくては、王になる為に今できることを全部しなければ、という気持ちばかりでしたが」


「ふむ、それなら元々相性は悪くなかったんだろうね。個体差もあるが、グリフォンは総じて気位が高く、縄張り意識が強い。話を聞く限りだと、邪竜に縄張りを侵されていたときに、王になる、つまり国全てを縄張りにするというオリビア嬢の生き方に強く共感したんだろうね」


「そうなのであれば、何の問題あるのでしょうか?」


「特に問題はないよ。オリビア嬢がはね」


「……どういう意味でしょうか」


「元々、人と魔物が同格であれば、多少の意識の変化は受けいれてくれる。魔物に十分な魔力を与えてあげられるからね。もともと10歳の頃の価値観や目指したものを一生涯持ち続けられる人間の方が少ないだろう。だが、魔物の方の格が高いと、満足できる魔力を与えてあげられない分、主人の生き方で魔物を満足させてあげなければいけないのさ」


「もし、私の生き方にグリフォンが満足できないと、どうなるのでしょうか」


 オリビアの顔が真剣味を帯びる。


「最悪の場合、式が主から離れる。この時、魔核だけを喰らって離れるか、主を生きたまま食べてから離れるかは魔物次第だが、グリフォンなら後者だろうね」


 オリビアの顔がひきつった。


「そんなッ!」


「危険なのだよ。身の丈に合わない式を持つこと自体が。だから、同じ格で比較的価値観が近い式を持つよう強く奨められており、オルレアンス家もそのために尽力しているのだから」


「どうにかできないのか!?」


 シュトラウス卿が話に割り込む。むしろここが一番聞きたかった事のようだ。


「それはオリビア嬢の生き方次第でしょうね。幸い1級と2級。それほど乖離かいりしているわけではない、価値観も似ている。なら、よほど堕落しなければ王になれずとも、お目溢めこぼしももらえるかと」


「それは可能性の話ではないか」


「そうです。だから、今、申し上げているのです。これは早く知ったほうがいいことです。ですが、問題はルシウス」


「僕?」


「そうさね。話を聞く限りじゃ、全く価値観が違う竜を、しかも邪竜を式にした」


「確か力を求めていたので、その力を与えると約束しました。少し話が見えないのですが、オリビアと同じ様に、僕から邪竜が離れて行くというのとは違うのですか?」


「ルシウス、アンタがやったのは、禁忌きんき外法げほうだよ。だからこんな部屋まで来て説明してるんだ」


「外法?」


「本来、価値観のズレは、魔物側が判断することだ。魔物の方が魔力に敏感だからね。普通、魔物に要求が有ることにすら気が付かない」


 グフェルが紅茶を一口のみ、ルシウスへ鋭い視線を送る。


「だれから聞いたんだい? その情報は王命によって秘匿されてるはず」


「【鑑定の儀】のときに、グフェル様が口にした『契約違反』という言葉から連想しました。契約には、何かしらの要求と合意があるのか、と」


 グフェルが目に手を当てて天を仰いだ。


「とんでもないね、相変わらずアンタは。確かにあれは失言だった。なにせセイレーンが契約に反して、人を襲おうとするなんて人生で初めてだったしね」


「魔物の要求を飲んだら、よくないんですか?」


「その方法が知れ渡ったら、あふれるだろう。魔物の要求に応えられない人間が。だから敢えて価値感が近い式を選ぶ様に仕向けてるのさ」


 ――なるほど


 ルシウスにはおぼろげながら、今の話が理解できた。


 式は、雇用の関係に似ている。

 魔力は賃金に代替される。


 十分な賃金を与えられるのであれば、雇用主の価値観との多少のズレは許せる。ルールも許せる範囲であれば守るだろう。

 だが、少ない賃金であれば、雇用主の人間性への共感や居心地の良い環境がなければやっていけない。

 オリビアの場合は、初志貫徹の精神で行動し続けないと、遅かれ早かれ式に見限られるやり方だ。


 つまり契約関係として不安定なのだ。


 ルシウスがやったものは、もっと悪い。

 賃金も十分に払えない上に、価値観が合わない従業員の要望に応えてみせると無理やり雇用したのだ。

 世が世ならブラック企業の社長がやりそうな手である。

 違いがあるとすれば、この世界の式は契約に嘘があれば、社長は食べられてしまうことである。

 外法というのもうなずける。


 この方法が世に知れ渡れば、好みの式を得るために、その場しのぎの契約を行う人間が増えるだろう。そうなれば、数多の人間が命を散らす結果しか見えない。

 本人が死ぬだけであれば自業自得であるが、街中に怒れる魔物を解き放つ行為へ繋がる。もはや治安どころではない。


 もっとも階級が違い過ぎれば、価値観以前に見向きもされないだろうが。


「だいたい分かりました。それでは、問題は邪竜に力を与える方法ですね」


「話が早いね。邪竜が力を求めて式になる。答えは一つだね」


「蛹から蝶になる、ということでしょうか?」


「随分に物分りがいいね。竜は、もともと縄張りを離れず、無為な殺生や争いを好まない魔物。帝国領に居る赤い竜などが有名だ。だが、竜から進化した邪竜は特定の縄張りを持たず、闘争や破壊を好むと言われている」


「ですが、グフェル様。先程の話だと、ほとんどの式の姿形は変わらず進化しないのでしょう?」


「そうさね。大半の式は契約したときと同じ姿のまま契約を終える。形態を変えて進化するというのは新たな種族の誕生と同義だからね、稀有けうな事象だよ」


「……では、どうすれば出来ますか?」


「わからない」


「え?」


「わからない。そもそも進化が起こり、新しい種族が誕生する条件なんか分かっちゃいない」


「自分でたどり着け、と」


「もしくは邪竜に見限られそうになったときには、できるだけ人里離れた秘境に閉じこもるくらいかね」


 ――やってしまったな、これは


 当然リスクが有るとは思っていたが、ここまでとは思わなかった。

 グフェルに聞くことで解決するのではと、どこかで淡い期待をしていたが、お先真っ暗である。

 国内において最も式に詳しいはずのオルレアンス家の前当主が言っているのである。他の誰に聞いても分かるはずがない。


 だが、あの状況で他の選択肢などなかった。

 命があっただけでも十分とも言える。


「……分かりました。どうしようもないときは、そうします」


「竜はともかく邪竜の式など前例が無いんだ。オルレアンス家としても全面的な支援を約束する。それに、手がかりが全く無いってほどじゃない」


「なんですか! それは!?」


「最近、魔物の進化が何件か観察された地域がある」


「どこですか!?」


「東部のクーロン山」


「東部……」


 シュトラウス卿とローベルの顔が曇る。


「父さんは知ってるの?」


「知ってはいる。東部にある有名な魔物の生息地域だ。だが、あそこは……」


 珍しくローベルの歯切れが悪い。


「ともかく状況は分かった。一旦、今日の話はこれまでにしよう」


 シュトラウス卿が話を区切った。

 おそらくオリビアの置かれた状況に向け、いち早く動きたいのだろう。


「ともかく明日、陛下へ謁見えっけんする。ローベルとルシウスも同席するように」


 シュトラウス卿が父をドラグオン卿ではなく、ローベルと呼ぶのはプライベートだけである。

 今は、シュトラウス卿にとっては内密の話なのだろう。

 シュトラウス卿の呼びかけにより、会はお開きとなる。


 ルシウスは漠然とした不安を抱えながら、父ローベルと共に部屋を後にすることとなった。


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