第25話 対面

 シルバーウッド森の端に作られた、急ごしらえのテントの中は殺伐とした雰囲気だった。

 何日もまともに寝ていないのか、やつれたシュトラウス卿とドラグオン男爵が地図を広げた机を食い入る様に見ていた。


 地図の上には、様々な駒が並べられている。


「本当に、この領域から捜索するのでいいのかね」


 目の下にくまを作ったシュトラウス卿が、ドクロのような目でローベルを睨んだ。


「ええ、何度も話しあったじゃないですか。この辺りは、傾斜もなだらかです。更に、陰樹が多いこともあって茂みが少ない。その上、魔物もあまり強くない。まず探すならここからにするべきです」


 周辺の諸侯から式を従える魔術師を借りたとはいえ、元々絶対数が少ない。

 魔術師はそれだけで貴重な戦力である。

 シルバーウッドの森は広大なため、どうしても優先順位を付けながら探す必要がある。


「だが、もっとの奥に進んでいたとしたら……」


「ルシウスとマティルダが居ます。不用意に森の奥へと進むはずがありません」


 シュトラウス卿はテントの中にいる他の数人へと振り返る。

 周辺の諸侯たちである。


「皆、どう思うかね?」


「……もとよりシルバーウッドに最も詳しいのはドラグオン卿。それしかないかと」

「左に同じ」

「私も同じ意見でございます」


 皆、シュトラウス卿の寄り子である。

 殆どの者たちは目も合わせない。白けた面をさらしている。

 呼ばれたから仕方なく来た、というものも多い。

 実際に、忙しいと言う理由で書状と人だけをよこした者も居るくらいだ。


 だが、皆、恨み節に近い表情でシュトラウス卿の背中を見つめている。


 これだけの魔術師を集めたのだ。

 黙って行えるわけがない。下手に兵力を集めれば、謀反むほんの恐れありと、あらゆる勢力と敵対してしまう。


 そのため、シュトラウス卿は恥を忍び、王へことの経緯も含めて書面にしたため、王都にいる伝令へ報告させた。


 王からの返事は冷たかった。

 伝令より『好きにいたせ』と一言だけだったと報告を受けている。


 王が呆れる気持ちは痛いほど分かる。

 王はおそらく娘オリビアのことよりも、ルシウスを巻き添えにしたことに落胆しているのだろう。


 そして、その醜聞が国中に広がるのは、時間の問題である。


『四大貴族の跡取り娘は、どうしようも無い阿呆である』と。


 長く政権が遠ざかっている北部の貴族たちにとって、この上ない逆風だ。

 そのため、シュトラウス卿とローベル以外の貴族達の思いは一致していた。


『北部より子供を取った』


 事を荒立てずに娘を森へ置き去りにし、傍系ぼうけいから養子でも迎え入れてくれればよかったのだ、と。


 だが、時既に遅し。一族の名は地に落ちた。


 ――分かっている


 シュトラウス卿は理解している。

 すべて理解した上で、娘を取ったのだ。


 娘が、本当に救いようがない愚か者であれば、北部の為に躊躇なく見捨てただろう。

 だが、なまじ才覚があった。

 志もあった。努力も怠らなかった。

 まだわずか10歳である。

 至らない所を数えれば、きりが無いが、それを差し置いても名君の片鱗を感じさせたのだ。


 それを間近で見てきたがゆえに、シュトラウス卿は見捨てるという選択ができなかった。


 そんな時、テントの入口が開けられ、声が響いた。


「森から人が現れました!」


 皆の視線が、伝令へと降り注ぐ。


「何……だと」


 シュトラウス卿の顔がひきつる。


「オリビアか!?」


「3名で大人1名、子供が2名とのことです。おそらく間違い無いものと思われます」


 全員の顔が歪む。

 シュトラウス卿は思う。


 ――最悪だ


 捜索の為に人を集めたときに、自力で生還。

 諸侯からして見れば、とんでもない茶番につきあわされたも同然。

 それも、北部の命運をドブに捨てた茶番劇である。


 諸侯たちは冷めた表情で皆一斉に撤収の準備を始めた。


「良かったですな、シュトラウス卿。私は忙しいのでこれにて」

「……同じく」

「私も帰らせていただく」


 皆、言葉少なく、テントを後にしていく。


 シュトラウス卿とローベルは、諸侯への挨拶もそこそこに、森外れに待機する捜索隊の間を縫って走った。


 一足先にテントを出た諸侯たちの視線はとても冷ややかだ。


 せっかく寄り親に請われたため、小麦の収穫で忙しいこの時期に、一族や領民を引き連れた。しかし、これから捜索開始というタイミングで当の本人たちが現れたのだ。


 連れてこられた捜索隊の面々も、怒りや不満を口にするものは少なくない。


 シュトラウス卿は罵詈雑言ばりぞうごんを背中に受けながら、人だかりをかけ分けて、森の端へとたどり着いた。

 ローベルや話を聞きつけた婦人達も一足遅れ、駆けつける。


 確かに、森の端から3人の人影がこちらに歩いて来ている。


「……オリビア」


 薄水色の長い髪。明らかに娘である。

 服はボロボロで、所々引き裂かれているが、間違いない。


 3人が近くまでたどり着いた。


 色々と言いたいことはある。問い詰めたいこともある。

 だが、娘が生きていた。

 もしかしたら、もう……と考えたことも一度や二度ではない。


 シュトラウス夫人がオリビアの名を叫びながら、駆け付けて抱き寄せた。

 他の貴族たちも帰路につく前に、ひと目、自分たちを地獄に落とした愚かな娘を見てやろうとシュトラウス卿の周囲に集まった。


「お父様、お母様。ご心配をおかけしました」


 母の腕の中で、謝るオリビア。

 その姿を見て、安堵した束の間、怒りが湧いてくる。


「お前はッ! 自分がしでかしたことを分かっているのかッ!?」


「はい、分かっております」


 オリビアが抱きつく母の腕をそっと外し、毅然きぜんとした態度で答える。


「北部の将来が閉ざされたのだぞッ!」


「閉ざされた? 何の話です? 私はドラグオン卿の言いつけを守らず、その息子ルシウスと侍女マティルダに迷惑を掛けました。その咎は謹んでお受けします」


 オリビアの返答に更に怒りが湧く。


「お、まえ、本気か? 本気で言っているのかッッ!?」


 シュトラウス卿の怒りは頂点に達した。


「家の名を地に蹴り落としたのだッ! 今後100年は、北部から王は生まれない。つまり……この地は終わりだ…………」


 シュトラウス卿は地面に膝をついた。

 精も根も尽き果てたとばかりに。


「お父様、私の思いは変わりません。私は王となります」


 シュトラウス卿はオリビアが王に執着する余りに、狂ったのだと思った。


 ――ああ、哀れな。何と、憐れな愛娘よ


 オリビアは小さい頃から努力を惜しまなかった。

 常に四大貴族としてふさわしい人間になろうと藻掻もがいていた。

 兄が死んでからより一層それは強くなった。


 そして、折れたのだ。


 シュトラウス卿にはそうとしか思えなかった。


 周囲に集まっている貴族やその従者、領民達の視線も蔑み半分、哀れみ半分となる。

 わずか10歳の少女がすべてを負っていたのだ。折れても仕方ないと思う。


 オリビアはその視線を無視しながら話を進める。


「どうやら、お父様も貴族諸兄の皆様も、勘違いをなさっているようですね。なぜ、ただ森から逃げ帰ってくる事を前提としているのですか?」


 オリビアはすっと左手をかざす。


「来なさい。グリフォン」


 オリビアの左から粒子が飛び立ち、形を作る。

 鷲の頭に獅子の体躯。


 周囲から悲鳴があがる。

 逃げ出すものもチラホラと見える。

 自然界にあっては、目にしただけで生還することを諦める存在である。


 シュトラウス卿もローベルも婦人たちも、唖然とその姿を見る。

 周囲の貴族たちも同様に大口を開けたままとなった。


 グフェル1人だけは歓喜の声を挙げた。


「おやまぁ! これはいいわねぇ!」


「グ、グリフォン」


 ローベルの口から言葉が溢れる。

 ヒッポグリフはグリフォンから派生した魔物と言われている。

 そのヒッポグリフを式として持つローベルの口から名前が上がったことで、魔物の名が確定する。


 王の獣、最強の騎獣。呼び名はいくらでもあるが、その存在を式に出来たものはごくわずかである。


「オ、オリビア?」


 シュトラウス卿は言葉を失った。

 いや、だが、と言葉を出すが、それ以上続かない。


 結果論である。

 結果が良ければすべての事が正当化されるわけではない。

 だが、結果を出せない人間と、成した者は明確に区別される。

 例え、それが幸運が重なった結果であっとしてもだ。


 それこそ王がそうだ。

 頑張った、皆の意見を素直に聞いた、誰にも責められないように行儀よくしていた。

 だが、国は滅びました、では話にならない。


 行動には結果が求められる事など子供でも知っている話だ。


 オリビアは領主の言いつけを守らずに森に入った。だが、結果グリフォンと契約して自らの足で戻ってきたのだ。


 それ以外は外の人間。

 それこそシュトラウス卿やローベルが行ったことである。

 だからこそ、娘オリビアは言ったのだ。ローベルの言いつけを守らなかった咎は受ける、と。


「ま、まだ……北部は……首の皮一枚……つながった」


 すかさず周辺の諸侯たちが反論する。


「シュトラウス卿! そんな都合の良いことはありません!」

「そうです。これだけ騒乱を起こしたのです。その責はあります」

「そもそも王に何と申し開きをされるのかッ!」


 ルシウスが一歩進み出た。


「皆様。オリビア様は確かに浅はかでした。父の言いつけも守らず、1人森へと入りました」


 諸侯たちが力強く頷く。

 反対にオリビアが後ろめたそうに、うつむいた。


「ですが、それは誰より北部を思っての行動です。考えてみてください。なぜオリビア様がグリフォンを求めたか。それは、グリフォンを持つ貴族が北部に誰もいなかったからです。北部の誰かが式にしていれば、決してこんな真似はしなかったはずです」


 周辺の諸侯たちの顔が曇る。


 強力な式の存在自体が、交渉力に直結する。


 皆、分かっていながら、自ら成さなかった。

 皆、自分ではない、自分の子ではない、誰かが成してくれることを、ただただ待っていたのだ。

 

 一概には責められないことではある。

 そもそも、10歳で魔核が1級や2級に達すること自体珍しい。

 【増魔の錬】は痛みを伴う上に地味でコツコツとしたものだ。親に言われても、たいした苦痛を伴わない勉学すら本気で取り組めない子供は貴族でも多い。


 更に式と契約する前、人は無力だ。

 成人後に己の道を決めた者ならともかく、まだ右も左も分からぬ10歳のわが子に対して、千尋せんじんの谷へ自ら飛び込めと命じる親は少ない。そんな親ばかりなら、とうの昔に貴族など絶えている。


 そんな中、シュトラウス卿はルシウスに、グリフォンと契約させようと画策としていた。人としては非情であるが、盟主としては合理的な判断。


 父ローベルが愚痴るほどである。

 水面下で、相当の交渉があったのだろう。かつて父ローベルがシュトラウス卿に対して愚痴をこぼしたのは領地を譲渡した時だけと聞いている。


 画策したのは、シュトラウス卿のみ。

 行動したのは、オリビアのみ。


 政治的局面が見えていた2人には、現れるかどうかもわからない他人を、悠長に待っているだけの猶予がなかったのだ。



「そ、それは……」

「そうは言っても、な」

「むッ…………」


 ルシウスは諸侯たちへ深く礼をする。


「彼女が北部の為に捧げた、その覚悟まで批判されないよう、どうか寛大な処置をお願いいたします」


 オリビアもあわせて頭を下げる。


「この度は私の身勝手な行動に、皆様を煩わせてしまった事を深くお詫び申し上げます。先程申し上げたとおり、いかなる処罰も受ける覚悟です。ですが、私は北部の未来を諦めるわけにはいきません」


 その堂々とした立ち振舞に、諸侯たちが一斉に目をそむけた。


「今、ここに宣言します。私は次の王座へ挑みます」


 シュトラウス卿が慌てる。


「オ、オリビア。こんな所で、宣言しては収拾がつかなくなるぞッ!」


 だが、オリビアは毅然としたまま言葉を続ける。


「お父様。私には、その覚悟と信念があります。それをルシウスに教えられました。ルシウス、貴方の式を見せてあげて」


「オリビア、いいのか?」


 こんなに人が集まっている場で竜を出せば大混乱になるかもしれない。


「大丈夫、むしろ好都合よ」


「まあ、そう言うなら」


 ルシウスは左手を掲げる。

 まだ式には名をつけていない。そもそも名をつけない人も多いそうだ。


「来い」


 全身から魔力が根こそぎ奪われるのではないかと思うほど、大量の魔力が左手から抜け出ていく。


 そして巨大な影がルシウスの周辺を覆った。

 黒銀の竜の翼が、巨大な影を作る。


「あうっ、ぐっ」

「りゅっ……」

「ごっ、ぶがッ」


 先程まで立っていた、両親や周辺諸侯たちの腰が砕けるように座り込む。

 竜の影に入ったのだ。

 これが式でなければ確実な死しかない。


 やはりグフェル1人だけは歓喜の声を挙げた。


「おやっ、おやっ! おやっ!! おやっ!!? これはたまげたねぇッ!! 邪竜じゃないかいッ! もっと! もっと良く見せとくれッッッ!!!」


 すがるように竜の足元へまでかけ寄った。


 ローベルとエミリーは何が何やら全く理解ができず、口をあんぐりと開けている。

 両親の様子を侍女マティルダが、申し訳無さそうに眺めている。



 背後に隊列していた捜索隊の面々は阿鼻叫喚。

 シルバーハート領に来た理由など、グリフォンや竜に比べれば至極些細なこと。

 皆、頭から吹き飛んだ。


 我先にと逃げ出す者、その場で伏せて祈りを捧げる者、式を呼び出す者と様々だ。


「落ち着きなさいッ」


 オリビアが喚んだグリフォンにへとまたがり、光を放つ。

 捜索隊の上を飛びながら、皆に声をかける。


「北部は竜の加護を得た。ドラグオンの血が再び竜を従え、この地に繁栄をもたらすわ」


 恐怖の中、神々しい光をまとうオリビアとグリフォンは、まさに天の使いのように見えただろう。


 混乱は一転、狂気、いや狂信へと変わる。

 次第に捜索隊のコールが沸き起こる。


「「「ドラグオンッ! ドラグオンッ! ドラグオンッ! ドラグオンッ!」」」


 森が揺れるのではないかと思うほどの合唱。

 オリビアは捜索隊の上を一周して、ルシウスの横へと舞い戻った。


「……やりすぎじゃない?」


「これくらいで丁度いいのよ。民心を掴むのも王の役目。そのために、わざわざ森までやってきたのだから、最大限使わせてもらうわ。グリフォンとの契約でもあるしね」


 オリビアはグリフォンの首筋を撫でる。


「敵わないね」


「ルシウス、すべて貴方のお陰よ。みっともない所を沢山見せたけど、これからを見ていて。私は信念を持つ王になるわ」


「僕はやるべきことをやっただけ。竜との約束は本当に頭が痛いけど」


 オリビアは翼を広げる竜を見上げて、笑う。


「ルシウスはいつもそうね。そういえば、グリフォンと契約できたのだから、約束も守ってもらうわ。なんでもするって言ったわね?」


 悪戯っぽく笑うその姿は、年に合わず、とても美しく思えた。


「約束なら、もう守ったけど。竜をなんとかしなさいって、言っただろ? あんな無茶振りを」


「私はグリフォンと契約したって言っただけ。立派な男爵になるのはルシウスの願いでしょ」


「それは、そうだけど。……何してほしいの?」


「私が王になったら、……そのときは」


 オリビアは頬を赤らめる。


「お、王配になりなさい。き、貴族として、つ、繋がりを強くするとは……」


 最後の方の言葉は聞こえない。

 何かゴニョゴニョと言っている。


「王配って何?」


「……家に帰ってから、ドラグオン男爵にでも聞くのね」


 オリビアは顔を真赤にしながら、背を向けた。


 オリビアの背後に続く森は、数日間続いていた曇り空が嘘のように晴れ渡り、日の光が降り注いでいる。

 その光が、ルシウスには、この国の将来を予感させるもののように思えてならなかった。



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