第24話 竜の力

 竜は感じていた。

 久しぶりに敵が現れた、と。


 光を放つ鷲頭グリフォンはそこそこ強かったが、何度か叩いただけで逃げ出した。

 アレは敵ではない。


 目の前にいるゴブリンに似た生き物は違う。

 輝く一本爪を以て、己のうろこを割いたのだ。

 あんな小さな生き物が。


 しかも切り裂いて、尾で叩いても生きている。

 ブレスを放っても、目眩ましで外されてしまった。


 さらに不可解なことに、圧倒的な力を見せつけたはずだが、まだ立ち上がってくる。


 嬉しくて、更に口を広げ、腹に力を込めた。

 小細工は要らない。炎の吐息ではない。


 を放とう。


 そう決めた。



 ――


「おいッおいッおいッ、何だそりゃ」


 剣を構えたまま、ルシウスは口走った。

 竜の口にやみが見える。


 先程のような炎ではない。

 影が集まっていく。


 慌てて剣で光を放ったが、竜の口に光が吸い寄せられて消えていく。


 光すら飲み込む闇。

 目眩ましが、使えない。


 口からあふれ出そうになった暗黒が、突如、放たれる。

 それは黒い線。


 そうとしか表現できない。


 ――ごめん、守れなかった


 死を認識した瞬間、ルシウスの体は、急速に何かに引っ張られ、大空へと引き上げられた。


 空へと引き上げられながら、眼下に見える光景は異様だった。


 まるで森の上空写真に、墨で一本線を引いたようだ。


 次の瞬間、黒い線に周辺の木々、焼けた大地が急速に引き寄せられ、黒い線の周辺がめくれた土色に変わる。直後、極限まで圧縮された木々や大地だったものが、一気に吐き出され、周囲にぶちまけられると、黒い線が消えた。


 後には砕かれた残骸のみ。


「何、ボケっとしてるの!」


 オリビアの声がする。

 正気に戻り、周囲を探す。


「うわッ」


 どうやら自分はグリフォンにくわえられているようだ。

 オリビアはグリフォンにまたがっており、前足には動けないマティルダが鷲掴みにされている。


「驚くのは後で」


 空中で放り投げられると、ルシウスはオリビアの背後へと掴まった。


「グリフォンと契約……できたのか」


「そうよ、私は契約できた。約束どおりね。ルシウス、それよりアレをどうにかして」


 ルシウスはオリビアとの一方的な約束を思い出した。

 オリビアがグリフォンと契約できたら何でもするという約束。


 グリフォンの背後に、黒い翼を広げた巨体が近づいてくる。

 黒銀の竜だ。

 竜のほうが速いようで、距離は徐々に詰められている。


 その目は狩りの愉悦ゆえつに彩られており、決して逃しはしないという強い意思が見て取れた。


「どうにかって……」


 剣で傷つけることができた。

 だが、それだけである。

 ブレスの破壊力、特に2発目は死んでもおかしくなかった。


「ルシウス、領民を守る立派な男爵になるんでしょ?」


 雲を抜けた所で、眼下に森の一帯が広がる。

 森を過ぎた先に、遠く小さな村が見える。


 シルバーハート村である。


 あれだけ探し回った村が、空からなら一瞬で視界に入ってしまうのだ。


 ――竜なら村まですぐだ


 両親が、村人が竜に蹂躙じゅうりんされる。

 それだけは絶対に許せない。


 だが、どうする。

 剣はほとんど通らない上に、竜のほうが圧倒的な火力をもっている。

 正攻法での対処は不可能だ。


 竜とグリフォンとの距離はジリジリと詰められており、あと僅かで竜の吐息を感じそうな程である。


 そんな時、オリビアの左手にはめられた【騎獣の義手】が目にとまった。

 ルシウスは剣を腰の鞘へ仕舞い、紐を強く縛る。


「…………オリビア、宙返りできる? できるだけ早く」


「宙返り……。掴まっててッ」


 オリビアがグリフォンの首筋を強く握る。

 意図を察したグリフォンは一直線に、急上昇し始めたかと思うと、腹を天へ向け、反転した。


 急なグリフォンの宙返りにきょをつかれた、竜の反応が遅れる。


「借りるよ」


 ルシウスはオリビアの左手から【騎獣の義手】を素早く外すと、グリフォンから飛び降りた。


「何やってるのよッ!?」


 高度数百メートルでのジャンプ。

 そのまま硬直した竜への背へと飛び乗った。


 固くゴツゴツとした表皮。

 反動で跳ねそうになる体で、竜の鱗にしがみついた。


 竜の鼓動を強く感じる。

【騎獣の義手】を通して感じる竜の魔力。

 それは力の塊のようだ。


 急に背に飛び乗られた竜が暴れ始めた。


「離すかッ」


 ルシウスはそれでも必死にしがみついた。

 引きがされれば、地上への死のラストダイブが待っている。


 一方、竜はどうにかルシウスを振り落とそうと、でたらめな飛行となった。

 ジェットコースターが、ゆりかごに思えるような、急制動。

 四方に吐き出されるブレス。


「危ないッ」


 オリビアが近くを通り過ぎたブレスを慌てて回避した。

 ブレスが直撃しようものなら、一撃で終わりだ。



 オリビアはグリフォンの前足で掴んだマティルダに目をやる。


 先程、ルシウスが死ぬ気でかばった侍女である。

 自分が巻き沿いにするわけにはいかない、と暴れ竜から退避せざるをえなかった。

 また、グリフォンほどの式を顕現させ続ける為に、消費する魔力量も凄まじい。



 仕方なく、オリビアはグリフォンを地上へと降り立たせる。


 前足に掴んでいたマティルダを地面に置くと、グリフォンは消えていった。

 何が起きたのか、まるで理解できないと言った様子のマティルダが口を開く。


「ル、ルシウス様……は」


 オリビアは魔力切れで、いつ倒れてもおかしくない体を無理やり起こした。


「まだ空よ」


「そんなッ」


 マティルダは息を飲んだ。


「貴女は逃げなさい。私はここでルシウスを待ちます」


「でもッ」


「ルシウスが失敗したときには、私が竜を引き付けなくては。それも国からできるだけ離れた場所へ。貴女は竜の存在を森の外へ伝えるの。そうすれば、お父様やドラグオン男爵が何か手立てを打ってくれるはず」


 オリビアの顔には決意が込められていた。

 それは死ぬと言っているに等しい。


「……いえ、私も待ちます」


 オリビアは視線を空へ向けたまま短く応えた。


「……そう」




 ルシウスは、ブレスが放たれる度、凄まじい熱量と重力を感じながらも、振り落とされまいと全身を使って踏みとどまっていた。


「うグッ」


【騎獣の義手】から伝わる感情。


『拒絶』


 魔力に感情が乗っている、と言えばいいのか。

 流れ込んでくる魔力が神経へ溶け込み、感情の激流が脳へ直接、伝わってくる。


 竜の魔力が次々と流れてくるにもかかわらず、一向にルシウスの魔力と交わらない。

 流れ込んでくる膨大な魔力を、ルシウスは受け止めきれず【騎獣の義手】から溢れて出ていく。


 竜は特級の魔物、対してルシウスの魔力量は1級だ。


 ――自分と釣り合っていないッ


 分かっていた事ではある。

 もうこれしか方法がなかったのだ。


 猛スピードで翔ぶ竜が、更に高度をあげる。

 気温が一気に下がり、真夏だったはずが吐息が真っ白になる。


 このままでは遅かれ早かれ、体力が尽きるか、氷つく。

 竜とは一向に契約できる気がしない。


 ――どうすれば契約できる


 オリビアの魔核は2級だったはずだ。

 だが、1級の魔物グリフォンと契約できた。


 何か方法が有るはずだ。

 階級が違ったとしても、何か。


 今まで見た式たちを思い返す。

 グリフォン、ペリュトン、クラウドシープ、ヒッポグリフ……

 セイレーン。


 セイレーンを思い起こした時、かつて【契約の儀】で、グフェルが発した言葉を思い出した。


『お止め。契約違反だよ』


 暴走するセイレーンを止める為の言葉。

 契約に違反などあるのか。

 相性がよければいいのではないのか。


 ――違う。相性だけなら契約違反なんて言葉にはならない


 魔物を式とするためには、相性などという言葉では表せない何かがあるはず。

 そう考えた途端、竜から流れてくる魔力に付随している感情がより鮮明になった。


 拒絶以外の感情が感じ取れる。


 ――力への渇望


 純粋に竜は力を欲している。

 それを認識した瞬間、ルシウスは竜に問われている気がした。


『お前は力を与えてくれる存在か?』


 口先でだくと応えるのは簡単だ。

 だが、出来ない。

 これはそういう契約ではない。


 文字通り、一心同体として生きる人間に対して、心のあり方を問うているのだ。

 おそらく、応諾すれば、全ての人生を掛けて、竜の渇望に応え続けなくてはいけない。


 確かに父ローベルは言った。契約とは対等だと。

 式が一方的に人へ、力と術式を与えるだけではない。

 人も式の要求に応えなくてはいけない。


 契約に反した時、どうなるのかはわからないが、おそらく仕方がないでは済まされない重い制約があるのだろう。

 階級が違えば、制約は、より重くなる気がした。


 ――おそらくオリビアはグリフォンに誓ったんだ。残りの人生の生き方を。


 相性といえば相性とも言える。

 生き方、価値観、人生観、人生をかけて追い求めるもの。

 名前は何でもよい。

 式と人のそれが、初めから一致していれば、制約などは無いも等しいだろう。

 後はお互いの魔力を受け入れられる余地があるかどうかだ。


 だが、力への渇望。

 そんなものはルシウスにはない。


 男爵として領民を守れる力は欲しいと思ったが、竜を更に超えるほどの力など求めていない。


 意識すると竜の魔力の反発が更に強くなった。


 ――本当に必要ないか


 いや、違う。

 力がなければ何も守れないではないか。

 だから今、竜の背中へ、すがりついているのだろう。


 そう思うと、思考が明瞭となる。



「誓うよ、竜。どうすればいいか分からないけど、お前に力を与えてみせる」



 竜の拒絶が途端、無くなった。

 同時に、膨大な魔力が【騎獣の義手】を通じて一気に流れ込んでくる。


 竜の魔力とルシウスの魔力が絡み合っていく。


 久しぶりに感じる魔力を押しこまれる激しい痛み。

 左手にある騎手魔核に流れ込む魔力を、抑えきれない。


 器以上の魔力が、無理やり送り込まれてくる。


 ――魔核が内から破られるッ!


 ルシウスは騎手魔核以外の3つの魔核からも魔力を供給し、はちきれそうになる魔核を無理やり力で抑え込む。


 ――負けるかあぁあッッ!





 ただただ見守ることしか出来ない中、マティルダは堪らず、何かに祈り続けた。

 どれほど時間が経っただろう。たった数分がとても長く感じられる。


「ああぁ、どうかお願いします」


 時折、赤い線と黒い線が空にはしる。


 距離が離れているため、マティルダにも魔力を感じることは出来ない。

 だが、その竜の強大さははっきりと目で捉えられる。

 厚い雨雲が竜のブレスで次第に引き裂かれていくのだ。

 そして、数度目のブレスが天をはしったとき、上空の雲にすっぽりと大きな穴が空いた。


 まさに、天変地異。


 竜に消し飛ばされた雲の間から、陽の光が注ぎ始めた頃、太陽の中心に、黒い点が見えた。


 その黒い点は一直線に、こちらに近づいてきており、徐々に大きくなる。

 銀樹の上空あたりまで降下したときに、はっきりとその姿を捉えた。


 竜である。


「ひっ」


 マティルダの悲鳴が上がり、恐怖に顔がひきつる。

 オリビアも声こそ出さないが同じ気持ちだ。



 竜が更に降下し、ついにオリビアたちの近くに、音を立てて降り立った。


「死ぬかと思ったぁ」


 どこからともなく、安堵あんどの声が漏れ聞こえる。


「…………ルシウス様?」


 竜の背中からルシウスが飛び降りたのだ。


「本当にルシウス様!?」


「何言ってるんですか、マティルダさん」


 おぼつかない足取りのまま、ルシウスが立ち上がる。


「だって、竜から……」


 マティルダが竜を指差すと、竜は黒い粒子となり、【騎獣の義手】をはめたルシウスの左手へと吸い込まれていった。


「えっ、あっ、ええっっ?」


「竜を式に降しました」


 マティルダは陸にあげられた魚のように口をパクパクさせている。


「それよりマティルダさん。竜って、風の術式を使えるか知りません?」


 マティルダは何も答えない。言葉が耳に入っていないのだ。

 これ以上は、会話にならないと見たのかオリビアが声を掛けた。


「本当に竜を式にしてしまうのね。流石ドラグオン家というべきかしら? それとも貴方だから?」


 オリビアが呆れ気味にルシウスへ近寄った。


「わからないけど、必死だった。このままじゃ何も守れないんじゃないかって」


「そう」


 オリビアは大きく息を吸い込む。

 そして、ルシウスと言葉を失うマティルダへ向かい、姿勢を正した。


「私の身勝手な行動に巻き込んでしまい、申し訳ございませんでした」


 オリビアが深く深く腰をかがめる。

 急に令嬢らしい振る舞いに戻ったオリビア。


「どうしたの、急に?」


「あなた達に何度も助けられながらも、1人で逃げようとしてしまいました。貴族として、王を目指す者として恥ずべき行為です。いかなるそしりも受け入れます」


「いいよ、別に」


 ルシウスは何事もなかったように言う。


「……別にって」


「反省してるなら、それで終わり。子供が後先考えずに、動くのは仕方ないから。父さんも毎年、何件か起こる事だって言ってたしね。それに、この竜に気がつくのが、もっと遅れてたら大惨事になってたかもしれない」


 笑うルシウスに、マティルダも続く。


「ルシウス様がとがめないのであれば私から言うことはありません。ただ、一つだけ。どうぞご自愛下さい。貴女の無謀な行動がいつか大勢の人を傷つけるかもしれません。王なれば、一層です」


「はい、胸に刻みます」


 マティルダの言葉に、項垂うなだれるオリビア。


「はい、これで本当におしまいです。少し休んで魔力を回復させたら、森を出ましょう」


 ルシウスが手を叩く。


「……何で急に敬語なのよ」


 オリビアが不満そうにルシウスへと詰め寄る。


「見直した、からですかね。自分の非を素直に認めて、正す姿に。ただの世間知らずのお姫様かと思ってました。それに、本当にグリフォンを式にされた上に、竜のブレスからも助けていただきました。少し遅れてたら、オリビア様も巻き込まれて死んでましたよ?」


「ル、ルシウスも死ぬ所だったじゃない……」


「ともかく、森の中での数々の無礼をおびします」


 ルシウスは優雅に頭を下げる。


「なんか急に変わりすぎよ」


「そんな事はありません。いつか貴女はノリス・ウィンザー家の当主となり、私はドラグオン家の当主となります。寄り親、寄り子の関係。これが正しいのですよ」


「いいわ。ルシウス・ノリス・ドラグオン。将来の寄り親として命じます。プライベートでは今まで通り気安く接しなさい」


「いや、それは」


「命令よ」


「はあ……」


 よくわからない命令に困惑する。


「それならオリビア。休んでいる間に、北部に何が起きているのか、なぜ王をめざすのか、色々聞かせてよ」


「……聞く気になったの?」


「うん、今のオリビアからなら」


「今のって……前の私からは聞く気がなかったの?」


「正直そうだね」


「うぅぅぅぅ」


 笑うルシウスに対して、オリビアが1人口をすぼめた。


「まあ、いいわ。まず北部はね――」


 3人は森の最深部で、深い深い一息をついた。

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