第23話 オリビアの決断

 突如現れた黒銀の竜。

 

 圧倒的な存在感。

 グリフォンをも上回る威圧。


 ペルーダにあった時、蛇に睨まれた小鼠こねずみになった気分だった。

 グリフォンの時は、大型の肉食猛獣にもてあそばれる小鼠だ。


 だが、これは違う。


 大型の肉食恐竜の前にさらけ出された小鼠がいるとしたら、まさにその感覚。

 捕食対象ですらない。ただ踏みつけられない事を祈るのみ。



「申し訳ありません……連れて帰れませんでした」


 不幸なことに、魔力を感じる事がマティルダは、小声をこぼしながら腰から崩れ落ちた。

 足元に薄黄色の水たまりができる。


 オリビアはルシウスの腕の中で、固まっている。

 誰も予測しなかった事態。


「特級の魔物……」


「特級?」


 魔物の強さは第6級から第1級ではないのか、という疑問が湧くが言葉にはならなかった。


 定義など、どうでもいい。

 いち早くここから逃げなくては。そればかりが思考を覆い尽くしたからだ。


 竜は人の存在に気がついたのか、その大きな眼球でルシウス達を睨んだ。正確には、とっくに存在は知っていた為、意識したというべきか。


「グオウオオォッッ!!」


 鼓膜こまくが破れるのではないかと思うほどの雄叫び。


 ――死ぬ


 そう直感した。


 森の異変は間違いなく竜の存在。

 これだけの異常イレギュラーがあれば森も荒れるだろう。


 考えれば簡単である。

 本来、森の深くから出てこない魔物が浅層にいる。

 浅層を目指す何かの目的があるか、元いた場所を追いやられたかの2つしか無い。


 竜の存在が、森の深部にいた上級の魔物たちを浅層へと押しやったのだ。



「イヤァアアーッ」


 オリビアはあまりの恐怖に耐えきれず、後方へと走り出した。

 生物として、この上なく真っ当な判断だ。


 ルシウスも続こうとした時、地面に座り込んで動けなくなっているマティルダが目に入る。


 頭に浮かんだのは赤子の頃から世話を受けた記憶。

 マティルダは怪訝けげんな表情を浮かべながらも、決してルシウスを雑に扱わなかった。

 常に丁寧に、慎重に扱ってくれた。

 そして時折、笑いかけてくれた。


 ――違う。これじゃ前と同じだ


 かつて【鑑定の儀】の帰り道。

 ローベルは危機的状況を理解していたにもかかわらず、誰一人、見捨てようとはしなかった。

 負傷した領民、子供、家族、すべてを守ろうと限界まで踏みとどまった。



 ルシウスは剣を構えると、竜に相対する。


「ル、ルシウス様! 何をッ!? 逃げてッ!」


 マティルダが声を張り上げる。

 敬語も忘れ、立たない足を震わせる。



「立派な男爵は、簡単に家族を見捨てたりはしないんですよ。知ってますよね」



 虚勢である。

 本当は怖くて仕方ない。

 今も全身が震えている。


 ルシウスは剣の周囲に光の線を形作かたちづくった。

 かつてペルーダの肉を裂いた技だ。


 対して、竜は興味もなさそうに、大きな体で近寄り、腕を上げて、振り下ろした。

 本当にただそれだけである。


 竜にしてみれば攻撃ですら無かったのかもしれない。人が羽虫を叩く時のそれを攻撃というなら、そうかも知れないが。


 ルシウスは人生において、いや前世も含めて、かつてないほど神経を研ぎ澄ませた。

 アドレナリンが大量に分泌され、時間が圧縮される。


 自分でもどうやったのか、全く分からないが、竜の爪を剣で受け流す。

 これ以上無いタイミング、力加減、刃の角度、全てがルシウスの今の技量を超えていた。もう一度やれと言われても不可能と思う。


 だか、竜の力は凄まじく、受け流した力によりルシウスは暴風にさらされた風車の様に宙を舞いながら回転した。


 回転の勢いそのままに剣で竜の顔を斬りつける。


 ――喰らえッ


 鉄塊。


 そう感じた直後、甲高い音と共に剣が弾かれた。


 次に来たのは巨大な尾。


 極限の集中のなか、一切の雑念を振り払い、体の動くままに剣を合わせる。


 尾も受け流した、という手応えを感じた瞬間、体が四散したのでは無いかと思うほどの衝撃が脊髄せきずいに走る。


 ほんの僅か、力を受け流せなかった為、ルシウスの小さな体は2段、3段と跳ねながら弾き飛ばされたのだ。


 地面に倒れたまま、全身に走る痛みをえて、視線で竜を捉えた。

 竜の額にわずかだが、切り傷があった。


 回転を加えた一撃が、光の刃が小さな傷を作ったのだ。


「やったぞ」


 小さな声で勝鬨かちどきをあげる。

 傷を与えられた。それはかすかな希望を生む。

 竜といえども、絶対の存在ではない。

 倒せはしないまでも、皆が逃げる時間を作る事くらいはできるはず、と。


 それも簡単に砕かれる。

 傷つけられた苛立ちを目に宿らせた竜が、羽を大きく広げて、大きく口を開いた。


 竜が敵に口を開く理由。

 ブレスに決まっている。


 ルシウスは全力で魔力を振り絞り、光を線から周囲へ放射する様に変える。

 目眩ましでも何でも良い。何とかしなければ、と焦る。


「間に合えッ」


 目も開けられない程の光が当たりを覆った直後、マグマがすぐ近くを流れているのでは無いのかと疑うほどの熱量を感じた。


 寸秒の間を置いて、爆音と爆風が吹き荒れる。


 剣の光が収まると、信じられない光景が広がっていた。

 ルシウスの僅か数メートル横が荒野となっていたのだ。


 先程まで深い森だった場所が、大きな球場がすっぽり入る程、焦土となっていたのだ。

 所々から煙が上がり、木だった破片が燃えている。


「ははっ」


 思わず乾いた笑いがこぼれた。


 これでは災害ではないか。

 ちっぽけな人間にできることなど、ほとんど無いだろう。


 竜の背後で動けないままのマティルダの姿が見える。


 しかし、それでも引けぬ事がある。

 ルシウスは再び立ち上がると、剣を構えた。



 ――――――――



 恐怖にかられ、一心不乱に逃げるオリビア。


 竜など、ここ100年以上観測されていない特級の魔物。

 1体で小国を焼き払ったとされるほどの魔物。

 国を、というのは流石に眉唾まゆつばだろうと思っていた過去の自分を引っ叩きたい。


 史実だ。

 そう確信させるだけの威圧があった。

 グリフォンを一方的にぎ払い、尾を叩きつけたら大地に傷ができたのだ。


 ――冗談じゃないわ


 せっかくグリフォンに会えたのにもかかわらず、直後の襲来。

 水を差された。


 だが、生きていれば次がある。

 今はとにかく生きなければ、と本能に従うままに逃げ出した。


 ふと、後ろを振り返った時、信じられないものを見てしまった。


 ルシウスが剣を持って竜に相対している様子が目に入ったのだ。


 ――信じられない


 あの強さがわからないのか、あの驚異が伝わらなかったのか。

 政治を理解せず、領民を守れる男爵になるなどと、のたまっている男など、そんなものだろう。


 なぜかオリビアの走りが少し遅くなる。



「立派な男爵は、簡単に家族を見捨てたりはしないんですよ。知ってますよね」


 ルシウスの声が聞こえる。


 ――ありえないわ


 竜に立ち向かう事が立派な男爵なら、子爵や伯爵は神にでも立ち向かうのか。

 なら王を目指す者は、何に立ち向かえば立派なのだ。


「あれは蛮勇よ、勇気じゃない。愚かな行為。本当に馬鹿」


 ルシウスを罵倒する声が漏れる。


 だが、なぜか更に走りが遅くなる。

 ほとんど歩いているような速度だ。


 生きていてこそだ。

 生きていれば王への道もまだ繋がる。


「そうよ。王になれば、私だって……」


 ――竜に挑めるか


 無理だ。


 どれほど剣術を磨こうとも、どれほど強大な式を従えようとも、竜に立ち向かうことなどできるはずがない。


 そう思うと、足が止まった。


 ルシウスの手は震えている。

 怖いのだ。

 死ぬほど怖いのだ。

 当たり前だ、自分と同い年の少年。


 いくら魔力が多かろうが、実戦を経験していようが、子供が剣一つで竜に立ち向かうのに怖くないはずがない。


 竜が、ルシウスを前足で切り裂いた。

 細切れになったと思った。だが、ルシウスは剣で竜の一撃を受け流し、あまつさえ反撃した。

 直後、尾で弾かれる。


 ルシウスが、河へ投げた飛石のようにバウンドしていった。

 追い打ちをかけるように竜が炎を吐き、森を焼き払った。


「やっぱり守れないじゃ――」


 だが、ルシウスは立った。

 そして、剣を再び構える。



「……………………」



 オリビアは言葉を失った。


『領民や家族、家臣を守れる男爵になる』


 一笑にしたルシウスの言葉。


 なんと小さな夢だろう、なんと了見が狭いのだ。

 自分の方が壮大な夢と大義を持っている。

 そう考えていた。


 だが、実態はどうだ。

 矮小わいしょうな夢しか持たぬ者が家臣を守るために剣一つで竜と切り結び、壮大な夢を持つ自分がすべてを置き去りにして逃走している。


 何が、北部のすべての貴族を、領民を救うだ。


 ルシウスやマティルダも、その1人ではないか。

 目の前で救うべき相手を置き去りにし、自分だけが逃げようとしている。

 ただ森を連れ回され、グリフォンと契約してみせると、言葉だけの小娘のままだ。


 思えばこの森に入ってから、常にルシウスは助けてくれた。かばってくれた。

 自らの身勝手な行動に巻き込まれたにもかかわらず、森へ入ったことを叱責しっせきはしたが、遭難したことに対しては一切責めなかった。


 オリビアが四大貴族の令嬢だからそうしたのではない。自分が村娘でも、おそらくルシウスは同じことをしただろう。


 守るべきものを守る為の行動。

 信念にもとづく行動。

 それだけだ。


 オリビアはその一連を見て、やっと理解できたのだ。

 本物の信念とは何か、を。



「ああ……だからルシウスは戦ってるのね…………」



 人の価値は夢の大きさで決まるのではない。

 志の壮大さで決まるのではない。

 ましてや、相対する者の強弱や己が置かれた立場で、信念が変わるものでもない。

 

 ルシウスをライバル視するあまり、その信念が見えていなかったのだ。

 あの日、1人で館から抜け出すのではなく、事情を話し、一言助けて欲しいと言えば、ルシウスはきっと助けてくれただろう。力を貸してくれただろう。


 ――でも、しなかった



「…………馬鹿は……私ね」



 オリビアは、なりふり構わず、再び走り出した。


 走る先には、大きな銀樹。

 その銀樹はくの字に折れ曲がっている。


 木のふもとには、竜の尾で叩きつけられたグリフォンが藻掻もがいている。


 折れた木が上からグリフォンをはさみ込んでいるが、それ自体はグリフォンにしてみれば問題ではない。

 竜の一撃による負傷にもだえているのだ。


 オリビアがグリフォンの近くに来た時、グリフォンは無理やり体をよじって、木から抜け出た。


 だが、グリフォンの視線の先にオリビアはいない。

 竜だけを見ている。


 小娘など眼中に無いのだ。

 グリフォンは竜の反対方向に向かって飛び立とうと、羽ばたき始めた。


 オリビアの手が届きそうな程に近寄り、一言、投げつける。


「逃げるの?」


 グリフォンは一瞬だけ振り返ったが、興味を示さず視線を戻した。


 ――傷だらけ


 近寄るとグリフォンの体は傷だらけだった。

 先程、出来たものではない傷も多い。


 朝、何度か目にした太陽の様な光。

 あれは竜との闘争だったのかもしれない。


 勝敗は明らかだ。

 グリフォンは今、逃げ出そうとしている。


「なにが王の獣よ。あんた、この森の王だったんでしょ? 自分より強い奴が来たらさっさと逃げ出すの?」


 まるで愚かな自分を見ているようだ。

 そう思うと不思議とグリフォンへの恐怖が和らいだ。


「剣の光を仲間が放ったものだと思ったのね。仲間に助けを求めに来たんでしょ? 違う?」


 反対に、グリフォンはうなり声を挙げ、苛立いらだっている。

 言葉を理解せずとも、下に見られている事は十分に理解しているようだ。


 グリフォンが威嚇するために雄叫びをあげた。

 だが、オリビアは動じない。


「やっと分かったの。優先順位が逆よ。国が無くなったのに王だけが生き残るなんて見るに堪えないわ。私はたとえ命を失っても自分の国は渡さない。だから、私が王になるの」


 オリビアは更に近づく。

 グリフォンの巨大な体躯たいくが、半歩下がった。


「王から降りるのなら、その翼を私に貸しなさい」


【騎獣の義手】をはめた左手で、グリフォンの頭に触れる。


 直後、グリフォンは光の粒子となり、オリビアの左手へと吸い込まれていった。


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