第21話 シュトラウス卿の苦悩

「仕方ありませんね。大人の私がしっかりしないと」


 マティルダは再び右手から妖精を喚んだ。

 何かのエネルギーの塊で作られたような小人が飛び出した。


 そして、マティルダが妖精へと話しかける。


「ティンク、魔物が少ない方向はどっち?」


 妖精はしばらく周囲を飛び回り、一方向を指差すと粒子になり右手に吸い込まれていった。


「あちらに行きましょう」


 マティルダが指差した方へ進み始めた。


 ――確かに理にかなってる


 マティルダの式は周囲の魔物の気配を感じることができる。

 当然、魔物が少ない方が危険も少ない。

 更に、森の奥へ行けば行くほど魔物の数は多くなると以前、父ローベルが言っていた。ならば、少ない方向は森の奥とは反対方向である村へと続く可能性は高い。


 前を進むルシウス達より一歩後ろを、オリビアは仕方なさそうに続いた。



 雨は続く。

 森の木々に遮られるため、雨が直接降り注ぐ事はないが、それでも濡れるものは濡れる。夏であったことは不幸中の幸いである。もし、寒い季節ならこの時点で動けなくなっていたかもしれない。


 オリビアはしきりに辺りを見回している。


「やっぱりまだグリフォンを探してるの?」


「そうよ」


 ルシウスはため息をついた。


 おそらく森の浅層まで強力な魔物が出てきているという話から、村から近い場所でもグリフォンが居る可能性を見出しているのだろう。


 その後は口数も少なくなり、黙々と歩く。

 体力は有限である。

 皆、話すことも控え、ただただ歩みを進めた。


 だが、一向に村へと辿たどり着かない。

 日が傾き始めた頃に、流石におかしいと皆、思い始める。


 マティルダの式のおかげで、魔物とは出くわすことはほとんど無いが、森の外へ出られない。



 困ったどころの話ではない。

 完全に遭難そうなんしてしまった。

 しかも、魔物がうごめく森の中で。


 それでも幸運な事に、3人は森の湧き水で喉を潤し、甘みがほとんど無いイチジクの秋果や蟠桃ばんとうで飢えをしのげたのだ。


 夕方、次第に辺りの光が失われていく。


「マティルダさん、今日は森で夜を明かしましょう。夜の暗闇の中で歩くのは危険です」


「……確かにそうですね」


 了承したマティルダの顔には、明らかに疲労が見て取れた。

 オリビアに至っては緊張と疲労で、顔に朝のような覇気はない。


 考えられる最悪のケースは日が完全に落ちてから、野宿の準備となってしまうことだ。

 灯りもない中、安全な場所を探さなくてはいけない。

 気が付かず魔物の餌場えさばで野宿してしまう可能性すらある。

 この場合、何がえさかは言うまでもない。


「ここで待っててください」


 ルシウスは辺りを探しまわる。

 雨をしのげて、魔物からも身を隠せる所を探しているのだ。


 10分ほど探し回った結果、銀樹の一本に、膝を曲げれば人がすっぽりと入れそうなほど木の樹洞じゅどうを見つけた。

 さすが、大樹として有名な銀樹である。樹洞じゅどうの大きさも桁違いであった。


 辺りに落ちている木を寄せ集めている最中に、ついに夜の帳が下りる。

 次第に、手元が見えなくなりながらも、急いで枝葉とつるで木のうろをすっぽり覆い隠せるようなふたを作り上げた。


「ルシウス様、すごいです。銀樹の樹洞に隠れるなど、思いつきもしませんでした」


 木の樹洞は小さな動物たちに隠れ家としてよく用いられると、前世に読んだ図鑑に書いてあった。

 アイデア自体は、知っていればすぐに思いつくことではあるが、実際に魔物が住む森で野宿する酔狂すいきょうな人間などいないだろう。斬新といえば斬新ではある。


「……まあ、地面にそのまま寝るわけには行きませんから」


 3人は身を寄せ合いながら、樹洞へと入ると、ふたで入り口を塞ぐ。

 粗末な出来ではあるが、それでも無いよりはマシだ。


 寝ている最中に魔物に襲われたのではたまったものではない。少しでも身を隠せる方がよい。


 夏の森は虫たちの大合唱が鳴り響いていたが、朝早く起きたこともあり、ルシウスはすぐにまぶたが重くなる。


 横でマティルダがゴソゴソと動いているが、気にならないほど眠かった。

 もうわずかで眠りに落ちるという時に、マティルダが耳元で囁いた。


「ルシウス様、服を脱いでください」


 耳を疑う。


「え? なぜ?」


「濡れた服は熱を奪います。夏とはいえ、体を壊してしまいます」


 確かにマティルダの言う通りだ。

 一日中、雨に降られた服はびしょ濡れである。

 動き回っている最中さいちゅうは気にならなかったが、ジッとしていると寒さを感じた。


 しかし、自分ひとり丸裸になるというのは気恥ずかしい。


「私はもう脱ぎましたから」


 暗闇で何も見えないが、確かに先程から感じるマティルダの熱は、肌の暖かさしか感じない。

 そして、マティルダが話を続けた。


「オリビア様も」


「わ、私はいいわよ!」


 声からも真っ赤になって居ることが分かるほどに動揺している。


「ダメです。命をして何かをなそうという方が、自己管理も出来ずに倒れるなどあってはいけません」


 マティルダは毅然きぜんとした態度で答える。


「うぅぅぅ」


 仕方なくルシウスとオリビアは、ゴソゴソと濡れた服を脱いだ。


「絶対にこっち見ないでよ」


 オリビアがルシウスを牽制けんせいする。

 とはいえ、全くの暗闇である。

 しかも10歳の子供など興味の対象外である。


「分かってるよ」


 皆、朝早くから起きており――オリビアに至っては徹夜だが――、さらに日中、歩き通しだったため、雑談もそこそこに、産まれたままの姿で身を寄せ合って、泥のような眠りへと落ちていった。





 翌日、ルシウスが目を覚ましたときには、既にオリビアもマティルダも木のどうに居なかった。


 万が一の事態が頭をよぎり、ふたを押しのけ、急いで外へ出ると、2人は服を着ている最中だった。


「あっち行って!」


 オリビアがルシウスの服を投げつける。


「あっ、うん」


 何と答えていいのか分からず、ルシウスは服を受け取ると、すごすごと木の裏へと回り込んだ。


 また濡れた服で一日過ごすと思うと気が滅入めいりそうだったが、一晩干していた服が乾いていた。

 これ幸いと、服を着て、すこし時間を潰してから表側へと回ると、オリビアとマティルダは準備を終えている。



 朝、雨は止んでいたが、いまだくもり。

 相変わらず太陽の位置が釈然しゃくぜんとしない。


 ――今日も、魔物が少ない方へ歩くしか無いか


 諦めかけたその時、遠くに強烈な光が一瞬だけ辺りを照らした。

 ほんのわずかな時間であるが、雲の間から太陽の日がのぞかせたのだ。


「マティルダさん、今の見ました?」


「ええ、見えました。あちらが東ですね」


 念の為、マティルダが妖精の式を喚んで確認する。


「あちらは魔物が少ないようです。方角も合ってます」


 先ほどの陽光がまたたいた方角が、村で間違いなさそうだ。

 遭難そうなんしていたと思っていたが、どうにかなりそうだと安堵する。


 そう思うと、一気に力が湧いてくる。


「急ぎましょう! 」


 足取りが軽くなる2人と対称的に、オリビアは諦念ていねんと断ち切れない未練という相反する思いを抱えた様子だ。


 だが、結局できることは歩くことだけ。

 3人は光が見えた方角へ歩み始めた。





 一方、ドラグオン邸には不穏な空気が流れていた。


「ドラグオン卿。説明してもらえるか?」


 さきほど到着したばかりのシュトラウス卿と夫人、側近たちがローベルの執務室に詰めかけている。

 近年すっかり牙を抜かれたとささやかれるシュトラウス卿とは思えないほど、剣呑けんのんとしている。


 対面式のソファーに浅く腰を掛け、お互い前屈みでの会談である。


 少しやつれたローベルが、答える。


「オリビア嬢が昨日の明朝、シルバーウッドの森で消息を絶ちました」


「それで?」


「今、村の魔術師を集めて捜索隊を組んでおります」


「そんな事は聞いていない! 私は、今どこにオリビアが居るのかと聞いているッ!」


「それはまだ、わかりません」


「さっさと探し出せ!」


 ローベルの瞳が怒りに染まる。


「……それだけですか?」


「何?」


俺の息子ルシウスは、1人で屋敷を抜け出したオリビア嬢を追って森に入った。家の侍女も、だ。しかも、この森に不穏が漂うこのタイミングに」


「元はと言えば、ローベル、お前がしっかり監視してなかったからだろうッ!」


「なら、こっちも言わせてもらいますッ! 更にさかのぼればシュトラウス卿がしっかりじゃじゃ馬の手綱たずなを握ってなかった事が原因でしょうがッ!」


「じゃじゃ馬とは何だッ!?」


「じゃじゃ馬でしょうがッ!」


 お互いに胸ぐらを掴み合った。


「ローベル、落ち着いて」

「貴方、今は喧嘩どころではありません」


 それぞれの夫人が横で言葉を挟む。


「「黙ってろ」」


 ローベルとシュトラウス卿が反論する。


「「貴方がおだまりなさい」」


 二人の夫人に気圧されて、思わずお互いの胸ぐらを掴み合っていた手を離す。


「本当に男はこういう時、役に立たないわね」

「全くです」


 二人の夫人は、紅茶をすすった。


 シュトラウス夫人が口を開く。


「それで、私の娘はまだ生きていると思いますか?」


 エミリーが淡々と答えた。


「息子と侍女がご息女と合流できていれば、という話ではありますが、おそらくまだ生きております。息子はまだ10歳の子供ですが、冷静で腕が立ちます。低級の魔物であれば遅れは取らないでしょうし、無茶もしないでしょう。また、侍女の式は感知能力が鋭い。よほど階級の高い魔物に遭遇しなければ、無用な戦闘を回避できるかと」


「ルシウスとドラグオン家の侍女に心から感謝しなくてはね」


「ですが、予断を許しません。村の詳しい者に聞いたところ、遭難は時間との勝負。体力の低下、食料や病、怪我の問題もあります。5日を過ぎたら生存は絶望的とのことです。また、森に不穏な気配が有ります」


 シュトラウス夫人は済ました顔で、話を続ける。


「では、明日、明後日にでも大規模な捜索隊を出しましょう。お金に糸目はつけません。全て我が家から出します。近隣の諸侯達にも救援を要請しましょう」


「待て! 待ってくれ!」


 シュトラウス卿の顔が曇った。


「そんな事をすれば、今回の醜態しゅうたいが皆に知れ渡ってしまうぞ」


 北部を統べるノリス・ウィンザー家の跡取り娘が、家出の挙げ句、現地の領主の言いつけすら守れず、魔物が生息する森で遭難。しかも、現地の領主の跡取りを巻き沿いにして、だ。


 家名が傷つくくらいなら問題ない。

 だが、娘オリビアが目指す王座への道は絶望的となる。


 シュトラウス卿も本気で娘が王座につけるとは思っていない。

 だが、大貴族の跡取り娘が、政治の中で出世を目指すことは至って健全だ。

 その結果、国の要職の1つでも掴むことができれば、北部の未来は細い糸ながら繋がる可能性すらある。


 どこか区切りの良いタイミング、それこそ命を狙われる前に、身を引かせれば良いと考えていた。

 それまでは10歳の娘の夢を陰ながら支えるつもりでいたのだ。ただし、命に影響がない範囲に限るが。


 だが、今回の遭難は醜聞が過ぎる。

 周りにさとされて尚、己の道すら失う者に、誰が国の行く末を委ねたいものか。


 周囲に知れ渡れば、娘の夢は、北部の未来は、完全に閉ざされてしまう。


「貴方はオリビアの命と北部の命運、どちらが大事なのですか」


「それは……」


 シュトラウスは答えにきゅうした。


「私は、迷いなくオリビアの命を選びます」


「だが……」


 北部を統括しているシュトラウス卿にはその選択は難しい。

 家族の為ならば、他のすべての貴族や領民など、知ったことではないと言っているようなものだ。

 しかも、かつての自分がそうだった様に、他の貴族達は、涙を飲んで子供たちを戦地へ送り込んでいる最中にだ。


 どちらが間違いでも、正しいでもない。

 何を大事にしたいか、という話である。


 悩むシュトラウス卿へエミリーが頭を下げた。


「シュトラウス卿、お願いです。私の息子ルシウスと侍女マティルダをお救いください。貴方にはその力があります」


 シュトラウス卿は唇を噛んだ。


「だから、あなたは駄目なのです。あなたはウィンザーでしょう。子供の醜聞程度、跳ね返してみせなさい」


 シュトラウス夫人が畳み掛ける。


 もとより選択肢など無いのだ。

 娘がこのまま死ねば、恥も外聞もあったものではない。

 例え、娘の、北部の将来が閉じられようとも、生きてこそ、だ。


「…………わかった」


 シュトラウス卿は苦渋の決断をした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る