第20話  再び森へ

 まだ薄暗い夜明け前、ルシウスは目を覚ました。


 昨日、上級の魔物と出会った事により、神経が昂ぶっていたのか、遠くで鳴り響いた雷鳴で目が覚めてしまったのだ。


 窓から外を見ると、遠くに雨の中、傘もささず歩いている人がいる。

 その髪は長く、薄水色。


「オリビア?」


 村には同じような髪色の人間はいない。


「あれ? どこに行くんだろう?」


 寝ぼけまなこで頭が回らず、しばらくベッドの上で、呆けていた。


 だが、時間が経ち、徐々に目が覚めると、先程の光景の異様さに気がつく。

 こんなに朝早く、大貴族の令嬢が傘もささずに、1人出歩くなど尋常ではない。


 考えると、すぐに答えは分かる。


 森に行くに決まっている。

 そのためにシルバーハートへ来たのだから。


 ――父さんに行くなって言われたから、1人で黙って行ったのか!


 頭が急に回転し始めたルシウスは、慌てて着替えると、剣を持って部屋を飛び出した。

 廊下を走ると、朝の準備をするために起きたマティルダに出くわす。


「ルシウス様。こんな朝早くにどちらへ?」


 まだ寝間着姿のマティルダに問われる。


「オリビアが1人で森へ向かったんだ! 早く連れ戻さないと!」


「はへぇ?」


 起きたばかりのマティルダには何を言っているのか理解できなかったようだ。

 だが、時間がない。


「ともかく父さんと母さんへ伝えてください! 僕は連れ戻しに行ってきます」


 そう言い残すと、ルシウスは小雨降る中、森へと向かって走り出した。




 ベッドの上で、寝起きのまま呆けていた時間は10分だろうか、20分だろうか。

 なぜあの時、すぐに気が付かなかったのか悔やまれる。


 もう森に入ってしまったのではないかと、頭によぎる。

 昨日、オリビアは帯剣していなかった。

 おそらく武器も持たずに魔物が住む森へ子供が入っていったのだろう。


 ――自殺行為だ


 魔物の中には子供や女を好んで襲うものも少なくない。

 女は繁殖の器として、子供はやわらかい肉として。


 いずれにせよ、ろくな死に方はしないことをルシウスは知っていた。


 ――急がないとッ


 夏とはいえ、まだ夜明け前、雨を浴びれば体は冷える。

 震える体を走る熱で温めながら、森の端へと到達したが、道中でオリビアと、すれ違うことはなかった。


 森の境界にある、ぬかるみを見ると、まだ出来たばかりの小さな足跡が目に飛び込む。


 ――間に合わなかった……


 落胆が頭をもたげた。

 だが、落ち込んでばかりも居られない。


 次はどうするべきか。


 父ローベルへ助けを求めて、一度家に帰る。

 それが最初に浮かんだ案だ。


 だが、それは既に侍女マティルダがしてくれているはず。


 マティルダの顔が浮かぶと、【鑑定の儀】の帰り道、ゴブリンたちに襲われた様子が頭をよぎった。

 ゴブリン達に組み伏せられ恐怖にひきつるマティルダの顔が、オリビアと重なる。


「……時間がない。子供の足だ、それほど奥には入っていないはず」


 ルシウスは意を決して森へと足を踏み入れた。

 大人たちから絶対に近寄ってはならないと、何度も言われたシルバーウッドの森へ。


 昨日、魔物に襲われた事が思い起こされる。

 父と一緒なら、それほど怖くはなかった。

 いざという時には、いつもローベルが助けてくれた。


 だが、今は1人。


 何が起きても、すべて自分だけで対処する必要がある。

 すぐ近くにある茂みから、魔物が飛び出てくるのではないかと肝が冷える。


『一秒でも早く森から出たい』という思いが、一歩進むごとに増していく。


 それでも前へ進むのは、勇気からではない。


 ドラグオン家はこのシルバーウッドの森を管理するための家である。

 ルシウスが目指す立派な男爵バロンは森を治めることも仕事のうちだからだ。

 その森へ足を踏み入れた子供がいるのだ、前に進む以外の道はない。


 今は形式上、シュトラウス卿の領地となっているが、今でも実質的にドラグオン家が管理している。一時は、ゲーデン子爵が管理していたようだが、うまく管理できず、すぐに召し上げられた程の難所でもある。


 しばらく森を進んでいくと、突然、森全体に響いたのではないかという少女の叫び声が耳に飛び込んできた。


「きゃああぁあ!!」


 ルシウスは全速力で声が響いた方へ走る。


 どれほど走ったのだろうか。

 普段は屋敷の周りを10周しても息は上がらないはずが、喉の奥がひりつくほど乾き、肩で息をし始めた頃に、少女の姿を捉えた。


 何かから必死に逃げており、服の袖とチュニックのスカートが引き裂かれている。

 肩から流れる血を必死に抑えながら走っている。

 それでも肩から流れる血は、左手にはめた【騎獣に義手】へと滴っていた。


 だが、生きている。


 ――良かった


 森に入らない決断をしていれば、間に合わなかったかもしれない。

 ルシウスは安堵と共に、先程から握りっぱなしの剣を再び強く握った。


 オリビアの背後を追いかけるのは、4体の毛むくじゃらの人。

 背は大人程だが、全身が緑色の毛で覆われており、毛の奥から光る目と手の先に汚れた爪だけが見える。


 ――トロルか


 ルシウスはオリビアとトロルの群れの間に滑り込む。


「ル、ルシウス?」


 意表をつかれたオリビアの声が漏れる。


 ルシウスは、オリビアに構わず剣を振り上げる。

 魔力を込めると剣に淡い光が宿る。

 全力の魔力を使ってしまっては、今後何か起きた時対処できなくなる為、必要最小限の魔力にとどめている。


「引けッ!」


 オリビアに話しかけたのではない。

 トロルたちに問いかけたのだ。


 魔物は獣ではない。高い知能を持ち、人との意思疎通が可能なものも多い。

 もっとも人とは違う価値観、倫理観で生きているため、交渉がうまくいくことはあまり無いが、目についたからと言って殺して良い存在ではない。


 ゴブリンのように、ほぼ必ず仲間を引き連れて戻って来るケースでは、群れ全体への影響を最小限に抑える為、有無を言わさず少数を処理することもあるが、それは特殊な例だ。


 管理とはただ殺すことではない。

 境界を守らせる行為だ。

 人と魔物は共にあるとローベルは言う。

 その力ゆえ、災いも呼ぶが、同時に人に益を与えもする。

 最たる例が式だ。

 魔物が居なければ人は式の力を失い、同時に生きる力を失う。


 トロルたちの足が止まった。「グロオォ」としきりに奇声を挙げている。

 雨がそうさせたのか、毛むくじゃらのトロルたちからは酷い獣臭が漂った。


「引くんだッ!」


 更に声と共に剣に魔力をこめると光が一段と強くなる。

 トロルの長い毛から煙が上がった。


 トロルの1体が牙を見せて唸り声を挙げる。


 ――クソッ、ダメか


 ルシウスが刃を前へと向けると、唸り声を挙げた1体が、木陰へと消える。

 残された3体も後に続くように、雨の降る森へと消えていった。


「フウ、よかった」


 何が起こるかわからない森である。

 できるだけ魔力と体力の消費を抑えたかったのが本音だ。


 振り向くと、腰を抜かしたように座り込んでいるオリビアが居た。

 やはり武器などは所持していない。

 その姿に安堵するとともに、怒りが湧いてきた。


「何でこんな馬鹿なことを! 死にたいのかッ!」


「……ああっ、本物……?」


 オリビアが困惑気味に、手をルシウスへと伸ばす。

 だが、気持ちを押し込めるように、その掌を握りしめる。


 表情は恐怖に染まっているが、同時に強い意思が宿っていた。


 オリビアはルシウスをにらみつけると、

 肩の傷を押さえながら無言で立ち上がり、再び歩き始めた。


「おい! どこへ行くんだ!?」


 オリビアは振り向きもせずに、つぶやくように答えた。


「……グリフォンのところよ」


「父さんの話を聞いてなかったのか、この森はいつもと違う。 普段、もっと深い所にいる強い魔物が村の近くに出てきてるんだ。こんなときに子供だけで探しに行くなんて死にに行くようなものだ」


「……もう多くの人が死んでるのよ、それも随分前から。私1人だけが、城の奥底にこもっているわけには行かない」


「何の話?」


 ルシウスにはオリビアの話が理解できない。


「ルシウスは、英雄みたいに私を助けたつもりかもしれないけど、何も助けてなんかいない。私を、北部を助けたいなら、今は見逃しなさい。ルシウス・ノリス・ドラグオン」


 オリビアの泥で汚れた顔は、どこか気高いと思ってしまう何かがある。

 だが、それとこれは別だ。


「できるわけ無いだろ」


「なら、いい」


 オリビアは口を固く閉ざし、再び歩き始めた。


「ちょっと!」


 ルシウスはオリビアの後へと続き、説得しながら、しばらく森の中を歩く。

 雨天の為、朝日は差さないままだが、辺りは明るくなり、すっかり日は昇ってしまった。


 これ以上進めば、本当に来た方向すら、わからなくなる。


 力ずくでもオリビアを連れて帰ろうとしたとき、雷鳴が轟いた。

 ルシウス達のすぐ近くにある木へと雷が落ちたのだ。

 小雨の中、木からわっと炎が立ち昇る。


「危ない」


 雨の中である。

 森全体に火の手が回ることはないだろうが、周囲に引火する可能性はある。

 ルシウスはオリビアの手を引いて、炎から逃れるように走った。


 森の中を、ただ逃げ惑う事が危険であることは理解できているが、今は身を守らなくては、と。しばらく走り、煙の臭いが全くしなくなった所で立ち止まる。


 一息ついた時、二人の横をスウーっと青白い何かが通り過ぎた。


 ルシウスはオリビアをかばうように前にでて、剣を構える。


 ――何か居る!


 周囲の森を隈なく探す。

 すると近くの茂みが揺れた。


 雨で滑りそうになる剣の柄を握り直す。



 直後、茂みから白と黒の生地で作られたメイド服を着た女が出てきた。


「は?」


 よく見ると、それは侍女のマティルダであった。


「マティルダさん?」


「よかったぁ。ルシウス様もオリビア様も見つける事ができました」


 マティルダが心底ほっと胸をで下ろした。


 マティルダの近くに光り輝く何かが飛んでいる。

 羽の生えた小人だ。

 だが、肌や生物のような質感はなく、何かのエネルギーの塊のような不思議なもので体が構成されている。


 その小人はマティルダの右手へと吸い込まれていった。


「私の式にルシウス様を探させました」


「あれがマティルダさんの式?」


「そうです。妖精ですね。それより早く森を出ましょう。さっきから火の臭いと、所々強い魔物の気配が漂ってます」


「魔物の気配がわかるんですか?」


「ええ、妖精はとても弱い魔物ですからね。自分より強い魔物の気配には敏感びんかんなんです」


 よく見ると、マティルダも武器を帯びていない。

 丸腰で森に入ったようだが、オリビアと違って、服は汚れているものの無傷である。

 式が有ると無いとでは、これほどまでに違うものか。


 人は式を介することでしか、体外の魔力を感じることができない。なぜなら、魔力を感知する為の器官が人には無いからだ。だが、魔物は生まれながらにして、周囲の魔力を感知する術式を保持している。


 それにも鋭い、鈍いがあるようで、マティルダの式は鋭い術式を持っているのだろう。


「父さんは近くに?」


「いえ、旦那様は昨晩からずっとお戻りになっていません。奥様へお伝えして、すぐにルシウス様を追ってきました」


「なぜマティルダさんが?」


 本当に意味がわからない。


「ルシウス様、恐れながら申し上げます」


 マティルダが大きく息を吸い込んだ。


「あなたもまだ子供です! 子供だけでこの森に入ったのに、大人が追いかけない訳無いでしょう!」


 マティルダが大声を挙げた。

 言われてみれば至極当然なことである。


「……はい、すみません」


 謝ったルシウスに満足したのか、マティルダがため息を付いた。


「さて、帰りますよ」


「……」


 さすがのオリビアも先ほど魔物に襲われたばかり。

 特に意見はしない。


「そうですね。帰りましょう」


 だが、2人の足がハタと止まる。


「さあ、ルシウス様、先導を。私はこの森にほとんど入ったことはありません」


「僕ですか? でも、マティルダさんの妖精に案内してもらったほうが良くないですか?」


「いえ、この森は瘴気が強すぎて、近くならともかく、森の外まで妖精には感知できません。森の中に入ってからも、随分ルシウス様を探したんですよ?」


 まず前提として、ルシウスもほとんど森に入ったことはない。

 街道に彷徨さまよい出てくる魔物の対処が大半だ。

 数少ない森に入った経験も常にローベルと一緒だった。


 森には目印となるものは少ない。

 風景は季節が巡る度に変化していく為だ。


 最も頼りになる目印である太陽も、今は雨雲で覆い隠されている。


「おそらくあっち?」


 なんとなく逃げ惑ってきた方向を差した。


「本当ですか?」


 マティルダが疑り深い目線でルシウスを見る。


「……帰り道、わからないかも」

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