第19話 オリビアの覚悟

 オリビアは、四大貴族の長女として、産まれた。

 誇り高く思慮深い父と、厳しくも情け深い母のもと、すくすくと育った。


 人より早く歩き始め、人より早く言葉を覚えた。

 そして、人より少し早く、ものごころが芽生えた。


 すぐに才媛としてもてはやされ、本人も周囲からの期待に応えられる様に、振る舞った。


 痛みを伴う【増魔の錬】にも耐えた。

 父も母も兄も無理をしなくていいと言ったが、魔力が増えると褒めてくれた。

 それがたまらなく嬉しかった。


 だが、3歳を境に一変した。


 ルシウスが現れたのだ。


【鑑定の儀】で、初めて会っただけの少年に対して、父は今まで自分と兄にしか向けたことがない期待の視線を送っていた。


 ――きらい


 直感的に感じた。


 家宝であった魔骸石を砕いた少年だと、父と母は嬉しそうに教えてくれた。

 人を蘇生させる神秘の石などと世間では有難ありがたがられるが、いざ使おうと思っても滅多に発動しない。


 石自ら人を選ぶ、などとうそぶかれるが、使いたいときに使えない道具など、置物程度の価値しかないと両親は言っていた。


 更に、もともと国内でも有数の危険地帯であるシルバーウッドを管理するドラグオン家に対しても信任があった。領民を思いやるがゆえに、慢性的な財政難であるドラグオン家の負担を減らすため、魔骸石に対する保証の名目で、シルバーウッドの管理を預かったほどだ。


 その息子が史上初の4つの魔核持ちで、その内1つは既に1級に達していた。

 第1級の魔力量など、騎士団長クラスである。


 否が応でも両親の期待は高まった。


 そして、【鑑定の儀】以降、誰もオリビアの魔力量に言及しなくなった。

 父も母も兄も家臣たちも。


 北部の貴族はもとより、他の地域の貴族たちとの会話でも、ルシウスの名が上がる。

 オリビアの名は、自己紹介の時程度しか、誰も口にしない。


 ――悔しい


 心から思った。

 だから【増魔の錬】を続けた。




 オリビアが8歳の時だった。

 東部の紛争へ出兵していた兄が戦死したという知らせが届いた。


 王位継承権を持つはずの男が、北部を統べる大貴族の跡取りが、いつもオリビアの成長を喜んでくれた兄が、一兵卒の様に敵に討たれたのだ。


 変わり果てた兄の遺体を、父が抱きしめながらむせび泣いていた。

 初めて父が涙を流している姿を見た。


 兄の死は、どうしようもなく悲しかった。

 同時に、両親の打ちひしがれる姿に、とても胸が締め付けられた。


 後から分かった事だが、兄は特に危険な前線へ、一介の将校として送り込まれたらしい。


 聞けば、長らく王を輩出していないノリス・ウィンザー家は、既に政治の中枢から外されており、四大貴族の跡取りである兄ですら、決して丁寧には扱われていなかったらしい。


 いや、兄だけではない。

 北部の貴族達の多くが、そのような扱いを受けていた。

 子息を失った貴族は多く居たのだ。


 それでも国のため、武功をあげるため、子らに複数の魔核を宿す【授魔の儀】を試みる貴族も影では多く居るという。


 他の地域の貴族が、北部の貴族たちを何と呼んでいるか。


『子返しの蛮北』だ。


 貴族の間でも禁忌とされる複数魔核を宿らせようとする家が後を絶たない為、野蛮な奴ら、だと。


 幼いオリビアはそれを耳にしていきどおった。


 ――そうさせたのは誰よ


 更に火に油を注いだのはルシウスだった。


 4つの魔核を宿らせる事に成功した為、事あるごとに他の地域の貴族が言うのだ。

『次の4つの魔核持ちは、いつできるのか? いつ戦いに出せるのか?』と。


 ただでさえ国から冷遇される北部の貴族たちは、功を焦り、他の貴族たちにおくれを取るまいと、複数の魔核を宿らせようとした家が、いくつも出たのだ。


 結果、毎年行われる【鑑定の儀】の参加人数が如実に減った。

 悪い年では3人ほどしか参加しない年もあったほどだ。


 裏では、複数の魔核を持たせようとする北部の人間をあざけっておきながら、リスクだけは積極的に負わせようとする。

 政治的発言力を失いつつある北部の現状を端的に表していた。



 兄が死んで以来、すっかり覇気はがれ落ちた父が、更に老け込んだ。


 貴族の数が減り、管理できる者が少なくなれば、土地は荒れる。土地が荒れれば領民が去り、領民が去れば更に土地が荒れる。


 今ではない。

 それはオリビアの子の世代、孫の世代になるだろう。

 だが、100年先まで考えられないようでは為政者ではないのだ。


 北部は風前の灯火となった。


 そのきっかけを作ったルシウスが更に許せなくなった。


 ――絶対に許さない


 対抗心を燃やし、これまで以上に勉学に励み、【増魔の錬】も続けた。


 そんなある日、一冊の本と出会った。

 どこの貴族の家にもある国内法が羅列してある法典だが、とある一文に釘付けとなった。


 アヴァロティス国法

 第1条 第4項 2号――

 曰く「前号に定める王位継承権がある者は、この性別を問わない」


 オリビアは自分にも王位継承権があることを知った。

 調べれば女性が王になったケースは珍しくはない。


 だが、父や母がそれを知らせなかった理由も明白だった。

 王座を巡る争いは苛烈かれつを極める。死人が出ることも珍しくはないと聞く。


 兄を亡くした両親は一人娘となったオリビアを、それから遠ざけたのだ。


 そう。

 既に両親は一族から王を輩出することを諦めていた。


 現王の在位は長く、既に30年以上、政権が続いている。

 父は王の器が有りながら、機会に恵まれなかった。

 王が頻繁に変わることを良しとしないこの国では、慣例的に王位へ挑む為に、年齢も重視される。

 現王が崩御したとき、父が王へ推挙すいきょされることはないだろう。父自身がそれを一番よく理解していた。



 近い将来、四大貴族は三大貴族になるだろう。

 そうなれば今の寄り子の貴族たちはどうなる。もはや貴族とは名目だけの存在となり、他の貴族たちにむさぼり食われるだけの存在に成り果てる。


 そして数多の領民達の将来も推して知るべし。


 ――私が王にならなければ


 死んだ兄の無念を、

 人が変わってしまった両親を、

 我が子を死線へ送る北部の貴族たちを、

 儀式に絶えきれず死んでいくであろう将来の子供たちを、

 そして北部に生きるすべての領民を、


 私が救わなくては、と。



 王に至る道は険しい。


 金、権力、縁、運、機智、謀略、人望、いくらあっても足りない。

 それでも、貴族にとって意味のある力、式はまだ選べる。


 王の獣グリフォン。


 強力な式を持つことは交渉力も存在力もあげる。

 ただの小娘でもグリフォンを従えていれば、交渉も見下されることはない。


 いざというときに力で屈服さられるというのは、相手を強気にさせるが、グリフォンがいればいくらでも対応できる。

 皆、式というわかりやすい力を持っているがゆえに、優劣が可視化されやすいのだ。


 オリビアの差し当たっての目標は、グリフォンとなった。




 式を持てる年齢となった時、州都バロンディア近辺の魔物生息地ではなく、遠く離れたシルバーハート領へ行くと言って、引き止める両親を振り切り、なかば家出に近い状態で飛び出した。

 グリフォンが生息する森に最も近い領であり、あのルシウスがいる場所である。


 式の記録と調査を担う一族オルレアンス家の前当主に同行する事となったのも、幸運だった。

 王命により、前当主自らが、わざわざルシウスのもとへ足を運ぶという話は面白くはなかったが、それでも同行させてもらうことで、懸案だった移動の足も確保できた。


 そして、憎きルシウスとの久しぶりの対面。

 ドラグオン家へ着くと、早々にルシウスへ何か一言、言ってやらなくては気がすまなかった。


「ルシウス・ノリス・ドラグオン! アンタには負けないからッ!」


 だが、当の本人はオリビアの事など忘れていた。


 ――やっぱり許せない


 次の日の鑑定。

 痛みに耐え、死にもの狂いで【増魔の錬】を行ってきた甲斐もあり、2級まで魔力量は増えていた。目標に着実に近づいているようで嬉しかった。

 だが、ルシウスは更に上を行った。

 4つの魔核すべてが1級だったのだ。


 急にみじめになった。


 何が王になる、だ。

 何が皆を救う、だ。


 簡単にライバルに負ける程度の努力しか出来ない者が王などに成れるものかと、誰かに笑われた気がした。


 たまらず精一杯の負け惜しみが、口を出た。


「フンッ! 私はまだ負けてないわ! 魔力の多さだけが重要じゃないって、お父様も言われてたから!」


 その言葉はあっさりと正論で返された。


 どこかで期待していた。

 もてはやされたルシウスが、堕落だらくしているのではないか、と。

 努力を忘れ、貴族としての責務も放棄しているのではないか。


 だが、そんな事はなかった。

 むしろオリビアが今まで会った、どの子息よりも貴族然きぞくぜんとしていたのだ。


 はやる気持ちを抑えながら、シルバーウッドの森に入った。


 どこにでも居る第6級の魔物ゴブリン。

 見ると聞くでは大違いだ。ただの錆びた手斧でも斬られれば人は死ぬ。

 死を連想すると、途端に足が震えた。


 だが、ルシウスは当然のように襲ってきたゴブリンたちを斬り伏せた。

 式も持たずに。

 それでも負けたくない一心で虚勢きょせいを口にする。


「わ、私にだって出来るわよ!」


 その言葉もさとされるように返された。


 途中の魔物との契約を見て、どんどん自信が無くなってきた。

 十分な魔力量があれば、契約は問題ないと、どこかでたかを括っていた。


 だが、魔物に近づき触れる必要がある。

 しかも魔物側も必死なのだ。触れれば確実に契約できるわけではない。

 事実、村人は何度も触れはしたが、すぐには契約できなかった。


 特に自分の階級より上の魔物をくだす為には、魔力以外でも、魔物に己を認めさせる何かが必要とも聞いた。


 ――もしグリフォンに触れて契約を拒まれたら……


 グリフォンの爪は鋼鉄を容易に引き裂いた、という。

 もし失敗すれば、体が輪切りにされるだろう。


『怖い』


 そして、その恐怖と同じくらい苛立いらだちが募る。


 父は頑なにグリフォンとの契約が認めなかった。

 それにもかかわらず、ルシウスにはグリフォンと契約させろと、書状を送っていた。


 ドラグオン卿へ直接交渉しても、取り付く島もなかった。

 自身が、義と情に厚く、裏表がない性格のため、心の底では他者もそうであると考えているタイプだ。ゆえに人が持つ悪意をかろんじる。



 ――もう誰も信じられない



 そんな時、ペルーダという蛇の魔物に襲われた。

 奇襲とはいえ、強かった護衛があっさりと毒牙に敗れ、ドラグオン卿が勝てないと撤退を決めた。


 ――これで2級? なら1級のグリフォンは……


 自身が恐怖に震える中、ルシウスは1人で果敢かかんに戦っていた。

 同い年の子供なのに。


 ――私とルシウスでは何が違うの


 その後、逃げるように森から脱出した。


 こんなはずではなかった。

 グリフォンと契約を終えて、戻るつもりだったのだ。



 やっとの思いで逃げ帰ると、ドラグオン男爵が告げた。


「しばらく式探しは中止だ。森への立ち入りを禁じる。どうも様子がおかしい」


 ――待って


 時間がかかりすぎれば、父が迎えを寄越すに違いない。

 今、シルバーハート領を離れれば、もうグリフォンと契約する機会は二度と訪れないだろう。


 つまり王への道が閉ざされるということだ。



 その夜は眠れなかった。

 自分こそが凋落ちょうらくする北部を救えると思っていた。

 だが、現実は森をただ連れ回されるだけの小娘に過ぎなかったのだ。


 ――このままじゃ駄目


 オリビアは一睡いっすいもせず、考える。

 空が白ばんだころ、立ち上がり、着替えを終えた。


 静まり返った屋敷を歩き、玄関ホールへと降りる。

 玄関近くの戸棚の上に置いてあった【騎獣の義手】を手に取ると、玄関の扉を開けた。


 小雨が降っている。


 水色の髪に雨が指したが、傘もささずに外へと向かった。


 ――今、諦めたらすべてが終わってしまう


 オリビアは1人、シルバーウッドの森へと向かった。


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