第17話 シュトラウス卿の画策

 森を歩き始めて2時間は立った頃だろう。

 昼に差し掛かった時にローベルがささやいた。


「居たぞ」


「領主様。アレですか?」


 キールが指を指す。

 巨大な樹の上に何か黒い鳥のようなものが止まっている。


「そうだ。ペリュトンという魔物だな」


「……聞いたことありません」


「あんまり有名じゃないからな。だが、あしは一級品だぞ」


「なら、ペリュトンでお願いします」


 頭を下げたキールの左腕には既に【騎獣の義手】がはめられている。

 ずり落ちそうな篭手こてを抑えている。


「だが、おかしいな。ペリュトンは5級の魔物だ。普段ならもう少し森の奥にいるんだがな」


 ローベルは不可解そうにしながら、先ほどと同じように静かにヒッポグリフを左手から喚ぶ。

 キールは言われるがままに、ヒッポグリフにまたがった。


 先程と同じ様に、ヒッポグリフは大空に舞い上がる。

 おそらく先ほどのクラウドシープと同じ様に近くまで行って触れるのだろう。


 ヒッポグリフがペリュトンが止まる大樹と同じ高さまで上がると、先程とは違い急接近はしない。むしろ静かにゆっくりと飛んでいる。


 ――ん? 近づかないのか?


 少しずつ間を詰めていく。

 ヒッポグリフの接近に気がついたのか、ペリュトンが黒い翼を広げて飛び立った。

 飛び立つとすぐに重力に従って、急降下していく。


 ヒッポグリフは先程の間の緩やかな動きが嘘のように負けじと急降下し始めた。


 翼を広げたペリュトンとヒッポグリフが地面に向かって一直線に落下している。

 木の下に居たルシウス達にもペリュトンの姿をはっきりと捉えられた。


 真っ黒な牡鹿おじかのような体躯に翼を持つ魔物だ。

 ヘラジカのような立派なつのが付いている。


「ぶつかるッ!」


 地面まであと僅かとなった時、ヒッポグリフは風をまとい急ブレーキを掛けた。


 だが、ペリュトンは一切速度を緩めない。

 そのまま地面へと直進する。


 地面へめり込んだと思われたペリュトンは、自らの影へと吸い込まれるかのように、スッと消えていった。


「クソッ、失敗したか」


 ルシウスの近くでローベルが悔しがった。


「……消えた?」


「ああ、ペリュトンはな、自分の影に潜って、遠くへ逃げるんだ。逃げ足はピカイチでな」


 ルシウスは同意する。


「確かに、速さと言う意味ではいい魔物だね」


「領主様。僕はアレを絶対に”式”にしたいです」


 普段、あまり自分の意見を言わないキールが珍しく目を輝かせる。


「ああ、任せておけ! 領にペリュトンを騎獣にできる者がいたら、俺も助かる」


「はい!」


 ローベルの言葉にルシウスは、ハッとする。


 ――そうか。父さんが引率してるのは領の為でもあるんだ


 父ローベルが村の子供に式を与えるのは親切心ばかりではない。

 式の力は多種多様だ。

 1人がすべての力を持たなくとも、村人や仲間が担ってくれればいい。


 あの影に潜って素早く移動する魔物を式にできれば、何かあったときの伝達にはもってこいだろう。

 少なくとも以前の【鑑定の儀】の帰り道。キールがあの魔物を式にしていれば、1人村に帰って加勢を求めることも出来たはずだ。


 先程のクラウドシープが何の役に立つのかはわからないが、何らかの意図があるのだろう。


 1人納得するルシウスを他所よそに、ローベルが次の場所を目指し始めた。


「さて行くぞ。ペリュトンはこの森の由来になっている銀樹シルバーウッドに止まっていることが多い。この辺りの銀樹を探すぞ」


 それからしばらく森を歩き回り、何度も銀樹を探しまわった。

 途中、魔物にも遭遇したが、ルシウスの出番はあまりなくローベルと護衛騎士があっけなく仕留めていく。


 ペリュトンを見つける度、同じような事を繰り返すことになった。

 2匹目、3匹目は同じように接近を気づかれ触れる前に逃げられてしまった。

 4度目、初めて触れることが出来たが契約を拒まれ、逃げられる。

 5匹目は触れられず、6匹目は触れる事はできたがやはり契約には至らなかった。


 そして7匹目のペリュトンへ背後から、ヒッポグリフにまたがり近づくローベルとキール。


 かなり近くまで来たときにペリュトンが背後から忍び寄る存在に気が付き、急降下を始めた。

 ヒッポグリフも同時に垂直降下する。


 ヒッポグリフとペリュトンの距離が次第に近くなるが、すでに地面が近すぎる。

 ローベルの顔にも諦めが宿った時、キールが伸ばした腕がペリュトンの羽をかすめた。


 それに気がついたローベルは、ブレーキを掛けるべきタイミングでも緩めない。


 ローベルとルシウスの視線が合う。


「皆、逃げて!」


 着地地点近くに居たルシウスが叫ぶ。

 声を聞いた護衛騎士と、逃げることに慣れているポールが素早く動いた。


 ひと足先に逃れた護衛騎士が、手を差し出す。


「姫様、こちらへッ!」


 だが、咄嗟とっさのことで、オリビアは状況がわからない様子だ。

 ルシウスは、1人残されたオリビアを片手で抱きかかえ、走る。


「ちょっとッ! な、何するのよ!」


 オリビアが抱えられながらも暴れる。

 ルシウスはそれを無視して、着地地点から一刻も早く離れなくては、と走る。


 地表にいた皆が散らばった直後、2体の獣が地面へと飛び込んだ。


 先程までルシウスたちが立って居た辺りに、何かが爆発したかのような風が吹き荒れる。

 驚いたオリビアが悲鳴に近い声を上げる。


「何!? 何が起きたの!?」


 舞い上がった土煙が次第に薄くなると、2体の獣が地面にいた。


 ヒッポグリフとペリュトンだ。


 キールは文字通りヒッポグリフにしがみついており、肩で息をしている。

 髪がぐしゃぐしゃで、瞳孔どうこうが完全に開ききっている。


 ――死ぬほど怖かったろうな


「いやぁ、危なかった。フォトンが風のクッションを作ってなかったら割れたトマトになってたぜ」


 快活に笑いながらヒッポグリフののどでるローベル。


「でも、契約はうまくいったな。キール、根性見せたじゃねえか。それに、いつもより浅い層に居てくれて助かった」


 ローベルがキールを地面におろすが、立てないのか、そのまま地に腰を落とした。


 へたり込んだキールに対して、契約したばかりのペリュトンが鼻先を顔に当てる。

 「はへ」と抜けた声を挙げたキールの左手にペリュトンが吸い込まれていった。


 満足そうにローベルが1人うなずいた。


「さて、今日はそろそろ切り上げるか」


 日は傾いており、陽の光は赤みがかっている。

 確かに、これ以上、深入りしては日があるうちに帰れないだろう。


「ちょっと、待って下さい。グリフォンを探すんじゃないんですか?」


 一日中、文句も言わずに付いてきたオリビアがたまらず抗議の声を上げた。


「いや、今日中にグリフォンがいるほど深い場所まで行くのは無理だ」


「では、なぜ連れてきたのですかッ?」


 ローベルの顔から笑顔が消える。


「実際に契約を見てもらうためだ。魔物は階級が高くなればなるほど、膨大な魔力を持ち、危険になる。見たから分かると思うが、契約のためには、直接グリフォンに触れる必要がある。言っとくが、さっきみたいに連れてって、触れるだけってのは無理だぞ」


「……覚悟の上です」


「王ってのは、子供にそこまでさせる程のものなのかね」


 オリビアが真剣な表情を浮かべる。

 先程までの年相応の無鉄砲さではなく、貴族の顔となっている。


「ローベル・ノリス・ドラグオン男爵。あなたもノリスを冠する貴族なら分かるはずです。北部からは、しばらく王を輩出できていない、この意味を」


「そりゃあまあ、中央での力はどんどん弱くなるわな」


 政治力とは派閥の力である。

 王は居るが、この国は絶対王政ではない。それでも王が立てることができた一族の政治力は強くなる。

 だが、しばらく王を輩出できていない北部の発言力は相当弱っているのだろう。


 いや、もしかしたら既に無いのかもしれない。


 教科書には決して載らない政治のパワーバランスは、どうしてもわかりかねるものである。


「であれば、協力していただきたいです、ドラグオン卿。私は北部にあるすべての貴族達の命運を背負い王座に挑みます。それが、ノリス・ウィンザーに産まれたものの責務です」


 オリビアとローベルの視線が一直線に交わる。

 ローベルは頭を掻いた。


「ったく、一丁前なつらしやがって。嬢ちゃんの父上シュトラウス卿から預かった書状では、諦めさせろって言われてんだがなぁ」


「……お父様が? なぜ? 家の為になることなのに」


「我が子に死ぬような事させて、良しとする親なんていないだろ。その上、ルシウスにグリフォンと契約させろとまで書いてあった。あのオヤジは人の息子を何だと思ってんだ。殺す気かっての。もっとおとなしい1級の魔物も居るだろうがッ」


 ルシウスにはシュトラウス卿の意図が今なら分かる。

 先程のローベルと同じである。

 領民に有益な式をもたせれば、それは領全体の力になる。

 指導者がすべてを他人に依存する事は論外であるが、全てを指導者だけで行う必要はないのだ。


 シュトラウス卿は娘ではなく、配下の貴族であるルシウスに担わせようと画策していたのだろう。


「お、お父様は私では……なく……ルシウスに……?」


「まあ、親の心なんとやらってやつだな」


 護衛騎士も気まずそうに顔をそらす。

 当然、シュトラウス卿から密命を受けているだろう。


 オリビアが目をうるませながら、ルシウスへ詰め寄った。


「何で!? 何で、いつもアンタなの!? こんなに努力しているのに……お父様もお母様も他の貴族たちもルシウス、ルシウス、ルシウスって。四重唱カルテットがそんなに偉いの!? 1級の魔核がそんなにすごいの!?」


「あ、えっ? いや……」


 返事にきゅうする。


「……負けない。絶対! 絶対にグリフォンと契約して見せるわ!」


 ルシウスは何が何やら、全くわからない。

 そこまで敵対されるいわれがない。


「まあ、お嬢ちゃん、落ち着け。グリフォンが住む森に一番近い俺の領までわざわざ足を運んできたその行動力は認める。シュトラウス卿も思いの強さを認めたからこそ、まだここに居れるんだろ?」


「ならばッ!」


「とりあえず一晩考えて――」


 激昂するオリビアをローベルがなだめようとし時、辺りに臭気が立ち込めた。


 ローベルが辺りを見回す。


 気がつくと薄紫色の薄霧に覆われていた。

 視界自体はそれほど悪くはない。

 それでも、つい先程まで何の変哲もない森だったのが不思議なくらいだ。


「あまり深く息を吸うな。おそらく毒だ」


 ローベルが口を手で抑えながら、ヒッポグリフのフォトンを喚ぶ。


「ぐうぉッ」


 突如、男の叫び声が響いた。


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