第5話 貴族の家

 3年後――


 ルシウスは1人、部屋の床に座していた。

 いわゆる座禅のような座り方だ。


 時間はまだ朝。

 日は昇りきっているが、人によっては寝ている時間である。


 3歳とも成れば、大分感覚は前世と近くなる。一人で歩き回り、会話し、食事も排泄もできる。


 普通の3歳児がどんなものかは知らないが、少なくとも前世の記憶と人格を受け継いだルシウスにとっては、大抵のことはできるようになっていた。


 トントントンと開いているはずの扉を叩く音が響き、振り向くとまだ成人前の侍女マティルダが立っていた。


「ルシウス様、お食事のご用意ができました」


「マティルダさん、ありがとうございます」


 侍女はうやうやしく頭を垂れるが、表情は怪訝けげんそのものだ。


「また魔力を感じる訓練ですか?」


「そうですね」


 左手や右手に体に宿るものを、両親やマティルダは魔力と呼んだ。


 初めて聞いたときは、新興宗教ならもっと気の利いた名前をつけろと呆れたものだが、たまに訪れる外部の人達にも魔力で通じていたため、魔力というものは一般的に認知されているものらしい。


 そう、どうやらこの世界は、自分が知る世界ではないようだ。


 言語も英語だと思っていたが、近いというだけで同じものではない。


 文化も大きく異なっている。


 車やビルはもとより、テレビやスマホなど前世では当たり前だったものを一切目にしない。いくら見知らぬ外国の片田舎でも、車くらいは走っているものだろう。


 そして、人々の髪や目の色が前世では見たことのないほど彩色豊かなのだ。

 父親の赤毛も染めているのか思っていたが、どうやら地毛らしい。

 マティルダの目は紫色だが、それも当然カラコンを入れているわけではない。


 不思議だとは思うが、それらは大した問題ではない。

 髪や肌の色など、見慣れてしまえば特に何も思わない。

 言葉は覚えればよいし、スマホが無くても不便だが生きてはいける。


 だが、1つだけ、どうしても耐え難く、受け入れ難いことがあった。


 ――貴族に産まれてしまった――


 父は男爵であり領主でもある。母は当然、男爵夫人と呼ばれる。

 お手伝いさんと思っていた若い女性マティルダは侍女だったのだ。


 その事実を知ったとき、ひどく狼狽ろうばいした事を今でも覚えている。

 正直、家の格式だとか、名誉だとかに、二度と関わりたくなかったのが本音である。


 前世の両親は、公家に連なる華族であったことに、執心していた。

 愚民とは違う、歴史が違う、重みが違う、と口癖のように言っていたのだ。

 法律上は何一つ特権など存在しない前世の両親ですら、家柄にあれだけ執着していたのだ。


 現役の貴族など、輪をかけて酷いに決まっている。

 今は、まだ幼い為、いろいろな事をされているかもしれないが、いつ家名の奴隷になることを強要されるのか戦々恐々としていた。



 ルシウスは、体内に巡らせていた左手、右手、目、口に宿った各々の魔力を、元ある位置へと還した。


「よし。今日の分は終わりだな」


「ルシウス様は、よくあの痛みに耐えられますね。私には出来ません」


 マティルダの猜疑さいぎは未だに強く感じる。

 ものごころ付いたときから距離を感じていたが、マティルダがルシウスを見る目は最近、より一層厳しいものとなっていた。


 ――まっ、いいか。兄弟が出来たら出ていくし


 ルシウスは男爵家を継ぐつもりなど無い。今はまだいないが、兄弟ができればさっさと家督かとくなど譲る予定だ。

 その日までは、無難に、軋轢あつれきなく生きていた方が良いと考えていた。


「慣れですね。さあ、いきましょう」


 ルシウスはえりを正し、シャツを整えると。マティルダと共に部屋を出て、ダイニングへと降りる。

 ダイニングへと降りると、既に母親と父親は席についていた。


「遅れました」


 とっさに謝ったルシウスに対して、父ローベルが笑う。


「気にすんな。そんなことより早く食べようぜ」


「はい」


 母エミリーの隣席に着くなり、マティルダがベーコンとパンを取り分け皿へと盛り付ける。


「マティルダさん、ありがとうございます」


 ルシウスは愛想よく話しかけた。


「いえ、ルシウス様。お気になさらずに」


 マティルダは気味の悪いものでも見るかのように、視線を向けるとすぐに目をそらした。


「ルシウス、また魔力が強くなったんじゃないのか?」


 父親は空気を読まずに、ルシウスが最初の一口目を食べる前に話しかけてきた。


「そうですか?」


 父ローベルは白い歯が見えるほどの笑顔を向ける。


「俺は、ルシウスの将来が楽しみで仕方ない!村でもお前の話で持ちきりだぞ!」


 父や領民は、なぜかルシウスの魔力量が増えることを喜ぶ。


 左手や目に宿る魔力を体を巡らせた後、元あった場所へ還すと、わずかにだが魔力量が増加するのだ。

 痛みを伴う行為であるが、意識を取り戻してから欠かさず毎日やってきたのだ。

 増えぬほうがおかしい。


 後から知ったことではあるが、【授魔の儀】を両親は1回しか行うつもりがなかったらしい。


【授魔の儀】は、貴族に産まれた子息に対して、生後1ヶ月頃、必ず施す事が法律で決まっているが、複数箇所行うことはだと教えてもらった。


 そもそも命に影響がある儀式である。複数回行うことは滅多に無いらしい。


 記憶が無い体裁で、次の儀式が行われる日を探っていたが、その事実を知ったときは虚無感で2日ほど何もする気になれなかった。


 だが、魔力の移動だけは続けた。


 最初は動かぬ体で単に暇だったから、次は儀式に備えるためだったが、近頃はローベルが喜ぶ為にやっているようなものだ。

 いつか出ていく家でも親が喜ぶことをする。それが前世の呪縛だと、ルシウス自身はあまり理解してないのだが。



「父さんの期待に応えられるよう、努力します」


「おいおい、いつも言ってるだろ? その他人行儀な言葉遣いを直せって。お前はまだ3歳だろ。いったいどこでそんな言葉を覚えてきたんだかな」


「……分かりました」


 ルシウスは苦笑いを浮かべる。

 そもそも前世では父親や母親に必ず敬語を使えと、口酸っぱく教えられた。

 気安く声をかけようものならほほを叩かれていたのだ。

 一度染み付いた習慣は、簡単には抜けない。


 言葉の微妙なニュアンスの違いも、まだよく分からない為、できるだけ丁寧な言葉を選んでしまう。


「おお! そうしろ! それと、ルシウス、明日発つぞ」


「明日? どこに行くのですか?」


「州都バロンディアだ。【鑑定の儀】が行われる」


「【鑑定の儀】?」


「そうだ。周辺の貴族たちが集まって、子供たちの魔力の測定を行うんだ」


「貴族たちが集まる会、ですか」


 ――行きたくないな……


 反射的に拒否反応が起こる。

 前世も、旧華族たちが集まる会合に何度か同席させられた事があるが、それは酷いものだった。


 各々の家の子供達を、大人達が囲んで、品定めをする。めるように観察され、採点されるのだ。点数は決して口にしないが、雄弁に表情が語る。


 会合の最中に、些細ささい粗相そそうをしようものなら、帰宅後に父と母による折檻せっかんが待ち受けていた。


 思わず顔が引きつると、母エミリーの手が肩へ添えられた。


「ルシウス、緊張してるのね。大丈夫よ、パパとママも一緒に行くから」


「……家名を汚さぬ様に注意します」


 能面のような顔を貼り付けながら、ルシウスは力なく答えた。

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