第4話 不吉の子

 エミリーは、乳飲み子と共に、夫の帰りを待っていた。


 昼下がり、窓辺に置いた椅子に腰掛けている。

 生後3ヶ月を過ぎた息子は順調に育っているが、毎晩の授乳による寝不足で、眠気と気だるさを感じる。


 椅子の横にはベビーベッドが置いてあり、ルシウスがすやすやと寝息を立てている。

 長く伸びた茶色の髪を前にらしながら、白い指でルシウスの頭をでる。

 みどりの瞳は、どこまでも温かい視線を息子へと注いでいた。



 息子はあまり泣かない子だと、幼い兄弟を持つ侍女のマティルダに言われたのは、先週の事だった。


 寝ている時間は人並みだが、起きている時間は泣きもぐずりもせず、じっとしている事が多い。


 時折、苦しそうに顔をしかめるが、とくに泣くことは少ない。


「ルシウス、本当に何ともない? ママはあなたが心配よ」


 エミリーは息子のひたいあたりを優しく撫でたが、熟睡しているためか、ルシウスは反応しない。


 もう一度、でようとしたとき、部屋の扉がゆっくりと開いた。

 部屋に入らず扉の外から十代後半ほどの侍女が小声で呼びかけてくる。


「奥様、お茶になさいませんか?」


 エミリーはルシウスの寝顔を確認した後、うなずいた。

 毛布をかけ直し、音を立てずに静かに立ち上がる。


 ゆっくりと部屋を出ると、扉を細心の注意を払いながら締めた。


「マティルダ、ありがとう。ちょうど眠くてお茶が欲しかったところなの」


「無理をしてはいけません。子育ては持久力と忍耐が何より大事だと母が言ってました」


 2人は階段を下り、1階にあるダイニングへと向かう。

 すでに机には侍女マティルダが入れたお茶と菓子が置いてあった。


 2人共、向かい合うように席へとつく。

 雇い人と侍女が同じ席でお茶をすることは、あまり一般的ではない。


 だが、貧乏な田舎貴族である。


 家、唯一の侍女であり、子育ての協力者であるマティルダをエミリーはとても頼りにしており、家族のような関係を構築していた。


「やはり……ルシウス様は、なんと言うか、反応が薄すぎますね。泣くときもありますが、うちの妹達は比べ物にはなりません。やはりの影響でしょうか?」


「……わからないわ。何の影響もなければいいのだけど」


 エミリーは【授魔の儀】の事を思い出す。

 貴族達には生まれながらの支配者階級という特権があると同時に責務を負う。


 この国では、貴族の家に生まれたすべて子に対して、生後1ヶ月を経った頃、魔力を人為的に宿させる【授魔の儀】を受けさせる責務がある。


 魔力を体に無理やり流し込むため、大人でも耐え難いほどの激痛を伴うとされる。

 さらに受ける魔力に耐えきれず、命を落とす赤子もいるという危険な儀式である。



 事実、エミリーの最初の子は儀式で命を落とした。



 失意の中、授かった二人目の子であるルシウスに【授魔の儀】を受けさせる時も、心配でたまらなかった。


「あの時は本当にどうなることかと……」


 エミリーは思い返すだけでも、背中に冷たいものが流れるよう感じる。


「ルシウス様は儀式で、からね。あの時は私も思わず悲鳴をあげてしまいました」


「私もよ、マティルダ。万が一の為に、魔骸石を借りていたのだけれど、本当に使う事になるなんて……」


「ですが、奥様。死人すら生き返らせる奇跡の石、魔骸石。良からぬ噂も耳にします。魔骸石を使われた人が、まるで他人の様に性格が変わってしまったり、狂ってしまったなんて話も噂も――」


 エミリーは深く考えるように瞳を閉じた。

 まぶたに裏には、幼くして亡くなってしまった第1子の顔と、2階で寝ているルシウスの顔が浮かぶ。


「マティルダ。私はルシウスが生きているだけで十分よ。たとえ、何かの影響があったとしても、生きていてさえくれれば、それ以上は望みません」


 マティルダは己の失言に気がついたようで、思わず口に手を当て、口ごもった。


「失礼な事を言ってしまい、申し訳ありません。どうも私は心配なことをそのまま口にしてしまうようで……」


 エミリーは怒っていない。

 むしろ裏表を作れないマティルダを好ましくさえ思っている。


「いいのよ。ただ……」


「ただ?」


「気がかりな事があるのは確かね。ルシウスの魔力が日に日に強くなっている気がするの」


「奥様もですか? 私も、もしかしたら、と思っていました」


 エミリーは嫌に乾く口に紅茶を含んだ。


「本当に、何も無いといいのだけれど」


 エミリーは我が子に不安を抱えながら、時折見せてくれる笑顔が、今後も続く事を心から祈った。



 沈黙が場を支配したとき、ドアが開く音が家に響いた。

 玄関からのようだ。


 侍女のマティルダが急いで立ち上がり、玄関へと急ぐ。

 とは言っても小さな屋敷である。

 2人がお茶をしていた部屋の隣がすぐ玄関ホールだ。


 玄関へと向かったマティルダが驚いた声を上げる。


「旦那様!」


「え?」


 エミリーも驚いて席をたち、足早に玄関ホールへと、向かった。

 玄関には、赤髪の短髪に、革と布で作られた外套がいとうを羽織った、筋肉質な若い男が立っていた。

 帰りを待ち焦がれた夫の姿である。


「ローベル! どうしたの? 帰宅はもっと先のはずじゃあ」


 長旅から帰ってきた為か、やや疲れの色があるが、満面の笑みを浮かべている。


「ただいま、エミリー。君と息子の顔を早く見たくて、急いで帰ってきちまった。体調はどうだ?」


 エミリーも思わず笑みがこぼれた。


「もうすっかり大丈夫よ」


 帰ったばかりの当主ローベルが、マティルダへ荷持やコートを渡していく。

 一通りの荷物を渡し終えたところで、エミリーがたまらず本題を切りだした。


「シュトラウス卿は何と?」


「領地の4分の1ほど差し出すことで、納得してくれたさ。ッたく、あの強欲オヤジ、調整に何ヶ月掛けさせるんだっつの」


 エミリーは思わず口に手を当て、悲鳴にも近い声を上げる。


「そんな! 4分の1も……」


「借りてた魔骸石をルシウスに使っちまったからな。うちのような貧乏一家には領地くらいでしか払えん。それに領民が居ないシルバーウッドの森で勘弁してくれたんだ、御の字だろ」


「でも、代々守り続けてきた森なのに……」


 ローベルはエミリーに近づくと、腰に手を回し、反対側の手を大げさに広げた。


「おいおい! 魔骸石で、ルシウスが息を吹き返したときに、貴族なんて辞めるから儀式を止めてって叫んでた、あのエミリーが何を惜しんでるんだ」


「あのときは、私たちの子を2人も奪わないでって、頭が一杯だったから……」


 ローベルは、いたずらっぽく笑いながら妻の手を取る。


「それで領地と引き換えにした、愛しの息子は?」


「今は2階で寝てるわよ」


「今すぐ会いに行くぞ!」


 場所を聞いたローベルはエミリーの手を半ば強引に引きながら、階段を駆け上がり、寝室の扉を手早く開けた。


「そんなに急がなくても、ルシウスは逃げはしないわ」


「いやいや、2ヶ月も会えてなかったからな」


 夫婦はベビーベッドの端まで来ると、さく越しに我が子を眺める。

 ドタドタという音を立てたせいか、幼いルシウスは目が覚めたようで、ぼんやりと目を開けている。


「ローベルが大きな音を立てたから、起きちゃったじゃない」


 小言を言うがローベルの耳には届いていない。

 繊細な氷細工でも扱うように、丁寧に、緊張しながら両手でルシウスを抱き上げることに夢中だ。


「ルシウス。パパだよ〜、さみしかったでちゅかあ〜」


 エミリーは吹き出す。


「変な声出さないでよ。笑っちゃうでしょ」


 ハハッとローベルも笑い返したが、抱きかかえた息子を凝視すると、すぐに真剣な表情となった。

 空気が変わった事をエミリーも察する。


「どうしたの?」


「ルシウスの魔力量、高くないか? もう俺くらいありそうだぞ」


「最近、日に日に増えてる様子で、ちょっと心配してるの」


 ローベルは破顔した。


「さすが俺達の子だ! この子は強くなるに違いないぞ! きっと領民たちを照らすルシウス小さな太陽になってくれる!」


 ローベルの中で、不安そうな顔を浮かべていたルシウスが泣き始めた。


「ほらほら、ルシウスが怖がっちゃったじゃない」


 エミリーは夫の手から息子をすくい上げる。


「エミリー、少しくらい泣いたくらいで取り上げないでくれよ」


「ダメ」


 ねるローベルを横に、エミリーはルシウスをあやし始めた。


「安心して、まっすぐ育ってくれれば、それだけで十分。私達の小さな希望


 ルシウスは落ち着いたのか、すぐに泣き止み、眠りへと戻っていた。

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