第2話 転生

 砂に混じった砂鉄の粒が、磁石に吸い寄せられるように、散りばめられた記憶の断片が一気に収束し、形を成した。


 記憶が意識を呼び起こし、意識が自我を形作るまでは、心臓が一拍鼓動するよりも短かかった。


 目を開けると、木で作られた天井が目に入る。


 ――あれ? 生きている? 


 体が溶けてしまったはずの自分がまだ生きている。


 どうやら、部屋の中に居るようだ。

 目がぼやけている為、視界がはっきりしないが、雰囲気として、木材と石材で作られたた古い居室のようだ。


 視線を足元へ落とすと、4〜5人ほどの人が見える。

 やはり視界がぼやけている為、不明瞭だが、女性がすすり泣く音と男性たちの怒声が聞こえる。

 一度、認識してしまえば、先程まで耳に届いていなかった事が不自然なほど、慌ただしい様子だ。


 状況を確認しようと声を上げる。


「アうゥ、キゃク」


 が、声がでない。

 体が消えた影響だろうか。


 ――参ったな


 だが、よくあれで助かったと感心する。


 四肢はともかく頭部まで消失したのであれば、絶望的な状況だと思ったが、どうにか一命をとりとめたらしい。

 周囲にいるのは医者や看護師だろうか。


 他人事のように考えていると、左手が握られる感覚がする。

 周りにいた1人が、手を取ったらしい。手はゴツゴツしており、シワのある触感からおそらく老年の男性だろう。


 ――あれ? 左手があるのか?


 消えたはずの左手が握られたことに驚く。

 ほぼ同時にひと目をはばからず、女性の泣き叫び声が、一層強くなった。

 まだ若い女性の声だ。


 なにやら左手を取った老人へ、何かを仕切りに訴えているようだ。

 耳がはっきり聞こえないのか、何を言っているのか全くわからない。


 ――どういう状況なんだ?


 今にも掴みかかりそうな勢いの女性を、近くに居た他の若い男が、慌てて制止する。

 制止した若い男性が消え入りそうな声をしぼり出すと、左手を掴んだ老人がうなずく。


 老人は左手を掴んだまま、ブツブツと何か唱え始めた。


 ――何かの儀式か?


 老人が掴んだ左手にじんわりと温かい何かが流れてくる。

 お湯を掛けているのかと思ったが、どうも感覚が違う。


 今まで感じたことのない不思議な感触。


 ――ん? 痛み?


 徐々に感覚が強くなり、緩やかな触感が鋭い痛みへと変わっていく。

 それが激痛に変わるまで時間はかからなかった。

 てのひらに穴でも開けられているかのような鋭く耐え難い程の痛みだ。


 ――痛い!痛い!痛い!


 声にならない声が絶叫となって現れる。


「ウギャァあああッ!!!」


 更に痛みが強くなり、焼け付くような酷痛が左手から全身へと広がっていく。


 ――何すんだよッ! 今すぐ止めてくれッ! 


 必死に振りほどこうとするが、強く握られた左手はピクリとも動かない。

 反対側の手で引きがそうとするが、手が全く届かない。

 必死に体をくねらせ、のたうち回るが、体が鉛でも付けられているかのように重く動かない。


 あまりの痛みに意識を失いそうになると、痛みのせいで目が覚める。

 そんなサイクルが何度も続き、只々、終りが来ることを祈り続けた。



 終わりは突然、訪れた。

 のたうち回っていた時間が1分だったのか1時間だったのかも分からない。


 時間の感覚が麻痺するほどの惨苦さんくにのたうち回り続けると、やっと老人が左手を離してくれたのだ。


 老人が手を引くと、痛みが嘘のように収まった。


 ――終わったのか


 周囲の悲鳴が一斉に歓喜に代わり、安堵に満ちていく様子が伝わる。


 汗が吹きだし、硬直しきった全身を冷やす。


 泣き叫んでいた若い女が自分へおおいかぶさった。

 女が流した涙が、ぼたぼたと顔へと落ちる。


 ――この人は何で泣いてるんだろう


 妙に温かい涙を感じながら、意識を失った。


 ◆ ◆ ◆


 記憶を取り戻してから、一週間ほど経った。

 初日の痛みは地獄のようだったが、翌日以降は何も起きていない。

 再びをやられるのではないかと、数日はかなり警戒していたが、4日目あたりから考えることを止めた。


 分かったことが、いくつかある。


 どうやら転生したらしい。

 自分の正気を疑い、受け入れるまで3日ほど掛かったが、間違いない。


 輪廻転生。

 死後、新しい世界に生まれ変わるという話は聞いたことがあるが、自分に起こるとは思っていなかった。


 短い手足に動かぬ体、自分より遥かに大きな母親と思われる若い女性からの授乳。

 これが転生でなければ何だというのだろう。

 気が狂った可能性もまだあるが、現状の全てが、今が赤子であることを示していた。受け入れざるを得ない。


 ――次はどんな家に生まれたんだろ


 一週間前に起きた事を考えても、あまり良い予想ができない。


 ――産まれたばかりの赤子にあんな痛みを与えるとか、やっぱり今回も毒親だよなあ



 次に、自分の名前はおそらくルシウスであること。

 母親と思われる若い女性が、頻繁にその言葉を発する上に、それに反応すると嬉しそうにすることから間違いないだろう。


 そして、母親は英語のような言葉を話す。

 日本で生まれ育った為、受験英語くらいしかわからないが、知っている単語が何度か出てきた。


 ――アメリカか、イギリスに転生したんだろうか


 前世の記憶があるというのは不思議だ。

 自分の意識は転生前のままだが、体だけが赤子になっている。

 何もしなくて良い赤子というのも悪くないが、困ったことが1つ。


 ――ひまだ


 動かぬ体でやることもなくひまを持て余していた。

 最初の2、3日は転生という事態に色々と思いをせていたが、結局動けない体である以上、泣く、排泄、授乳、寝る位しかやることがない。


 最後だが、正確にはあと1つできることがある。


 ――やるか


 左手に何かされて以降、左のてのひらを感じるのだ。

 前世には全く感じなかったものを感じる。


 そもそも他人になった事など人生で初めてだ。

 本人にしかわからない感覚というものがあっても不思議ではない。


 まるで血のようであり、筋肉のようでもあるが、どこか身体的ではないものが、確かに存在する。


 ナニカを、動かせることを知ったのは一昨日のことだった。

 意識すれば少しだけだが動かせたのだ。


 一昨日は手首の辺りまで、昨日は左のひじの辺りまで動かすことが出来た。

 だが、動かしたナニカは気を抜くと、すぐに左手の掌に還ってしまう。

 厄介なことに、還ると左手が痛む。


 1週間前の謎の儀式に感じた痛みに比べれば、たいしたことはないが、痛いのは嫌だ。

 一昨日は動かせる事が分かり、戻った痛みで泣いてしまった。


 二度とやるものかと固く決意した――

 が、暇すぎて翌日もやってしまった。


 またしても還ったときの痛みで泣いてしまった。


 ――アレだな。ひまは人を殺すって本当だな


 なんだかんだ言いながら、暇すぎてやってしまう。

 寝返りすらできないほどに、体が動かない。少し前まで受験生として、時間を惜しんでいた身からすると手持ち無沙汰が過ぎるのだ。


 掌のを動かす。

 昨日よりもスムーズに動き、あっさりひじを通過し、二の腕辺りまで到達した。


 ――うん、調子いいな


 感心した時、急にドアがひらかれ、女性が入ってきた。

 母親だ。

 緊張が張り詰め、意識が母親へ向いたため、集中が切れてしまった。


「あっ」


 間抜けな声とともに、二の腕にあったが、急速に掌に還った。

 痛みが走る。


「うぎゃぁああ」


 その後、空腹と相まって、ギャン泣きしてしまった。


 ◆ ◆ ◆


 記憶を取り戻してから一ヶ月ほど経ったある日の夜。


 ルシウスは暇潰しのために、左手に埋め込まれたを相変わらず動かし続けていた。

 最近は左手を大きく超えて、胴体や右手の肘辺りまで動かすことができる。

 また、左手にを還すときの痛みにも慣れてきた。


 ――後少しで右手の掌まで動かせるようになるな


 特に目的があったわけではない。

 左手から伸ばして肩や胴体を通り超えた先にあったのが右手というだけだ。


 右手の手首辺りまでを移動させ、掌へと差し掛かったときに、鋭い痛みが走る。


 ――痛ッ


 とっさに右手の手首までを引っ込める。


 ――なんだ今の?


 ルシウスは確かめるようにゆっくりと、慎重に右手の掌に流し込む。するとまたピリと痛みが走る。

 

 左手にあるを体内で動かしていたときには特に痛みは感じなかった。

 戻るときに少し痛む程度だ。

 だが、それが右手に到達したときに似たような痛みがある。


 流せば流すほど、痛みが比例して上がっていく。

 これ以上に耐えられないと思う所で、引っ込める。


 すると違和感を覚えた。


 引っ込めたはずのを、右手にも、微かだが感じるのだ。

 念の為、すべて左手に還してみても、やはり右手にわずかだが感じる。


 つまり左手と同じようなことが右手にも起こり得るということだ。

 

 血の気が引く音が聞こえる。


 ――もしかして……アレを左手だけじゃなくて、右手にもやるのかよ……


 二度と経験したくない苦痛を、もう一度味わう可能性に戦慄せんりつする。

 こわばる体に反応したようにブリュッと脱糞してしまった。


「うぎゃぁああ」


 空腹と相まって、やはりギャン泣きしてしまった。

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