【書籍化】男爵無双―貴族嫌いの青年が田舎貴族に転生した件―

水底 草原

少年と貴族

第1話 現世

「お前、本当に出来損ないだな」


 父親が、スマホでメールのチェックしながら吐き捨てるように呟いた。

 高圧的な態度だが、目線は頑なに合わせようとしない。


 直立したままに余一よういちは唇を噛んだ。


「……あと少しだったんです」


 余一よういちは東京大学入学試験成績と書かれたハガキ用紙を手に握りしめている。

 用紙には、合格まであと2点足りなかった事実だけが冷たく記載されていた。


「言い訳とは、呆れたものだ。そんな事だから受験程度で失敗することもわからんのか、愚図ぐずが。銀条家の名を汚すなと何度言えば、理解できる?」


「……すみません」


 父親は事あるごとに【銀条家】という言葉を好んで使う。

 旧華族、公家に連なる銀条家として、世間に認められる成果を常に求めた。


余一よういち、このままだとお前はみたいになるぞ。そもそも銀条家に生まれたものとしての自覚が足りん。銀条家というのはだな――」


 父親はスマホを前に机に置き、銀条家の歴史について延々と説明を始める。

 銀条家の成り立ちだの、祖先の功績だの、華族の心構えだのの話は、物心ついた頃から事あるごとに聞かされてきた。


 余一よういちは父親の言葉を、心を冷たくしながら言葉の羅列として認識しようと努める。うつむきながら床にある小さな傷の数を頭の中で、数え始めた。


 1、2、3、4、5、6…………

 表情を凍りつかせながら、ただただ黙って立ち続ける。


 床の傷をほぼ数え終えたころ、父親が機嫌悪そうに太平洋戦争終了後の華族制度廃止を語り始めた。


 余一はここぞとばかりに口を開く。


「銀条家の名を守りつづけるために、尽力します」


 淀みなく、感情なくいい慣れた言葉を口から吐き出した。


 父親にとっては産まれる前に施行されたはずの華族制度廃止は、耐え難いものであるようだ。

 父親が噛みしめる苦渋を、多少でも緩和する言葉を告げることで、小言から解放されることを学んだのは小学校の頃だった。


 父親は話を止め、細長い目で余一をにらむ。


「来年は絶対に合格しろ。失敗は許さんからな」


「……はい、わかりました」


 余一は深く一礼して、父親の部屋を後にすると、廊下を足早に歩きだした。


 台所を通り過ぎると、母親のすすり泣く声が聞こえてきた。同時にボコボコと言う鈍い音が響いている。


 横目でみると、母が涙を流しながら、合格祝いのために準備していたであろうケーキやお寿司をゴミ箱へ捨てている。


 余一が横を通り過ぎたことは分かっているはずだが、視線はゴミ箱へと向けたままだ。

 代わりに、母親は余一へ聞こえるように一言だけつぶやいた。


「――本当に恥ずかしい」


 母親の涙は、余一への同情の涙ではないことは、最初から分かりきっていた。


 口を固く結びながら台所を通り過ぎ、余一は家の北端にある和室へと入る。


 和室の奥には、綺麗に清掃され供え物がされた大きな仏壇と、埃をかぶった小さな仏壇の2つがある。

 小さな仏壇に置かれた遺影には、自分と同い年くらいの青年の写真が写っていた。


 遺影の青年は、くすぶった感情を瞳に灯し、明るく髪を染め上げ、着崩した服の下にはタトゥーが垣間見えている。


「兄ちゃん、またお父さんに怒られたよ」


 余一は、遺影の後ろに隠してあった物を手に取る。

 昔、流行った古い携帯ゲーム機とゲームのカセットだ。


 小さな仏壇には滅多なことでは、両親は近づかないため、物を隠すには良い場所となっている。


 幼い頃、兄弟で熱中したモンスターを捕まえて仲間にしていくゲーム。

 カセットに色違いがあり、兄弟でそれぞれ違うバージョンを持っていた。

 寝る間も惜しみ、兄弟でモンスターを交換しながら、図鑑の完成、対戦、厳選にのめり込んでいた日々が懐かしく感じる。


 その楽しかった過去に浸りたいと思う度、余一は兄のもと遺影を訪れた。


 今日のように。


「確かに受験には失敗したけど……俺、頑張ったよ? 本当に頑張ったんだよ。それなのに最初の一言目が『出来損ない』だってさ。それに、母さんは俺の存在が恥ずかしいらしい。ウケるだろ?」


 余一の兄は、2年前、悪友の運転する車へ同乗し、単独事故により呆気なく帰らぬ人となった。

 両親の干渉が特に強くなったのは兄が死んでからだ。

 東大を出た後、財界へ行くことを強要するようになってきた。


 それまでは、ただのスペア一号余一に過ぎなかったのに、だ。


 余一はカセットを手に取ると、駆け上がる様に階段を登り、自分の部屋へとはいる。

 部屋には、机、本棚、ベッドくらいしかない。


 席に腰掛けると、携帯ゲーム機にカセットを挿入する。まだ兄と遊んでいた楽しかった時代に戻るために、ゲーム機の電源をいれた。


 しかし、携帯ゲーム機のスクリーンは真っ黒なまま。


 久方ぶりに起動したため、携帯ゲーム機の充電は無くなっていたのだ。

 急いで、机の辺りを探すが、充電ケーブルが見当たらない。


 ――捨てられたな


 母親は勉強に不要だと思うものは、片っ端から勝手に捨てていく。

 ゲームや漫画も高校に入ると同時にすべて捨てられた。


 今、手に持っているゲーム機とカセットは、両親に反抗した兄の遺品だ。

 それも両親に見つかろうものなら、翌日には不燃ごみに出されるだろう。


「仕方ない、買いに行くか」


 余一は財布を握りしめ、駅前にある中古ショップへと向かい始めた。





 上着を羽織っていても、3月の空気は冷たく張り詰めている。

 数日前から寒波が訪れ、真冬に戻ったかのような寒さだ。当面、春は来ないだろう。


 住宅街に張り巡らされた、道路を10分程度歩いた頃に、雪まで降り始めた。

 顔に雪が当たり、しびれを感じながら歩みを強める。


 ――早く買って帰ろう


 突然、違和感を覚えた。


 視界がやけに狭い。


「なんだ?」


 余一は立ち止まり、辺りを見回した。

 しかし、誰も居ない平日昼間の住宅街に雪が降っているだけだ。


「気のせいか?」


 気の迷いかと思い、再び歩みだそうしたとき、体がぐらついた。

 慌ててポケットから手を出そうとしたが、左手が出せない。


 いや、


 体を支えるべき手が無いまま、余一は道路へと倒れ込んだ。

 倒れた痛みも捨て置き、左手を凝視する。


 ひじから上が無くなっている。


「何だ、これ」


 訳が分からず右手で、左手があった場所を探るが何も無い。

 あるはずの左手を、忙しなく探す右手の甲に雪が落ちると、雪に当たったところから体が粒子状に消えている。


「な、何だよ!? これは!?」


 右手だけではない、体中の至る所が急速に消失していることに気がついた。


 まるで熱湯に入れた綿飴のように、空気中へ霧散むさんしている。


 慌てて肢体したいを確認すると、左足はすでに無くなっていた。

 道理で倒れるはずだ。


 残された右足を右手で抑えたが、すぐに右足も消失し、虚空こくうを掴んだ。


「ハハッ、なんの冗談だよ」


 動揺しながら、顔に右手を当てると、腕が通り過ぎる。


 先程まで右頬があった場所で、何のかかかりも無く、手が出し入れできてしまう。

 数度か開閉した後、残された右腕も無くなってしまった。


 すでに頭の半分と四肢が無くなっている事実だけが、無情に突きつけられる。


 状況はさっぱり理解できないが、自分はこのまま死ぬという事実だけは、否が応でも分かってしまった。


 四肢が無くなっただけならまだしも、頭の半分が無くなって生きていることは出来ないだろう。


 頭が真っ白になる。

 突然過ぎる死は、全くと言っていいほど現実味がなかった。

 本当にこんな所で、生を終えるのか。


 消える体とともに、最後の言葉を遺した。


「まだ誰にも……」


 ”銀条 余一”は世界から消失した。

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